軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第29話 絶望との再会

空間を切り裂くような耳障りな破裂音と共に、最深部の空中に紫色の亀裂が走った。

そこから吐き出されるようにして、三つの影が地面に転がり落ちる。

「がはっ……! げほっ、ごほっ……!」

泥と魔物の返り血にまみれたレオンは、全身を襲う転移酔いの吐き気に耐えながら、四つん這いになって荒い息を吐き出した。

「はぁっ……はぁっ……ざまぁみろ、ギルドの犬どもめ。スクロールの転移先までは追えねえだろ……」

這い上がってきた盾役の男が、空になったポーションの空き瓶を忌々しげに地面へ叩きつける。粉々に砕けたガラスの破片が、青白い発光苔の上に散らばった。

「おい……見ろよ、レオン……」

魔法使いの女が、信じられないものを見るような声を出した。

レオンが顔を上げると、そこには彼らの常識を根底から覆す光景が広がっていた。

見上げるほど高い岩盤の天井からは、疑似太陽が柔らかな光を降り注いでいる。足元には発光苔が絨毯のように群生し、澄んだ湖面が風に波打っている。

そして何より異様なのは、湖畔の平地に設営されたキャンプサイトだ。

城のように巨大で豪奢なテントがそびえ立ち、立派な石造りのかまどからは、強烈に食欲をそそる肉とソースの香りが漂ってくる。

そのかまどの前で、キャンピングチェアに深く腰掛け、分厚いダッチオーブンの蓋を開けている長髪の男。

「……山本、博人……っ!」

レオンは奥歯を噛み鳴らし、血走った目で男を睨みつけた。

あんな無能な荷物持ちのオッサンが、自分たちが命懸けで逃げ回っている間に、こんな天国のような場所で優雅に料理をしている。その事実が、レオンの傲慢な自尊心をズタズタに引き裂いた。

レオンはふらつく足に力を込めて立ち上がり、腰の剣に手をかけながら大股でキャンプサイトへと歩み寄る。

「おい、オッサン! 迎えに来てやったぞ!」

レオンの怒鳴り声が、静かな湖畔に響き渡る。

だが、かまどの前に座るヒロトは振り返ることもなく、トングで器用に炭の配置を微調整し続けていた。

「……おい、聞いてんのか! 俺たちが特別にもう一度パーティーに戻してやるって言ってんだよ! ほら、さっさとこっちに来い! 配信に映ってたあのデカい獣も一緒にな!」

レオンは、ヒロトの足元でゴロンと丸くなっている豆柴サイズの白い毛玉を苛立たしげに一瞥し、血走った目で周囲の森を見回して叫んだ。

あんな小さな駄犬などどうでもいい。配信に映っていたあの巨大な神獣さえ見つけ出して自分たちの手駒にすれば、すべてがひっくり返る。彼の頭の中は、己の保身と強欲な皮算用だけで満たされていた。

ヒロトはダッチオーブンの蓋をそっと戻すと、ようやく顔だけをわずかに横へ向けた。

無精髭を生やしたその顔には、かつての上司に対する怯えも怒りすらも微塵も浮かんでいない。ただ、面倒な羽虫でも払うかのような、極めて平坦な視線だ。

「悪いが、今、煮込みハンバーグの火加減見てるから。後にしてくれ」

「は……?」

ヒロトはそれだけを言い残すと、再び視線を鍋に戻し、完全にレオンたちを風景の一部としてスルーした。

「ふざ、けるな……! ゴミの分際で、この俺を無視する気か!」

自尊心を完全にへし折られたレオンは激昂し、剣を抜き放ってヒロトに斬りかかろうと地面を蹴る。

だが、彼の一歩目が地面を踏みしめるよりも早く。

レオンたちの真上の空間が、まばゆい黄金色の光と共に展開された。

ギルド特有の、座標指定型の強制転移ゲート。そこから重武装を施したギルドの精鋭警備部隊が次々と降下し、着地と同時に一糸乱れぬ動きでレオンたち三人を取り囲み、魔法障壁と刃を突きつけた。

「な、なんだお前ら! なんでギルドがここに……!」

「動かないで。抵抗すれば、即座に武力による制圧を許可されているわ」

部隊の奥から、ハナがヒールの音を響かせて歩み出てきた。

彼女の顔には、隠しきれないほどの深い疲労の色と、レオンたちに対する絶対的な冷酷さが張り付いている。

「レオン。ギルド法第十二条違反、並びに殺人未遂容疑で、あなたたち三人の身柄を拘束するわ。……こっちがどれだけ苦労して魔力痕跡を逆探知したと思ってるのよ。私の睡眠時間がさらに削られたこと、後でたっぷりと後悔させてあげる」

ハナの氷のような宣告に、レオンは完全に言葉を失い、持っていた剣を力なく地面に取り落とした。

ギルドの職員たちによって瞬く間に魔力封じの手錠をかけられ、三人は転移ゲートの向こう側へと引きずり込まれていく。

それまでの騒動が嘘のように、最深部に再び静寂が戻った。

ハナは眼鏡を外し、指の腹で目頭を強く揉みほぐして深いため息をつく。目元には隠しきれない隈が浮かんでおり、立っているだけでも少し身体が揺れているようだった。

「あんたが、ギルドの人か。ご苦労さん」

かまどの前から、呑気な声が聞こえる。

ハナが振り返ると、ヒロトが首に巻いたタオルで汗を拭っていた。

「あなたが山本博人さんね。……世界中を大混乱に陥れてくれて、本当にありがとう。おかげでギルドの管理部門は崩壊寸前よ」

ハナは皮肉たっぷりに挨拶を返した。

相手はFランクの探索者だ。だが、目の前に立つ巨漢からは、底辺特有の卑屈さなど微塵も感じられない。どこまでも自然体で、図太い大人の余裕が漂っている。

「そりゃどうも。ちょうど昼飯ができたところだ。あんたも食っていくか?」

「は? 職務中にそんな……」

ハナが間髪入れずに断ろうとした、まさにその瞬間だった。

ヒロトがダッチオーブンの重い鉄蓋を持ち上げる。

ブワッ、と。

芳醇なデミグラスソースの香りが、白い湯気と共にハナの顔を直撃した。

「……っ!」

ハナの足がピタリと止まる。

鍋の中では、大人の拳ほどの小ぶりなハンバーグがいくつも、マグマのように沸き立つソースの海に沈んでいる。エミリアたちのように育ち盛りの探索者なら巨大な塊にかぶりつくだろうが、これは丁寧に成形され、長時間煮込まれた特製のビーフシチュー仕立てだ。

終わりの見えない残業と重圧。そして、ろくな食事をとっていないハナの空っぽの胃袋が、画面越しではない、本物の極上の香りを前にして、もはや彼女の意志など完全に無視して凄まじい音を立てた。

「きゅるるるるぅぅ……っ」

静かな湖畔に響き渡った自身の腹の音に、ハナは顔を真っ赤にしてうつむいた。

「……遠慮しなくていいぞ。ちょうど一つ、多めに仕込んであったからな」

ヒロトが笑いを堪えるような声で言う。

数分後。

ハナは、木製のテーブルの前に座らされていた。

少し離れた巨大テントの入り口付近では、すでに昼食を終えたエミリアやユジンたちが、「私の方が先にブラッシングするって言ったじゃないですか!」「年長者を敬いなさい!」と、ハクの毛繕いの順番を巡って相変わらずの小競り合いを繰り広げている。

だが、今のハナにとって、そんな異常な顔ぶれやギャーギャーという騒音は完全に背景のノイズでしかなかった。

彼女の全神経は、目の前の銘々皿に上品に取り分けられた煮込みハンバーグと、湯気を立てる白飯にのみ注がれている。

ハナは震える手でフォークとナイフを持ち、ハンバーグを切り出した。

スッと抵抗なくナイフが入り、中から透明な肉汁が溢れ出す。たっぷりのソースを絡め、口へと運ぶ。

「……んっ……!」

噛み締めた瞬間、粗挽きの牛肉の野性味あふれる強い旨味が、舌の上で爆発した。

芳醇なぶどうの酸味が溶け込んだ漆黒のソースが、肉の脂の甘みを完璧に引き立てている。肉の繊維がほどけるたびに、閉じ込められていた旨味が次々と姿を現す。ただ濃いだけではない。ほのかな苦みと豊かなコクが、大人の舌を完璧に満足させてくれる仕上がりだった。数種類のスパイスと香味野菜のコクが織りなす圧倒的な奥深さに、強い快感が全身を駆け抜け、咀嚼のスピードが限界を超えて加速する。

ハナはたまらず、フォークの背に乗せた白飯を一緒に口に放り込んだ。

温かい白飯は、濃厚なソースの一滴すら逃さない最高の受け皿だ。熱々の米がソースを受け止め、噛むたびに新しい旨味が脳髄を突き抜けていく。

「美味しい……。なにこれ、本当に美味しい……」

ハナは思わず、視界が滲むのを感じた。

コンビニのパサパサのサンドイッチでも、接待で食べる高級料亭の食事でも満たされなかった、荒みきった心と胃袋の底の底まで、温かくて力強い旨味が染み渡っていく。

彼女は周囲の目も忘れ、ただ無心でハンバーグと白飯を掻き込み続けた。

★★★★★★★★★★★

食後。

騒がしかったキャンプサイトの喧騒から少し離れた、湖畔の静かな岩場。

ハナは湖面を吹き抜ける涼しい風に火照った頬を冷やされながら、ポツンと座っていた。満腹になった胃袋が、心地よい疲労感と眠気を誘っている。

「ほら、食後のコーヒーだ」

隣から不意に声がして、温かいマグカップが差し出された。

ヒロトだ。彼はハナの隣の岩に腰を下ろすと、自分用のマグカップに口をつけた。

「ありがとう……」

ハナは両手でマグカップを受け取り、一口すする。

コーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。深く焙煎されたクリアな苦味と香ばしさが、ハンバーグの濃厚な余韻を優しく洗い流してくれる。ささくれ立っていた神経が、嘘のように解けていくのがわかった。

「お疲れみたいだな。目の下にひどいクマができてるぞ」

ヒロトが湖面を見つめたまま、静かな声で言った。

「誰のせいだと思っているのよ。あなたがここで毎日あり得ない配信をするから、ギルドの管理部門は対応で徹夜続きなのよ……」

ハナは恨み言を口にしたが、その声にトゲはなかった。

「そりゃ悪かったな。でも、あんたのおかげでさっきの面倒な連中も片付いた。助かったよ」

「私は、私の仕事をしただけよ」

ハナは膝を抱え、マグカップの温もりを手のひらで感じながら、湖面に反射する光を見つめた。

ギルドのチーフアナリストとして、常に完璧で冷徹な大人として振る舞わなければならない日々。だが、今は違う。隣に座る無精髭の男は、彼女の肩書きや立場など一切気にしていない。ただの「疲れた客」として、温かい飯とコーヒーを振る舞ってくれた。

静寂の中、二人分のコーヒーをすする音だけが微かに響く。

「……少しだけ、このままでいさせて」

ハナがぽつりとこぼす。

「ああ、ゆっくりしていけ。どうせ帰っても、また仕事の山だろうからな」

ヒロトの低く落ち着いた声に、ハナは小さく息を吐き、静かに目を閉じた。