作品タイトル不明
第2話
私は二人の後について歩き出した。
向かった先で、彼女たちはすぐに足を緩めた。
広間の奥には、若い男たちがいくつもの輪を作っている。
皆それぞれ仮面をつけ、笑いながら言葉を交わしていたが、輪によって空気は少しずつ違って見えた。
ひときわ賑やかな一角。
身内だけで固まっていそうな一角。
そして、もう少し落ち着いて話せそうな一角。
「……あちらがいいわね」
ミレーユが、扇の先でそっと示す。
そこには若い青年が四人ほど集まり、酒杯を手にしながら穏やかに話していた。
「ね?」
ミレーユが仮面越しに私へ笑いかける。
「いきなり難しそうなところへ行くより、ああいう輪の方がよろしいでしょう」
「……そうですね」
「では、まいりましょう」
彼女たちはためらいなく歩き出した。
輪の近くまで行くと、セシリアがやわらかな声で呼びかける。
「失礼。少し交ぜていただいてもよろしくて?」
青年の一人がこちらへ顔を向け、すぐに笑みを返した。
「もちろん。今夜はそのための場でもありますから」
その言い方に、ミレーユが満足そうに笑う。
「でしたら遠慮なく」
そうしてミレーユは輪の中へ入り、セシリアも自然に続いた。
最後に、私もそっとその端へ加わる。
「初めてお見かけしますね」
隣にいた青年が、酒杯を手にしたままやわらかく声をかけてきた。
「エリオット・フェルマーと申します」
「エリナ・リュークハルトでございます」
「こうした場は、よくいらっしゃるのですか?」
「……いいえ。あまり慣れていなくて」
「では、今夜が初めてでいらっしゃる?」
「はい」
私が頷くと、エリオットはどこか楽しそうに目を細めた。
「それで少し慎重に見えたのですね」
「そ、そんなに分かりますか」
「ええ。でも、そのくらいの方が今夜は目を引きます」
私は返す言葉に少し迷い、仮面の奥で小さく息を整えた。
「今夜は、どなたかお連れの方が?」
問いかけられて、私は一瞬だけ迷った。
けれど、ここで曖昧にする方がかえって不自然な気がした。
「招待をいただいて、一人で参りました」
「そうでしたか……。でしたら、今夜はまだどなたにも捕まっておいでではないのですね」
その言い方に、ミレーユがすぐ扇を揺らした。
「あなた、もう少し言い方があるでしょう」
輪の中に、小さな笑いが落ちる。
「失礼。けれど、今夜は皆、多少は同じことを考えているのでしょう?」
そう言ったエリオットに、ミレーユが呆れたように扇を揺らす。
「少なくとも、あなたよりは上手に隠している方も多いわ」
その返しに、また小さな笑いが起こった。
私はようやく肩の力を少しだけ抜く。
そのあとも、仮面のことや今夜の音楽のこと、ハーゼルベルク家の催しは毎年賑やかだという話が、仮面越しにゆるやかに続いた。
「でも、初めてでこれだけ落ち着いていらっしゃるなら大したものです」
エリオットがそう言う。
「そんなことは……」
「いえ、本当に。もっと露骨に怯える方もいらっしゃいますから」
返しかけたとき、楽師たちの音がふっと切り替わった。
先ほどより拍のはっきりした、踊りやすそうな曲だった。
その拍が変わった瞬間、輪の中の空気もふっと軽くなる。
セシリアは先ほどから話していた青年に手を差し出され、楽しそうに笑った。
ミレーユも別の青年と何かを言い交わし、すでに踊りの輪へ向かっている。
気づけば、私の前にもエリオットが立っていた。
彼は酒杯を近くの卓へ置き、私へ手を差し出す。
「では――もしよろしければ、この曲をお願いしても?」
差し出された手に、私は一瞬だけ息を止めた。
「……私でよろしければ。うまく踊れるかは分かりませんけれど」
「大丈夫ですよ」
差し出された手に、私はそっと自分の指を重ねた。
そのまま導かれるように輪の外へ出る。
広間の中央では、すでにいくつもの組が音楽に合わせてゆるやかに身を動かしていた。
エリオットが軽く一礼し、私の手を取ったまま、もう片方の手を添える位置を示す。
「あまり構えなくて大丈夫ですよ。曲に合わせて、ゆっくりで」
「……はい」
返事をしたものの、胸の奥は落ち着かなかった。
手順だけなら、昔、家庭教師に教わったことがある。
けれど、こうして本当の広間で、見知らぬ男性に導かれるのは初めてだった。
音が一段高く流れ、周囲の組がゆるやかに動き始める。
私も慌てて足を出した。
「そのままで結構です」
エリオットの声は思っていたより近かった。
「一度に全部うまくやろうとしなくていい。まずは歩くだけで」
「……はい」
そう答えたものの、自分の足元ばかり気になってしまう。
けれど、エリオットは急かさなかった。
歩幅を私に合わせ、曲の拍を身体ごと教えるように導いてくれる。
そのおかげで、最初のぎこちなさを越えるころには、ようやく少しだけ息ができるようになった。
「ほら、大丈夫でしょう?」
「はい……」
足元ばかり見ていたはずなのに、いつの間にか顔を上げられるようになっていた。
曲に合わせて身体が動く。
それだけのことなのに、頬が少しずつ熱くなった。
私は今、仮面舞踏会で踊っている。
知り合って間もない男性に手を取られて、広間の灯りの下にいる。
それが急に現実味を帯びて、頬がまた熱くなった。
やがて曲が終わり、エリオットは私の足を止めるのに合わせて静かに一礼した。
「ありがとうございました」
「こちらこそ……ありがとうございました」
「初めてと伺っていましたが、十分お上手でしたよ」
「そんなことは……」
「少なくとも、途中で逃げ出さなかっただけでも立派です」
その言い方に、私は小さく笑ってしまう。
エリオットはそのまま、元いた輪の近くまで私を送りながら続けた。
「今夜の最初の一曲を頂けて光栄でした。もしまたあとで機会があれば、その時はもう少し落ち着いてお話ししても?」
「……はい」
「では、ひとまずここで。今夜の最初から欲張るのは嫌われそうですから」
そう言ってエリオットは軽く一礼し、やわらかな笑みを残したまま輪の方へ戻っていった。
私はその背を、ほんの少しだけぼんやりと見送った。
初めての舞踏会のダンス。
思っていたよりもずっと緊張したのに、終わってしまえば、胸には不思議な熱だけが残っていた。
「――無事に踊れたようだな」
不意に聞き慣れた声が落ち、私ははっとして振り向いた。
「グラーフ伯爵……」
いつの間にか、アーネストが立っていた。