軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第1話

私はその日の報告書を終えると、自室で裁縫箱を開いた。

膝の上に広げたのは、姉から譲られたドレスだ。

裾や胸元についた金糸の縁取り、細かなレース、重ねられた小さな飾り布を、指先で糸をほどきながら、ひとつずつ丁寧に外していく。

――あなたは線が綺麗。

ふいに、グラーフ伯爵夫人の言葉が胸によみがえった。

「少し手直しして、次の夜会にも着ていけるようにしないと……」

独り言のように呟き、外した装飾を脇へ寄せる。

侍女に詰めるのを手伝ってもらえれば、私にも似合う形へ直せるかもしれない。

ふと視線を上げると、クローゼットの奥が目に入った。

「……似合うドレスは……」

あの人から頂いたものばかりだ。

実務者会に誘われるたび、用意された装い。

「甘えてばかりじゃだめよね。それに……」

ドレスは、それだけでは足りない。

これから夜会に出る頻度は増える。

商談のために。

そしてこの先、家を出るために。

思わず、くすりと笑いがこぼれた。

「令嬢のすることじゃないわよね……」

そう口にしてから、私は小さく頭を振る。

針を持ち直し、布へそっと落とす。

窓辺に残るわずかな光を頼りに、私はひと針ずつ縫い進めた。

その日、私は干し林檎を卸している酒場へ立ち寄った。

昼前の店内はまだ静かで、卓を拭いていた主人がこちらに気づいて顔を上げる。

「おや、お嬢さん。今日はどうしたんだい」

「前にお話しした、干し林檎とチーズの組み合わせはどうでしたか?」

「ああ、あれか。悪くなかったよ。腹にたまるし、酒にも合う。常連の何人かは気に入っていたな」

「それならよかったです」

私は少しだけ息をつき、それから持ってきた包みを卓へ置いた。

「今日は、もうひとつ試していただきたいものがありまして」

包みを開き、小皿へ薄く切った塩干し林檎を載せる。

「それは?」

「干し林檎に塩をまぶしてみました。酸味の強い林檎で作ったものなので、甘いおやつというより、口直しや酒のつまみ向きかと思いまして」

「ほう」

主人は一枚つまみ、しばらく噛んでから眉を上げた。

「……これは、いつものとはまるで違うな」

「はい。甘い干し林檎には向かない実を使っています」

「なるほど。たしかに、こっちは酒に合いそうだ。甘いだけのものより、手が伸びる客もいるだろうな」

「お試しで構いませんので、少し置いていただけませんか」

「少しならな。誰にでも売れる味じゃないが、好きな客はつきそうだ」

その言葉に、私は小さく頷いた。

もともと、甘い干し林檎には向かない実で作ったものだ。

それでも置いてもらえるなら、十分ありがたい。

そう思えたところで、私は次の商談先へ向かった。

到着したのは、領地周辺の商会だった。

実務者会で挨拶を交わした商人が営む商会だ。

庶民向けの品も広く扱っていると聞き、あらかじめ書状を送り、時間をいただいていた。

応接用の卓へ案内されると、ほどなくして相手が姿を見せた。

「お久しぶりです。お時間をいただき、ありがとうございます」

「いえいえ。わざわざどうされました?」

私は持ってきた籠を卓の上に置き、包み布を開いた。

中から小さな瓶を取り出す。

「本日は、こちらを見ていただきたくて参りました」

瓶の蓋を開けると、干し林檎を煮詰めたやわらかな香りが立つ。

「庶民向けの干し林檎ジャムです」

相手は瓶へ視線を落とした。

「あの干し林檎を?」

「はい。甘みは林檎由来ですので、やさしい味に仕上がっております」

小皿へ少量よそい、差し出す。

商人は匙でひと口すくい、静かに味を確かめた。

「……なるほど。ただの林檎ジャムとは少し違いますね」

「干してから煮ていますので、普通のジャムより果肉の感じが残りやすいのです。香りも少し濃く出るかと」

「たしかに。これは食べやすい」

ほっとしそうになるのを抑え、私は続けた。

「甘みの強い干し林檎を使っておりますので、砂糖はやや控えめです。そのぶん、価格も抑えやすくなっております」

商人はもうひと口だけ口に運び、今度は確かめるように頷いた。

「甘すぎないのがいいですね。毎日食べるなら、このくらいの方を好む者もいるでしょう」

「はい。食卓に置きやすいものを目指しました」

「悪くない。黒パンに添えてもよさそうだ」

胸の奥で、小さく息をつく。

「……どうでしょうか。少量からでも置いていただけるとありがたいのですが」

「そうですね。まずは条件を詰めましょう」

「本当ですか。ありがとうございます」

その後、納める数や価格、瓶の大きさについて、しばらく条件を詰めた。

商談がひと段落したところで、私は籠の脇に寄せていた小さな包みへそっと手を伸ばした。

「あと……もしよろしければ、こういう添え方もできないかと思いまして」

差し出したのは、小さなリボンの髪飾りだった。

商人はそれを手に取り、指先で軽く返して眺める。

「へえ。おまけですか」

「はい。もともとドレスについていた装飾を外したものです。数は多くありませんが、贈り物向けや、子どものいるお家には喜ばれるのではないかと思いまして」

「面白いですね。こういうものは、案外子どもが覚えます。うちの娘も喜びそうだ」

その言葉に、私は思わず顔を上げた。

「娘さんがいらっしゃるのですね」

「ええ。まだ小さいですが、こういう飾りは目ざとく見つけますよ」

「……でしたら、よろしければ」

私は包みの中からひとつ選び、卓の上へそっと置いた。

続けて、小さな瓶もひとつ差し出す。

「試しにお持ちください」

「これは……よろしいのですか」

「はい。本日お時間をいただいたお礼です」

商人は一瞬だけ目を瞬かせ、それからふっと笑った。

「では、ありがたく。娘が喜びそうです」

「そうでしたら、うれしいです」

応接を辞して商会の外へ出る。

昼の光は明るく、行き交う荷馬車の音が石畳を震わせていた。

「子どもか……」

私は籠を抱え直し、ひとり小さく息を吐いた。