軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第2話 堅物騎士と推理令嬢

震えが止まらなかった。

ゲストハウスの小さな寝室で、私はベッドの縁に座り込んでいた。誰もいない。壁の魔法灯がぼんやりと橙色の光を落としている。

昨夜の大広間での自分が、まるで他人のことのように思える。あの冷静な声。あの微笑み。あれは本当に私だったのだろうか。

右手を持ち上げた。

震えている。細かく、止めようもなく。

(……怖かった。本当は、すごく怖かった)

頭を上げて、天井を見た。ゲストハウスの天井は低い。大広間の高い天井とは大違いだ。あの場所で、三百人の視線を浴びた自分が信じられない。

前世の私はただのOLだ。法廷に立ったことなんて一度もない。満員電車に揺られて、コンビニ弁当を食べて、推理小説を読んで寝る。それだけの人生だった。推理小説は読む側であって、自分が謎を解く側になるなんて想定していなかった。

でも。

膝の上で拳を握った。震えごと、握りつぶすように。

泣いている暇はない。あと六日。六日で、すべてを暴く。

朝食の時間に、ゲストハウスの応接室へ降りた。

テーブルの上に朝食が用意されていた。焼きたてのパンと温かいスープ、果物の盛り合わせ。それだけではない。着替えの衣装が三着、洗面具一式、そして筆記用具と白紙の束まで。

「……気が利きますのね」

思わず呟いた。これを手配したのが誰か、すぐに分かった。

応接室の扉をノックする音。

「入ってくれ」

──いいえ、ここは私の部屋なので、入っていただく許可を出すのは私のほうでは。

そう思ったが、もう扉は開いていた。ノエル様が捜査資料の束を抱えて入ってくる。朝から騎士団の制服を完璧に着こなし、髪もきっちり束ねている。この人、昨日の今日で寝たのだろうか。

「昨夜のうちに、断罪の場にいた全員の名簿と配置図を作成した」

言いながらテーブルに資料を広げる。挨拶どころか「おはよう」すらない。

(……この方、雑談という概念がないのかしら)

「それと、杯に触れた人間の記録。パーティー開始から断罪までの時系列も整理してある」

資料を見て、私は目を見開いた。時系列が分単位で記録されている。誰がどの位置にいて、何時に何をしたか。騎士団の報告書形式で、正確で、無駄がない。

「ノエル様。これを一晩で?」

「記憶力には自信がある。一度見た顔と名前は忘れない」

淡々と答える横顔に、ようやく気づいた。この人の目の下に、薄い隈がある。

寝ていない。私のために、一晩中これを作っていたのだ。

(……感謝と申し訳なさが半々ですわ)

二人で事件の時系列を確認した。

「まず、矛盾を整理しましょう」

私は白紙に書き出し始めた。前世で培った──というか推理小説で学んだ──論点整理の方法だ。

「一つ。毒物がベルガモア草の精製毒であること。王宮薬草園でしか入手できない希少種で、私には入園許可がありません」

「二つ。杯に毒を入れるタイミング。パーティー中、杯はセレスティナ様の手元にあった。私が近づいた記録はノエル様の配置図にもない」

「三つ。セレスティナ様の倒れ方。毒を飲んでから倒れるまでが早すぎる。ベルガモア草の精製毒は即効性ではなく、通常は三十分以上かかる」

「四つ。セレスティナ様の『症状』。嘔吐や痙攣が出ていない。ベルガモア草の毒なら、まずそれが出るはずです」

「五つ──」

ノエル様が私の顔を見ていた。

「……貴女は本当に十八歳か?」

「十八歳ですわ。前世を含めると少々上乗せされますけれど」

「前世?」

「冗談です」

危ない。うっかり口が滑った。推理モードに入ると、つい前世の口調が出てしまう。気をつけないと。

ノエル様は怪訝そうな顔をしたが、それ以上は追及しなかった。実直な方だ。仕事に関係ないことには踏み込まないという矜持が見える。

代わりに、資料の一枚を指で示した。

「五つ目の矛盾、俺も気づいていた。風紀委員長ダヴィエが提出した証拠書類──筆跡に不自然な箇所がある」

「ロラン様の書類に?」

「断定はできない。だが、俺は現場で数多くの報告書を読んできた。あの書類は、書き直した痕跡がある。インクの濃淡が一部だけ違う」

私は思わず身を乗り出した。椅子がガタリと鳴る。

「書き直し──改竄の可能性があるということですわね?」

「可能性だ。確証ではない」

慎重な物言い。しかし、その目には確信に近いものがあった。

私は白紙にペンを走らせた。五つ目の矛盾──「証拠書類の改竄疑惑」。書きながら、胸の奥がじわりと熱くなる。

パズルのピースが揃い始めている。まだ全体像は見えないけれど、確実に何かがおかしい。そしてその「おかしさ」は、私の無実を証明する道に繋がっている。

ノエル様は、最初からこの事件に疑問を持っていたのだ。だから昨夜、あの場で声を上げた。

(この方は──信じられるかもしれない)

資料を一通り確認した後、今後の方針を話し合った。

「まず、毒の入手経路を潰す。王宮薬草園の入園記録を調べましょう」

「入園記録の閲覧には、騎士団か宮廷の許可が要る」

「ノエル様の権限で可能ですか?」

「……ギリギリだが、できなくはない」

ありがたい。推理小説の探偵が警察の協力を得るようなものだ。いや、この場合はノエル様が警察で、私が探偵か。

「明日、薬草園に行きましょう。入園記録を確認して、セレスティナ様が──いえ、誰が最近入園したかを調べます」

ノエル様が頷く。

応接室を出る時、廊下でロラン様とすれ違った。

ほんの一瞬。視線が合って、すぐに逸らされた。

ロラン様の手が──昨夜と同じように、小さく震えていた。そして瞳が泳いでいる。風紀委員長として堂々と証拠を提出した人物とは思えないほどの、怯えた目。

廊下に残った香り。清潔な石鹸の匂いと、それを上書きするような冷たい汗の気配。

(……あの方、何かを隠していますわね)

罪悪感だ。推理小説で何度も読んだ。良心の呵責を抱えた人間は、体が嘘をつけない。

手の震え。目の揺らぎ。すれ違いざまに見えた唇の乾き。あれは「正しいことをしている人」の顔ではない。

ゲストハウスに戻りながら、私は考えを巡らせた。

ロラン様は共犯者か。それとも──脅されているのか。

どちらにしても、あの人から糸を手繰れる。あの震えを止めてあげることができるのは、きっと真実だけだ。

窓の外では、学園の時計塔が朝の鐘を鳴らしていた。

六日間の時計が、静かに動き始めていた。