軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第六百三十話『役者は歌う』

――『英雄殺し』

オウフルの原典に名づけられた其れは、ルーギスの性質とはまた異なる。

ルーギスが呼び覚ました同銘が、この世を生きる数多の英雄への賛歌と呪いだとするならば。オウフルのものはただ一人に捧げられたものだ。

即ち、大英雄アルティアへと。

オウフルの影が、その身から原典を顕現させた。一目見れば、それは手の平に収まる程度のナイフに見えた。動物の牙から造り上げた、粗雑な品だ。

しかしそれは、心臓にも匹敵するオウフルの人生そのものだった。

「そのようなものを、まだ隠し持っていたのかいオウフル」

「隠す事は私の得意とする所だ。貴様も知っていただろう」

言葉を交わし合う両者の間には、他の者を寄せ付けない繋がりが見えていた。無感情なはずのアルティアが、この時ばかりは瞳を大きくする。

けれどオウフルは、影の中で姿を曇らせるだけだった。気配に陰りすら見えている。

オウフルは思う。もしかすれば、己の生涯は彼女を殺す為だけにあったのかもしれない。

余りに強く、余りに偉大で、余りに人類からかけ離れていた彼女。最初に在った機械仕掛けの神々すら、滅ぼした彼女。

その彼女のために、抑止力を世界が設置しようと考えるのは必然だ。彼女を殺せる者を生みだされたのは当然だったのだ。

生あるものが必ず死ぬように。強大さは常に一点の罅を持つ。完全無欠な存在などあり得ない。

「アルティア。貴様は私が殺したのだ。その命は私のもの、返してもらうぞ」

アルティアはオウフルの言葉を受け取りながら、かつて繰り返した言葉を今一度口から放った。通じ合えぬだろう事は分かっていても、それでも尚言葉を重ねる。

「分からないな。私を殺してどうなる? 何にもならない、結局、何も変わりはしないぞオウフル。人は常に愚かだ。思考の末に、彼らは破滅に行きつく。ならば、何も考えなくて良い。それこそが彼らの幸福じゃあないのかな」

「それも人間の素晴らしさだアルティア。人は常に直線に進まない。曲がりくねり、蛇行しながら前に進むのだ。発展も退廃も、因果は人間によって閉じられるべきだ。失敗も出来ない世界に、成長など有り得ない。人を真に幸福にするのは、支配でなく自立だと私は信じている」

オウフルの手元で、ナイフががちゃりと鳴った。暴力的な音だった。歯車が鳴るように、世界が傾く。

オウフルは運び人。ただ機械仕掛けのように精密に、運命を運ぶ者。

影が揺らめく。ナイフの輝かしいブレードが一瞬だけ煌めき、そのままオウフルの身体ごと宙を縫った。軌道は直線でも蛇行でも無い。むしろ軌道など無かったのかもしれない。

其れは、一度アルティアの首を貫き、心臓を抉りぬいたナイフ。彼女を殺害した唯一無二の武具。ならば、運命は語る。

――彼女は此のナイフによって絶命すべきだ。

故に必ず、ナイフはアルティアへと到達する。

瞬間、黄金が動いた。本能的に主人の危機を読み取り、白金の剣がナイフとオウフルを断絶せんと振るわれる。

しかしそれは甘い目算だ。もはやそれを許されるだけの場では無い。

同時、ルーギスが紫電を放っていた。振るわれたヘルトの剣を距離ごと切り殺し、その場に叩きつける。フィアラートの炎と、アガトスの宝石が真っすぐにアルティアを向いていた。人間王メディクは、すでに一歩を踏み出している。

如何にヘルトが大英雄の魂を持とうと、もはや敵対する者らも凡愚ではない。ただ一人で抑え込む事など出来はしなかった。

だから、これはやはり運命だった。オウフルはただこの機会だけを伺っていた。

全ての障害は排除され、オウフルがアルティアへと再び到達する為の道は開かれた。決着をつける為の舞台は整い、長い旅路が此処に終着する。

轟音が、鳴る。アルティアの体躯が、オウフルによって放り出され、背後の宮殿に叩きつけられていた。

――同時、オウフルの刃がアルティアの胸元へと突き刺さる。

それは絶命の一撃だ。

それは絶対の一撃だ。

それはかつて彼女を生涯から引きずりおろした刃だ。

「アルティア! 私は貴様を誰よりも愛していたぞッ!」

かつて彼女を殺した時と同じ言葉を、オウフルは繰り返した。手元のナイフの柄を指先から握り込む。ナイフの切っ先は、肉体に傷を付けてはいなかった。だがその胸元に突き刺さり、アルティアの魂を抉る。

「オウフル――ッ」

アルティアも、かつてと同じ言葉を繰り返した。周囲の者らは、ただ茫然とした様子で其れを視ていた。駆けるように複数の足音が宮殿に近づいてきても、両者は意に介さない。

両者のみに許される時間がそこにはあった。

「――ああ。私も、愛しているさ。君を必ず幸福にしてみせよう」

相討つように、光の剣がオウフルの体躯を貫く。魔力を使い果たし朧な影でしかなかったオウフルが、もはやアルティアの一振りに耐えうるはずもない。

見えない糸が、途切れてしまったかのよう。オウフルの体躯が、崩れていく。脚が崩れ落ちたのではない、身体そのもの、輪郭そのものが崩れたのだ。

影が一瞬、笑った。同時、宮殿まで追って来たルーギスとその視線がかち合う。そこに込められた意志が何であるのかは、両者にしか分からなかった。

一瞬の後に、影は消え去っていく。そこにあったはずのナイフすらも、掻き消えていた。

「聖女、お怪我は」

アルティアの下へと馳せ参じたヘルトの言葉と、周囲の敵対者たちの視線を感じながら、アルティアは頷いた。

「何とも無い。気にする事は、無いよ」

其れは真実であり、虚偽でもあった。

オウフルの原典は、間違いなくかつてアルティアを殺した一刃。其れに魂を貫かれ、無事であるはずがない。魔力は穴が空いたように噴き出し、輝きは失われている。

だが最も深刻であったのは、肉体や魂よりも其の精神性であったかもしれない。想い人たるオウフルに二度も刺し貫かれた。彼が敵対しきっている事は理解していても、アルティアの鋼鉄の精神を揺さぶった事は間違いがない。

――そう、『アリュエノ』は考えた。

己と彼女は似通っている。

生き様も、信仰も、思想も、そうして精神性も。ならば己がそうであるように、彼女が最も動揺を露わにするのは彼の目の前だけであるはずだ。其れ以外は遊戯に過ぎない。

どれほどの愉しみも、どれほどの労苦も全ては紛い物。彼の傍にいる時のみが、生きるという事であるのだと。そう信仰しているはずだ。

だからこそ相対し、その手を打ち払われたこの一瞬だけは。アルティアもかつての少女の精神に舞い戻る。

アルティアの左腕が、戦慄いた。その黄金が見開く。

「――そうか。君はこれを狙っていたわけだ」

すぐに無感情の仮面を取り戻しながら、アルティアは呟いた。唐突で、何ら繋がりを持たない言葉。周囲の困惑を置き去りに、彼女は独り言を続ける。

「流石、私そのものか。良いさ、暫く貸してやろう」

「――あら、失礼ね」

アルティアの口から、全く別の響きの声が鳴った。意気揚々と、明るい少女が笑う様子を想像させる。

彼女の表情が、変貌した。

時間が、引きちぎられる。フィアラートとアガトスは両目を瞬かせて、其れを見た。人間王メディクは咄嗟に足を止める。

ルーギスは愕然とした表情を浮かべ、奥歯を噛んだ。

「この身体は、元から私のもののはずなのだけれど。けどまぁ、構わないわ」

凛然と両足で大地を踏みつけ、決して他者に媚びぬ気高さをもった黄金の瞳が、輝いた。アルティアでは無かった。彼女のような絶対性を今の彼女は有していない。

けれど、それとは全く別の性質を持って、彼女は王都に君臨していた。指先から髪の毛の一本に至るまで、彼女には幻想が伝わっている。

「久しぶりだけど、変わらないわねルーギス。小生意気そうな所とか、捻くれてそうな所とか。女の人を、連れてる所とか」

聖女アリュエノは、歌うような優雅さでそう言った。