軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第7話

封を切った瞬間、薄く畳まれた布が滑り落ちた。

アーネストの指先が止まる。

見覚えのあるハンカチだった。

あの日、客間の机に置いたものだ。

その下の手紙を開く。

『先日は失礼いたしました。

乾燥部門の利益の件、父と話し、今後の形を決めることができました。

グラーフ伯爵からいただいたご助言のおかげです。

本当にありがとうございました。

お借りしたハンカチを、同封にてお返しいたします。

エリナ』

アーネストは便箋から目を離し、机の上のハンカチへ視線を落とした。

「……来ないか」

アーネストはハンカチを取り上げると、一度だけ指で端をなぞった。

それから畳み直し、便箋の横へ置く。

「なら、理由を作る」

呟いて、アーネストは静かに便箋を閉じた。

夜会の招待状を前にして、私は姉に尋ねた。

「流行に敏感な夫人が集まるところがいいのですが、どちらがよろしいでしょうか」

姉は封蝋の色を見ただけで、二枚のうち一枚を指先で弾いた。

「こっちよ。新しいものが好きな方なの。気に入ればすぐ広まるわ」

さらりと言って、姉は私を見る。

「ただし、つまらなければその場で終わるけれど」

「ありがとうございます。これにします」

「そうしなさい。あなたの話も、嫌いじゃないはずよ」

それ以上、姉は何も言わなかった。

招待状の会場は、王都へ向かう街道沿いにあるカレン伯爵夫人の別邸だった。

表通りに面した屋敷は手入れが行き届き、玄関脇の鉢植えには、王都で流行り始めたばかりの淡い色の花が並んでいた。

玄関先にはすでに何台もの馬車が並び、開け放たれた扉の向こうからは、人々の話し声と、軽やかな楽の音が流れてくる。

名を告げて中へ通されると、迎えに立ったカレン伯爵夫人が扇の向こうで目を細めた。

「ようこそ、リュークハルト嬢」

「お招きいただき、ありがとうございます」

「お姉様はご一緒ではないの?」

――やはり、そこからよね。

「姉は別の先約がございまして。本日は私ひとりでご挨拶に伺いました」

伯爵夫人は小さく頷き、にこやかなまま私を見た。

「まあ。では今夜は、あなたがリュークハルト家のお顔なのね」

「未熟ではございますが、そのつもりで参りました」

そう言って、私は持参した包みを差し出した。

「ささやかなものですが、ご挨拶代わりに。お口に合えばと思いまして」

「まあ、そんなお気遣いを」

伯爵夫人は受け取った包みを見下ろした。

仕立て屋の端切れで作った細い飾りに、ほんの一瞬、目を留める。

「開けても?」

「もちろんです」

白い指先が結び目をほどく。

布の中から干し林檎が現れたとき、伯爵夫人の眉がわずかに上がった。

「……まあ。もしかして、これ」

その声に、すぐそばにいた夫人が目を向けた。

「あら。それ、グラーフ伯爵夫人のところでお見かけした気がするわ」

「ええ、噂の干し林檎ね」

「包みも可愛らしいこと」

ひそやかな声が、少しずつ近くに集まる。

グラーフ伯爵夫人の名が出ただけで、空気の温度が変わる。

その影響の強さに、胸の奥がわずかに強張った。

カレン伯爵夫人は干し林檎をつまみ上げ、興味深そうに眺める。

「わたくしも、お噂だけは伺っていたの。なるほど、こういう形でお持ちになるのね」

「ありがとうございます」

別の夫人が扇の影から口を開いた。

「どちらでお願いできるのかしら」

私は申し訳なさそうに目を伏せた。

「ありがたいお言葉ですが……今はグラーフ伯爵夫人のお取り計らいのもとで動いておりますので、私から直接お約束することはできません」

「あら、そうなの」

「もしご縁がございましたら、伯爵夫人を通じてお目にかかることもあるかと存じます」

カレン伯爵夫人はすぐにその意図を汲んだらしく、ふっと目元をゆるめた。

「なるほど。きちんと筋を通すのね」

「まだ学ぶことばかりです」

「それでも、軽々しく口にしないのは大事なことだわ」

そう言って、伯爵夫人は包みを傍らの侍女に預けた。

「ありがとう、リュークハルト嬢。今夜の楽しみがひとつ増えたわ」

「そう言っていただけて光栄です」

深く礼をすると、胸の内にあった張り詰めた固さが、ほんの少しほどけた。

広間へ足を踏み入れると、楽の音と、香水の混じった人いきれが一度に押し寄せてきた。

中央では若い男女が緩やかに踊り、壁際には夫人たちが扇を手に輪を作っている。

少し離れた場所では、年配の紳士たちが杯を片手に低い声で話し込んでいた。

中へ進むにつれ、いくつもの視線がこちらへ向くのを感じた。

「……あちらが妹君?」

「お姉様とは、またずいぶん雰囲気が違うのね」

「でも、グラーフ伯爵夫人のところでお見かけした方だと聞いたわ」

歩を進めるうち、ほどなく数人の若い貴族たちが談笑している輪の近くで足が緩めた。

私が近づくと、輪の中の空気が一瞬だけ静まった。

最初にこちらへ気づいた青年が、わずかに眉を上げる。

「……これは意外だ」

その隣の青年が、杯を持ったまま小さく笑った。

「リディア嬢の妹君まで、こちらへいらっしゃるとは」

「そう思っていただけるなら、こちらへ来た甲斐がありました」

「……っはは。なかなか、印象に残るお返事だ」

私は杯を持つ彼らを見回してから、口を開いた。

「皆様は、何のお話をされていたのですか」

「たいした話ではありませんよ。新しく入った香辛料のことや、どこの商会が扱っているか、といった程度です」

「あと、街道沿いの宿場に人が増えているらしい、という話もしていたな」

私は近くを通った給仕からグラスを受け取り、軽く指先で支えた。

「確か……街で雇い口が増えたから、と聞きました」

私がそう言うと、別の青年が杯を傾けながらこちらを見る。

「妹君は、そういう話もお好きなのですか」

「ええ、少しだけですが。家でも領地の話に触れることが多いものですので」

「それはまた、感心なお話だ」

青年のひとりが、意外そうに笑う。

「こういう席で、商いの話に乗ってこられる令嬢はあまりいませんね」

「ええ、そうでしょうね」

笑みを崩さず答えながら、胸の奥が小さく痛んだ。

けれど、不思議と頭だけは冷えていた。

「ですが、華やかな話だけでは、その方が何を見ているのかまでは分かりませんでしょう?」

私がそう返すと、輪の中の空気がわずかに変わった。

別の青年が、面白がるように目を細めた。

「なるほど。妹君は、ただ愛らしいだけではないわけだ」

私は静かに微笑んだ。

胸の内で、そっと言い聞かせる。

ここに来たのは、夢を見るためではない。

夢から、目覚めるためだ。

私は再び、目の前の会話へ意識を戻した。