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【コミカライズ】このたび、別居婚となりました。

作者: 有沢真尋@6.8「幼くたって立派な淑女ですの!」アンソロ

本文

折り合いがつかないにもほどがある。

* * *

第四王女マリーナは、政略によって隣国の公爵家嫡男に嫁ぐことになった。

十八歳になるのを待って輿入れするそのときまで、結婚相手であるロムルスと顔を合わせる機会はなく、すべては関係者の行き来と書類上のやりとりだけで事が進んだ。

その書類に、「相手を想う恋文のひとつでも挟み込んでは?」という案が出ないわけではなかったが「何も思いつきません。どなたかが代筆してくださるなら、それで」とマリーナはまったく乗り気ではない。

(だって全ッ然どんな方かも存じ上げないのに、「わたくしの背に恋の翼があったのなら、愛しいあなたのもとへと飛んでいけるのに」とか「いまあなたは何をなさっているのでしょう。愛ゆえの不安に身が焼かれるような思いです」なんて書ける? 無理無理、絶対にボロが出てしまうわ)

ロムルスは才知の人としても名高く、学生時代から優秀で、卒業後はすぐに王宮勤務、すでに政治の中枢に食い込んでいるという(これは、「婚約者は素晴らしい人間である」とマリーナを納得させるために、少しばかり盛られた情報かもしれないが)。

こういう相手が厄介なのは、もし勉強一辺倒で筋金入りの堅物貴公子ならば「人間の背に翼はない。不安は精神状態であって、実質的に炎となって身を焼くことはない」などと言ってまったく情緒を解さない恐れがあること。

それよりもっと恐ろしく、なおかつありがちなのが貴族階級らしい教養と 機知(エスプリ) の持ち主で「姫様の詩、大変おもしろく拝見させて頂きました。元ネタは北の国の百年前の悲劇作家ですね」などと看破してくることだ。

(どちらに転んでも、この先の関係に特に良い影響があるとは思えないわ。欠片も恋心などないのに、いたずらに若気の至りのような恋の詩を書き散らすのは危険すぎる。わたくしが百年後、なんらかの理由で有名になったときに、子孫が「これが、そのときマリーナが贈った恋文です!」なんて出してしまいかねないし)

マリーナは本を読むのが好きで、王宮の図書館もよく利用していたが、先祖の書いた紙切れが「古文書」として厳重保管されているのを知っている。王侯貴族はみだりに後世に残るものを作り出してはいけないと、空恐ろしく眺めたものだ。

それでも、どうしてもと言われて、たった一度だけ手紙を書いた。返事はなかった。

かくして、当人同士は一度も会う機会もないまま、花嫁の一行は隣国へと向かうことになった。

第四王女としてさほど話題にもならず、のんびりと物見遊山がてら国境を越える。

さすがに迎えの使節団にロムルスは同行しているかと思われたが、それもなし。

「何かと忙しい息子で、すまない。いずれ機会は必ず作る。それまでは、自由に過ごして頂きたい」

屋敷で迎えた公爵夫妻に申し訳なさそうにされてしまうに至り、マリーナとしてもかえって居心地が悪い。

「気になさらないでください。会う気になれば会える距離なんです。近いうちにお会いできると信じておりますわ」

決して。

嫌味のつもりはなかった。

しかし公爵はさっと顔をくもらせて、「実はロムルスは、いま王宮内に部屋を与えられている。こちらに帰ってくることも少なくて」と言い出した。

「別居……」

マリーナが呟くと、公爵夫人は眉を寄せて瞑目してから、 頭(こうべ) を垂れて「本当に申し訳ありません。夫となる息子が不在のまま、姫様に義理の家族との『同居』を強いることになってしまって。その、もちろん嫁いびりなど滅相もないことで、誓ってそんなことは」と切々と言い出してしまった。

「気にしてませんから!! まっっったく気にしておりませんから!! その、あのですね、」

頭を上げてください、と声に出して言うことができないまま、マリーナは必死に目配せをする。

言葉にしてしまえば、マリーナが到着早々義理の両親となる二人に「頭を下げさせたこと」が確定してしまう。

国・際・問・題。

(大事にしないでください! わたくしが公爵夫妻に対して傍若無人という印象になるのは何かと問題です! あるいは本国に「嫁いだ姫君が夫に軽んじられている」など伝わってしまえば、友好関係にひびが入りかねないです! 政略結婚の意味がなくなりますから!!)

「目にゴミでも入ったのでしょうか、お義母さま。目のゴミは辛い。本当に辛いですね」

その場に居合わせた者全員に聞こえるように、高らかに言う。

俯いているのは、目のゴミのせいである、と。そういうことにしておいてくださいと念じながら。

顔を上げた公爵夫人は、うつくしい翠眼をうるませていた。

マリーナは一瞬真顔になったが、すぐに優しげな笑みを浮かべてみせた。

「そうですね、涙を流すとゴミは流れると思います。さすがです、お義母さま!!」

声を張り上げる様は、ちょっとした、道化。

さすがにこのときばかりは、マリーナも不在の婚約者に対して幾許かのいらだちを覚えずにはいられなかった。

* * *

公爵家での暮らしは快適であった。

王家の姫様に今さら淑女の心得など恐れ多いと、公爵夫妻はひたすら恐縮してマリーナに何かを要求したり咎めたりしてくることもない。

対面のとき、その地位に見合わぬ謙虚さや低姿勢を目の当たりにしているだけに、マリーナとしても下手に刺激しないようにしようと心に決めている。

言うならば、小康状態。

本国からついてきた侍女は少なかったが、公爵家の使用人たちともすぐに打ち解けた。

問題らしい問題はない。

敢えて言うならば、夫となるひとに会ったことがなく、別居が続行中ということだった。

(婚約者が来ているのに、一度も顔を見せないって、変よね。仕事が忙しくて王宮に囲い込まれているというのは嘘で、本当は愛人宅に住んでいたりするのかしら。公爵夫妻が何かと申し訳無さそうにするのも、案外そういう理由?)

気にした方が良いのかな? と考えないでもなかったが、会ったこともない人物であるだけに思い入れもなく、嫉妬など抱きようもない。

自由にしていいと言われているので、普段は屋敷の中で気ままに過ごしている。

特にお気に入りは、図書室。

公爵家の蔵書量は、圧巻の一言。

壁を埋めつくす書架。さらには梯子がかけられていて、上部はぐるりと手すりの張り巡らされた廊下状になっており、そのすべての壁が書架となっている。

部屋の中には重厚な書き物机の他、ゆったりとしたソファやローテーブルがいくつも置かれていて、座るところには事欠かない。

大理石で作られたマントルピースは堂々としたものであり、その上には二基の燭台が置かれ、公爵家のご先祖様、壮年の男性を描いた絵画が飾られている。

マリーナが図書室に通い始めた最初の頃は、誰かしら供としてついてきており、マリーナも読みたい本を借りるとすぐに部屋に戻って読むようにしていた。

そのうちに「図書室ならもう勝手はわかるから」と一人で通うようになり、さらには部屋に本を持ち出すのも面倒になってその場で読むようになった。

お茶の時間には適宜、お茶と焼き菓子が運ばれてくる。

そのときばかりはマリーナも行儀よく本を置き、水分と栄養を補給する。たまに、公爵夫人が同席し、他愛もない世間話をしていく。

その後は、再び本を読み始める。

食事の時間になれば、食堂に向かう。

夜は自室で就寝。

かような暮らしを満喫していたマリーナであるが、ある晩ついにベッドを抜け出し、図書室へと向かった。

夕食の前に読みかけた本が、あと数ページというところだったせいである。

図書室から直接食堂に向かったせいで、部屋に持ち出すこともできず。

寝ようとしたが、どうしても気になってしまい、燭台を片手に廊下を急いだ。

* * *

図書室は、まるで呼吸しているようだった。

静まり返っているはずなのに、森の木々のようにひしめく本たちが、そこかしこで息づいている。

そして、夜更けに侵入してきたマリーナを、見ている。

白のシュミーズドレスにガウンを羽織っただけのマリーナは、本の気配をひしひしと感じながら、燭台をテーブルの一つに置いた。

窓から、濡れたような月の光が差し込んでいて灯りはじゅうぶん。

読みかけの本を置いた書き物机に向かって、歩き出した、そのとき。

すうっと誰かの呼吸が聞こえた。

ぎくりと足を止めて、辺りを見回す。

そ(・) れ(・) は、二人がけのソファの背もたれに寄りかかり、腕を組んで、頭を垂れていた。

滴る月光に映える長い銀髪。持て余し気味の手足。うなだれているせいではっきりわからないが、細身であっても肩幅は広そうで、立てば身長もありそうだった。

これまで、屋敷の中では見たことがない相手。

マリーナは、立ち止まったまま、じっと様子をうかがう。

すう、すう、と安らかな寝息を立てているそのひとは、まったく起きる気配はない。

しっかり寝ていると確信し、マリーナは素早く目当ての場所まで駆け寄り、本を手にする。

もう一度相手を見てから、窓際まで本を持って行った。

立ったまま、月明かりで、読みそびれた数ページをすばやく読む。

読んだら、すぐに立ち去る。

そのつもりだったのに、よりにもよって読んでいたのは、行き違いのあった家族が和解する泣かせ系ヒューマンドラマだった。

涙が溢れ出し、いつの間にかむせび泣いていた。

すん、すん、と鼻をすすりながら、本を濡らさないように気をつけつつ、手の甲でぐしぐしと涙をぬぐう。

その手元に、白いハンカチがすっと差し出された。

「あら、ご親切に、どうもありが」

言いかけて、マリーナは続きの言葉をごくりと飲み込む。

(ハンカチ?)

本に夢中になるあまり、その場に見慣れぬ人物がいたことなどすっかり忘れ去っていた。

かくかくとした仕草で顔を上げると、銀髪を肩に流した、背の高い青年がすぐそばに立っていた。

* * *

「ハンカチ。涙と鼻水に」

青年は、女性的な印象すら受ける整った容貌をしていたが、声は見た目の想像よりずっと低かった。

「ありがとうございます……」

受け取ろうとすると、代わりに手から読み終えた本を抜き取られる。

意図を探るようにマリーナが視線を向ければ、しっかりと頷かれた。

「いいから、まずは存分に拭いて。ずいぶん泣いたみたいだけど」

涙と鼻水で顔が悲惨なことになっているらしい、というのはわかった。

マリーナは目元や頬、鼻周りや手の甲を拭き取ってみた。

青年はその間に「『モンタギュー家の晩餐』か。読んだことないな」と本をためつすがめつしていた。

「ものすごく、泣きますよ、それ。ほんとに。最後に、ぶわってきます」

「君を見ればわかる。深夜に結末が気になって読みにきたのかな。ひとりで」

「気になります、本当に気になって。生き別れの……、ああ、ネタバレは言えない。あなたこれから読むんですよね? というかあなたは誰です?」

本の説明に熱が入りかけたところで、ようやく気付いて 誰何(すいか) した。

青年は、翠の瞳を細めて、真面目くさった調子で言った。

「本の妖精だよ。夜にだけ出てくるんだ。君、今まで俺に会ったことなかっただろ?」

「本当に?」

「もちろん。俺が人間ではなく、妖精だから君もここにいるんじゃないのか。ふつう、夜の図書室にひとりで来て、見知らぬ男がいたら気づかれる前に出ていくだろ。しかし君は、俺が寝ていることを確認したら、本を読み始めた。豪胆にも程がある。おかげで、いつまで寝ているふりをしていれば良いのか、わからなくなった。そのうちに滅茶苦茶泣き始めるし。これはもう妖精の出番だと腹をくくったね」

手にしたハンカチを握りしめたまま、マリーナは青年の顔をじっと見つめた。

「妖精なんですか?」

「そういうことにしておこう。じゃないと、君は夜に部屋を抜け出し、図書室で男と密会をしていたことになる。あまりよくないんじゃないのか。というか、君は誰なんだ」

尋ねられて、マリーナもまた、すうっと目を細めた。

「こんなに毎日図書室に来ているわたくしを知らないだなんて、あなたもぐりの妖精ね」

「開き直ったな」

「いいえ。それより、泣ける本を探しているなら、いくつか見繕って差し上げるのもやぶさかではないわ。それとも、何か希望はある? わたくし、この図書室にはだいぶ詳しくなったの。本のことなら、なんでも聞いて」

青年はくすりと笑って、マリーナの目をまっすぐに見つめた。

「本のことしか聞けないのが残念だ。君のことをもう少し知りたかったんだけど」

「わたくしのこと?」

「そう。ここ二週間ばかりは本気で上官に殺意が湧いたよ。いっそ職場が燃えたら家に帰れるのかなって思った。そんなことになれば仕事が激増するだけだと知っているから、仕事をするしかないわけだが。ようやく家に帰り着いてみれば、こんな夜中だ。会いたい相手に目通りもかなわない」

「ずいぶんとお忙しいのね。まるで、わたくしの会ったこともない婚約者のよう」

言い終えたところで、口の端を吊り上げた青年に、声もなく笑われた。

ここは、そもそもその婚約者の屋敷。

妖精を名乗る彼は、これまでマリーナが会ったことのない人物。

普段は多忙を極めているとのこと。

導かれるは、簡単な事実。

(でも大きな問題が……。正体を知らなかったとはいえ、わたくし、言い訳ができないくらい「男性との密会」状態だわ。ふつうなら、婚約者でもない限りありえない。婚約者でも、結婚前にこれは……)

互いに、今はまだその正体を明かせない状況らしい、と悟る。

「わ、わたくしも、実は本の妖精なんです」

「ほう?」

「ですので、本のことなら。本の会話に限ってならできます。それ以外はちょっと」

「了解した。では手始めに、何かすすめてもらおうかな。最近この図書室に蒐集された新しい本のことでも教えてもらおう」

「任せてください、よくわかっています」

足早に歩き出したところで、毛足の長い絨毯につま先が埋まり、転びかけた。

「おっと」

横から手を出してきた銀色の妖精が、危なげなく体を支えてくる。

触れられたのはほんの一瞬。すぐに腕は離れていく。

「ありがとうございます」

「どういたしまして。そそっかしい妖精さん、気をつけて」

つい、その笑顔を見上げてマリーナは尋ねてしまった。

「本当に仕事だったんですか」

「本当に仕事。君さえよければ手伝って欲しいくらいだ。今度王宮に幽閉されたらいっそ君も来てくれ。結婚自体は政略によるものと理解しているが、仲良くやっていきたいと思っている。ああ、いや、これはひとりごと。本の話をしよう」

「そうですね」

それから、本の話をした。

以前はこの図書室に入り浸っていたという青年妖精は、古い本に詳しく次から次へとマリーナにすすめてくる。マリーナもまた、仕入れたばかりの知識を総動員して、青年の知らない本をすすめ続けた。

趣味が合うというより、二人ともなんでも読むということだけはよくわかった。

燭台の火は燃え尽き、窓の外が白みはじめたところで、ようやく解散する時間だと互いに気付いた。

すでに朝、別れの挨拶は何が適当なのか。

迷うマリーナに構わず、青年は少しだけ眠そうな目をして言ってきた。

「おやすみ」

* * *

部屋に帰って、少しだけのつもりだったのに、ぐっすりと寝込んでしまった。

侍女によると「起こさなくて良い」という指示が、久しぶりに屋敷に帰った若様からあったという。

おかげで昼過ぎまで寝過ごした。

身支度は、いつもより念入りだった。

湯浴みを済ませ、長い金髪を卵の黄身で洗い、体中に良い匂いのするクリームを練り込まれる。

ドレスは慎重に選ばれた。薄紅色の瞳に合わせた可憐なピンク。梳いた髪は花やリボンで飾られていく。

「初のお顔合わせですからね、姫様のお可愛らしさで相手を魅了してください!」

意気込んだ侍女たちに「実は」と言い出すことはできずに、されるがまま身を任せた。

ようやく準備ができたのは、あと小一時間ばかりで晩餐という夕刻。

マリーナは「少しだけ出てくるわね」と言い残して、図書室に向かう。

予感があった。

果たしてその場所には、正装を身に着けた銀色の妖精がいた。

「目が赤いわ。寝なかったの?」

「残業続きのときは三日三晩寝なかったこともある。死ぬかと思った」

「それは大変でしたこと。体に良くないと思うわ。あなたの職場には厳重抗議をしたいところね。ところで昨日は?」

「寝て起きて本を読んでいた。本当に泣くね、この本。もう号泣」

昨日マリーナが読み終えた本を、ちょうど読み終えたところのようだった。

「ハンカチあるわよ。使って」

差し出すと、微笑を浮かべたまま、青年はさりげない様子で口を開いた。

「『この背に恋の翼があったなら、疾くあなたのもとへ』」

「きゃああああああああ」

以前一度だけ婚約者へと送りつけた恋文の詩句を暗唱され、マリーナは思わず悲鳴でかき消す。

非難がましくにらみつけると青年は「ごめん」と笑いながら、詫びてきた。

「これは、惹かれ合い、愛し合うのに結婚できずに終わる恋人たちの悲劇を描いた作品のオマージュだよね? もらってからすごく悩んじゃって。この結婚に賛成なのか、反対なのか。もしかして嫌なのかなって思ったんだけど、恋文の内容がものすごく面白くて、結局話を進めてしまった。大丈夫だった?」

「いまさら……、いまさらそれを聞きますか!! わたくしは、あなたから返事もないですし、お会いすることもできませんし、開幕・別居という仕打ちだったので、あなたこそこの結婚に不服なのかと……」

マリーナに対して、青年は破顔してから跪き、その手を取った。

「ずっと会いたかった。今日の妖精さん、いや、婚約者殿は本当に綺麗だ。上官と職場には厳重抗議の上、今後はなるべく家に帰れるようにしたいと思う。結婚の話を受けてくれてありがとう」

手の甲に羽のように軽く口付けてから、厳かに続けた。

あの手紙はこの図書室に保管してあるから、この先子々孫々伝える家宝にしようね、と。

悪気などかけらもなさそうなその笑顔を前に、「やめてくださいっ」とマリーナは悲鳴を上げることになった。