軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

③森辺の誇り

「ギバの肉を焼いた料理です」

幸いなことに、殴りかかられはしなかった。

ただ、炎のような目でにらみすえられ、怒号を叩きつけられただけだ。

静まりかえった大広間に、3名の女衆もやってきて、右の列から皿を並べていく。

そちらのほうからも、ごく控えめにだが、ざわつきが感じられた。

初顔のアマ=ミンなどは「まあ」と目を丸くしている。

ガズラン=ルティムは、礼儀正しい無表情。

ドンダ=ルウは、ひたすらに両目を燃やしていた。

ダン=ルティムは、禿頭に太い血管を走らせつつ、分厚い唇をぷるぷると震わせている。

「ドンダ=ルウ! これは一体どういうことなのかッ! 俺に説明してもらおうかッ!」

その大きな口が、ついに2度目の怒号をほとばしらせた。

ドンダ=ルウは、無言のまま、そちらをゆらりと振り返る。

「これは――このギバの肉は――ギバの胴体の肉ではないかッ!」

やはりルウの家でなくても、後ろ足以外を食する風習がないらしい。

まあ、想定内である。

「……どうやら、そのようだな」と、ドンダ=ルウが底ごもる声で応じた。

怒りすらも超越した、聞くだけで肝臓が縮みあがりそうな激情が、その重々しい声には満ちみちている。

「そのようだな、とは、どういうことだッ! 今日は、ルティムの長兄の婚儀の祝いなのだぞッ! それでこんなムントの餌を差し出すとは、どういう了見だッ! ルウとルティムはどの家よりも深く濃くつなぎ合わされた眷族であり……!」

「俺の知ったことではない」

その声に込められた気迫だけで、ダン=ルティムは非難の声を飲み込むことになった。

ぎょろりと大きなどんぐりまなこが、信じ難いものでも見るような目つきでドンダ=ルウを見る。

「知ったことではない……とは、どういう意味なのだ、ドンダ=ルウ?」

「俺は、ルウの家にとってもかけがえのない大事な宴のかまどをまかせる、とそこの小僧に命じただけだ。後のことなど、知ったことではない」

その言葉を聞くなり、ダン=ルティムは猛烈な勢いで俺を振り返った。

猛烈すぎて、ぶるんと頬の肉が揺れている。

「かまど番! お前は、ルウの家長にかまどをまかされて――これがルティムの婚儀の前祝いと知りながら、こんなムントの餌を用意したのかッ!」

「ムントの餌ではありません。これは『ギバ肉のステーキ』です。各人に、スペアリブ、肩ロース、モモの3種をご用意しました」

そんな説明をしている間に、ミーア・レイ=ルウやヴィナ=ルウたちは新しい皿を取りにかまどの間へと向かい、レイナ=ルウはジバ=ルウをお連れするために広間の奥の通路へと消えていった。

さて――

今、各人の前で湯気を立てている、その大皿の中身。

宣言した通り、『ギバ肉のステーキ』である。

そんなに噛み応えが大事ならこれでも喰らえ、とばかりに考案したメニューだ。

もちろんそれだけが理由ではないのだが、しかし、肉料理の定番と言えば、やはりこれだろう。

ステーキであるから、何も変わった調理などしていない。

ただひたすらに、焼き加減に気をつけたばかりである。

モモは、その名の通り、モモ肉だ。

肩ロースは、背中から肩にかけての筋肉。

そして、スペアリブは――肋骨から外していないバラ肉、だ。

どの皿に乗せられたのも、みっしりと肉のついた、立派な骨つき肉である。

だから、後ろ足の肉と見間違うこともまずありえないだろう。

その外見上のインパクトも、俺にとっては目的のひとつだった。

「こんな――こんなムントの餌を――」と、ダン・ルティムはまだ唇を震わせている。

森辺の民ならぬ俺にとっては、そのスペアリブこそが最高に美味そうに見えるのにな。

リブにはたっぷりと肉が付いていて、肩とモモのステーキも、厚みはおよそ2・5センチである。

重量は、ハンバーグ以上に目算だが、3種のトータルで、男衆が6~700グラム、女衆が3~400グラムぐらいになるように調節している。

ひとつひとつはちょっと小ぶりで厚みがボリューミーという形状でご用意させていただいた。

下ごしらえとしては、どの部位にもけっこうスジが多かったので、最初に切り込みを入れておく。

モモ肉に関しては赤身が多く焼きあがりが固くなりすぎてしまう怖れがあるので、綺麗に洗った土瓶で叩いて、少し繊維を潰しておいた。

あとは肉の片面に岩塩とピコの葉をまぶし、10分ほど時間を置いて、下ごしらえは終了だ。

強火で温めた鉄鍋に脂を落とし、そいつが十分に回ったら、塩コショウならぬ塩ピコした面を下にして投入。

焼き面がキツネ色に仕上がったら、鍋を弱火のかまどに移す。

火加減によるが、およそ1~2分もすれば上面に赤い肉汁が浮いてくるので、そのタイミングで裏返す。

さて。ここまでは実家の『つるみ屋』のステーキ定食(800円)の調理法であったのだが。相手は牛肉ならぬギバ肉だ。赤身を残すのは、ちと怖い。アイ=ファからも、「生焼けの肉など論外だ」と言われてしまった。

ということで、普段だったらこのまま弱火で続けて仕上げるのだが、ここで強火のかまどに戻すことにした。

レアやミディアムではなくウェルダンに仕上げるなら、弱火のみでは時間がかかりすぎてしまう。

そんなに長い時間焼いていたら、ただでさえウェルダンでは不足しがちな肉汁がどんどん流出していってしまうのである。

裏面も強火で一気に加熱し、そこに果実酒をぶちこんで、しばし蒸し焼き。

香り付けの果実酒は、最後の仕上げで使う店も多いようだが、我が『つるみ屋』ではこのタイミングで投入する。

ただの香り付けと、あとは蒸し焼きのための工程だから、これで「甘たるい」とは言われまい。

少しでも早く肉に火を通すために、この蒸し焼きの工程を外すことはできなかった。

で、アルコールがとんだタイミングで蓋を開け、焼き面がキツネ色になったら、弱火に戻す。

それで、すでに焼いてある表面に、今度は透明の肉汁が浮いてきたら、完成だ。

作業工程は、これでよしとした。

あとは、この工程で一番「活きる」肉の厚さはどれぐらいか、という試行錯誤だけだった。

肉が厚すぎると、けっきょく中に火を通すまで時間がかかるので、肉汁を失いパサパサになってしまう。

かといって薄い肉では、普段からルウ家でも頻繁に食べているはずの焼肉料理と大差なくなってしまう。

その試行錯誤の結果が、およそ2・5センチという厚さなのだった。

ステーキとしては、まあそれなりの厚さだ。

ウェルダンだから相当に噛み応えは増すだろうが、普段から固い干し肉をかじっている森辺の民には、問題ない。

厚さの限界に挑んだ、ギバ肉のステーキ。

アイ=ファに試食を頼んだところ、「はんばーぐに劣らぬぐらい美味い」とのお墨付きも頂けた。

そういうわけで。

俺はこの、自分にとっては「大失敗」でもある『ギバ・ステーキ』で、ドンダ=ルウに挑む決心を固めることができたのだった。

「……ギバの胴体なんぞを喰らうのは、腐肉喰らいのムントだけだッ!」

あらためて、ダン=ルティムがそう叫んだ。

「そうでもなければ、まともにギバを狩ることもできない、力のない氏族だけだッ!」

ん? それは初めて聞いたな。

「ファの家のアイ=ファ! お前は首からご大層なものをぶら下げているが、その角と牙は見せかけか!? お前は十分にギバを狩っているというのに、わざわざムントの餌を横取りして生き永らえているというのか!?」

ダン=ルティムの肉づきの良すぎる顔に、かなり危険な表情がたちのぼっている。

腰に刀を帯びていれば、間違いなくその柄に指を伸ばしていたところだろう。

「いや、そんな酔狂な人間がいるはずはない。ということは、貴様は、ルティムなどムントの餌を喰らっているのが相応だと、我が家を愚弄しているわけか……?」

「なるほど。ダン=ルティムが何に激昂しているのか、私にもようやく理解することができた」

と、アイ=ファの冷たく冴えわたった声が、ぐらぐらと煮え立ち始めていた室内の空気を一刀両断した。

何人かの人間が、ハッとした様子で振り返る気配がする。

「私の幼き頃、父ギル=ファが足を傷めて、狩りもままならぬ時期が続くことがあった。牙と角は目減りして、ついには干し肉しか食するものがなくなった。そんな折に、私の仕掛けた拙い罠に子供のギバがかかっていたので、私は母メイ=ファとともに、その小さなギバを丸ごと家に持ち帰ったのだ」

アイ=ファの口から直接両親の話が出るのは、珍しいことだった。

ちょっと息を飲む俺のかたわらで、アイ=ファは静かだが力強い声で言葉をつむいでいく。

「その際に、母はギバの足だけではなく、背中の肉も切り取って、焼いてくれた。ムントの餌を横取りして生き永らえるとは、つまりはそういう差し迫った生活を揶揄する言葉なのだな」

「……ああ、そうだ。飢えた人間は、ギバの胴体や頭すら喰らう。それは、森辺の民には許されぬ、弱さだッ!」

「了承した。たとえファのように小さな家でも、ルティムのように大きな家でも、角や牙を必要な分だけ集められるように狩人としてのつとめを果たしていれば、肉など足だけで事足りるからな。それが果たせぬ狩人というのは、確かに許されざるべき弱き狩人と言えよう。……家族を飢えさせる寸前にまで追い詰めたあの頃の父は、狩人としては失格だった」

ドンダ=ルウとすら渡り合えるアイ=ファは真っ向からダン=ルティムの眼光をはね返し、そして言った。

「ダン=ルティムは正しい。あれは、森辺の民には許されぬ弱さだった」

そして――さらにアイ=ファは、思いがけないことをした。

いくぶん冷たさは残っていたが、その口もとにうっすらと微笑をたたえたのである。

「ただし、私たちにルティムの家を貶める意図などあろうはずもない。この肉は、祝いの日に相応しい美味い肉だから、それをふるまっただけのことだ」

「美味い肉、だと――?」

さらに禿頭の巨漢が何かを叫びかけたとき、その息子が「父ダン=ルティムよ」と落ち着いた声をあげた。

「何を出されようと、これはルウの家のふるまいです。それに唾することこそ、しきたりに反しましょう。ムントの餌だろうが、ギーズのはらわただろうが、かまど番がともに同じものを食する限り、その恵みは享受せねばなりません」

「しかし、ガズランよ――ッ!」

「罪があるならば、それを問うのは食した後です」

その声は、アイ=ファ同様、最初から最後まで落ち着き払っていたが、その青い瞳は、感情を隠したいかのようにずっと伏せられたままだった。

なるほど。そういえばドンダ=ルウもあの夜に、食べ終えるまでは何ひとつ文句を述べようとしなかった。すべてを食べ終えた後に、ムントの餌だ魂を腐らせる毒だとわめき始めたのだ。

かまどを預けるのはその夜の生命を預けることだ、と聞かされた。

預けた以上は、どのような食事をふるまわれても、不平をはさまない。

ただし、その食事が食べた者の生命や魂を汚す代物だったら――その時こそ、信頼を裏切ったかまど番の責を、問うのだ。

もしも妻となる人間の魂を汚されたら、この実直そうな青年はどう振る舞うのだろう。

そんな想像は、するだけ心臓に悪いだけだった。

「お待たせしたね……」と、老婆のしわがれた声が響く。

あの夜と同じように、ジバ=ルウがレイナ=ルウに付き添われて、大広間にやってきた。

まだタコ入道のように顔面を真っ赤にしているダン=ルティムとその息子は右手で左肩をつかむような仕草とともに一礼し、アマ=ミンは逆の手を逆の肩に添え、一礼する。

「それでは、宴を開始する。おのおの、席につくがいい」

ひたすらに重々しく、じっとりとした怒りのにじんだドンダ=ルウの声が、そう告げた。