作品タイトル不明
14.誰もいない台所にて
セシリアが、領地に帰ってからというもの。
アルフォンスは、仕事が今まで以上に忙しくなり、屋敷に戻らない日も増えた。そのため、セシリアのことなんてすぐに忘れられるはずだと思っていた。
(そう、思っていた)
深夜2時。
久々に屋敷に帰ってきたアルフォンス・グレイブは、真っ暗な台所に1人ぽつん、と立っていた。ぼんやりとランタンの明かりが揺れている。
血にまみれた軍服を脱いでも、『また血まみれですか』と呆れたような声は聞こえてこない。
(屋敷は、こんなに静かだっただろうか……)
台所で響く、カチャカチャとした金属音も、明るく自分を呼ぶ声も、全て幻だったのかもしれない、とアルフォンスは思う。彼女が残していったノートを開けば、1か月間、彼女が作ったレシピが綺麗な字で綴られていた。
そこで目についたのは、ポトフだった。見たところ、ただ煮るだけだろうし、自分にも作れそうだと思ったからだ。
(どうせ眠れないんだ、作ってみるか)
ソーセージは流石に置いていなかったので、イモとニンジンとタマネギを手に取った。包丁を持って野菜を切る。普段剣を扱っているからなのか、思ったよりもサクサクと手際よく切ることができた。
(意外と楽しいな、これ)
鍋にたっぷりの水を入れ、火にかける。グツグツと泡を吹き始めた熱湯の中にドバドバと野菜を入れ込んだ。
煮込みはじめてしばらく経ったころ。味付けをしようと、ノートを再び覗いたアルフォンスが愕然とした。
「なんだ、『適量』って」
適量、なんて人によって違うだろう。アルフォンスは、文字通り『適当な量』の塩を振りかけた。
「なんだ『お好みで』って……」
再び登場した適当な分量に、アルフォンスは溜息をつく。
料理長シュミットが開発した『ブイヨン』と呼ばれる調味料を『お好み』で放り込んだ。
ぐつぐつと食材が煮えていく。
あとは煮え上がるのを待つだけである。
だが、待つのは、暇である。暇ができると考え事をしてしまう。
(ああ、もう、嫌だ)
イライラする感情をぶつけるかのように、アルフォンスは、椅子に座って頭を掻きむしった。
(俺はいつからこんなに情けない人間になったんだ……)
思い出すのは、セシリアの笑顔ばかりである。彼女がキッシュを差し出した日からの出来事は、全て昨日のことのように鮮明に再生することができる。
明るく、元気で、人とすぐに仲良くなることができる、頭が良くて、魅力的で、頼りになる──まるで太陽のような女の子だった。
その淡い朝空のような髪色も、透き通った湖のような瞳も、すべて。
──ジュウ
音がしたことで、アルフォンスは、ハッと我に返り、火にかけたままの鍋を思い出す。
鍋を見ると、ぼこぼことお湯が吹きこぼれていた。
◇
居間(パーラー) のカーテンは閉まっている。
彼女がいた時は、カーテンが開いていて、大きな窓から月の光が差し込んでいた。美味しそうな香りと共に、皿を持って現れるセシリアは、いつも月に照らされて綺麗だった。
だから、アルフォンスは、カーテンを開けた。
(……綺麗な夜空だ)
初めてセシリアと会った夜会の日も、星空が綺麗な夜だった。婚約破棄されたからと泣くわけでもなく、己の心配をするわけでもなく、ただ『持参金』の心配だけしている彼女は面白かったけれど、同時に強くもあった。
(あの夜会の後の自分の評判なんて知らないんだろうな、アイツは)
セシリアは、自分がさらし者になったと思っているようだが、決してそんなことはない。
さらし者になったのは、むしろ 元婚約者(ユリウス) の方である。もともと、成金男爵家であるため、彼はそんな評判一切気にしていないようではあったが。
(いい加減食うか)
皿に盛ったポトフは、煮込み過ぎでイモがドロドロに溶けてしまっていた。見た目からして、全く食欲をそそられない。
料理というものは、案外、シンプルなものの方が力量の差がでるのかもしれない。
簡単に作れそうだと思った自分を殴ってやろうかと思った。
もはやポトフとは言い難い、その液体を掬って一口飲む。
元々、食に興味の無かったアルフォンスは、食べ物の味をそこまで気にしたことがなかった。栄養だけ摂取できれば、それで良いと思っていたからだ。
けれど。これは、さすがに。
「……不味すぎるだろ、これ」
まるでドロドロになった海水を飲んでいるかのようだった。思わず、吐き出したくなったが、ぐっとこらえる。
食べ物を粗末にするのは、許されない。なんだか、セシリアならそう言いそうな気がしたのだ。
「というか、何をやっているんだ、俺は」
仕事が終わって、帰ってきて、セシリアの面影を求めて、ポトフを作って、失敗して。あまりに、情けないことこの上ない。
アルフォンスは、椅子にもたれ掛かった。
カチカチと振り子時計の音が響く 居間(パーラー) は、ひどく空虚だった。ただ、セシリアという1人の人間がいないだけで。
引き留めることが、できなかった。
いいや、自分の意思で引き留めなかったのだ。
アルフォンスは、知っていた。
「また、明日」が必ずしも明日を約束するものではないことを。
セシリアが居なくなってしまうことよりも、大切な人が突然消えてしまうほうが、怖かった。
(そう、これでいい。……きっと、これでいいはずなんだ)
『ずっと苦しかったんですね。もう少しだけ、貴方のことを早く知りたかったです。旦那様』
『旦那様は、優しくて、とっても素敵な人だから! あなたよりもずっと!』
『……私、旦那様に声をかけてもらって救われたんです。あの夜会の日は、本当に、絶望の底にいましたから』
彼女のくれた言葉のひとつひとつが、優しくアルフォンスを包み込むようだった。
(……会いたい)
アルフォンスは、心の中で繰り返す。
(セシリアに、会いたい)
きりきりと痛むこの胸の痛みの正体を、アルフォンスは知らない。なんで、こんなに苦しいのかも、わからない。
ふと、目の前で水色の髪の女の子が笑った気がした。
アルフォンスは、がたり、と立ち上がった。そして、自室から羽ペンとレターセットを引っ張り出してくる。それは、人に送るためのもの、というより仕事で使用している飾り気のないものであった。
テーブルに便箋を置き、ペンを持つ。
(……今更、何を)
何を、伝えればいいんだ。
会いたい、と一言書くだけなのに、アルフォンスの手の中の羽ペンは、微動だにしていない。
アルフォンスは、今までの人生で一度も手紙なんて書いたことがなかった。
「……どうすれば、いいんだ」
アルフォンスは、『会いたい』と書いた便箋をぐしゃぐしゃと丸めて、頭を抱えた。
夜が更けていった。