軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第129話  ちいさなメイドにできること

私はオリカ。

オリカ・フラベリム。

だんなさま――ジロー・アヤセさまのお屋敷で仕えさせていただいているメイドだ。

だんなさまが、あの鏡の中に閉じ込められて、もう何日にもなる。

みんなは鏡を直す方法を一生懸命探しているけれど、今のところなにも見つかっていない。でも、レベッカさんも、神官さまも探してくれている。きっと、すぐに見つかるだろう。

だから、私は私のできることをやろうと思う。

メイドの本分は屋敷を護ることだ。

今、屋敷のみんなが頑張っているのを支えるのが私の仕事だ。

まずは料理。

屋敷のみんなの分はもちろん、だんなさまの分もキッチリ作る。

食べるものは、向こう側に送ることができる。

だから毎日、栄養のあるごはんを作って渡す。だんなさまも、ちゃんと食べて食器を返してくれる。向こうの世界にごはんがないわけじゃないんだろうけど、それとこれとは話は別だ。だんなさまの分を作らないなんて考えられない。

とにかく、食べてくれているうちは安心だ。

食事という点では、どちらかといえばディアナさまのほうが心配だ。ぜんぜんご飯を食べてないから。

シャマシュさんが言うには、もう精霊力を保持する結界がないから、ご飯を食べずにずっと活動するのはハイエルフといえど難しい……ということだったけど、種族に関係なく、ごはんはちゃんと食べなきゃダメだと思う。

そういう点で、マリナさんは偉い。

マリナさんだって辛いはずなのに、あんなに元気に振るまっている。イオンさんが言うには、痛々しいほど訓練を頑張りすぎているから、それはそれで良くない……ということらしいのだけど。

イオンさんは、メイドの仕事も頑張ってくれるし、仕事を覚えるのも速い。

なんでもすごい天職持ちで、「将軍」と「聖騎士」と「魔術師」のトリプルジョブなんだとか。

そんな凄い人が、どうしてこの屋敷でメイドをやっているのかわからないけど、とびっきりの美人だし、きっとなにかワケありなんだろう。

とにかく、イオンさんが来てくれたお陰で、仕事には余裕ができた。

私にできること。

もうひとつだけある。

これを、みんなに協力してもらって、進めていこう。

◇◆◆◆◇

パレードが行われる日、私はだんなさまのサポートをする係として先に会場入りしていた。

パレードの後に、エリシェの中央広場で簡単なパーティーが行われるのだ。

パーティーの余興として、シャマシュさんが呼び出した召喚魔獣と騎士隊が戦う模擬戦も予定されている。

みんな、イオンさんやエトワちゃんも女騎士隊として参加するから、裏方をやるのは私とだんなさまだけ。

ちょっぴりだけ、私も参加してみたかったナ、なんて思ったけれど、だんなさまもいっしょだし、裏方でも全然問題なんかなかった。

だんなさまがニッポンから持ってきたお菓子やお酒、私とイオンさんとで作った料理を並べて、会場の準備を進めていく。

だんなさまは、少し遅れるという話だったけど、なかなか姿が見えない。用事ができちゃったっていうから、仕方がないのかもしれないけれど。

いちおう、みんな式の段取りは説明されているし、リハーサルも昨日やっている。万が一、だんなさまが来れなくても大丈夫だけど……。

結局、だんなさまが来ることはなかった。

パレード自体は大成功で、パーティーも余興も滞り無く進んだ。

料理もお菓子も好評だったし、市長から記念品のバッジを受け取る騎士隊のみんなはカッコ良かった。

もちろん、すぐに女騎士隊全部が受け入れられるってことじゃないんだと思う。

会場でも、女のくせに騎士なんて……とか、魔族やターク族までいるなんて下賤な傭兵と変わらない……とか、そんな声もチラホラ聞いた。

でも、大部分の人たちは、少なくとも表面的には友好的だった。

これから先、騎士隊がどうなるのかはわからないけど、レベッカさんがいくつか仕事ゲットしたって言っていたし、だんなさまが言っていたように少しずつでも確実に変わっていくのかもしれない。

パレードが終わって帰り支度をしていたら、ディアナさまのところに、胡散臭い商人風の男が話しかけてきた。何人もの護衛戦士をくっつけて、ジャラジャラとたくさんの宝飾品を付けていて、どこかのお金持ち商人のようだ。

ニヤニヤと笑いながら話す男は、どうやらディアナさまとは顔見知りらしい。

が、あまり良い関係の人ではないようで、ディアナさまは露骨に嫌そうだ。

ディアナさまのすぐ側に、仮面姿のヘティーさんが立って、なにげなくいっしょに話を聞いている。ヘティーさんも知ってる人なのかな?

私はなんとなく気になって、コッソリ側まで行って聞き耳を立てた。

どうやら、商人風の男は騎士隊とディアナさまを褒めちぎっているようだ。

「これほど素晴らしい騎士隊ならば、帝都でもマリシェーラでも、いくらでも活躍の場はあるでしょう。私ならばできる。なんでしたら、皇帝に進言して正式な騎士団として登用……というのも可能かもしれないんですよ?」

なんだか夢みたいな話をまくし立てている。

皇帝とか、正式な騎士団とか。そんな偉い人なのかな。そうは見えないけど。

「そんな話を私にされても困るのです」

あくまでツレない返事のディアナさま。

この感じは、ほんとうに興味がないパターンだ。

ディアナさまは、興味がないことには心底興味がない人……というか、自分の身内以外にはけっこう厳しい人だ。その代わり身内には甘いほどやさしいけど。

「この隊は、私のご主人さまのものなのです。私も含めて」

「ほう? しかし、ディアナ姫。あなた、奴隷紋はどうなさったのかな?」

「このパレードの為に一旦契約を解除したのです。それがなにか?」

「ほうほう。なるほどなるほど。ならば、あなたは別に誰のものでもない。違うかな?」

ウインクでもしそうな決め顔でそんなセリフを吐くポッチャリ体型の商人。

ヘティーさんの腕に見てわかるほどの鳥肌が立つ。

「奴隷契約なんて関係ないのです。私も、騎士隊も、ご主人さまのものなのです」

「へぇ……。では、そのご主人さまとやらと話し合う必要がありそうですな。して、そのご主人さまとやらは、どちらにいらっしゃるのかな?」

芝居がかった仕草で、キョロキョロと周りを見渡してみせる男。

なんだか、とても嫌な感じだ。

「今日は用事で少し遅れているのです」

「遅れる? もうパレードもパーティーも終わっているのに?」

「……なにがいいたいのです」

「いえ、なにね。このあたりも最近は物騒だという話ですし」

ニヤニヤと嗤う男。

とても、嫌な感じだ。

「……まあ、そんなことはどうでもよろしい。して、ディアナ姫、例のお導きのほうはどうなっているんです? 私はソロ家の名代として来ているのでね、騎士隊のことを抜きにしても、お導きのほうは、早めに達成していただきたいのですよ。達成できないのであれば、こちらとしても仕事をしなければなりませんのでねぇ……」

「お導きはもうすぐ達成できるはずなのです」

ディアナさまの特別なお導きのことは、ずっと前にだんなさまとディアナさまが夜中にお庭で話しているのを、マリナさんと隠れて聞いてしまったから知っている。

ディアナさまは、そのお導きを達成するために家を出て、もう二年間は経っているのだという。だんなさまとの馴れ初めも、そのお導き絡みらしい。

「ま、それなら良いのですがな」

男が肩をすくめる。

ヘティーさんがイライラと腕を組みながら指をトントンと動かしている。

「しかし、ソロ家としても余裕がないのでね。お導きの達成にもつながらない男のところで、いつまでも遊ばせておくわけにもいかないのですよ。……今、ディアナ姫が身を寄せている、そのご主人さまとやら……お導きとは無関係なのではないですか?」

「……いいえ、間違いないのです」

「ほう。しかし、どうして今日は来れなかったのでしょうね?」

「なにが言いたいのです」

「いえ、もし、もしもですよ? あの彼が死んだら――それが、お導きの定める運命だった……。そういうことになるのではないのですかな?」

「そんなことは……絶対にありえないのです」

奥歯にものが挟まったような物言いをする商人に、ついに痺れを切らしたのか、ヘティーさんが目にも止まらない速度で剣を抜き、男の喉元でピタリと止めた。

護衛の戦士たちも一歩も動けない早業。

「……なんだ貴様。無礼だろう、私を誰だと思っているんだ?」

喉元に当たる剣に視線もくれず、語気を強めてヘティーさんを睨みつけ、言う。

「もちろん知っているわよ。バルバクロ商会の一人娘を拐かして商会を乗っ取った、ソロ家当主の弟さまだったかしら」

「お、おまえ……! その声は…………!」

男が驚愕の声を上げる。

ヘティーさんが仮面を取り素顔を晒すと、男の顔がみるみる真っ青になった。

やはり知り合いだったようだ。

「ヘ……ヘンリエッタ……! おまえ……なぜここに……? いや、兄からは、お前は死んだと聞かされて……」

「ふふふ、私が死ぬわけないじゃない。ところで、私もこの騎士隊の一員なんだけど、叔父さま、それでもこの騎士隊が欲しいのかしら?」

「じょ、冗談じゃない……! 死神を懐に入れたいバカがいるものか」

「でしょうね。……で、叔父さま。バルバクロ商会で、大金持ちでしょうに、いまさらこんな騎士隊が欲しいなんておかしいわね? 確かに粒ぞろいではあるけど、それでも、あなたならいくらでも用意できるでしょう?」

「そんなことはない……。良い人材とは得がたいものだ」

「へぇ~…………嘘ね。叔父さまの目当てはディアナ様でしょう。最初はなにが目的かわからなかったけど、よく考えれば、それ以外にはあなたが直々に動く必要がないからね」

男の顔がさらに青くなる。

どうやら図星らしい。

「だから、こっち側に私も付いていたのだけど……迂闊だったわ。ねぇ、叔父さま。私のジローさまをどうしたのかしら。ずいぶん興味深い話をしていたけど? 返答次第では……ポンッ……よ? ……私はただでさえ、あなたを殺したくてずっとウズウズしていたんだから」

うわぁ、ヘティーさんカッコいい。

ヘティーさんが昔かなり有名な傭兵だったという話は聞いたけど、オーラというか雰囲気が段違いだ。

男の護衛をするはずの奴隷たちも、ジリジリと様子を見るだけで、全く動くことができない。

「しっ、知らん! 私はなにもしていない」

「しらばっくれてもダメよ。答えなさい」

ヘティーさんが底冷えする声音で言う。

「知らんもんは知らん! だいたいここに来ていない男のことなど知るわけがないじゃないか!」

男は、脂汗を垂らしながら、知らない知らないとシラを切った。

よほどヘティーさんが怖いのかかなり必死だ。

「でも、なにかしようとはしていたんでしょう? どうせジローさまを殺して、口八丁手八丁でなにもかも掠め取ってやろうとか、そんなこと考えていたんではなくて? ああ、いやだいやだ。ソロ家の男どもは、どうしてこうセコいのかしら。こんなのと血がつながってるかと思うと、本当に嫌になるわ。身の毛もよだつってこういう時に使う言葉なのかしら」

本当に嫌そうに吐き捨てるヘティーさん。

殺すって……。え、だんなさまが狙われてたってこと……?

じゃあ、今日来れなかったのは……?

「馬鹿な……。こんな田舎の商人相手にそんな手を使うものか。少し締め上げて金貨のひと袋でも握らせてやれば十分だと思っていたんだ!」

「ふぅん、ホントかしらね? ベッキーはどう思う?」

ヘティーさんが、少し離れた場所で様子を伺っていたレベッカさんに水を向ける。

レベッカさんも、わからないというように肩をすくめた。

私にもわからない。わからないけど、なにかしようとはしていたようだし、だんなさまが遅れている理由がこの男にある……その可能性は高そうに思う。

でも可能性だけで殺しちゃうというわけにもいかない……ってことなんだろうな。

「ま、しょうがないわね。今日は見逃してあげる。ジローさまにも話を聞きたいしね。それに、あなたの血でせっかくの騎士隊のお披露目を汚してもつまらないし。……でも、私がその気になったら、たとえ叔父様だろうといつだって殺せるってこと…………覚えておきなさい」

「くそっ……」

ヘティーさんが剣を引くと、逃げるように護衛奴隷を連れて男は去っていった。

「ヘ……ヘティー……? 今の話は……ご……ご主人さまは……?」

男が去り、気丈に振舞っていたディアナさまが唇を震わせてヘティーさんに訊ねる。

「申し訳ありませんでしたディアナ様。まさかジロー様を直接狙ってくるとは……。いえ、その可能性は十分あったのに、彼を一人にしてしまった私の責任です。……正直に言ってしまえば、私があの男より先に到着さえしてしまえば、あとはどうにでもなると思っていたのです。なんだったら、誘き寄せて殺してしまおうかと。そんな余計な考えまで持っていたのは否定できません」

「やめて! やめて! ご主人さまは大丈夫……! 大丈夫なはずなのです……! 身代わりの腕輪だって渡してあるのです……」

「もちろん、そう簡単にはやられたりはしないと思いますが……。いえ、確認しなければなりません。もうなにかした後なのか、まだこれからだったのか……」

えっ? えっ?

やっぱり、だんなさまが狙われて、殺されたかもしれない……ってこと?

うそ……。大丈夫……だよね?

だんなさま、すっごく強いってマリナさんだっていつも自慢してたし……。

ヘティーさんがみんなに事情を話し、とにかく屋敷へ戻ってみることになった。

「……私がちゃんとしてなかったからだわ……。護衛としてマリナを残していれば……。騎士隊とかパレードだとかで……浮かれてたのね」

「タイチョーは悪くないのであります。マリナが……マリナ、ずっと……ぜったい主どのから離れないって決めてたのに……」

「なんなのです、二人共! ご主人さまは大丈夫なのです! 今日も、ちょっとだけ向こうの用事が長引いているだけなのです……! ぜったい……それだけのことのはずなのです……」

みんな悲痛な表情だ。

パレードも上手くいって、これからというところだっただけに、ショックが大きい。

まだ、どうなったかわからないけど、人間というものは思いがけず簡単に死ぬものだ。

私の村でも、私と同い年の子が病気であっという間に亡くなったこともあった。荒事の世界で生きてきたという、レベッカさんやヘティーさんなんかは、私なんかよりももっとその感覚は強いだろう。

エリシェから出てすぐのところで、ディアナさまが悲鳴を上げた。

街道の地面の一部がベッタリと赤黒く染まっている。

「精霊力の残滓……。ここで身代わりの腕輪が使われたみたいなのです……」

「では、この血液はアヤセくんのものか」

ディアナさまが言うには、一度致命傷となる攻撃を受けたものが、身代わりとなって砕け散る「身代わりの腕輪」というものを、だんなさまに渡していたらしい。

それがここで使われた形跡があるという。つまり、ここで何者かに襲撃されて、致命傷を受けたということだ。

だが、だんなさまはどこにも見当たらない。

「……あ! クロであります! クロ!」

マリナさんのところに一頭の馬が走り寄ってきて、マリナさんに鼻を寄せる。

だんなさまの愛馬、 黒王号(クロ) だ。

騎手は不在。

クロはブルルといななき、悲しそうな目でこちらを見詰めてくる。

「……とにかく、屋敷にまで戻ってみましょ。いちおう……道中も気をつけてね」

レベッカさんが言う。

道中も気をつけて。

それは、どこかでだんなさまが倒れているかもしれない……という意味なんだろうか。

私は嫌な予感を、必死に振り払おうと頭を振った。

まだ、だんなさまになんにも御恩を返せていない。

こんな別れなんて、想定外だ。

屋敷の前まで辿り着いて、ディアナさまがまた悲鳴を上げた。

シャマシュさんも険しい表情であたりを調べている。

「ど……どうしたんですか?」

一瞬、だんなさまが無残な姿で発見されでもしたのかと、心臓が跳ねた。

だが、そうではなく、どうやら屋敷にかけられていた『結界』が壊れていたらしい。私にはわからないが、ディアナさまとシャマシュさんにはわかるのだそうだ。

私達は急いで屋敷へ走った。

屋敷の窓が一枚割れている。

急いで中に入る。家中探しても誰もいない。

あとは、あの部屋だけだ。

そして、だんなさまはそこにいた。

魔法の鏡が無残に割られ、その欠片の中に閉じ込められてしまっていた。

◇◆◆◆◇

だんなさまを襲い、鏡を割った張本人と思われる女の子が現場に立ち尽くしていた。虚ろな瞳で、ただ、ボンヤリと突っ立っている。

シャマシュさんが女の子を捕らえて(といっても別に抵抗もなかったが)、おもむろに背中をバグンッと開いた。

「この子はね『オートマタ』といって、精霊石や魔石を動力にして動く人形なんだよ。どうやら、この子を刺客として使ったようだ。さて、ちょうど精霊石が手に入ったから、ちょうどいい」

シャマシュさんが女の子の背中から精霊石を取り出すと、女の子は瞳を閉じて、その場に崩れ落ちた。すごく良く出来た人形だ。

後から聞いた話だが、このオートマタというのは精霊文明時代の遺物で、シャマシュさんもかつて一度しか見たことがないものなのだそうだ。

精霊石と魔石を動力として与えると、動く人形として主人の言うことを忠実に守るのだという。

それがここにいるということは、刺客として送り込まれたかしたのではないか……ということらしい。

しかし、人形は見たところ、ただの小さい女の子という感じ。これに、あんなに訓練しているだんなさまがやられるだろうか?

油断したところを、やられたのかな。

かわいい女の子の姿だし、そうかもしれない。

そんなことを考えている間に、精霊石はディアナさまに手渡されていた。

ディアナさまは、魂が抜け落ちたかと思うほど顔色を無くして、ショックを受け止めきれていない様子。

ディアナさまは、シャマシュさんに請われるがままに、魔法を唱え始めた。

精霊石を使った精霊魔法で鏡を直すつもりのようだ。

ディアナさまは限定的にしか魔法を使えないという話だったけれど――

薄暗い地下室が明るい光に包まれて、ディアナさまの精霊魔法が鏡に向かって放たれる。

「あっ……」

しかし、鏡は光を受け入れることなく幾条もの光球となって弾けて消えてしまった。

「…………ダメ……だったか。まさか、まったく受けつけないとは思わなかったな。やはり、製作者を見つけるのが一番早いんだろうが……しかし、これほどの品となると、おそらく間違いなく精霊文明時代の遺物……直すのは…………」

シャマシュさんが首を振る。

「……ダメそう、なんでありますか……? ひ、姫でもダメなんであります……?」

「マリナ……」

マリナさんが、ディアナさまの肩を揺さぶり縋り付く。

その深紫の瞳には大粒の涙が浮かんでいる。

「大丈夫……でありますよね? ほ、ほら、主どのがこっちを見ているでありますよ……! そんな、そんな悲しい顔をしてたら、うっ……う…………」

「わたしだって、こんなの……こんなことって…………」

――そうして、私たちとだんなさまは、こっちの世界とあっちの世界とで隔てられてしまった。

ほんの小さな鏡の欠片だけが、私たちを繋ぐ唯一のものになった。

◇◆◆◆◇

それから、しばらくディアナさまとマリナさんは泣いて過ごした。

しばらくして、マリナさんが「もっともっと強くなって主どのを絶対に守れるようにならなければ」と立ち上がり、朝から晩まで訓練するようになった。

ディアナさまは、片時も鏡の欠片を離すことなく、ずっと屋敷に閉じこもっている。

シャマシュさんは、鏡の謎を解くのだと言って、毎日ずっとなにかの研究を行っている。

あの鏡は、精霊術と魔術とで巧妙に編まれていて、そこまではわかっているが、逆に言えばそこまでしかわからないのだと頭を抱えていた。

シャマシュさんは、向こう側にいるだんなさまと意思疎通ができないかと、いろんなことを試していた。でも、どうしてもうまくいかなかった。

あまり無茶をして鏡がさらに割れたり機能を失うことを恐れたディアナさまが、シャマシュさんに鏡を触らせなくなった。

屋敷の結界もシャマシュさんがほぼ同じものを張り直してくれた。

クランメンバー以外は入れない強力な結界という話で、確かに村の人に野菜や飼料を届けてもらおうとしても、誰もたどり着くことができなくなった。前の結界は、かなり高度な魔法で編まれていて、シャマシュさんでも再現は難しいのだという。

自分がこんなに不器用だったのかと思い知らされたと、彼女は自嘲気味に笑ったが、ドラゴンすら呼び出せるような人でも、悩みはあるのだなと変に感銘を受けたものだ。

レベッカさんは、ヘティーさんといっしょに外で鏡の直す方法を探してくれている。

それとは別に、今回の件で、こないだの派手な商人を殺すことに決めたとかで、現在「ヘティーさんの元傭兵隊の子たち」を招集して、ジワジワと追い詰めている最中なのだとか。

ただ、レベッカさんはだんなさま自らの手で殺させたいとかで、ヘティーさんにストップを掛けているらしい。なんでも「人を殺す経験としては、これ以上にないチャンス」だからなんだとか。

レベッカさんはだんなさまといる時は普通の優しいお姉さんだけど、本当はけっこう厳しく怖い人なのだ。

「レベッカさんだけは怒らせてはいけない」

村の人間なら誰でも知っていることだ。

イオンさんは、屋敷の仕事もしながら、マリナさんの訓練に付き合っている。

かなりハードな訓練を続けているようで、毎日ヘトヘトになって帰ってくるのに、真面目だからか、さらに屋敷の仕事もやろうとするんで止めるのが大変だ。

でも、マリナさん一人では心配だし、イオンさんくらいしか今は付き合ってあげられる人がいない。イオンさんがいてくれて良かったと思う。

エレピピさんは、エトワちゃんと二人でエリシェのお店を守っている。

新しいお店は、とりあえずオープンを先延ばしにしているという。

本当は、パレードの熱があるうちに開店したかったそうだが、店主抜きで弟子が店をオープンさせるわけにはいかないのだとか。

もともとのお店を続ける分の在庫は、屋敷にかなりストックされていたので、まだしばらくは大丈夫とのこと。

ただ、いずれはなくなるので、それからのことを考える必要があるかも……とエトワちゃんは心配していた。

私たちの生活は、全部エリシェのお店の売上に依存している。

騎士隊が収入を得られるようになるまでは、まだかかるだろう。

もし……。

もしも、このままだったら。

私はこの屋敷にはいられなくなるのだろうか。

精霊石分の借金は、もしかするとチャラになるのかもしれないが、そんなことはどうでもいいのだ。私は、だんなさまに仕えていたかったのだから。

夜の空いた時間に勉強を見てくれただんなさま。

だんなさまの故郷の言葉だという「にほんご」は難しかった。

辞書だってないから、一語ずつ自分でノートに書いて作ったくらいだ。

まだ全然できてない。

せっかく「他言語を習得しよう」なんてお導きが出ているのに。

私の天職は「書記」なのに。

「あ。そうか」

だんなさまに、手紙を書こう。

ふと、そう思った。

だんなさまはルサド文字が読めないし、ルサド語もしゃべれない。

でも日本語なら、意思疎通できるのだ。

どうして、すぐに気付かなかったのか、自分のバカさ加減が嫌になる。

でも、きっと大精霊様は、この時の為に、私にこの天職とお導きを授けてくださったのだ。

そうと決めたら行動は早かった。

まだ手紙を書けるほど、日本語のこと全然わかってない。

単語はともかく、文章を書くのは厳しい。

でも、泣き言なんて言っても仕方がない。向こう側で、だんなさまがどんな気持ちで過ごしているのかわからないのだ。

それに、だんなさまからのお返事だって貰える。

解読は難しいかもしれないが、やれるはずだ。

「よし……! イオンさんマリナさん。ちょっといいですか」

私は二人に事情を話して、屋敷の仕事の大部分を手伝ってもらうことにした。

私が手紙を書くには、少し時間が必要だ。

今までみたいに片手間ではダメだろう。

二人は快く引き受けてくれた。

その代わり、メッセージを伝えて欲しいという。

もちろん最初からそのつもりだったので快諾した。

メッセージは全員分集めよう。

◇◆◆◆◇

手紙が書き上がったのは、それから20日ほど経ってからだった。

ほとんど「ひらがな」ばっかりだけど、よく書けていると思う。

ちゃんと意味が伝わればいいんだけど……。

みんなからのメッセージは、すでにマリナさんが集めてくれていたので、ちゃんとそれも書いてある。

あとは、ディアナさまの分だけだ。

「あ、あの……ディアナさま」

「どうしたの? オリカ」

「私……だんなさまに、日本語で手紙を書いたんです。これまでのこととか、みんな元気です……とか」

「知ってるわ」

「それで、みんなにメッセージを貰ってて……あと、ディアナさまの分だけだから。だんなさまへのメッセージ、どうしますか」

ディアナさまは、優しく微笑んでいるけれど、ここひと月ほどで、少し痩せた。

散る寸前の花みたいに、儚げで、美しく、痛々しい。

ディアナさまも、だんなさまから返事が来たらきっと少しは元気が出るんじゃないかなって思う。

「では…………こう書いてくれる?」

ディアナさまからのメッセージを書き込む。

よし、これであとは渡すだけ――

「オリカ。少し、自分で書いてもいい?」

「え、でもディアナさま……」

「わかっているのです。一言だけ」

ディアナさまが、一言だけルサド文字で愛の言葉を書き込んだ。

ふたりは私から見ても、本当に仲良しだった。いつもいっしょにいて、微笑みを絶やしたところを見たことがない。

今、ディアナさまもだんなさまも身を切られる苦しみの中にいる。

恩返しというにはささやかすぎるけど、この手紙で少しでも喜んでくれればいいな。

完成した手紙に封をして、表に「だんなさまへ オリカより」と書いた。

本当はみんなのメッセージもあるんだし、「みんなより」とかのほうがいいのかな? と思ったけど……いいよね。

手紙は、直接手渡しだ。

時々、だんなさまが鏡からこちらへ手を出す時があるから、そのタイミングで渡せばいい。

ディアナさまに手紙を頼み手渡すと、次の瞬間、ポンッという音と共に小さな女の子が空中に出現した。

「あっ! えっ、ええ?」

お導きを達成したことがある人から、聞いたことがある。

精霊さまは、手にステッキを持ち、くるくるの金髪に可愛い帽子をかぶっていて、小さい羽を震わせてフワフワと浮かんでいるって。

今、目の前にいる、この子がまさに――

「せ……精霊さま……? じゃ、じゃあ……?」

「はい。よく頑張りましたねオリカ。初めての『お導き』の達成、おめでとう」

「えっ、でもまだ習得なんていうほど、ちゃんと……」

「ちゃんと、言葉で想いを伝えることができるのなら、それは習得したと言ってもいいのですよ。では、これがあなたの初めての精霊石になりますね。大切にお使いなさい」

ポンッと精霊さまが姿を消す。

私の手には、透明な精霊石が握られている。

私は迷わず、その石もいっしょに渡してもらうことを選択した。

これで一つだけ恩が返せる。

精霊石がひとつあれば、一年は暮らせると言われている。

これで、鏡が直るまでの時間的な猶予にも余裕ができるだろう。

私は、手紙と精霊石をだんなさまが受け取ったのを確認して、ホッと息を吐いた。

さあ、屋敷のお仕事も溜まってる。そっちも頑張らなきゃね!