軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

⑥半人前の料理道(下)

そしてその夜は、再びルウ家のすぐ近くにある空き家で一夜を過ごすことになった。

ルティムの本家は少し離れたところに居をかまえているそうで、客人の3名は別の家、ルティムの家と縁の深いドンダ=ルウの甥の家に泊まっていくらしい。

が、現在はまだルウの本家で宴の真っ最中である。

食事の後は、客人3名とルウ家の男衆、それにミーア・レイとサティ・レイだけが居残って酒盛りが始まってしまったのだ。

俺とアイ=ファは晩餐の後片付けをしたのちに、リミ=ルウと合流してジバ婆さんの寝所で少し語らい、それからようやくこの空き家に腰を落ち着けることができた。

腰を落ち着けるなり、俺は敷布の上で大の字になりながら、「ふわー!」と大声をあげてみせる。

「肉は固いし大演説させられるし、口が疲れる一日だったなあ! 今夜はもう一言も喋る気になれねえや!」

「…………」

「だったら大声で独り言をわめくな! ……とか、言わないのか?」

ぐりんと首を回転してアイ=ファの様子をうかがうと、我が女主人は壁ぎわで片膝あぐらをかいて何やら神妙な面持ちになってしまっていた。

「どうしたんだよ? ドンダ=ルウがけっきょく感想を口にしなかったから、心配してんのか?」

「…………」

「大丈夫だろ! 納得がいかないならあの場で言うだろうし。そもそもルティム家の人たちがあれだけ満足そうにしてたんだから、眷族そろってファを絶縁する、なんて話には絶対なりっこないさ」

「……そのようなことを考えていたわけではない」

会食の場やジバ婆さんの寝所ではずいぶん穏やかな目つきをしていたのに、何だか今はその度が過ぎて、打ち沈んでいるようにすら見えてしまう。

俺にとっては、一番見ていられない姿だ。

「何だよ? それじゃあ何を考えてるんだ? ひとりで思いつめてないで、何でも言ってみろ」

と、俺はにじにじと這い寄っていく。

これまたいつもだったら「気色の悪い動きをするなっ!」とかましてくるところなのに、ノーリアクションである。

これでは俺が馬鹿みたいだ。

まあ馬鹿なんだが。

「お前は――」

「うん?」

「お前は、この森辺を去るつもりなのか?」

アイ=ファは、唐突にそんなことを言いだした。

俺は、心底からびっくりする。

「何でいきなりそんなことを言うんだ? 心当たりがまったくないんだが」

「あの宴で長々と喋っていたお前は、何だか皆に別れの言葉を述べているように見えるときがあった。自分がいなくなる前に、せめて毒ではなく薬を残していきたいと――そんな風に言っているように見えたのだ」

獣脂蝋燭に半面を照らされたアイ=ファの顔が、ゆっくりと俺を見る。

「違うのか?」

「違う。……けどまあ、おんなじことなのかな?」

寝そべったままでは格好がつかないので、俺もアイ=ファの正面にあぐらをかくことにした。

「俺の本心は、前々からお前にも話していた通りだよ。意味もわからず放りこまれた世界だけど、そこにも人間の生活があるなら、いい形で関わりたい。害になるよりは、お役に立ちたい。今の真情を正直に述べただけだ」

「…………」

「だけどまあ、これも以前から言ってる通りでさ。意味もわからず放りこまれたなら、意味もわからず引き戻されるかもしれない。引き戻されたら、たぶん俺は丸焼けのぺしゃんこだ。だったら、いつそうなっても悔いのないように生きていたい。……そういう気持ちがこぼれちゃったのかな? よくわからんけど」

「……お前はいつでも、そのようなことを考えて暮らしているのか?」

「いやいやまさか! それじゃあ精神がもたねえよ! でも、忘れられるような話でもないから、時々そういう気持ちがひょっこり出てきちまうだけさ」

アイ=ファは、いくぶん陰ろった瞳で俺を見つめながら、少しだけ首を傾げた。

「……私は、考えていなかった」

「ん?」

「お前がいつか不意に消えていなくなるかもしれない、などとは考えたこともなかった」

アイ=ファの言葉は、とても静かだった。

無感動だとか、無感情だとか、そういうんでもなく――たたひたすらに、静かだった。

「……そりゃあまあ、そもそもお前には、俺が異世界人であるっていう実感もないわけだしな。そんなひょいひょい人間が消えたり現れたりなんて想像つかないだろ? ていうか、そんな想像は俺にだってできないし」

「…………」

「ま、そんな言語道断な超自然現象でも勃発しない限りは、勝手にどこかに行ったりはしないって! むしろお前に見捨てられないように戦々恐々さ、こっちは。……だから、もしもいきなり俺がいなくなるようなことになったら、そいつは確実に神様だか悪魔だかのしわざだから、そのときは俺の冥福でも祈ってやってくれ」

「い」の形に、アイ=ファの口が動きかけた。

しかし、その続きを聞くことはできなかった。

何故なら、家の扉が外からノックされたからである。

トン、トン、と2回。

アイ=ファはゆらりと立ち上がり、扉の前に立った。

「何者か?」

「……ルウの家の家長ドンダ=ルウだ」

来た。

大ボスがみずから乗りこんできやがった。

まあそんな可能性も少なからずありえるかもしれないとは思っていたが、いざ実現してみると、やっぱりびっくりだ。

アイ=ファは無言でかんぬきを外し、扉を開く。

ぬうっ――と黒くて巨大な影が、大型の肉食獣のように室内へとすべりこんできた。

「邪魔するぜ」と履物を脱ぎ始める。

とりあえず、その腰に刀を帯びていないことだけは、事前に確認させていただいた。

ただ、刀の代わりに果実酒の土瓶を左手にぶら下げている。

友好的に会見を求めてきた――という解釈でいいのだろうか、これは。

のしのしと俺の前までやってきて、燭台の近くの窓辺にその巨体を沈める。

そのぎょろりとした目が、面白くもなさそうに室内を一望した。

「酒も飲まずにこんな夜更けまで何をしてやがったんだ、貴様たちは?」

「いや、そろそろ寝ようかと思っていたところではありますけどね」

「ふん」と蓋をかじりとり、一口だけ果実酒をあおる。

今の今まで酒盛りをしていたはずなのに、本当にうわばみなのだな、この親父さんは。

その顔は、まあもともと凶悪な面相をしているので何とも判別し難いが、これといって大きな感情を浮かばせてはいない。

野獣のような双眸も、炯々と油断なく輝いてはいるが、この男がこれ以上眼光を弱めることはないのだろう。

普段に比べれば、格段に穏やかなご様子だ。

が、しかし、いささかならず、距離が近い。

いつも上座でふんぞりかえっているこの大男に、同じ燭台に照らされるぐらいの距離でどっしりと座られてしまうと、それだけでもう圧力が半端ではないのだ。

かんぬきをしめなおしたアイ=ファは、俺とドンダ=ルウと正三角形を描く位置に腰を下ろした。

膝をつきあわせる、という表現にぴったりの距離感だな、これは。

ドンダ=ルウは、果実酒の瓶をアイ=ファの鼻先に突きつけて、「飲め」と言った。

「飲んで、誓え。……今この場では、一切の虚偽を吐かぬ、とな」

アイ=ファは無言で、ためらいもなく果実酒を口にした。

けっこう豪快に、ぐびりと咽喉を鳴らしながら。

そして、その瓶を俺に差しだしてくる。

まあ、未成年がどうとか言える雰囲気でもない。俺はむせないように気をつけながら瓶をかたむけて、ぺろりと舌先だけでその果実酒を味わった。

ああ、すっぱ甘い。

「……小僧、貴様は何を企んでいやがるんだ?」

そうしてドンダ=ルウは、語り始めた。

「どうして貴様が何の縁も恩もないルウの家の絆がどうとかほざきやがるんだ? 貴様は、何を企んでいる?」

たとえ穏やかでも、静かでも、元がギバの化身の如き大男である。その目は薄闇でギラギラと輝き、その巨体からは自然に圧迫感がにじみでている。

何も企んではおりません。

と、言いたいところだが。企んでないことはないんだよなと思いなおす。

虚偽は駄目とか言ってたし、素直に話すのが最善であろう。

「企むというか何というか、俺が考えていたのはひとつだけです。あなたを納得させたかったんですよ、ドンダ=ルウ」

「……納得だと?」

「はい。たとえ俺がどんな料理を作っても、それは一夜限りのことです。俺はファの家のかまど番ですし、ルウの家だってそんなしょっちゅう俺なんかにかまどを預けるわけにはいかないでしょう。でも、そうしたら――たった一夜だけ美味い飯をふるまわれることに、あなたが価値や意味を見出すことができるのか、だんだんとそういうことが疑問に感じられるようになっていったんです」

今夜のうちにまた長広舌を強いられるとは思っていなかった。

だけど、これが今日の目的であるのだから、しかたがない。

「たとえば俺が、無茶苦茶に手の込んだ、無茶苦茶に美味い料理を作れたとして、それであなたは満足や安息を得られますか? 俺が料理屋の店主であなたが客だったら、それで済む話かもしれませんが。俺は、食事に美味いも不味いもない、と豪語している人間の家にわざわざ乗りこんで料理を振る舞おうと企んだんです。それじゃあただ美味い食事を提供したところで、無茶苦茶に美味かった、だけどそれがどうしたと一刀両断されればもうおしまいだな、と考えました」

「…………」

「だけどあなたは、ルウ家の家長だ。美味い食事を食べることが、家族みんなで共有できる喜びでありえたなら――それがあやしげな余所者の料理じゃなく、家族の手で作られた家族のための料理でありえたなら――そしてあなた自身もその食事を美味いと感じられたなら、そのとき初めてあなたの心は今まで以上の満足と安息を得られるのかな、と考えたんです」

「…………」

「だからまあ、ああやって3種類の肉を用意したのもその一環ですね。ステーキとハンバーグだけだと、中にはハンバーグのほうが美味しい!という判断をする人もいるでしょうから。それだとけっきょくハンバーグを食べられなくて不満、という層ができあがってしまう。だったら3種の肉とハンバーグの四つ巴にしてしまえ、とか思ったんです。そうすれば、ジバ=ルウやあなたがおっしゃっていた『何が正しいか、何が美味しいかなんて人それぞれ』という言葉も実感しやすいでしょうしね」

「何のために……そんなことをして、いったい貴様に何の得があるってんだ? 貴様はそんなことのために、自分と主人の生命をかけたってのか?」

底ごもる声で、ドンダ=ルウはそう言った。

俺は、溜息をついてみせる。

「絶縁がどうのとか言いだしたのはあなたじゃないですか。俺やアイ=ファはあなたが考えていた以上に負けず嫌いだったってだけですよ。……俺たちがジバ=ルウの説得にすら耳を貸さないもんだから、あなたもさぞかし肝が冷えたでしょうね。このままじゃあリミ=ルウたちに嫌われちゃうって」

ぴくりと、ドンダ=ルウの膝が動いた。

それだけで俺は生命の危険を感じるほどだったが、その件に関してだけは腹に据えかねていたので、かまわず続けさせていただいた。

「あなたの本心がどうだったかは知らないし聞くつもりもありませんが、あまり気安く家族との絆を危険にさらさないでくださいよ。ルティムの家とか持ちだして話を大きくすれば、俺たちが尻尾を巻いて逃げ帰るとでも思ったんですか? これで俺たちが下手を打って、ファの家を絶縁することになって、それでリミ=ルウや他のご家族との関係に亀裂でも入ったら一大事じゃないですか? 俺みたいな余所者を大事に扱えとは主張できないですけど、ちょっとした思いつきや意地悪や嫌がらせのために家族との絆を犠牲にするなんて、馬鹿げてますよ」

「小僧、貴様……」

「俺は何か間違っていますかね? 俺やアイ=ファの存在が気に食わないなら、それはそれでかまいません。でも、リミ=ルウやジバ=ルウがこのアイ=ファのことを家族のように慕っている、という事実だけは忘れないであげてください。……あなたが本当にルウの家長であるならば」

俺は、正しいことを言っているつもりだ。

もしもそこにほんの少しでも迷いや気後れがあったなら――たぶん、小便をもらすか泣きわめくかして、地べたに頭をこすりつけていただろう。

それぐらい、ドンダ=ルウの瞳は強く、激しく、今までの静けさをかなぐり捨てて、野獣のように燃え始めていた。

あの、三日前に見た、森に向かう狩人の、戦士の眼光だ。

「俺には――まだまだ森辺のことがよくわかっていません」

その眼光に魂を炙られながら、半ば無意識に俺は言葉をつむいでいく。

「あなたたちは、俺のよく知っている人間たちとは、あまりにかけ離れているから……本当の意味では、これから先も理解や共感はできないのかもしれません。だけど、それでも――毒ではなく、薬でありたい。そう思ったのは、本心です。そして俺には、料理を作ることしか取り柄がないから……そんな自分を殺さないまま、この森辺で生きたかったんです」

アイ=ファは、どうしているだろう。

たぶん、ドンダ=ルウに劣らずその瞳を燃やしているのだろうが――俺は目の前の大男から目をそらすことが、できない。

「あとはもう、さっき述べた通りです。家庭の料理に料理人なんて必要ない。あなたが求めているのは料理人の料理ではない。あなたの心が本当の満足を得られるのは、家族と幸福をわかちあえるときだけだ――俺の出したこの結論が間違っていたのなら、ご家族からいただいたこの祝福の首飾りは、ルウの家にお返しいたします」

ゆらり――と、黒い影が立ち上がった。

すかさずアイ=ファが、俺とその影に割って入ってくる。

「……もう一度問う。どうして貴様はそのようなもののために、己の生命すら賭けるのだ?」

怒りのあまりか無機質にすら感じられるぐらい感情の抜け落ちた声音が、地鳴りのように響きわたる。

「それは俺が料理人だからです。あなたが狩人であるように、俺は料理人なんです。……ま、半人前の未熟者ですけどね」

精一杯の軽口で、俺はそんな風に応じてみせた。

無限とも思えるような数秒間が過ぎ去って――

やがて、ドンダ=ルウは俺たちに背を向けた。

「俺は狩人だ。貴様のような人間の考えることは理解できない」

感情のないままの声でつぶやき、玄関口へと足を向ける。

そして、履物は履かずに右腕でひっつかみ、扉からかんぬきを外しつつ、ぽつりとつぶやく。

「……理解できないと言えば、ルティムの糞親父から、伝言があった」

「え?」

「7日後におこなわれる婚儀のかまど番を、貴様なんぞに頼みたいんだとよ。……そんな寝言を抜かす男が家長じゃあ、もうルティムの家も先が長くないかもしれねえな」

開いた口が、ふさがらなかった。

あのおっさん、本当に何を考えているのだろう?

茫然としている俺の足もとに、ころんと何かが転がった。

ドンダ=ルウが、玄関口から何かを放りつけてきたのだ。

それは――白くて、とても雄々しく反りかえった、2本の角や牙だった。

「祝福だ」と言い捨てて、ドンダ=ルウの巨体が闇に消えていく。

「……何とか一件落着、かな?」

俺はそいつを拾いあげて、片方をアイ=ファに手渡してやった。

情けないことに、ちょっと指先が震えてしまっている。

アイ=ファは無言でそれを受け取り、かんぬきをかけるためにまた立っていった。

「ああ……何年分か寿命が縮まったよ、本当に」

その姿を目で追いながら、俺はぐったりと壁にもたれかかった。

今さらのように、冷や汗が噴きだしてくる。

だけど、何とか――俺は、俺の喧嘩を終わらせることができたようだった。

俺の我が儘から始まってしまった、一世一代の大喧嘩を。

「だけど、結婚式のかまど番ってのはどういう冗談だ? いくら何でも、責任が重すぎるだろ! こればっかりは、何としてでもお断りしないとなあ」

アイ=ファは答えず、かんぬきをかけて戻ってくる。

何だかもうずいぶん長いこと沈黙を保っているではないか。

ていうか、ドンダ=ルウがいる間に一言でも喋ったっけ、こいつは?

不審の目を向ける俺のもとへと、アイ=ファはよどみのない足取りで戻ってきた。

そして。

俺の前に、ぺたりと座りこむ。

その桜色をした唇が、また「い」の形をゆっくり作った。

「……いやだ」

「な、なに?」

「お前がいなくなるのは、嫌だ」

その声は静かなまま、大きくもならず。

その山猫みたいな瞳からも、涙が流れたりはしなかった。

その指が俺に触れることもなく。

その肩が震えたりすることもなく。

アイ=ファはただ、いつまでも静かに俺の目を見つめ続けるばかりだった。