軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第百八十四話『悪辣なる者』

――悪徳の主ルーギスに永遠の安息を与えよ。

円卓の上に広げられた羊皮紙を見つめ、知らずリチャードは目線を細めた。顔に刻まれた皺と傷が歪みながら影を深める。そして、年相応のしわがれた声を漏らしながら言った。

「偉くなったもんですなぁ、あの痩せた餓鬼が」

感心したかのように白い顎髭が波打つ。頬は崩れ、顔に確かな笑みを形作っていた。

偉くなった。その言葉は紛れもない心からの賞賛だ。卑小な人間が事あるごとに使う、人を小ばかにする言葉などでは断じてない。老獪なリチャードには珍しいと思えるほどの、素直に漏れ出た声だった。

本当に、感心した。あの何者でもなかった小僧が、今こうして世界に名を広げている。己という存在を歴史に刻み込んでいるのだ。多少の惜しさはあるが、これ以上に素晴らしいことはない。

その声に応ずるように、リチャードの対面に座する男が唇を動かした。随分と、大仰な身振りをつけて。

「ほう、お前の知り合いかこの小僧は。相変わらず顔が広いな、リチャード!」

その男は巨漢だった。

座っている椅子は成人した男が座るには十分すぎるほどの大きさ、むしろ幅が余ってしまうほどだというのに、此の男が座ると小さく見えてしまう。

その大きな体に引きずられているのか、喋り方、節々の所作、そのどれもが騒々しく大振りだ。全く、今の姿だけをみれば、上流階級の人間とはとても思えぬ様だと、リチャードは喉の奥で呟いた。別に声に出してしまっても構わないが、どうせ直すことはないのだからどちらにしろ結果は同じだ。

巨漢の名は、ロイメッツ=フォモール。ガーライスト王国高位貴族フォモール家の現当主。そして、リチャードが仕える主君。

その才は領地経営と政争に長け、高位貴族と大聖堂の思惑が幾重にも絡み合うガーライスト王国の政治領域にて、未だ揺るがぬ地位を保っている。

政争には、人の感情を敏感に感じ取る嗅覚と、時の流れを乱さぬ繊細さが必要だ。そのどちらかが欠けては、例え駆け引きが上手くとも、例え知識が突出していようとも、政治という世界を乗り切ることは出来ない。

ロイメッツ=フォモールは、国王の外戚という立場があるとは言え、それら政治に必要な素養をもっていた事は間違いがない。しかし、今の粗雑に振る舞う姿を見れば、とてもそのような人間とは思えないがと、リチャードは肩を竦めた。

卓上に差し出されたワインを手に取り、リチャードは一息で喉に流し込む。舌によく絡み、香りも深い。久方ぶりに飲む、随分と上等なワインだった。空の容器を掲げると、すぐに傍の召使が新たなワインを注ぎ入れる。

「それで此れはどんな人間だ、リチャード」

そのロイメッツが漏らした一つの疑問が、リチャードの耳朶を揺らす。新しいワインの匂いを鼻孔に流し込みながら、リチャードは目を細めた。顔に刻まれた皺が、より深く濃い影を作る。ロイメッツの視線が、隙もなく己を観察している事をリチャードは理解していた。

言葉に、詰まる。果て何と答えたものだろうかと、脳髄が悩みを告げる。

利用価値が有ると応ずるべきか、それとも下らぬ人間だとでも言ってやるべきか、はたまた素晴らしいこれ以上の人材はいないとでも嘯くのも悪くはない。

しかし、己の主が求めている答えは此れに違いないのだろうと、リチャードは口を開き喉を鳴らした。

「愉快な奴ですよ。見ていて飽きない程度には面白い。ですが、転がそうと思えば、何時でも」

それだけを言って、再びリチャードは唇をワインで濡らす。

今言葉にしたことは、紛れもない事実だとリチャードは確信している。かつての教え子ルーギスは、その器を随分と大きく広げたのだろう。それ自体は、素晴らしい。よくぞまぁ、真面でない道を選び取ったものだと褒めたたえてやりたい。

だが、それでも尚、リチャードにはルーギスを相手取って地を舐める気はなかった。顎髭を指で撫でながら、皺を深める。

「閣下が俺のような人間をお呼びになったのは、そんな事情という所でしょう」

まるで、それしか理由はないだろうという風にリチャードは口を動かす。

それはある意味で当然の推測だ。表向きリチャードは、ただの冒険者でしかない。それだけでも貴族の屋敷に招かれるのは異例だというのに、リチャードの風評と言えばとてもよろしくないものばかり。

悪辣なる者、悪徳を食べて生きている大蛇。それがリチャードを語るときに用いられる言葉。別に、間違っているとは思わない。むしろそれは己に対する正当な評価なのだろうと、リチャードは思う。

そうして、そんな己をロイメッツは、危険を承知で館に招いたのだ。己のような冒険者を招いたなどと政敵に知られようものなら、足を掬われるやもしれぬというのに。

だからこそ、己を呼んだ目的は酒盛りなどではあるまいと確信する。微笑すら浮かべながらリチャードは、ロイメッツの瞳を真っすぐに見つめた。

その様はまるで家臣という風ではない。とても、主に対する態度とは思えない。だがその在り方が、この二人の間では常だった。ロイメッツはリチャードの横柄とも言える態度を赦していたし、リチャードもロイメッツの前で委縮して言葉を小さくするようなことはしなかった。それ位の距離感が、丁度良いのだと互いに言わんばかりだった。

ロイメッツが肘置きに腕をもたれかからせて、口を開く。

「――もう大聖堂の輩が抑えきれん。奴らの頭の中には損得というものがないのだ。くだらん、余りにくだらん戦争をせねばならんぞ、リチャード」

吠えたてるような、声だった。先ほどまでの大仰で、何処か豪放さを感じさせるような声ではない。むしろ声の調子は低く、そして静か。だというのに、何等かの咆哮と思わせるような気配がロイメッツの声には含まれていた。

空気が、鉛を飲んだかのように重くなる。

リチャードは随分と声を軽くして、言った。

「良いですなぁ、気が狂いそうになる平和の時代はもう終わりという事でしょう。いや素晴らしい。大聖堂万歳! とでも叫びましょうか」

喉を鳴らし、歯を歪めながら何かを揶揄するようにリチャードが嗤う。しかしその瞳は決して笑みなど浮かべていない。ただ何か遠くを見据えるように、視線の鋭さを増していた。

張り詰めた空気が、暫くの間続いた。リチャードも、ロイメッツも何も語らず、声も漏らさない。

ただ召使だけが指先を震えさせながら、両者の空になった容器にワインを注ぎ続けていた。数杯、リチャードとロイメッツの双方が、ワインを飲み干した。

酔いとはこれほどまでに、回らぬ時があるのだなと、リチャードは心の中で呟いた。

「リチャード」

ロイメッツの低く、まるで石のように固い言葉が空気に、触れた。

「今一度、兵を率いてくれるか。大逆の英雄の首を持ち帰ってくれるか」

僅かな、間。本来漏れ出るはずの言葉を押し殺したような、微かな震えが空気を揺らした。リチャードは無言のまま円卓に両の拳を乗せ、頭を垂れた。

「――それを、我が主君が望まれるのであれば」