作品タイトル不明
第7話
高い天井から吊るされた燭台の灯りが、磨かれた床にやわらかく落ちている。
壁際では夫人たちが扇を手に談笑し、中央では音楽に合わせて男女がゆるやかに踊っていた。
広間へ足を踏み入れた瞬間、いくつかの視線がこちらへ向いたが、私は背筋を伸ばしたまま、足を止めずに進む。
私は小さく息を吸い、会場を見渡す。
――まずは、落ち着かないと。
そう言い聞かせながら、私は人の流れを邪魔しない壁際へそっと身を寄せた。
「失礼」
振り向くと、落ち着いた雰囲気の夫人が立っていた。
「あなた、先ほど伯爵にご挨拶していた方ね。初めてお見かけすると思って」
私は裾をつまみ、軽く一礼する。
「リュークハルト家のエリナと申します」
「あら、リディア嬢の……」
「はい、妹です」
夫人は小さく頷いた。
「わたくしは、ブリュノー伯爵夫人と申しますの。あなた、夜会は初めて?」
「いえ、今回で三度目です」
「三度目?」
夫人は少しだけ目を丸くした。
「そうは見えなかったわ」
私は小さく首を傾げる。
「……そうでしょうか」
「ええ。落ち着いていらしたもの」
夫人は扇を閉じ、私をもう一度見た。
「ヴァルクレイン伯爵家とは、お知り合いなの?」
「初めての夜会がヴァルクレイン伯爵家でして、そのときに大変お世話になりました」
夫人は一瞬だけ目を細めた。
「そう……なるほど。それで、今夜こうしてお招きがあるのも頷けるわ」
「まだ不慣れですが……」
「そうは見えないわね。伯爵夫人は、人を見る目が厳しい方よ」
夫人の口元がわずかに緩む。
「その方が気にかけるなら、あなたには何かあるのでしょうね」
私は少しだけ言葉を探し、それから静かに答えた。
「過分なお言葉です」
夫人は扇を軽く揺らした。
「ところで、今夜贈り物をお持ちだったでしょう。干し林檎だと聞こえた気がしたのだけど」
「……はい。領地で作っているものです」
「最近、どこかの茶会で話題になっていた気がするのよ」
私は思わず瞬きをした。
「そうなのですか?」
「ええ。あとで評判を聞くのが楽しみだわ」
そう言って夫人はやわらかく微笑み、別の客に呼ばれてその場を離れていった。
――やはり、見ている人は見ているのね。
そう思った、その直後だった。
「あの、少しよろしいかしら」
顔を上げると、年の近い令嬢が立っていた。
思わず胸が小さく跳ねる。
――初めて、同世代の令嬢に声をかけられた。
「突然ごめんなさい」
「いえ」
「そのドレス、とても素敵だと思って」
私は一瞬言葉に詰まり、それから微笑んだ。
「ありがとうございます」
「どちらの仕立て屋なの?」
「贈り物なんです」
「まあ、そうなのですね」
令嬢が目を輝かせる。
その会話を聞いていたのか、隣にいた別の令嬢が近づいてきた。
「色もとても綺麗ですわ」
「本当。夜会の灯りに映える色ね」
気づけば、小さな輪ができるほどに令嬢たちが集まっていた。
私は驚きながらも、丁寧に礼をする。
「ありがとうございます。皆様のお召し物も、とても素敵ですね。季節に合うお色が多くて、見ているだけで華やぎます」
令嬢たちの笑い声が小さく弾けた。
そのあとも自然に会話が続き、私はほっと息をついた。
「……皆様は、夜会の贈り物にはどのようなものをお持ちになるのですか?」
「そうですわね……持ってくるなら、焼き菓子や砂糖菓子が多いかしら。けれど、毎回というわけではありませんわ」
「ええ。親しいお家でしたり、お礼を兼ねる時でしたり……そういう時はございますけれど」
「手土産なら、お茶会のほうが多いわね。茶葉や香油をお持ちすることもありますわ」
なるほど、と胸の内でそっと反芻する。
砂糖菓子や香油――どちらも、華やかな彼女たちによく似合うと思った。
そのときだった。
「楽しそうですね」
落ち着いた声がかかる。
振り向くと、若い貴族の青年が立っていた。
令嬢たちが一斉にそちらを見る。
「失礼。お話の途中でしたか」
「いいえ」
一人の令嬢がくすりと笑う。
「装いや今夜の贈り物のお話をしていましたの」
「なるほど。確かに、目を引く装いだ」
私は軽く礼をした。
「ありがとうございます」
青年は軽く一礼した。
「申し遅れました。ハーゼルベルク子爵家のルーカスと申します」
私は裾をつまみ、礼を返す。
「リュークハルト家のエリナと申します」
「リュークハルト家。初めてお見かけしますね」
「こうした場に出るようになったのが、まだ最近でして」
「そうでしたか。ですが、そうは見えませんでしたね」
青年は、そこで初めて少しだけ表情を変えた。
「エリナ嬢の今夜の贈り物、領地のものだそうですね」
令嬢の一人が笑う。
「干し林檎ですって」
「ほう、領地の特産ですか?」
「いえ、まだ作り始めたばかりです」
「なるほど。領地のことにも関わっておられる?」
「……ほんの少し関わっているだけです」
青年は少しだけ笑った。
「“ほんの少し”で、夜会の話題になる贈り物は作れませんよ」
――う。
鋭い。
さらりと答えただけだったのに、急に見透かされたような気がした。
「いえ、その……」
言葉を探していると、別の青年がこちらへ歩み寄ってきた。
「何の話です?」
「領地のお話ですわ」
「干し林檎の贈り物だそうです」
「ほう、領地の。興味深いですね」
私は小さく息を整えた。
――これは、話を広げる機会かもしれない。
そう思った、そのときだった。
「あら」
柔らかな声が落ちる。
令嬢たちが一斉に振り向いた。
そこにはヴィオラが立っていた。
「楽しそうなお話をしているのね」
扇を手に、穏やかな笑みを浮かべていた。