作品タイトル不明
第8話
私は再び、食品店の商会――ブランデル商会を訪れた。
応接へ通されると、奥から商主のブランデルが現れ、頭を下げた。
「お待たせしました。わざわざお越しいただき、ありがとうございます」
「こちらこそ、お時間をいただきありがとうございます」
私は頭を下げ、顔を上げる。
「先日置いていただいた干し林檎のジャムのことですよね」
「はい。いかがでしたでしょうか?」
「思ったより、悪くありませんでした」
「悪くない、というと……」
ブランデルは卓につきながら、穏やかに言った。
「すぐに棚が空になるような動きではありませんが、珍しさで手に取った方のうち、何人かはもう一度買っています」
「そうですか……」
「ええ。干し林檎の甘みを好む方には合うようです。逆に、もっと甘いものを想像していた方には、少し違ったかもしれません」
私は苦笑した。
「砂糖は少なめですから……」
「そうですね。ですが、毎日食べるなら甘すぎない方が向いている、とおっしゃる方もいました」
「……よかった」
胸の奥から、思わず声が漏れた。
けれどすぐに、私は帳面へ視線を落とす。
「……砂糖を少し増やした方がよいでしょうか」
ブランデルは少し考えるように顎へ手を添えた。
「悪くはありません。ただ、今の品とは客層が少し変わるでしょうね」
「今の品とは分けて、別に作った方がよいでしょうか」
「ええ。今の品を崩すより、甘めのものを別に試す方がよろしいかと」
「分かりました。次は、少量だけ用意してみます」
「よろしくお願いします。ああ、それと」
ブランデルは帳面の脇に置いていた小さな包みを開いた。
中から、私が作った髪飾りをひとつ取り出す。
「当たりで飾りのついていた瓶は、よく覚えられていました」
私は少しだけ目を見開いた。
「そんなに印象的でしたか?」
「ええ。全部についていたわけではないからこそ、入っていた家にはよく覚えられたようです」
「なるほど……」
「毎回同じものがついていたら、ただのおまけで終わったかもしれませんね」
私は小さく頷いた。
ブランデルは私の顔を見て、少しだけ身を乗り出した。
「ですので、次回は前回よりほんの少し増やすくらいなら試せます」
「はい。よろしくお願いします」
ブランデルは満足そうに頷いた。
「ええ。無理に広げる品ではありませんが、育て方はあると思いますよ」
話がひと段落し、私は礼を述べて立ち上がった。
馬車に揺られながら、私は小さく息を吐く。
「……少しずつ、か」
定着するまで、まだ時間はかかるだろう。
それなら、規格外の干し林檎はしばらく王都商会にお願いした方がいい。
売れ方が見えたなら、次に考えるべきは人手だった。
春に向けて、今のうちに作業を覚える者を入れなければならない。
領地へ戻ると、第四の乾燥小屋はもう柱が立ち始めていた。
私は古参の領民へ顔を向けた。
「……どうかしら。人手、増やせそう?」
古参は建ち始めた四棟目へ目をやってから、腕を組んだ。
「簡単にはいきませんな」
「そうなの? ここは、働きやすいように整えてきたつもりなのだけれど」
「反応は悪くありませんがね」
「それでも増えないの?」
なるべく長く続けてもらえるよう、作業に入っている領民の意見は取り入れてきた。
休憩もこまめに入れているし、急な休みが出ても作業が止まらないよう、人手も少し厚めに置いていた、なのに。
「そこは皆、ありがたがっております。ですが、家を空けられるかどうかは、また別の話ですな」
「……どういうこと?」
「すぐには決められぬ家が多いからです」
「畑の都合?」
「それもあります」
彼は頷いた。
「女衆が外へ出るとなれば、家のことを誰が回すか決めねばなりません。子のいる家なら、なおさらです」
「子ども……」
思わず、その言葉を繰り返す。
「そういう家は多いの?」
「おりますな。働く気はあっても、子を見てくれる者がおらねば出て来られません」
「そう……」
領民のことを少しは分かったつもりでいた。
けれど、作業場に来られる人たちの事情しか、私はまだ見ていなかった。
私は帳面へ視線を落とし、端を指先でなぞった。
そういう家ほど、少しでも収入が増えれば助かるはずなのに。
ふと、母のいた頃のことを思い出す。
幼い頃、母はいつも忙しかった。
私はそばで本を開くか、侍女に絵本を読んでもらっていた。
私は顔を上げた。
「……なら、連れて来られるようにすればいいのでは?」
「と、申しますと?」
「作業場のそばに、囲いを作るの」
言いながら、頭の中で形を追う。
「危ない道具から離した場所に。そこで誰かが見ていれば、選別や包みくらいなら母親も手を動かせるでしょう?」
相手をしてもらえなくても、姿が見えれば互いに安心するのではないか。
古参はすぐには答えず、四棟目とその脇の空いた場所を見比べた。
「……乳飲み子以外なら、来られる家は確かに増えますな」
「本当?」
「ええ。見守りなら、座って子を見るだけでもできる年寄りがおります」
私は空き地へ目を向けたまま、小さく息を呑んだ。
「……それなら、見てくれる人にも役目を渡せるわね」
「半日でも出られる女衆は増えるはずですな」
私は四棟目の横の空き地を見た。
「どんな囲いなら連れて来やすいか、子どものいる女衆に聞いてちょうだい」
古参は頷いた。
「承知しました」
◆
仮面舞踏会の当日、私はいつもより早く支度部屋へ入った。
寝台の上には、事前に選んでおいたドレスが広げられている。
姉から譲られたドレスから、余分な飾り紐を外したものだった。
袖口のふくらみも、侍女に頼んで少しだけ詰めてもらっている。
そうすると、もとの甘さが薄れ、形だけがすっきりと残った。
「こちらでよろしいですか」
侍女が背中の留めを整えながら尋ねる。
「ええ。ありがとう」
鏡の前に立つと、見慣れたはずのドレスが、少しだけ違って見えた。
「……前より、ずっと着られている感じがしないわね」
背中の留めを侍女が整えていると、不意に扉が軽く叩かれた。
「入るわよ」
返事を待つより先に、姉が顔を覗かせる。
「あら……。そのドレス、少し変えたのね」
「はい。飾りを外して、少しだけ詰めてもらいました」
姉は近づいて、胸元と袖口をひと目見る。
「その方がいいわ。あのままだと、あなたには甘すぎたもの」
思わず私は鏡越しに姉を見た。
姉はすぐに視線を仮面へ移す。
「仮面舞踏会は、最初の立ち方でだいたい決まるわ。入ってすぐ立ち止まらないこと」
「……はい」
「あと、きょろきょろしないこと。それだけで慣れていないのが分かるから」
そう言ってから、姉は少しだけ口元を和らげた。
「まあ、今夜のあなたなら……前よりは見られるんじゃない」
それだけ言うと、姉はくるりと踵を返す。
「ありがとうございます、お姉様」
返した声に、姉は振り向かないまま手だけを軽く振った。
「お嬢様、そろそろお時間です」
侍女の声に、私は小さく息を吸った。
「……お願い」
仮面をそっと顔へ当ててもらい、私は静かに部屋を出た。