作品タイトル不明
第4話
私は苦笑しながら答えた。
「まだ、そのようなお話はございません」
一瞬、空気が静かになった。
「……そうですか」
最初に尋ねた青年が、少し意味ありげに頷く。
「それは失礼を。ずいぶん落ち着いておられるので、てっきりもうお決まりかと」
「いえ……」
別の一人が、苦笑まじりに口を挟んだ。
「伯爵が実務の場にお連れになるのが珍しかったものですから、てっきり特別なお立場の方かと」
「そうでしたか……」
そう見えていたのだ、と思うと、胸の奥が少し苦しくなった。
私が静かに返すと、男は肩をすくめた。
「実際、そう見えます。実務の場に令嬢を連れてこられるのも珍しい」
「それに、現場の人の動きまで見ておられる」
別の青年が言った。
「机上の話だけなら、できる方はおります。けれど、ここまで考えられる令嬢は、そう多くないでしょう」
――そんなに珍しいものなの?
私は笑みを崩さないまま、膝のあたりで指先をそっと重ねる。
「ですが」
年長の一人が、グラスを傾けながらゆるやかに口を開いた。
「領地の話ができて、商いの流れにも触れている。しかも、この場で浮かない。……そういう方を頼もしく思う家は、少なくないでしょうな」
「そんな……買いかぶりすぎですわ」
「そんなことありません」
ルーカスが静かに言った。
「少なくとも、お話していて興味の尽きない方だとは分かりました」
少しだけ、言葉に詰まった。
褒められている、のだろう。
けれど、まっすぐ喜ぶには、どこか距離の測られる響きがあった。
「それは、光栄です」
私がそう返したところで、別の青年が身を乗り出しかけた。
「では、エリナ嬢は今後、ご縁談なども――」
そのときだった。
「そのあたりでやめておけ」
落ち着いた声が差し入れられた。
アーネストだった。
彼は変わらない顔で、私の少し横へ並ぶ。
「彼女は見定められるためにここにいるわけではない。今夜は実務者会の客人として呼んでいる」
輪の空気が、すっと引き締まった。
先ほどまで軽く笑っていた青年たちが、揃って姿勢を改める。
年長の男性も、グラスを下ろした。
「……失礼しました」
最初の青年が、苦笑しながら頭を下げた。
「つい興味を引かれてしまいまして」
「興味を持つのは結構だ」
アーネストは静かに返す。
「だが、本人の前でする話ではない」
私は思わず息を止めかけ、すぐに小さく整えた。
輪の中の男たちも、今度は素直に頷いている。
「おっしゃる通りです」
年長の一人が、場を和らげるように笑った。
「少々、話が先へ行きすぎましたな」
「……お気になさらないでください」
小さく答えた。
そうか。
家の娘としてではなく、私自身を見た時、こういうふうに映ることもあるのか。
「……少し、顔ぶれを変えよう」
そう言ってアーネストは、私に目配せした。
私は小さく一礼して、その場を離れる。
案内されたのは、先ほどの輪よりも人数の少ない一角だった。
年若い当主候補が二人、すでに家の差配に関わっているらしい男性が二人。
聞こえてくる内容は、今年の人足や街道の荷の流れについてだった。
「こちらはリュークハルト家のエリナ嬢だ」
アーネストがそう紹介すると、何人かが穏やかに会釈を返した。
「先ほどの話、興味深く聞いていた」
と、一人が言う。
「加工場の人の置き方について、もう少し伺っても?」
「私でよろしければ」
そう答えると、今度の相手は話の続きを待つ顔をしていた。
紹介がひと通り済むまでは、アーネストも私のそばにいた。
必要なところだけ言葉を添え、話が流れに乗ると、彼は半歩だけ後ろへ下がる。
そのまま別の相手に声をかけられ、自然な形で輪の外へ離れていった。
けれど、少し離れた場所で別の会話に応じながら、ときおりこちらへ視線を寄越しているのが分かった。
◆
会が終わる頃には、広間の熱気も少しずつほどけていた。
挨拶を交わしながら人が引き、扉の近くでは外套を受け取る者たちが小さな列を作っている。
私も一礼してその場を辞そうとしたとき、後ろから低い声が届いた。
「エリナ嬢」
振り向くと、アーネストが数歩の距離まで来ていた。
「もう帰るのか」
「はい。遅くなる前にと思いまして……」
アーネストは短く頷いた。
「そうか」
それだけ言って、私の隣に並ぶ。
並んだまま玄関先まで歩く形になって、胸の奥が落ち着かなくなる。
……近い。
「さっきの輪、うまく切り返したな」
「……え?」
思わず顔を上げると、アーネストは前を向いたまま続けた。
「人手不足の話を、嘆きで終わらせなかった。配置の話に変えた」
胸の奥が、ふいに熱を持つ。
「……ありがとうございます」
そのときだった。
「エリナ嬢」
振り向くと、ルーカスがこちらへ歩み寄ってくる。
「本日はお越しくださって、ありがとうございました」
「こちらこそ、ありがとうございました」
私が礼を返すと、ルーカスはやわらかく笑った。
「ところで、週末のご予定は?」
「え?」
「週末、この屋敷で仮面舞踏会を開くのです」
ルーカスの言葉に、私は思わず目を瞬いた。
「仮面舞踏会……ですか」
「ええ。若い方も多くお呼びする予定ですし、今夜よりはもう少し気楽な場になると思います」
ルーカスはやわらかく笑って続ける。
「もしご都合が合えば、ぜひ」
私は小さく息をのみ、言葉を探した。
仮面舞踏会――。
恋愛小説の中でしか見たことのない、華やかで、少しだけ秘密めいた響きだった。
「……私は――」
返事をしようとした、そのときだった。
「仮面舞踏会か」
低い声に、胸がひとつ跳ねる。
「ええ。グラーフ伯爵もぜひ」
「招待状は届いている」
アーネストはごく自然な口調で答えた。
「まだ返事はしていなかったが、顔は出すつもりだ」
――え。
参加なさるの……?
思わずそう口にしかけて、私は慌てて唇を閉じた。
「それは心強いですね。では、エリナ嬢もぜひ」
「……はい。ぜひ、伺いたいです」
「ありがとうございます。では、招待状はすぐにお送りしますね」
「よろしくお願いいたします」
ルーカスが一礼して離れていくのを見送りながら、私はそっと息をついた。
「……仮面舞踏会は、夜会と少し勝手が違う」
そう言って、アーネストは私へ顔を向ける。
「当日は少し早めに行く。着いたら声をかけろ」
どうして、こうも気にかけてくれるのだろう。
「……はい」
胸に鈍い痛みを感じながら、私はそっと目を伏せた。