軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第六百四十五話『過去を知るが良い』

アリュエノが――アルティアの聖体躯が、ガーライストの玉座に着いた。

其れだけで良い。其の事実さえあれば、此の土地は己が主君を思い出す。

誰が此の地を勃興させ、誰が煌びやかな文明を造り上げたのか。誰が此の大陸における覇権を、人類の手元に手繰り寄せたのか。

名を人類神話アルティア。信仰の中心地たる王都は、主を迎えて本来の姿を思い出す。王都は帝都に戻り、時代の歯車は逆行する。

黄金の瞳が、古めかしい色合いを帯びた。カリア達を睥睨し、言葉を口ずさむ。

「……竜が、巨人が、精霊が……」

彼女の唇が発するのは歌の一節。喪失し、現代には伝えられぬ逸失魔術が、アリュエノの体躯を経て復活していた。

古き歌。古き言葉。神話の時代の人類詩。

「……愛しいあの子を、攫って行った。子を食べ……踏み潰して行った……」

ぐわん、と忌まわしい音が響いた。悪意が、魔力となって溢れ出す。

其れは想像するよりも遥かに清廉で、澄み切った色合いをしていた。透明な輝く水が、アリュエノの周囲を覆っているようにも見える。純然たる魔力だ。

しかしフィアラートは其れを見て、歯を鳴らした。数秒意識が途切れる。

純然たる魔力を発する術式などあり得ない。魔法も魔術も。本来は不純なのだ。

両者とも魔力という素材に対し、契約や術式を混ぜ込み、属性を練り込んで恣意的な運用を可能とする。時に破壊、時に燃焼、時に防御。エルフが用いる呪術や祝福も、多少性質が異なるが根本は同じだ。如何に魔力という世界を流れる力を、加工するかという一点に智恵を振り絞っている。

では何故、加工をする必要があるのか。誰もが同じ回答をする。

――純然な魔力は危険だからだ。

方向性が無く、制御も出来ず、対象を定める事すら困難。暴発を繰り返す大量の火薬と言い換えても良い。

魔法使いや魔術師の手腕とは、如何に加工を成すかという事。

しかし、アリュエノの用いた其れは違った。

古き時代から再び現代に這い出て来たかのような歪さで、アレは純然な魔力のまま形を成している。

恐ろしく、悍ましく、悲しく、渇きながら飢えている魔力の奔流。心臓が強くうずくのを、フィアラートは感じた。

余りに不条理、余りに理不尽。ただ、魔性を絶滅させる意志だけを持っている魔。

「カリア」

「……承知している。行くぞ、いいや来るッ!」

フィアラートの唇は無意識にカリアを呼んでいた。エルディスにも同時に目配せをする。ブルーダーとアガトスが声を発しているのも見えた。

一歩を踏み込む瞬間、フィアラートは思った。

本当に、此処にルーギスを連れて来なくて良かった。傷ついた彼を修復した後、眠りにつかせて良かった。彼はきっと、此れにも真正面から立ち向かってしまう。

瞬きの間に、悪意は来た。

「我らは……あいつらを決して許さない」

アリュエノは玉座に座ったまま、魔力の波が咆哮させる。少しずつ、形を替えてそれらはフィアラート達へと迫り来た。

其れは数多の人間の形をしている。其れはきっと触れただけで魔性を殺せる。其れは紛れもない悪意で出来ている。

きっと、古き時代アルティアがあらゆる魔性をひれ伏させたのは、此の力だったのだろうとフィアラートは直感した。

魔性を殺したモノ――即ち、人類の悪意。

千年を超える時の間踏み潰され、強奪され、命を食われ続けた生命は、何時しか憎悪すら超越した悪意を持つに至った。魔性の家畜であった時代、人類は考え続けたのだ。

彼らを滅ぼす方法は何処にある。古き者共を、絶滅させる者は何処にいる。

勇者も、人間王も、大英雄も其の意志の突端にいる。人類が魔性に対抗する為に、望まれて彼らは造り上げられた。

アルティアは其の意志の顕現者。自ら立ち、自ら意志を完遂したもの。其の聖体躯たるアリュエノは――人類神話、人類の悪意を体現する。

「ふ、ぅ――ッ!」

フィアラートが発するは、魔力を収奪する竜牙と魔眼。此れが純然たる魔力であるならば、彼女に奪えぬはずがない。

間近に迫った魔力は、数え切れぬほどの人の形を取っていた。其れはきっと、魔性に立ちはだかって来た数多の英雄、数多の勇士。即ち、人類の歴史そのもの。

――其れに牙を打ち立てて、フィアラートは斬り裂いた。

「過去が、今いる私達に襲い掛かってくるんじゃないわよ! 今を生きる苦難なんて知らない癖に!」

人間の渦が弾ける。唸るようにフィアラートは牙を振るった。杭の形をした其れは、魔力を容易く切り裂いていく。今この場で無力であったのなら、此処に立った意味がない。フィアラートはそんな決意すら抱きながら、両の眼を見開く。

すぐに体内の魔力は飽和を起こした。肉が軋みをあげながら魔力に侵されるのが分かる。魂すらもが魔の圧力に拉げそうだ。

だがフィアラートは屈する気はない。内臓が衝撃を受けた所為か、口元から血を垂らしても尚眼を見開き続けた。

「ルーギスを救わなかった貴方達に、一体何が出来るのかしら。貴方達は、今ばかりを見て今まで何があったかを全く見ていない。今は、過去を積み重ねてあるものでしょう」

恐ろしい事だった。アリュエノの言葉一つ一つが、何でも無いようで悪意に満ち溢れている。

憎悪とは違う、嘲笑でも無い。ただ、彼女は汚れない悪意に突き動かされている。

其れはきっと、ただ一人を救うために。

「今を生きる苦難を知らない? ――ルーギスの気持ちも、知らない癖に」

そう、アリュエノが言った瞬間だ。

魔力がフィアラートの魂を浸食した。眼が疼く。魔力を収奪しているはずの眼が、別の光景を見ていた。

いいや、そうか。フィアラートは気付いた。

此の魔力も完全に純然では無い。アリュエノの意志を通じているのだから、その分紛れはある。アリュエノの魂が、其処に混じっているのだ。

だから此れは――アリュエノが視たモノ。

不思議だ。全く同じ光景でも、大量の幻像が浮かぶ。まるで数え切れない思索を、彼女が知っているかのよう。

アリュエノの記憶の中で歴史は濁流のように流れていく。燦然とした輝きを持つ事もあれば、汚濁に満ちた歴史もある。驟雨のような悲しみもあれば、光のような喜びもある。ああ、世界はなんと可能性に満ちているのか。そんな感慨すら抱かせる。

しかし、フィアラートが視たのはそれだけでは無かった。

アリュエノの記憶の中、最も多かった光景はルーギスの姿だ。彼女の視線は、常に彼を追っている。彼女が彼を愛しているというのは、本当の事だったのだろう。

幸福も、愛情も、全てが其処にある気がした。

そんな最中、ルーギスが己を見ているのにフィアラートは気付いた。紛れもない彼の姿。多少の違いは気にならない。だが、フィアラートを見つめる瞳だけが何かの間違いと思えるほどに相違している。

共犯者として、ある種親しみすら見せる顔つきでは無い。生死を共にした間柄の視線では無い。信頼しあった仲間でも、また共に傍らにあったものを見る目つきでは、無い。

――まるで憎悪するべき敵でも見るような。

嫌だ、嫌だ、嫌だ。何も言わないで。目を瞑りたい、出来ない。吐き気がする。悍ましい。背筋に寒気が走る。忌まわしい。呪わしい。叫びだしそうだ。酷い眩暈がする。崩れ落ちそうだ。喉を掻きむしってしまいたい。

墓場のように、静かな夜の中だった。焚火から火花が、散る。彼は肩を竦めて言った。飄々とした様子だけが、今と変わらない。

『――少なくとも俺は、あんたみたいな人間は好きになれないね、魔術師殿』

フィアラートは心の底から、この場にルーギスを連れて来なかった事を後悔した。