軽量なろうリーダー

アリスと呪われた漆黒の翼

作者: 荒瀬ヤヒロ

本文

庭で一人、雑草を抜いていると、私を呼ぶお父様の声が聞こえてきた。

「アリス! アリスはどこだ!?」

珍しい。お父様が私の名前を呼ぶだなんて。

我が家はお兄様が一人、お姉様が三人いて私は末っ子。私を産んで間もなくお母様が亡くなったためか、お父様は私に関心が無く存在を忘れられがちなのだ。

「なんでしょう?」

「おお、アリス! 喜べ、お前の婚約が決まったぞ!」

庭から戻ると、お父様は興奮気味に叫んだ。

「アディロフ公爵様に嫁ぐのだ! 公爵家に嫁げるなんて名誉だろう!」

はい?

確かに、下位の伯爵家でしかない我が家が公爵家に嫁ぐだなんて、普通ならあり得ない。

つまり、これは普通の縁談ではないのだ。

「良かったじゃない! アンタみたいなぼーっとした子が公爵様の妻になれるだなんて!」

喜々として口を挟んできたのは長女のドロシーお姉様だ。

「呪われた公爵様にせいぜい可愛がってもらいなさいよ!」

三女のロザリンドお姉様も顔を突っ込んでくる。

人の嫌がることが大好きな姉達はすごい嫌らしい顔つきで笑っている。私と違ってきっちりマナー教育を授けてもらったはずでしょうに、品性の欠片も感じられないのはどうしてなのかしらね。

それはともかく、呪われた公爵様って……

「アディロフ公爵は呪われてるんですか?」

「何よ! 知らないの? どんくさいわね!」

「有名な噂よ! 皆知ってるわ!」

そりゃ、私はお姉様達と違って社交なんてしたことがないし、炊事洗濯が忙しくて家からほとんど出れないんだから噂を聞ける訳がないでしょう。どんくさいとか関係ない。

「今まで何人もの令嬢が婚約したけれど、その誰もが恐ろしくて一週間もせずに逃げ出したんですって!」

姉曰く、

・公爵は青白い肌と血のような赤い目を持つ不気味な容姿

・突然苦しみ出したり呻き声をあげたりする

・何かに取り憑かれたような目で不吉な言葉を吐く

・土砂降りの雨の中でずぶ濡れで立って、空に手を掲げ悪魔に呼びかけていた

・公爵家の地下には黒魔術の魔法陣が書かれている

・公爵家を囲む黒い森には恐ろしい魔物が棲む

・逃げようとすると「ここで見たものは全て忘れるように」と脅された

・逃げ出した令嬢の親が国王に公爵の異常性を訴えたが、国王は悲しげに顔を曇らせ、「あれはもう手遅れなのだ。あの地に封じておく以外にどうしようもない……」と苦しげに語った

らしい。

いくらかは尾鰭が付いているのだろうが、複数の令嬢が逃げ出しているということは公爵に何か問題があることは確かなのだろう。

「持参金も出せないし姉達のせいで我が家への婚約申し込みはゼロだ!家のために嫁ぐんだ!いいな!」

お父様は一方的に命じて去っていった。

お姉様達はにやにやと下卑た顔つきで笑いながら去っていった。

父が普段は忘れてる私を思い出すぐらいだから、公爵家からの条件がよっぽど良かったのだろうな。持参金はいらない上に支度金までもらえるのかもしれない。

公爵家から持ちかけられたのか好条件に父が飛びついたのか、どちらかは知らないが、私に選択肢などない。

「呪われた公爵か……」

でも、呻き声をあげる公爵とキンキンうるさい姉の声だったら、もしかしたら公爵の方がマシかもしれない。

思わずそう考えてしまって、私は肩を落とした。

***

我がソレート伯爵家は現在、窮地に陥っている。

長男を筆頭に、四人姉妹。その末妹が私、アリスだ。

長女のドロシーは同じ伯爵位の嫡男と結婚したが、浮気して離縁され出戻ってきた。

次女のフランシスは親の決めた婚約者を捨てて使用人と駆け落ちした。

三女のロザリンドは生来の意地の悪さで身分が下の令嬢をいじめていたことがバレて婚約破棄された。

長女は家でヒステリーを起こすし、三女は全部を他人のせいにして周囲に当たり散らす。

おまけに、三人の慰謝料と賠償金で我が家は没落寸前。

末っ子の私は逃げ出した使用人の代わりに忙しく働いていたんだけど、どうやら「家柄は問わない。身一つで引き受ける。何も訊くな、金は出す。」と違法な暗黒求人みたいな花嫁募集にお父様が飛びついたらしく、呪われた公爵ことアディロフ公爵と婚約する運びになった。

貴族の結婚はすぐには出来ない。三ヶ月から一年の婚約期間が必要なのだが、婚約期間中に行儀見習いという名目で相手の家に住むことは珍しくない。

お父様は向こうの気が変わるのが怖かったのか、さっさと金を手に入れたかったのか、或いはその両方かで、貴族に嫁ぐ教育なんかまったく受けたことのない私に付け焼き刃の教育を施すことすらなく公爵家へ送り出した。

文字通り身一つで馬車に乗り込む私に、長女と三女はキンキンギャラギャラとした声で笑ったり馬鹿にしたりからかったりしてくれた。お父様は見送りにも現れなかった。

この婚約に激怒して最後までお父様に反抗してくれた兄夫婦だけが真の意味で私を見送ってくれた。

「すまない……何も出来ない兄を許してくれ……」

「辛かったら帰ってきていいのだからね。我慢などしては駄目よ」

十歳年上のお兄様と、今は兄嫁となった婚約者の実家が娘が将来嫁ぐ家の末の妹を気にかけてくれなければ、私は赤ん坊のうちに死んでたんじゃないかな?

家にはお金が必要だし、この伯爵家は兄夫婦が継ぐ家だ。

兄夫婦のためだと思えば、辛くはない。

最低限の着替えだけ詰めた小さな鞄をお供に馬車に揺られて、私は呪われた公爵の元へと向かった。

出発した時から空はどんよりしていたが、公爵領に入る頃には雨が降り出した。

雨は徐々に勢いを増し、公爵家の城に着いた時には土砂降りの大雨で雷鳴も鳴り響いていた。

***

ひどい雨と雷だ。

馬車から降りるのを躊躇ってしまいそうになるが、外を見た私はぎょっとした。

ぴしゃーんっ

雷鳴が響いた。白く浮かび上がる城の前に、傘も差さないで立ち尽くす人影がある。幽鬼のような姿だが、恐らく生きている人間だろう。いったい、何があったのだろう。

私は馬車を降りて、人影に駆け寄った。

「あの! どうかなさいましたか?」

人影は俯いたまま応えない。私は雨に打たれてあっという間にびしょ濡れになった。彼はいつからここに立っているのだろう。

「とにかく、中に入りませんか!?」

「……雨は、」

激しい雨の音の中に、低い声が紛れる。

「雨は、この汚れた魂を洗い流してくれる……」

「はい!?」

思わず訊き返したのと同時に、城から慌てた様子の使用人が走り出てきた。

「申し訳ありません! お嬢様を雨に濡らすなど……すぐにお入りください!」

傘を差し掛けてくれた使用人に促され、城の方へ足を向ける。

「あの、この人は……」

「大丈夫です!」

何が大丈夫なのかわからないが、使用人は私を連れて城の中へ駆け込んだ。

「すぐに湯浴みの準備を」

「はっ」

奥から現れた気高い雰囲気の御夫人が使用人に命じ、私の前へと歩み寄る。

「私は前アディロフ公爵の妻です。貴女はソレート伯爵家の令嬢ですね」

「は、はい。アリスと申します」

ぽたぽたと前髪から垂れる水滴を除けながら、私はおずおずと尋ねた。

「あの、外に誰か……」

「大丈夫です」

皆まで言う前に、前公爵夫人に遮られた。何が大丈夫なんだろう?

とても気になったが結局答えてもらえず、集まってきた侍女達によって丁重に浴室に案内されてしまった。

びしょ濡れの服を脱がされ、もの凄く豪華なお風呂に入って温まるように言われた。雨に濡れたのは僅かな時間だけれど冷えたのは確かなので、お言葉に甘えて湯船に身を沈めた。

体が温まって、ほっと息を吐く。冷えだけじゃなく、馬車に乗って凝り固まった疲れもとれていく。

実家ではゆっくりお風呂に入るなんて出来なかったから、すごい贅沢をしている気になる。

「ふう……」

私は息を吐き出した。

「……汚れた魂?」

湯船の中で、こてんと首を傾げた。

***

お風呂から上がると、侍女の方が綺麗なドレスを着せてくれた。

見たことがないほど上等な生地のドレスなので恐れ多かったが、裸でいる訳にもいかないので素直に着せていただいた。

応接室に案内されると、前公爵夫人が優雅にお茶を飲んでいた。

「あら。ドレスのサイズは大丈夫だったかしら?」

「は、はい。あ、ありがとうございます……」

「うふふ。お座りになって。お茶を飲みましょう」

ソファに腰を下ろすと、侍女の方が音もなくお茶を淹れてくれる。温かい色と湯気を見て、私がいなくなって兄夫婦はどうしているだろうと気になった。私を差し出すのと引き換えに公爵家からいくら貰ったのかは知らないが、どうかそのお金で兄夫婦のためにまともな使用人を雇っていてほしいと切に願う。

「あの、私、本当に身一つで来てしまった上に、令嬢が受ける教育をまともに受けていなくて、到底公爵家に嫁入り出来るような娘ではないんです」

とにかくそれだけは伝えておかなくてはなるまい。私は俯いて一生懸命に喋った。

「私の父がどのような話をしたが存じませんが、きっと当家に都合のいいことを並べ立てたことと思います。どうかお許し願えないでしょうか。私、下働きでもなんでも致しますので」

家を出る前にお義姉様に教えて貰ったが、前アディロフ公爵夫人は国王陛下の妹君だそうだ。つまり、目の前の前公爵夫人は元王女殿下、その息子の公爵は国王の甥である。うちの親父はよく私程度を売り込もうと思えたな? 心臓に毛が生えているのか。

「まあ、アリス様。下働きなどとんでもない。私は出来ることなら貴女にこの家に嫁いでほしいと思っています」

前公爵夫人はとんでもないことを言う。

「既にお聞きお呼びでしょうが、我が息子、アディロフ公爵には……人前に出せぬ理由がありまして。それでも最初は、社交界に顔を出さずとも縁談は来ていたのですが、それも六人目の令嬢が逃げ出した時点で無くなりましたね」

そう言って、ふっと、自嘲のような笑みを浮かべる。

「呪われた公爵……ええ、まさに呪われているのです。これまでの令嬢達も奇矯な行動と言葉に怯え、もっとも長く耐えた者でも一週間……もう、諦めるべきと知りつつも、もしかしたら呪われた我が息子を受け入れてくれる女性がいるかもしれないとの想いを消せず……」

「夫人……」

私には母の記憶がないが、きっと世の母親とはこうしたものなのだろう。

子供が呪われたと言われても、決して見捨てはしない。

私は、呪われているといわれる公爵様が、孤独ではないのだと知って少し安堵した。

***

「え、と……ところで、前公爵夫人。さっき外にいたあの人は大丈夫で……」

「大丈夫です」

外にいた人のことを尋ねようとすると、またしても食い気味に大丈夫と言われる。

でも、びしょ濡れだったし、それこそお風呂で温まらないと風邪を引いてしまうのでは……というか、彼はいったい何だったのか……

私が今さらな疑問に辿り着いた時だった。

「ふははは! 俺様の眷属が雷鳴を轟かせているぜ! 闇を切り裂く光の刃がこの城を囲む悪魔の手先どもを一掃した! 安心するがいい!」

応接室に突如、黒いものが飛び込んできた。

よく見ると、先ほど雨に打たれていた彼だ。風呂上がりなのか、ほかほかと上気した頬と、乾いた黒い服を着ている。良かった。お風呂入ったんだ。

「おい貴様!」

「はい?」

いきなりの貴様呼ばわりの上、指先をびしっと突きつけられて、私は唖然とする。マナー教育なんぞまるで受けていない私でも、人を指さしてはいけないぐらい知っている。

黒づくめの男の人は、私を指さしたまま言った。

「貴様も迷い込んじまったんだな……ここは闇の魔物の力が強い。奴らは旅人を惑わす。この城に辿り着けただけでも運が良かったと思え」

「はあ……?」

「エイダン。初対面の淑女にその態度は何です。まずは名乗りなさい」

戸惑う私を見かねたのか、前公爵夫人が男の人を窘めた。

「ふっ。我が名を聞きたいか……漆黒の翼を持つ闇の代弁者、エイダン・ヴォルフライム・グレンガルド・アディロフの名を!」

僕の考えたカッコいい主人公の名前……!

これってもしかすると……

私が視線を送ると、前公爵夫人はそっと目を逸らした。

ははーん、なるほど。

ここまでの流れで、どうやら先ほどまで土砂降りの雨の中で汚れた魂を洗っていた青年は、私が会いに来たエイダン・アディロフ公爵その人だったとわかった。

そして同時に、何故彼が呪われていると言われるのかを理解した。

(なんてこと……)

私はかつて、村の子供達を眺めていて気づいたことがあった。

十四、五歳くらいの年の男の子は、他の子供と雰囲気が違うのだ。彼らは皆一様に顔を斜めに俯かせ、首元を押さえたり腕を掴んだり、時に額を押さえて小さく首を横に振ったりしていた。

そして、その子供達もまた、黒い服を好んでいた気がする。

当時まだ働いていた我が家の侍女から、「男は十代の中頃になるととある病気にかかるのだ」と教えてもらった。

間違いない。公爵はその病気にかかっている。

いや、本来十六、七になれば自然に治癒するはずのその病気が、公爵は治らなかったのだ。

呪われているのではない。公爵は、患っているのだ。

***

十代中頃の男性がかかる病気。

その病気にかかると、言動がおかしくなり人によっては幻覚が見えることもあるらしい。初期症状としては、黒い服を好むようになる。

私の兄はとても穏やかで真面目な性格だが、それでも一時、黒い服ばかり着ていた時期があった。

公爵は今、二十五歳だと聞いた。

罹患して十年、治らないまま苦しんできたのだ。この病に治療法はなく、自然に治るのを待つしかないという。

「くっ……かつてダークドラゴンとの戦いで負った古傷がっ……」

公爵が苦しげに呻きながら右手を押さえる。

「……見ての通り、この奇矯な言動を恐れた令嬢達に逃げられて……」

前公爵夫人がくっと顔を歪める。彼女はとても苦労したのだろう。

確かに、いきなり闇の波動が云々とか言われたり、片目を押さえて「うっ! 煉獄の炎が見える!」とか言われたら怖いだろう。

でも……私は、ほっとした。

患っているとわかれば、何も怖いことはない。

「前公爵夫人……この病はある日突然に治ることも多いと聞きます。どうか諦めないでください」

「ううっ……アリス様……」

私は涙にくれる前公爵夫人を励ました。

「私でよければ、お手伝いいたします! 一緒に、いつか治る日を信じて頑張りましょう」

「アリス様っ……ありがとう。ありがとう」

その後の話し合いで、私は公爵——エイダン様の婚約者となることに決まった。

私はエイダン様の病が治るまで身の回りのお世話をする使用人で良かったのだけれど、前公爵夫人レオナ様と公爵家の使用人の方々から「婚約してください」と泣いて頼まれてしまった。

まあ、どうせエイダン様の病が治るまでだし。

噂ではなにやら恐ろしげに描写されていたが、実際のエイダン様はただ患っているだけで、容姿は非常に優れていた。銀色の短髪にルビーのような赤い目を持ち、すらりとして背が高い。ダークドラゴンとの戦いに備えて鍛えているせいか、騎士のようにたくましい。

病さえ治れば、モテモテだろう。令嬢達が放っておく訳がない。そうしたら、彼は自分の身分に釣り合う立派な令嬢と結婚できる。

私が公爵家のために働いたという事実があれば、地に落ちた我が家の評判も少しは回復するかもしれない。

お父様とお姉様達はどうでもいいが、お兄様とお義姉様が跡を継ぐ頃にはもっとマシな状況になっていてほしい。

そのためだと思って、頑張ろう。

***

「おはようございます。エイダン様」

扉をノックして、声をかける。

「入りますね」

扉を開くと、エイダン様が壁に張り付いて窓の外の様子を窺っていた。

「アリス……っ、身を屈めろっ! 今日はなんだか嫌な予感がしやがる……っ! 外に得体の知れない奴が潜んでいる気がするぜぇっ!」

毎朝恒例の朝の発作だ。今日は「外が危ない」バージョンだな。

発作を治めて食堂に連れて行くのが私の日課だ。

「エイダン様っ……! あれをご覧になってくださいっ」

「何っ……!?」

私が駆け寄って指さした窓の外、木の枝に一羽のカラスがとまっている。

「あ、あいつはっ……」

「あれは、黄泉の国の魔導士の使い魔です……っ、こちらを見張っています!」

「やはりか……」

「おそらく、昨日は風が強かったから、強風に紛れて公爵家の結界内に入り込んだのでしょう」

「くっ、狡猾なっ……」

エイダン様が悔しげに歯を食いしばる。

「エイダン様、ここは私にお任せください」

「しかし……」

「私もエイダン様の元でかなりの力を付けました。使い魔などに負けはしません。私を信じて、先に食堂へ行っていてください」

「アリス……わかった。お前を信じよう。お前はこの漆黒の翼の愛弟子だからな!」

いろいろとアドリブの多い会話を交わし、エイダン様に先に食堂へ行くようにお願いする。

「気をつけろよっ」

「はい」

エイダン様は無事に部屋を出ていった。

さてと。

「もういいですよ」

「お疲れさまです、アリス様」

スタンバイしていたメイド達が部屋に入ってきて寝具を直したり服を片づけたりし始める。

私は一息おいてから部屋を出て食堂へ向かった。

公爵家で暮らし始めてから三ヶ月が経った。

色々と試してみてわかったのだが、エイダン様の病は無理矢理抑えつけようとすると余計に酷くなるということだ。

公爵家の人々もこれまでに荒療治を試したことがない訳ではないらしい。けれど、言動を抑えつけると、次の発作がより重症になる。

話を合わせてやった方が、何事もスムーズに進むしエイダン様の調子も良くなる。

そのため、私はいつの間にか「漆黒の翼の愛弟子アリス・クリーアス・メロディアン・ソレートン」となっている。

本名はアリス・ソレートだ。

***

民の中に紛れた影の暗殺者を探すため、私はエイダン様に連れられて街に来ていた。

「いいか。油断するなよ、アリス」

エイダン様は鋭い目で辺りを見回す。周りには私の他に護衛騎士が二人付いてきている。

「ここで迷ったら命はないと思え……絶対に、俺を見失うなよ」

「はい。絶対に見失いません」

エイダン様はお気に入りの黒いマントをなびかせているので、遠くから見てもたぶんすごい目立つ。

領民の皆さんももう慣れっこなのか、エイダン様が多少挙動不審でも誰も気にしていないしこっちを見もしない。

何事もなく外出を終え、城に戻ってくると、エイダン様は執務室に引きこもる。

病さえなければ、エイダン様は非常に優秀な方だとこの三ヶ月で確信した。

「ローディ。柑橘類の値段が少し上がっていた。今はまだ気にするほどではないが、もしかしたら南の国で冷夏だったのかもしれない。来年の我が国が冷夏に襲われる可能性があるか調べ、必要に応じて対応策を」

「かしこまりました」

執事と一緒にそうやって仕事をしている姿を見ると、とても患っているとは思えない。一緒に街を歩いていたというのに、私は物の値段なんて見ていなかった。

エイダン様は患ってはいるが、領民のことをきちんと考えてもいるのだ。

尊敬する。

「そうなのよ。あの子は本当は誰より優秀なの。だから、アリスちゃんも安心してちょうだい」

レオナ様は三ヶ月前に比べて明らかに血色がよくなっている。

「息子の嫁が決まって肩の荷が降りたのよ~。という訳で、式はいつにする?」

最近は毎日のように「式の日取り」を尋ねられる。私は仮の婚約者のつもりなのだけれど、これまでに令嬢に逃げられすぎてレオナ様も使用人の方々も焦っているのだろう。

「エイダン様にはもっとふさわしいご縁がありますよ」

「いいえ。このご縁を逃したら我が家は闇の波動に飲み込まれるだけよ」

「その通りです奥様!」

「この際、多少強引な手を使ってでも既成事実を……っ」

レオナ様と使用人の方々は最近、私の方を見てこしょこしょ内緒話をしていることがあるが、なんなのだろう?

「おいアリス! 俺様は森に住まう地獄からやってきた魔獣ドィグルスを倒しに行く! ついてこい!」

「はーい」

「ここから先は魔の森だ! はぐれたら死ぬぜ! 俺達を惑わせようとする堕天使の声に気をつけろ!」

今日は天気が良く、森からは小鳥の声が聞こえてくる。ピクニック日和だ。

***

「アリス! この契約書にサインしろ!」

「はいはい。闇の主従契約書ですか? 地獄の亡者を呼び出す悪魔との契約書ですか?」

エイダン様から差し出された書類を受け取り、一応名前を書く前に内容に目を通す。てっきりエイダン様お手製の背いた者に死を与える呪いの契約書かと思ったのに、滲みも歪みもしないきちんとした字が書き込まれたそれは婚姻届だった。

「……えーと?」

「お前がここに来て四ヶ月になる。国王陛下から「相手の目が覚めないうちに籍だけでも入れておけ。本人のサインさえ手に入れればわしが裏から手を回してなんとかしてやる」とせっつかれていてな。母上や使用人達もうるさいし。だから結婚するぞ」

「いやいやいや」

そういえば国王陛下って患ってる甥を「手遅れだ」って言ってたんだっけ? 諦めんなよ。

「エイダン様。焦ることはありません。今後、エイダン様にはもっと素敵な出会いが待っていますよ」

私は契約書を差し戻してにっこり微笑んだ。

エイダン様がもう少し落ち着いたら、社交界で花嫁探しをすればいいだろう。国王の甥の若き美形の公爵だ。

本来は、私のような没落寸前の家の、令嬢とは呼べない無教養な娘がお側に居てはいけない御仁なのだ。

だから、私は期待も勘違いもしてはいけない。エイダン様とのアドリブ会話が楽しくても、魔獣の棲む森を二人で探検する時間がいつまでも続いてほしいと思っても。

「エイダン様がお好きになったお相手と幸せになってください」

「俺はお前が好きだが?」

きょとんとした顔をされて、私は目を丸くした。

勘違いするな。エイダン様は、闇との戦いに付き合ってくれる私を気に入っているだけだ。他意はない。

「エイダン様、それは……」

「お前は、初めてここに来た日、ずぶ濡れの俺を見て自分が濡れるのも厭わずに大雨の中に飛び出した。雨の中に立つ男に怯えもせずに、俺の心配をしていた。あの時既に、俺はお前と結婚すると決めていたぞ。というか、お前もいずれ結婚するつもりで婚約者になったんじゃないのか?」

そう言われて、私は言葉をなくした。

エイダン様が私を婚約者と認識していたことにまず驚いた。弟子とか主従として扱われているとずっと思っていた。

「式には国王陛下も招くからなー! 母上は王妃様から王都の最新のドレスデザインを取り寄せてウェディングドレス選びに夢中だから、勝手に決められたくなきゃ話し合いに参加しろよ」

式とかドレスとか、自分には一生縁がないと思っていたことを言われて頭が混乱した。

サインはちょっと待ってもらった。

「母上は明るく華やかな式にするって張り切ってるぜ。俺としては、地下で荘厳に行うのも捨てがたいがな!」

どんな式であれ構わないけれど、本当に私が公爵の妻になっていいのだろうか。エイダン様のお手伝いをしているから、少しずつ領地のことは学んでいるけれど、自分が公爵夫人になっていいのかと思うと自信がない。

それから一ヶ月ほどうだうだと悩んでいた私の元に、一通の手紙が届いた。

***

お義姉様からの手紙を受け取って、私は首を傾げた。

お義姉様とお兄様とは定期的に手紙のやりとりをしているが、先週手紙が来て返事を送ったばかりなのに。もしかして、何か緊急の用事だろうか。

封を切って中を確かめた私は、怒りで目の前が真っ赤になった。

お義姉様の手紙はお兄様が倒れたことを知らせるものだった。

過労と精神的な疲労が原因らしい。

まず、長女が既婚者である侯爵に言い寄って、侯爵の奥方とそのご実家から訴えられた。

その最中に、使用人と逃げた次女が現れて厚顔無恥にも金の無心をしてきたという。追い返したが連日門の前で騒いでいたそうだ。

さらに、新しく使用人を雇ったものの、三女が酷くいびったために全員逃げ出してしまった。

お父様はお兄様に仕事も面倒事の処理も押しつけて飲んだくれている。

現在はお義姉様がご実家に頭を下げて、お兄様を看病するために使用人を借りている状態だという。その使用人達にも父や姉達は自分の家の使用人であるかのように好き勝手に命令しているようだ。

お兄様は倒れてからずっと私の心配をしているそうだ。自分がしっかりしないと、父と姉達が私をだしにして公爵家にまで迷惑をかけてしまったら、せっかく公爵家で元気に暮らしている私の立場が悪くなってしまうと言って、無理して仕事をしていると。

兄の手紙では私の心配ばかりで、自分のことは何も書いていなかったし、お義姉様も私には知らせないつもりだったそうだ。

けれど、このままではお兄様が本格的に病気になってしまいそうで、お義姉様はいっそソレート伯爵家を捨てて、お義姉様のご実家の領地に小さな家をもらって平民として生きていくことを考えているという知らせだった。

確かに、お兄様とお義姉様の健康と幸せのためにはその方がずっといいかもしれない。お兄様がいなくなれば、ソレート伯爵家は潰れるだろう。姉も三女も伯爵家の仕事なんて出来ないし、まともな人がお婿に来てくれる望みも薄い。

お兄様とお義姉様が伯爵家を捨てることを思い切れないのは、たぶん自分達がいなくなったら私に迷惑がかかると思っているからだ。

何故、真っ当に誠実に生きているお兄様とお義姉様が苦しめられなければならないのか。

手紙を持つ手が震えた。

お兄様とお義姉様のために、私が出来ることはあるだろうか。

しばらく考えた後に、私は決意を固めた。

***

「お願いがございます」

執務室に入室して、仕事中のエイダン様に訴えた。

「願い……だと?」

エイダン様はペンを走らせる手を止めて私を見た。そして、愉快そうにニヤリと笑みを浮かべた。

「覚悟はあるのか? 願いには相応の代価が必要だ」

もちろん、覚悟の上だ。

「私の願いを叶えてくださるのなら、私、アリス・ソレートは生涯をエイダン・アディロフ様に捧げます。下働きとしてでも侍女としてでも愛弟子としてでも妻としてでも、お望みの通りにお仕えいたします。

使用人として置いていただけるのならば昼夜を問わず闇の魔物と戦いましょう。黒いマントを着けてエイダン様のデザインした剣を腰に履いて「地獄の扉を守護する煉獄の騎士」と名乗ってもいい!

妻として迎えていただけるのならば、式は地下の魔法陣の上で執り行っても構いません。ドレスも真っ黒でいいし、お望みならば眼帯も着けましょう!」

「ひぃっ……!」

「そんなっ、いくらなんでも……」

「アリス様、早まってはいけません!」

周りで聞いていた使用人達があまりのことに声を上げる。中には卒倒しかける者もいた。

しかし、私はまっすぐにエイダン様と見つめ合っていた。

公爵家とはなんら関係ないことでエイダン様の手を煩わせようとしているのだ。これくらいの覚悟は当然のことだ。

「この俺ですら、眼帯をつけるのには相当の勇気がいる。十七の小娘がその恐ろしさを知っているというのか? お前にそれを成し遂げる覚悟があるのか」

「あります!」

兄夫婦のためならば、眼帯をつけるぐらい何てことはない。黒い眼帯に髑髏の刺繍が施されていても構わない。

「眼帯をつけた暁には「一つ目の竜騎士」とでも「独眼竜」とでも名乗って見せましょう!」

「そこまでの覚悟があるとは……どうやら俺はお前を甘く見ていたらしい」

エイダン様は額を押さえ、ゆっくりと息を吐いた。

「よかろう。お前の願いを叶えてやる。言ってみろ、アリス・ソレート。お前は何を望む?」

私は大きく深呼吸をして、口を開いた。

***

「んまあ! アリスじゃないの!」

「まさか公爵家を追い出されて帰ってきたの?」

「そうよね! いくら呪われた公爵でもアリスでは妻になど出来ないわよね!」

「あんたって子はお茶会の一つにも参加したことのない駄目な子だものね!」

前触れなく帰参した私に、長女と三女は公爵に愛想を尽かされて追い出されたと決めつけて嫌みや文句をぶつけてきた。

「アリス! 何故帰ってきた!? まさか何か粗相をしたのか!」

お父様も私が追い出されたと決めてかかってくる。出戻り長女と一緒にしないでもらいたい。

「まあ、いいわ。お茶を淹れてちょうだい。帰ってきたなら役に立ってよね」

「そのドレスは脱ぎなさいよ! あんたなんかにはもったいないわ!」

私は実家にいた時は姉のおさがりしか着たことがなかった。そのことでよくお兄様が謝ってくれたっけ。

公爵家ではレオナ様が私に合わせたドレスをたくさん作ってくれるので、驚いて恐縮してしまった。新しいドレスを作るというのを毎回止めているけれど、断りきれないことも多い。今着ているのも、王都の最新のデザインのドレスだ。私と身長が変わらない三女に今にも剥ぎ盗られそうな雰囲気だ。

「お父様、お姉様。私は追い出されて帰ってきたのではありません」

私は玄関に立ったまま胸を張って言った。

お義姉様に支えられたお兄様が階段を下りてきて、心配そうな顔で私を見た。

私は一枚の書状を広げ、はっきりと告げた。

「お父様——ゲオルグ・ソレート伯爵は心身の著しい不調により伯爵位に在ることが困難となったため、その嫡男ウィリアム・ソレートに伯爵位を譲るものとする。……国王陛下に承認されました。つまり、お父様は既に伯爵ではありません」

「な……っ」

お父様が絶句した。

本来、生前に爵位を譲渡する場合には譲位する本人の署名が必要なのだけれど、「本人が心身の著しい不調により署名が不可能な場合に限り、血縁者が本人の同意無く爵位を継ぐことが可能」という法律を利用させてもらった。

「何を言い出すのよ、アリス!」

「そうよ! 意味のわからないことを言わないでちょうだい!」

「意味はわかるでしょう、ロザリンドお姉様。お父様は隠居してお兄様が爵位を継ぐのよ」

私は国王の承認を突きつけた。

「馬鹿なっ! 何故、私が隠居などしなくてはならんのだ!」

お父様が真っ赤になって怒る。何故って、仕事をしないからに決まってるでしょうが。

「伯爵としての仕事をお兄様が代わりに行っていることを複数の貴族家当主が証言してくださっております」

実際に、ここ数年はお兄様が全ての仕事を請け負っていたのだから、証言を集めるのは簡単だった。

「だからといって、何故貴様がそんな勝手な真似を——」

「それは当然だろう。我が公爵家が妻となる者の実家が健全に営まれているか、調査しないはずがないだろう」

私の背後から、満を持してアディロフ公爵が登場した。カッコヨく登場するために、壁に隠れてスタンバイしていたのだ。

お父様とお姉様達が驚愕の表情になった。

***

今日のエイダン様はお気に入りの黒マントをつけていない。ただの麗しい美形だ。

「初めまして、ソレート前伯爵。アリスの婚約者であるアディロフ公爵だ」

「ア、アディロフ公爵閣下……?」

エイダン様の発する威圧に、お父様はたじたじになった。

「今、言った通りだ。由緒正しいアディロフ公爵家に嫁ぐアリスの実家に問題がないか調べたところ、伯爵位にある当主ではなく嫡男が伯爵としての業務を行っている。調べたところ、数年はこの状態が続いている」

エイダン様は私の肩に手を置いて、ニヤリと笑った。

「どうやら、伯爵は重大な健康上の問題を抱えているようだ。であれば、隠居してもらうべきだろう」

「そ、そんな勝手に……」

「幸い、優秀な嫡男がいるようだ。爵位を譲るのに問題はないと国王陛下もお認めになられた。これは決定事項だ。言っておくが、無駄な足掻きはしない方がいいぞ。ソレート伯爵家の名声は地に落ちている。今付き合っている貴族達は代替わりする嫡男に期待をかけて交流を続けているんだ。貴様が爵位にしがみつけば、彼らは付き合いを切ると言っている」

エイダン様に畳みかけられて、お父様は口を噤んでしまった。

「安心しろ。隠居するための小さな家は用意してやる」

静かになったお父様を放って、エイダン様はお姉様達に目を向けた。

「娘達は父親について行くか、他に行く宛がなければ修道院へ入れるように手配しよう。どうするか選べ」

「何ですって!?」

お姉様達の顔色が変わった。

「この家を出て行けと言うの!?」

「どうして、私が修道院なんかに!」

さんざん問題を起こしているのだから、修道院に入れてもらえるだけでも恩情措置なのだが、たぶん理解できないだろう。

「修道院が嫌なら、好きな場所に行ってくれて構わない。代替わりした伯爵家に居座るのはそちらも居心地が悪いだろうからな」

何も問題を起こさずに大人しく過ごすのであれば、優しいお兄さまは面倒をみてくれただろうが、今後も問題を起こす可能性の高い地雷を伯爵家に置いておくわけにはいかないのだ。

お姉様達は狼狽えていたが、急に三女が声音を変えてすり寄ってきた。

「公爵様、お助けください! 実は、本当は公爵様に嫁ぐのは私だったんです! なのに、アリスが私の縁談を横取りして……っ」

……私は肩を落として息を吐いた。

三女は頬を染めてエイダン様を見上げている。噂では呪われた醜い公爵と言われていたエイダン様が実物はかなりの美丈夫だったのだから、こうなるような気はしていた。

「嘘を言わないで! 公爵様、公爵様をお慕いしていたのは私なんです! 私を公爵家へ連れ帰ってください!」

負けじと長女も喚きだした。

「お姉様のような浮気女が公爵夫人になれる訳ないでしょう!」

「なんですって! あんたみたいに他人を見下す女こそ公爵様にはふさわしくないわよ!」

「出戻りのお姉様が公爵様に言い寄るなんて図々しいのよ!」

「陰険な顔つきのあんたこそ身の程を知りなさいよ!」

「いい加減にしろ、お前達っ!!」

醜い喧嘩を始めた二人に、お兄様の怒声が響いた。

「お、お兄様……?」

優しいお兄様が声を荒らげるなんて滅多にない。

お姉様達もぽかんとして静かになった。

お兄様はお義姉様に支えられながら公爵様の前に立った。

「アディロフ公爵、お初にお目にかかります。アリスの兄です。大変お見苦しいところをお見せしました」

お兄様はエイダン様に謝罪すると、私を見て微笑んだ。

「アリス……元気そうでよかった」

「お兄様……」

私が家を出たころより窶れてしまっているお兄様の顔を見て、私は涙ぐんだ。

「アディロフ公爵、我が家のことでご足労いただき申し訳ない」

「いやなに、アリスの兄上にご挨拶が出来て良かった」

お兄様とエイダン様は挨拶を交わし合った。

「情けない話ですが、父と妹達のことをお頼みしたい」

「お、お兄様?」

お兄様がエイダン様に頭を下げた。お姉様達はおろおろしている。

「任せておけ。大事な婚約者の頼みだ。新たなソレート伯爵には協力を惜しまない」

「こ、公爵様! アリスは教育もなっていない娘ですわ! 公爵夫人になんかなれません!」

「そうです! 私の方がアリスよりお役に立てます!」

まだ諦めていなかったのか、長女と三女が口を挟む。

ギャンギャンと私のことを貶めて自分を持ち上げる姉達の言い分に、エイダン様はふっと口角を上げて笑った。

「役に立てる、だと? では、お前達はアリスのように、俺と共に黒い森に住まう恐るべき魔獣と戦えると言うのか?」

「えっ……?」

「ま、魔獣!?」

長女と三女の顔がひきつる。

ちなみに、公爵家を囲む黒い森では小鳥とうさぎをよく見る。この間は鹿も見かけた。

「我が公爵家の者は呪われし運命を背負って生まれてくる。その家に嫁ぎ、闇と戦う覚悟があるのか!」

エイダン様が声を張ると、長女と三女は顔を青くして震え出した。

「俺の伴侶となる者は、雷雨の中に飛び出す勇気を持たなければならない! それに、どんな環境でも自分らしく生き生きとしているアリスはとても可愛い! 俺はアリス以外と結婚するなんて御免だ!」

とんでもないことを言い出したエイダン様に、私は頬を赤らめた。

私の肩を抱いてドヤ顔をするエイダン様を見て、お姉様達は呆然としていた。

***

結局、お姉様達は修道院へ行くのを嫌がってお父様の隠居先へついて行った。

その後すぐに、長女は旅芸人と恋仲になって逃げてしまったそうだ。三女は村のおかみさん達と喧嘩になって問題を起こし、嫌がっていた修道院へ入れられてしまった。

次女は恋人に捨てられて路頭に迷い、ソレート伯爵家に戻ってきた。が、恋人と一緒にいる時に詐欺のような行為に手を染めていたらしく、捕まえられてしまった。

もうソレート伯爵家からは籍を抜かれて貴族ではなくなってしまったが、姉達も時間はかかっても自分を見つめ直して、幸せになれるように頑張ってもらいたい。

お兄様は元気になって、お義姉様と共に伯爵家を立て直すために働いている。

そして、私は——

「アリス! 俺はついに世界の秘密に気づいてしまった! 秘密を握る俺を狙って影の陣営が動き始めたんだ!」

「まあ大変」

「お前にこの世界の秘密を記した書を預ける! 俺が戻ってくるまで守れ!」

「はい。ありがとうございます」

私に秘密の書を託すと、エイダン様は去っていった。執務室に戻ったのだろう。

世界の秘密が記された書とは、アディロフ公爵家の年毎の収穫高が記された記録だ。将来、エイダン様の領地経営をお手伝いするために、勉強中の私に貸してくださったのだ。

「ふふふ」

エイダン様といると毎日飽きない。

来年には結婚式を挙げて、私はエイダン様の妻になる。

レオナ様が張り切って選んだドレスは純白だ。私としては、眼帯付きの黒いドレスでも構わなかったのだが、意外にもエイダン様は白いドレスを希望した。

「アリスには白も似合うし、眼帯をつけたら可愛い瞳が見えないだろう?」

普段は患ってる言動ばかりなのに、不意にそういう台詞を混ぜ込んでくるから油断できない。

「さーて、世界の秘密を紐解きますか」

私はエイダン様にふさわしい公爵夫人になれるように、影の陣営に狙われる危険な記録を読み込むことにした。

そんな私の姿を見て、庭の木にとまった闇の魔導士の使い魔が「カアー」と鳴いた。