軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

観劇

懐かしい王都の劇場の舞台の正面、中央に近い席。かつてヴェルシオはこの劇場について、座席が固いと漏らしていた。そんなことはないと思っていたけれど、その後国営の劇場のボックス席にお邪魔したときに納得した。ーーーこの座り心地を知れば、大抵の席は固く感じるだろう。

もうすぐ照明が落ちるその場所で、ゆっくりと目を閉じる。少し湿った空気と遠い喧騒。

今より背も手もずっと小さかった10年近く昔に、彼とここを訪れた。あえて10年前と同じデザインのパンフレットを握りしめる。

観客はまばらで、隣は空いている。

彼が来るならきっとここだろうと、予感があった。

「……ひさしぶり」

「………………なんの、つもりだ」

音は無かった。右を向けば視界に紺色の髪が映る。平民と同じシンプルなシャツにズボンだけれど、顔の良さは少しもごまかせていない。これも似合うのかと苦笑した。

変わらない声。随分と遠くに来たと思う。

「話がしたくて。とりあえず、一緒に観ない?」

懐かしいでしょ、と笑う。

ため息1つの後、彼は静かに隣に座った。

「……どれだけの人間をつかった」

低い声が落ちた。

彼の視線は膝の上、手のひらに落とされている。

「2度と顔を見る気はなかった。拐わないために、閉じ込めないために。国が俺を見限り王太子の座が失われるまで。そうして死を許されれば、この執着ごと消えようと思っていた。

……なのに新聞を目にした。ある領でアーデンを模した花祭りが開かれ、あちこちで稀覯本が賞品の日記を用いた宝探しが行われると。そんなものがどうしたって目に入る。俺とお前しか知らない過去が」

仕組んだだろう、と囁きに近い声は震えていた。

「国のどこにいても届くほど、色々な催しがこの国で行われるのだと知った。そこにはお前がいるのだろうということも。協力したのはロザリンデと、学園の女子か?俺を誘き寄せるためにわざわざ外国の劇団を招いて、天体映写機や、他にも色々と用意して。

……この席にお前が居なくて、代わりに拘束魔法が用意されていて。そのまま首が落とされようと構わないと、そう考えてここに来た。本当に構わないんだ。なのにまだ懲りていないのか、それとも憐れみか?その同情は、お前を損なうぞ」

劇が終わるまでにいなくなれ。今度こそ2度と、太陽すら拝めなくなりたいのか。

彼の手は震えていた。本当にできるのとは聞かなかった。代わりにそんなものじゃないよと小さく笑う。

「この劇団は1度解散したけれど、最近また同じ面子で活動を再開したんだって。それを聞いたときに君を思い出した。それだけだよ」

指先でパンフレットをなぞる。転移魔法で初めて連れ出した場所。解散したと聞いた時もああそうだろうと納得したくらい酷い出来だった、あの舞台。

「あの部屋で沢山閉じ込められたんだから、これくらい付き合ってよ。感想も言い合えたら、もっと嬉しい」

「逃げないのか」

「逃げて欲しいの?」

どうだろうな、と彼はつぶやく。

「少なくとも私は君を諦めきれない。離れてやっと、それが分かった」

ヴェルシオが魅了されても、私が高熱で魘されても、ロザリーと結ばれたと思っていた時すら。

君を考えていた。赤い糸なんかより細く、けれど確かなもので繋がっている気がしていた。

幕が上がる。照明が落ちる。

唯一残ったひかりの中で、サンザシの木から小鳥が飛び立つ。

主人公が生涯の師を失い、彼女の忘れ形見を通じて成長する物語。出会いと別れ、赦しを知って、物語は進んでいく。

そうして物語の最後、彼女は涙をこぼしあの台詞を叫ぶ。

「あぁ、私は、私であれた!」

丈の長いドレスの女優が、言葉とともに両腕を掲げる。

10年前の舞台ではこのセリフも改変されて、憤りにパンフレットを破りかけた。女優の目からこぼれる涙。そうして最後に照明が切り替わって、静寂の中でゆっくりと幕が降りる。皺ひとつない手元の紙を確かめるように触れてから、他の観客と同様に、手を叩いて素晴らしい舞台を称えた。

カーテンコールも終わって、まばらな観客は思い思いの感想を述べながら席を立つ。

今日が初日だけれど、これだけ出来がいいなら評判が評判を呼んで、そう遠くないうちに座席は全て埋まるだろう。

考えながら隣を見る。拍手も、山場で息を呑むこともなく、けれど彼はずっと舞台から目を離さなかった。

「……10年前と、脚本家も演出家も変わらないらしいよ。こんなに面白くなったのにね」

正直予想外だった。原作に忠実で従順。すこしの遊びごごろと、観客への最大限の配慮。かつてはサンザシの木から飛び立つ小鳥以外、いいところのない舞台だったのに。

返事はない。伏せられた瞼は動かない。最後の観客がホールを出て、扉が閉まる音がした。

「………全て、捨てるつもりか?」

やっと彼は、口を開いた。

なにかを押し殺した声だった。

「薬と魔法で廃人にして、俺以外触れも見れも出来なくして。自由も自我も奪って、足を開かせて、それしか考えられなくさせて。そうしない為に手放してやろうとしたのに」

どうしてと言われた。続く言葉はわからない。諦めさせてくれないんだ、とかだろうか。

随分とおっかないことをしようとしていたらしい、と少し驚く。けれど不思議と恐ろしくはなかった。本当に酷いことなのに、そう語る彼こそ世界が終わる寸前のような顔をしているからだろうか。

どうして。私もずっとそう思っていた。

どうして捨てたの、閉じ込めるの、泣いているの。分からないことが怖かった。誰より近かったのに、なんでも知っていると思っていたのに、そうではなかったらしい事に怯えた。

お互い、もっと言葉を交わすべきだった。距離をとるのではなく、踏み込むべきだった。手放してはいけなかった。それほどの君だった。

手を伸ばす。瞳をかくす髪に触れて、久しぶりに金色を真っ直ぐにみた。

「家族や友人と、話してきた。そうなるかもって思ったから。そうだとしても君ともう1度話したかったから。学園の子はもちろん、その家族にも沢山助けて貰ったよ。君に伝わるものはなにかって考えて、花祭りも劇も、君との記憶ばかりで驚いた。本当にずっと隣にいたんだなって」

学園の彼女たちを想う。憎まれても仕方がないと考えていたのに、女子寮を訪れ抱きしめられて、頭を下げるより早く知っていたわ、と叫ばれた。

『知っていたわ、ある時からロザリンデ様の目がやさしくなって、穏やかに笑ってくださることが増えたもの。あなたがいなくなったのも現実味がなくて、だからきっと見つかったんだろうって話してたの。分かるに決まってるじゃない!私、あなたの友達だもの。あなたに何もしてあげられなかったけれど、それでも、あなたの友達だもの……!』

誰も。ひとりも私を責めなかった。泣かせて、けれど聞くのは生きていて良かったと、そればかりで。

知っていたなんて言葉、嘘に決まっていた。真実だったら彼女達が泣く筈が無かった。

それでも彼女達は、知っていたから私が生を伝えなかったことを謝らなくていいと、気に病む必要なんてないと、そう泣いて笑ったのだ。

言葉を届ける場所が欲しいと頭を下げた時も、迷わずに頷いてくれた。私の領では花祭りをやりましょう、ヴェルシオ様を見つけるのに人員を割くけれどシーリアもお祭りに来てねと、ならわたしはこれをやりましょう、大丈夫よ何度でも手伝うわと、だれもが。

優しく美しい友人達。

愛したように愛されていた。願ったように願われていた。彼女達が笑ってくれることを望んだように、私も幸福を望まれていた。そんなことに気付くのにも、随分と時間が掛かってしまった。

そうして彼がいなければ、私にほんとうの幸福はない。

彼女達に君との話をして、ありふれたかつての日々を思い返して、思い知った。

「……もう俺が既に、この国を出ていたら」

「見つかるまで外国を探してたよ。まずはノドゥールに行ってたかな」

君ならそうするでしょう。あの国はディリティリオの故郷だから。

苦笑する。けれどきっと、外国なんて行けなかった。諦めたと口では言いながら私がパレードのため王都を訪れたように、ヴェルシオがいま劇場にいるように。

崖から落ちようが毒を飲もうが、死の間際だってお互いを切り離せない。執着を手放せない。それが私で彼だった。

金の瞳が震える。閉じ込めてお互いあんなに泣いて、傷つけて。それでもまだ、心の底から好きで。

心臓が痛かった。そうしてやっと、ああ今私は死ぬほど緊張しているんだなと知った。

あの部屋で、泣きながら言われた言葉。

「全て捨てろ、だっけ。良いよ。代わりに言葉が欲しいな」

君は私を、どうしたい?