軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

46.

使いが来たのは、夜明け前だった。

激しく戸を叩く音で、ミリアが起きた。

扉を開けると、若い男が立っていた。顔が青白い。息が上がっている。

「デッドエンドの病院はここですか……! 隣の村が、大変なことになっていて……!」

ミリアがトーコを呼んだ。

トーコが出てくるまで、二分かからなかった。

村に着いたのは、夜が明けきる頃だった。

馬を降りた瞬間、状況が見えた。

村の広場に、人が横たわっていた。家の中からも、呻き声が聞こえる。子供、老人、大人、関係なく倒れている。

使いの男が言った。

「昨日の夕方から始まって。下痢と嘔吐が止まらなくて、今朝には動けなくなった人が出て。治癒師を呼んだんですが、魔法をかけても止まらなくて」

トーコが魔力視を開いた。

患者たちの体内に、治癒魔法の残滓がある。すでに誰かが処置した後だ。しかし、何かが残っている。濁った黄色の光が、腸の周辺に滞っている。

毒だ。

「みなさんが昨日、共通して食べたものは何ですか」

「昨日の夕食です。みんな同じ鍋を食べて……」

「何が入っていましたか」

「野草の煮込みで。灰色蔓草の実を入れたと思います。いつも食べているものですが」

トーコが、少し目を細めた。

「灰色蔓草の実は、毒抜きが必要ですか」

「はい。水に晒してから使います。いつもそうしていたんですが……今年は、何か違ったのかもしれません」

「今年は実が例年より大きかったですか」

「言われれば……そうかもしれません」

「豊作の年は、毒が濃くなることがあります。いつもの時間では毒が抜けきれなかったと思います」

男が「そんな……」と呻いた。

「治癒魔法では、この毒素に直接届きません。毒を体の外に出しながら、脱水を防ぐ必要があります。今すぐ始めます」

トーコが振り返った。

「セラさん、浄化を使える準備を。ガルドさん、解毒薬を。ミリアさん、補液の器具を全部出してください」

処置が始まった。

補液の管を一人ずつ通していく。失われた水分と塩分を、直接血液に届ける。

セラが患者の傍に座り、浄化魔法で毒素の排出を補助した。

「今、どのくらい出ていますか」

「少しずつ出ています。腸の周りの濁りが、薄くなってきています」

「続けてください」

ミラが別の患者に補液を行いながら、状態を確認していた。子供の患者が不安そうにしているのを見て、「大丈夫ですよ」と声をかけていた。

ガルドが解毒薬を調合し、飲める状態の患者には直接飲ませた。

そこへ、馬の蹄の音がした。

ダーグだった。集落の若者を五人連れている。

「先生、知らせを聞いて来ました。手伝えることをします」

「補液の補助をお願いします。やり方は教えます」

「先月習いました。やります」

ダーグが仲間に指示を出し、動き始めた。先月の実技が、今ここで使われていた。

しばらくして、八宝斎が荷馬車で来た。

「輸液の管が足りないかと思って、追加で持ってきた。あと、ガーゼも」

「ありがとうございます」

「あたしにできることはそのくらいだから。頑張って」

夜が明け、昼になり、午後になった。

一人、また一人と、顔色が戻り始めた。

子供が、点滴の管を見ながら「お腹が少し楽になった……」と言った。

母親が泣いた。

老人が「水が、飲めた……」と言った。

一人ずつ、確実に回復していく。

トーコは、一人ひとりを確認しながら動き続けた。

夜になった。

外の灯りの下で、まだ処置が続いていた。

ミリアが「先生、少し休んでください」と言った。

「もう少しです」

「それをさっきも言っていました」

「あと十人確認したら」

「先生……」

トーコが、次の患者のところに向かおうとして、足が止まった。

頭が、重かった。

視界が、少し揺れた。

——ああ。

思った瞬間、膝が折れた。

「先生……!」

ミリアの声が、遠くなった。

地面が、近くなった。

誰かが、受け止めてくれた。

診察室のような場所だった。

いや、村の宿だ。布団の上に寝かされている。

ミリアの声がした。

「ガルドさん、先生の状態は」

「過労と、毒素の軽度な吸入だ。補液を施した。意識が戻れば大丈夫だ」

「でも……」

「わかっていた。先生は自分のことを後回しにする。いつかこうなると思っていた」

セラの声がした。

「状態を確認します。魔力視の代わりになるかわかりませんが、治癒魔法で……腸に軽い炎症。脱水は補液で補われています。今は眠れていれば、大丈夫です」

「患者たちは」

別の声がした。

ライナルトだった。

「全員、安定している。先生が倒れたと知らせを受けて来た」

「閣下が……」

「先生がいない間、できることをやる。問題はないか」

「みんな動いています」

「そうか」

ライナルトが、その場を仕切った。

「先生がいなければ何もできない、ではいけない。先生が教えてくれたことを、今使う」

ミリアが患者の対応をした。ガルドが薬を調合した。セラが診断を担当した。ダーグと仲間たちが補液の補助を続けた。ミラが子供の患者についた。

一人ひとりが、自分のできることをやった。

ライナルトが全体を見ながら、足りないところを補った。

処置が続いた。

夜が、明け始めた頃、最後の重症患者の顔色が戻ってきた。

「……安定しました」

セラが言った。

ライナルトが、トーコが眠っている部屋に戻った。

椅子を引いて、傍に座った。

何も言わなかった。

ただ、そこにいた。

目が覚めたのは、朝だった。

天井が見えた。見慣れない天井だ。

体が重い。しかし、昨夜のような灼けるような疲労ではない。

「……患者は」

「全員、安定しています」

ライナルトが、椅子から言った。

トーコが、ゆっくりとライナルトを見た。

「誰が」

「みんなです」

ドアが開いて、ミリアが入ってきた。

「先生……! 良かった……!」

「ミリアさん」

「先生が倒れてから、みんなで続けました。セラさんが診断して、ガルドさんが薬を作って、ダーグさんたちが補液を手伝って、ミラさんが子供の患者につきっきりで……全員動きました」

「ガルドさんは」

「今、患者の最終確認をしています」

「セラさんは」

「同じです。閣下が全体を見てくれていました」

トーコは、しばらく何も言えなかった。

「先生が教えてくれたことを、みんなで使いました。先生がいなくても、できました」

ミリアの目が、赤くなっていた。

「先生、ありがとうございました。ここまでにしてくれて」

「私は」

「先生がここまで積み上げてきたから、みんなが動けたんです。先生がいなくてもできたのは、先生がいたからです」

トーコが、目を閉じた。

胸の奥が、じんとした。

「休め」

ライナルトが言った。

「でも、患者の確認が」

「休め」

「しかし」

「休め」

三度言われて、トーコは黙った。

「……はい」

「今日は動くな。全部、任せろ」

「……わかりました」

ライナルトが、立ち上がった。

「何か必要なものがあれば言え」

「……お水を、いただけますか」

「すぐ持ってくる」

扉が閉まった。

ミリアが「先生って、最後は素直なんですよね」と言った。

「疲れているだけです」

「そういうことにしておきます」

シルフィが、枕元で「きゅ」と鳴いた。

魔力視に映るのは、穏やかな翠の光だ。温かい色だ。

——よかった、と言っている気がした。

「……ありがとう」

トーコは小さく言った。

窓の外から、村の朝の音が聞こえてきた。

翌日、回復した村人たちがお礼を言いに来た。

子供が「先生、元気になった!」と言いながら走ってきた。

「よかった」

「お腹、全然痛くない。ありがとう!」

「みなさんが治りました」

「せんせーのおかげじゃん」

「みんなの力です」

老人が深く頭を下げた。

「先生、本当に……ありがとうございました」

ミリアが後ろで「そこは先生のおかげです、と言ってください」と言った。

「みなさんの力です」

「先生……」

「でも」

トーコが少し間を置いた。

「……嬉しかったです。みんなが動いてくれて」

ミリアが、目を押さえた。

「先生が素直なこと言った……!」

「一度くらいは言います」

ガルドが「一度でいい、また言うな」とぼそりと言った。

セラが笑った。ミラが笑った。ダーグが笑った。

シルフィが「きゅ」と鳴いた。

その瞬間、手首の内側の紋様が、これまでより強く輝いた。

光が、しばらく消えなかった。

誰も気づかなかった。

ただトーコだけが、それを感じていた。

——何かが、始まる気がした。

デッドエンドの朝が、静かに広がっていた。