作品タイトル不明
第1話
翌朝。
食堂に入ると、すでに兄と姉が席についていた。
父もいたが、新聞に目を落としたまま顔を上げない。
「おはようございます」
挨拶すると、姉は一瞬だけこちらを見て、すぐに視線を落とした。
兄がナイフを置く。
「王都まで行ってたんだろ」
「はい……」
席につきながら答える。
「何のためだ?」
兄の視線がこちらに向く。
「パン工房の奥様にご挨拶と、商会に……」
「商会、か。誰かからの紹介でもあったのか?」
「……グラーフ伯爵夫人に……」
フォークを持つ手が、わずかに重くなる。
「そうか。で、どうだった」
「え?」
「話になるのかって聞いてる」
「まだわかりません……」
ちょうどそのとき、給仕がスープを置いた。
白い湯気が、ゆっくりと立ちのぼる。
「品質と量が安定すれば、継続も検討できると」
兄は短く息を吐いた。
「今は、形にする段階ってことか」
「……はい」
「そうか。無理はするなよ」
思わず顔を上げる。
「無理……ですか?」
「中途半端に広げて、潰れたら意味がない。せっかくここまで形になってきてるんだ」
「……わかりました」
そのまま、会話は途切れた。
食事を終え、席を立つ。
廊下に出たところで、後ろから呼び止められた。
「エリナ」
振り返ると、姉が立っていた。
「昨日の話、気にしなくていいから……あなたには関係ないことよ」
「……そうでしょうか」
持参金は、簡単に用意できる額ではない。
家の状況を、私はもう知っている。
だからこそ、乾燥物のことも始めたのに。
それでも、これは“関係ないこと”なのだろうか。
「そうよ」
姉は短く答えた。
「そういう話は、お父様とレオンが決めること。あなたは、自分のやることをやっていればいいの」
「……どんな方なのですか」
姉は一瞬だけ目を細めた。
「悪くない方よ」
それだけ言って、視線を外す。
「あなたが気にすることじゃないわ」
そのまま、踵を返す。
呼び止めることはできなかった。
――家のために動くことは許される。
けれど、家の行く先を知ることは許されない。
そのことが、妙に胸に残った。
◆
部屋に戻ると、椅子に腰を下ろした。
机の上に手を置く。
持参金は、どれくらい必要なのだろう。
そもそも、持参金はどれくらい貯められているのか。
考えても、答えは出ない。
知らされていないのだから。
息を吐き、机の上の便箋を取り出して、ペンを手にする。
――グラーフ伯爵夫人へ。
本日のお礼と、改めてご挨拶に伺ってもよいかの確認。
簡潔に書き上げ、封をする。
侍女に渡すと、そのまま部屋を出た。
「考えていても、仕方がないよね……」
足は自然と、乾燥小屋へ向かっていた。
三棟目の小屋は、すでに稼働していた。
仕分けを終えた干し林檎が、整然と並べられている。
足を止める。
分けられた籠の中身に視線を落とした。
パン工房用。
小売用。
そして規格外。
小売用の干し林檎を一つ手に取る。
薄く琥珀色に透けて、形もよく揃っていた。
「……見た目、良すぎね」
近くで作業していた男が顔を上げた。
「どうしました、お嬢様」
「これ、小売に回すには整いすぎてない?」
男は籠の中を覗き込み、うなずいた。
「たしかに、普段食いならそこまで要りませんね」
「でも、逆に貴族向けなら、これくらい見栄えがよくないと駄目なのかもしれないわね」
「ああ……それはあるかもしれません。やっぱり見た目のいいものから売れますし」
端に寄せられた規格外へ目をやる。
弾かれた果実。
形が崩れたものや、色の乗りが悪いもの。
けれど中には、そこまで見た目の悪くないものも混じっている。
「……これは小売でもよさそうね」
私は籠の中を見回した。
規格外に弾かれているものは多いが、すべてが売り物にならないほど悪いわけではなかった。
「悪いのだけれど、これをもう一度分けてもらえる?」
「もう一度、ですか」
「ええ。今、小売に回しているもののうち、見栄えの特にいいものは贈答用か、貴族向けに回すわ」
そう言ってから、規格外の籠を指した。
「その代わり、こっちの中で、形がそこまで崩れていないものは小売用へ回したいの」
男は籠を覗き込み、ふむ、と頷いた。
「たしかに、それならもう少し売り先は分けられそうです」
「手間は増えるけれど……」
「まあ、今まで持ち帰れてた分は減るかもしれませんが」
少しだけ困ったように笑われ、私は思わず目を瞬かせた。
「……ごめんなさい」
「いえ。売り物になるなら、その方がいいです」
男は肩をすくめた。
「ちゃんと回るようになれば、俺たちにもいずれ返ってくるでしょうし」
私は小さく息をついた。
「そうね。今すぐとはいかないけれど、きちんと形になったら、その分は働いてくれた人たちに返したいと思っているわ」
男は今度こそ、はっきり頷いた。
「なら、やりましょう」
しゃがみ込み、色乗りが悪いものを一つ手に取る。
指先で確かめると、柔らかさは十分だった。
そっと口に入れる。
「うん、味もそう変わらないわね」
顔を上げる。
「ねえ、見た目の悪いのをジャムにして売り出すの、作れると思う?」
男は手を止め、少し考えた。
「……できなくはないです」
「本当?」
「煮詰めて、砂糖を入れれば形にはなります」
「……やっぱり、砂糖が要るのね」
「ええ。あれがないと日持ちしません」
男は手元の果実を一つ持ち上げた。
「こういうのは水分も残ってますから、傷みも早いですし」
少し間を置いてから、つけ足す。
「ただ、砂糖はけっこう食いますよ」
――やっぱり、そこか。
私は小さく息を吐いた。
「……どれくらい?」
「きちんと保たせるなら、かなり使います。庶民の家で食べる煮果子みたいに、すぐ食べ切る前提ならそこまで要りませんが」
「保存を利かせるなら、そのぶん要るのね」
「ええ。あと手間もかかります。火の番も要りますし」
「……そう。簡単にはいかないわね」
手の中の果実を見る。
「でも、捨てるよりはいいわ」
「うまくやれれば、そうですね」
「うまくやれれば、か。……試してみましょう」
私は立ち上がった。
迷っている時間の方が、もったいない。
「少量でいいから、まず一度。材料と火の場所、手配できる?」
「作業場の竈なら使えます。鍋も借りられますし、今日中に仕込めるかと」
「お願い」
私はそう言って、小屋の中を見渡した。