軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第三百四十四話『血は紅よりも朱く』

銀色の髪の毛が、監獄ベラの空気に触れる。饐えた匂いがする場所だと、カリアは思った。埋葬の二つ名を冠していただけの事はある。

陰気で、死臭よりも濃い血の匂いがし、人によくない想像を引き起こさせる。

此れはもうただ汚れを落としただけでは無くなるまい。もはや監獄そのものに匂いと妄念が染みついてしまっている。

全てを忘れ去ってしまうには、此の建物ごと打ち砕いてしまうしかないのだろう。

「どうしてガーライスト兵は退いたのかしら。エルフの兵は彼らにとってそれほど脅威なの?」

傍らで、黒髪を揺らすフィアラートが言った。恐らくは自ら放った言葉に対してすら、懐疑的な想いがあったのだろう。表情には明らかな困惑が浮かんでいる。

それも当然の事で。真面に訓練を受けていない兵であれば、エルフという名に畏れ戦き、戦意を失う事はあるかもしれない。

だが、魔術鎧を纏った彼女、ヴァレリィ=ブライトネスが率いる兵は違う。アレは間違いなく精鋭そのものだった。ヴァレリィ含め、戦う為に戦っている連中だ。

彼らは例え怯える事はあっても、戦意を失うという事がない。恐怖すれど、背を向けることはない。それをカリアはよく知っている。

だから、その彼らが退いたのであれば。それはもっと別の所に原因がある。

「何かがあったのだ。番人ヴァレリィが自ら赴かねばならない何か。弱り切った敵を前にして退かねばならない何かがな」

カリアは微笑すら浮かべてそう言った。唇が小さく尖る。

その何かを、きっとルーギスは知っているのだろうなとカリアは思う。 奴は以前から、いや出会った頃からそうだった。

まるで此方の全てを見透かしたように語り、動き。それが当然だというように振る舞っている。信頼しているようでいて、肝心の所は何も語ろうとしない。

忌々しい。今更何を隠し立てするというのか。己にはそれほど信用が置けぬとでもいうのか。例え何を知ったとしても、心変わりなどあり得ないというのに。

それは紛れもない事実。もし胸の内の何もかもをルーギスが吐き出すというのなら、それがどのようなものであれカリアは歓喜して全てを受け止めるだろう。

――ああ、だが。奴は何も語らず。行き先すら告げず此処に来た。此れは何度目だ。もはや数える事すら馬鹿らしい。我慢がならない。

カリアは鋭く尖った犬歯を鳴らす。胸の辺りに溜まり込んだ苛立ちが、肌からあふれ出してしまいそうだった。指先は痙攣したかのように幾度も揺れる。腰元にさげられた黒緋の剣が、カリアの情動に煽られて唸りをあげた。

態度にこそ出しはしないが、フィアラートもその心境自体はカリアと変わりがない。激情を呑み込み、腹に据え置き。泥のような感情を抱きながら眼を炯々と光らせている。

カリアが研ぎ澄まされた刃そのものであるならば、フィアラートは火薬庫のようだった。大人しく全てを喉の奥へと押し込んではいるが。何かが、何事かがあれば全てが破裂する。そんな様子だった。

監獄の突き当り、監視塔の一番上の部屋まで来て、カリアは扉を軽くたたく。別段その必要もないのだが、ノックもなしに扉を開くのは不躾に思われた。

中からエルフの女王たるエルディスが、どうぞ、と声を告げる。務めを果たしていた間、何事も無かったらしい。僅かに表情を整えて、促されるまま室内へと踏み入った。

「……面会にでも来てくれたのかよ。それとももう出ていいのか」

室内に入ったとほぼ同時。そんな声が耳に届く。カリアは薄っすらとした線を頬に入れ、応えた。僅かに喉が弾む。

ああ、赴けば必ず想い人が其処にいるというのは、何と愛おしい事か。

「寝言は夢の中で言うものだなルーギス。本来であるならば、私の視界から出ることすら許さん」

カリアが冗談めかして言った言葉を継いで、フィアラートが言う。

「それにそれだけの傷だもの。無暗に外に出られたら困るでしょう……ああ、そういえば大怪我だったのに、遠い遠い監獄まで来てしまった人もいるみたいだけれど」

誰だったかしらと、満面の笑みを込めて語るフィアラートを見て、ばつが悪そうにルーギスは噛み煙草を唇に咥えさせる。その様子を見るに、彼にしては珍しく罪悪感を感じているのだろう。

悪い事をしてしまった。不味い選択をした。少なくとも今、ルーギスはそう思い込んでいるのだとカリアは確信する。

ゆえにこそ彼は今の拘束に近い状況を甘受した。身体が完治するまでの間部屋の中に閉じこもり、己らが見守れる範囲に収まることを受託したのだ。

それは全て罪悪感、ゆえに。

顔が熱い、知らぬ間に頬が緩むのをカリアは感じていた。そうだ、今奴は弱味を見せている。身体も疲弊しきり、私達を頼らざるを得ない。

ならば今このうちに、奴の精神を絡み取ってしまいたい。思考の主導権を奪い取り、私がいなければならぬのだという事を、私がいる事こそが自然なのだと思い知らせてしまいたい。いいや、そうあるべきだ。

肩を竦めながらベッドに横たわるルーギスを見て、エルディスが手元の本を捲り言った。碧眼が、崩れながら笑みを浮かべる。

「ルーギス、こればかりは受け入れることだよ。流石に何もかも自由気ままとはいかないものさ」

きっと、フィアラートにしろエルディスにしろ。同じような事を考えているのだろうとカリアは理解している。

己も彼女らも、すでに歪みのようなものを抱えている。歪みよりもっと深い、何か。

そうしてもう誰一人として、其れを捨て去る気がない。

カリアはルーギスの傍らに座り込み、しなだれかかりながら言う。

「それに、監獄内で貴様の代理は努めてやっている。望むことも行ってやっている。此れ以上に何を望むというのだ」

言いながらルーギスの横顔を見ると、何もないさと、ため息をつくように言った。

カリアは、ベッドの上に放り出されたままであったルーギスの腕に軽く触れた。生傷が未だ目立つが、それよりも前に、カリアが感じるものがある。

それは、血だ。血の巡りそのもの。呼吸や心臓の動きと同時にルーギスの体内を駆け回る其れ。

カリアはほぉと安心したように吐息を漏らす。理解したのだ。今、ルーギスの体内で己の血が明確にその影響を増している。

血脈交合。フリムスラトでの一幕。それらの機会を切っ掛けに、カリアは多量の血をルーギスへと注ぎ込んだ。本来はただの儀式的な意味でしかなかったそれら。

だが今は違う。今は確かにその血が、ルーギスの中で息吹を吐いている。意味を成しているのだ。

その意味は多岐に渡るが、カリアが思う所は一つ。ただ共にありたいという事だけ。

カリアは思う。己はもはや純粋たる人間ではなくなった。巨人という、神話の中にしか出てこぬような種族に成ってしまった。それは本能が直感している。

無論、欠片も後悔はしていない。フリムスラトでこう成っていなければ、恐らくは己もルーギスも命は無かっただろう。あの忌々しい女に、全てを奪われていたかもしれない。

臓腑が震え、沸騰するような憤怒が、静かに沸き立つ。それを想えば、巨人という種族になった事にどのような後悔が浮かぶというのか。むしろ歓喜すべきこと。

そう、後悔はない。けれど、ただ一つ思うものがある。それは、自分自身が此の世にただ一人の種族になってしまったのだという事。

もはや同族は滅び。巨人という種は失われる定めを負っている。きっとそれは変えようのない事実。

生物としての本能か、それが胸の裡を過ると、言いようのない孤独感がカリアを蝕む。かつて感じたことのないような感情。傍らに人の存在があったとしても、それは己とは違う種族なのだと脳髄が理解してしまう。

胸を食む寂寥感。とてもではないが他人、そうしてルーギスには語れないことだ。よもや己がそのような事を思い悩む軟弱者だとは思われたくない。それほどまでに、弱い女だと知られたくない。

だが、だからこそ。ルーギスの中に己の存在を感じ、カリアは小さな身体から溢れんばかりの喜悦を生み落とす。脳髄が痺れそのまま溶け落ちてしまいそう。

今この瞬間ですら、己の血は彼を変質させている。本来であれば数か月は療養が必要な傷が、殆ど塞がりかけているのがその証左だ。

此の世界で唯一の種族というのは、嫌だ。けれど、唯二であるならば、それは良い。とてもとても良い。カリアは、緩む頬を抑えきれぬままに胸を沸かせる。

ルーギスは軽く肩を傾かせ、カリアの手を右腕に絡ませたまま、言う。

「大人しくしてろというなら今はそうするさ。だが、話をしたい奴がいる。そいつとは口をきかせてくれないかね」

ルーギスの言葉に、フィアラートが、何処の女性なの、と笑みを浮かべて聞いた。頬の辺りが硬くなっているのが見てとれる。エルディスもまた、碧眼を細く歪めていた。

ルーギスはそれらの反応に首を振ってから、応えた。

「女じゃあない。というより人間じゃあないさ――ドーハスーラ。此の監獄にいついていた魔獣だ」

そいつに聞きたいことがあると、ルーギスは唇を開いた。