軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

04.白いシチューと「また、明日」

セシリアの朝は早い。

田舎暮らしで染みついた時間感覚は、 王都(エリオプス) に来たからと言って簡単に抜けるわけではなかった。本当は、二度寝でもしたいところなのだが、太陽の光を一度浴びてしまうと、もう一度ベッドの中に戻る気にはなれない。

セシリアは、軽く身支度を整えると、いつものように廊下に出た。

「あ、おはようございます。奥様!」

「おはよう、マリー」

メイドのマリーが箒を持ったまま、ペコリと頭を下げる。彼女は、セシリアの1歳上の20歳で、使用人の中では一番若いため、セシリアと仲が良かった。

グレイブ公爵家の使用人は、皆、優しかった。

お飾りの妻だからと知っているのにも関わらず、遠巻きにされることも無く、貧乏伯爵令嬢だからと馬鹿にするわけでもなく、グレイブ公爵夫人として接してくれた。

「旦那様は、まだ寝てらっしゃる、よね?」

できれば、朝からあの怖い顔を見たくない。セシリアは、遠慮がちにマリーに尋ねる。

「旦那様なら、もう仕事に出られましたよ」

「……まだ、朝の6時なんだけど」

「私が起きた4時頃には、もうお出かけされていましたよ?」

セシリアは時計を見上げた。

昨日、アルフォンスとキッシュを食べ終わったのが、2時半ごろだったはずだ。多く見積もっても、1時間半睡眠である。しかも、彼は遠征帰りだ。

(……やっぱり、アルフォンス・グレイブって人間じゃないかもしれない)

セシリアは、苦い顔をしながら、乾いた笑い声をあげた。

少し眠気の襲ってくる昼下がり。

羽ペンをひらひらと手の中で回しながら、セシリアは唸っていた。机の上に置かれたノートと見つめ合うものの、全く分かりあえる気がしない。

「あーっ、もうっ、なんで数字合わないの!」

セシリアは、羽ペンを一度置いて椅子にもたれ掛かった。

彼女は、屋敷の収支を記録する、帳簿整理の真っ最中だった。

彼女は、学校に通ったことが無い。

もちろん、これでも伯爵令嬢であるため、14歳までは 家庭教師(チューター) のお世話になっていた。だが、他の貴族の子女のように高等学院に進学し、 大学(アカデミア) を卒業する……なんてものは、夢のまた夢だった。

(別に、後悔はしていないけどね。結局は、私の選んだ道だし……)

セシリアは、深い息をつく。

帳簿の整理なんてものは、高等教育を受けていない彼女にとっては、なかなかどうして難しいものであった。執事のクルトからチェックの仕方を教えてもらいながら、毎月なんとかこなしている仕事の一つである。

『何もしなくていい』とアルフォンスは言ったが、毎日ゴロゴロしているのも、給料泥棒みたいで居心地が悪かった。長女の性だ。

「これはこれは、奥様! まさに戦場に立つ勇者のようなお顔をなさっておりますねぇ!」

「……わ、シュミットさん!」

オペラ歌手かのような良く響く声である。

ぽかぽかと陽が差し込む 居間(パーラー) でやる仕事ではなかった、と感じつつ、セシリアはノートを閉じた。

現れたのは、料理長のシュミットだった。

彼は、王都エリオプスの人気高級レストラン『シルバー・ヒルシュ』も経営している凄腕シェフである。世界中を渡り歩き修行を積んだ彼は、レシピだけではなく、様々な調味料、調理法をも開発し、『料理界の革命児』と呼ばれていた。

「さあさあ、奥様! お疲れのところに、我が魂の込もったアフターヌーンティーセットをお持ちいたしましたぞ!」

そう言ってシュミットが差し出したのは、見事なアフターヌーンティーセットだった。三段のティースタンドには、まるで宝石のように輝く一口サイズのスイーツが並んでいる。

フルーツたっぷりのタルトレット、器に入ったチョコレートムース、そして色とりどりのマカロン。

セシリアは、帳簿を完全に横に避けた。口の中が完全に甘い物の口になってしまったのだ。

「……ありがとうございます」

「いえいえ! 良いのですよぉ、奥様! ただ、これが序章に過ぎないことをお忘れなきよう! この後、我が傑作である夕食のフルコースが控えております! 本日のメインは牛頬肉の赤ワイン煮込み、前菜には──」

(……食べられるかな)

シュミットの料理はいつだってフルコースだ。もちろん美味しいのだが、ふと素朴な料理が恋しくなることもある。夜な夜なセシリアが自分で料理に明け暮れる理由の一つでもあった。

「シュミットさん、今日は何か余った食材はありますか?」

「えぇ、えぇ、ございますとも! 本日余ったのは、なんと 牛乳(ミルク) でございます!」

「……あとでミルクティーにするから、絶対に捨てないでくださいね」

料理長のシュミットには、夜食のことは伝えていない。こだわりが強すぎる彼が、適当な分量で作る田舎料理の数々を見ようものなら、発狂してしまうかもしれないからだ。

「もちろん! 奥様! それはそれは、貴重なミルクを捨てるなどという暴挙、わたくしが許すはずもありませんよぉ! メイドにお紅茶を持ってこさせますから、少々お待ちを!」

(よし! 牛乳(ミルク) を買いに行く手間が省けたぁ!)

市場で歩き回っている牛乳売り《ミルクレディー》を捕まえるのは中々大変なのだ。セシリアは、心の中でガッツポーズを決めた。

なんで、当然のように嬉々としてシチューを作ってしまったのだろう、とセシリアはこの時間になって気が付いた。

ちょうど、日付が変わった頃。

鍋で食材をコトコトと煮ながら、セシリアは己の行動に 愕然(がくぜん) とした。

(なんで、当然のごとく、あの最恐アルフォンス・グレイブを心待ちにしてるの! おかしいって!)

キッシュを食べてもらったのが、そんなに嬉しかったのだろうか。それとも、彼の顔の良さにやられてしまったのだろうか。

ぐるぐると鍋の中身をかき混ぜていても、答えはでない。

牛乳(ミルク) と野菜の甘味がほんのりと鼻孔をくすぐる。

「……良い香りだ」

「う、うっわぁ……! だ、旦那様、おかえりなさいませ……」

台所を覗いてきたのは、アルフォンスであった。

セシリアは、驚きすぎて体が跳ね上がった。唐突に声をかけてこないでほしい、とセシリアは息を整えながら思う。しかも深夜に。

「……俺は化け物じゃないぞ」

「すみません、すみません、すぐにお持ちしますね」

セシリアは、皿にシチューを盛っていく。横には、朝食で余ったパンを付け合わせておいた。メイドのマリーが 料理長(シュミット) に内緒で取り分けておいてくれたのである。

「お待たせいたしました」

ことり、と皿をテーブルに置いた。

昼間、セシリアが帳簿を付けていた場所である。結局、あの後アフターヌーンティーを食べて、完全にやる気がなくなってしまった。

けれど、思い出したところで憂鬱になるため、セシリアは首を振った。

今は、この目の前のシチューに集中したい。

「いただきます」

「……いただきます」

居間(パーラー) に二人の声が響く。

具材を掬い上げ、そっと口元に運んだ。口の中で、ほろりと肉がほどけ、煮込まれた野菜の甘味が広がっていく。

「ふっ」

不意に、アルフォンスが噴き出すように笑った。

「どうしましたか」

「…… 美味(うま) くて」

彼の口元は緩んでいる。わずかに眉尻が上がり、再び、ふふ、と声を漏らした。

「白いシチューは、初めて食べた。てっきり、ビーフシチューだと思っていたから、味が全然違って驚いた」

「まあ、クリーム煮だと思ってもらえれば……」

「クリーム煮……?」

食文化があまりに違い過ぎる、とセシリアは肩を落とした。ビーフシチューなんて、お祝いの時にしか食べないものじゃないのか。だって、牛肉って、高いじゃないか。

セシリアは、心の中でぼやいた。

(確かに、シュミットさんが鶏肉入りのクリームシチューを出すとも思えないけども)

アルフォンスとセシリアは、会話をすることも無く、ただ黙々とシチューを食べ進めている。ときたま、思いついたようにどちらかが声を上げる。

「……お前は、昼間何をしているんだ」

「もちろん、のびのび、ごろごろさせていただいておりますよ」

「そうか」

(本当は、帳簿の整理で唸ってましたなんて言えない……)

そして、話題が尽きて、沈黙が落ちる。傍から見れば、異様な光景かもしれない。

けれど、セシリアは不思議と、居心地が悪いと感じることはなかった。

(ユリウスに対しては、そう思っていたのに……)

セシリアが思い出したのは、元婚約者のユリウス・フォーンのことだった。彼といるときは、沈黙が気まずかった。

何か話して、彼に笑ってもらわなければ。彼の機嫌を損ねないようにしなければ。

食事の時も、お茶の時も、街を歩く時も、ずっと気を遣って精神をすり減らしていたのだと、今になって気が付いた。

(不思議……この人の方が、緊張しそうなものなのに)

「なんでなんでしょうね……?」

「何が?」

こてんと首を傾げた彼は、やっぱり少しだけ可愛くて。

「いいえ、何でも」

セシリアが笑ってごまかすと、彼はますます『わからない』といった顔をした。だが、彼は、特にセシリアを問い詰めることも無く、最後の一口と一緒にパンを押し込んだ。

しばらく、もぐもぐ、と咀嚼した後に飲みこむ。

「……白いシチューもいいな。今日も美味しかった」

アルフォンスは立ち上がり、血で汚れた軍服を 靡(なび) かせて、 居間(パーラー) をあとにする。セシリアはその背中を見ていると、思わず声を上げてしまった。

「旦那様!」

くるり、とアルフォンスは顔だけ振り返る。セシリアは言った。

「また、明日」

アルフォンスは、一瞬、目をぱっちりと見開いたあと、右の唇の端を少し先に上げて、微笑んだ。

「ああ、また明日」