軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第9話 残照

王宮での協議は長く続いた。

父王は「すぐにでも建てよ!」と強硬に声を荒げ、バルネスは「豪族の反発を抑えねば」と冷静に釘を刺す。

マルディアも「民のためには急ぎたいですが……」と柔らかに言葉を添えた。

議論の末――まずは試験的に高床式倉庫を導入し、その成果を見て広げていく方針が定まった。

セレナは胸をなで下ろす。

その直後、バルネスが巻物を整えながら言葉を継いだ。

「……国営に、という声も出ております」

「……国営?」

セレナは思わず聞き返す。

バルネスは重々しく頷いた。

「倉庫を豪族任せにすれば、保管料や横流しで民が苦しむだけ。国家の管理下に置き、収穫を集約しなければ意味がない」

セレナは息を呑んだ。

「……それでは、豪族の方々は受け入れてくださるでしょうか」

おずおずと尋ねると、バルネスはわずかに笑った。

「簡単ではありませんな。収穫を握られるのは彼らにとって死活問題。陛下は強硬に推し進めたいご様子ですが、それでは反発を招く。――だからこそ、説得が要るのです」

セレナは控えの間の窓辺に腰を下ろし、膝の上で指を組んだ。

香炉には杉と杜松の脂がくゆり、薄い香煙がゆるやかに立ちのぼる。

せっかく倉庫案は採用されたのに、また難題が……

唇を噛み、視線を落とす。

国が握れば、豪族にとっては収入を奪われるのと同じよね。簡単に認めるはずがない。

「セレナ様……?」

傍らのリサが心配そうに声を掛ける。

セレナははっとして、笑みを作った。

「ううん、大丈夫。ただ、少し考えていただけ」

茶器に伸ばした指先で縁をなぞる。

納得、か……。

推理小説で、似たやり取りを読んだ気がする。

どんな話だったのかしら――

窓辺から外を見ながら思い出そうとした、そのとき。

背後から小さな足音が近づき、ラディウスの声が響いた。

「姉上、ねえ……いつまでここにいるの?」

セレナは振り返り、微笑を浮かべる。

「どうしてそんなことを聞くの?」

ラディウスはしゅんと肩を落とし、うつむいた。

「……だって、またすぐアウレナに戻っちゃうんでしょ。父上、そう言ってた」

セレナの胸に、きゅっと切なさが走る。

膝を折って弟の目線に合わせ、そっと頬に手を添えた。

「……ええ、いつかは戻らなきゃ」

ラディウスは小さく頷いた。

けれど唇を尖らせ、視線を落とす。

「……ルナワに残ればいいのに……」

セレナは弟の頭を撫でた。

柔らかな髪が指先をすり抜ける。

皆に、戻ると約束した。

けれど、正妃候補としての役目はないのに。

――それでも、“戻る”意味はあるの?

薄陽が差しこむ執務棟。

記録板は整然と並び、余白だけが白い。

ナヴァリスは筆を止め、沈黙した室内の気配を聞いた。

……静かすぎる。熱が失われたようだ。

数週間前までは、粘土板には追加案や要望が刻まれていた。

今は、与えられた務めを淡々とこなすだけ。

財政座はレイラが誇示に費やし、

娯楽座はアシェラの個人技だけ。

政務座のアナヒータは、一人で数字を追い続けている。

侍女や女官は「セレナ様がいれば」と囁くだけで、

誰も動こうとしない。

ナヴァリスは硯の水面に落ちる光を見つめ、淡く結論づけた。

……伸びきった芽に寄りかかり、姫が去れば流れも止まる。

巻物を閉じ、隣の席に腰を下ろしたラシードへ声を向ける。

「……そういえば、姫様がご提案なさった検問所の制度。

そこへ札番号と記録を加えられたのは、ラシード殿でしたな。

進捗はいかがでございましょう」

ラシードは、封泥の小塊を指先で転がした。

「ああ、まだ試験中だ。だが、頻発していた略奪箇所を抑えるには役立つだろう。

次は西の交易路に仕込む予定だ」

「西……交易の幹にございますな」

「実情は?」

「荷の遅れが目立つ。豪商どもがぼやいていた。

確かに、あの札は効いている。略奪は減った。だが――」

「些末な滞りも、やがて膨らみましょう」

ナヴァリスは淡々と告げ、硯に筆を浸した。

「……静観は必要にございますが」

「はは、まあ退屈せずに済みそうだ」

室内の灯が揺れ、二人の影が壁に長く伸びた。

後宮の中庭。

薄い香の煙が柳の影に絡み、砂利を踏む音がさわさわと流れていく。

中庭の中央に据えられた水盤のそばで、侍女たちが肩を寄せ合う。

「……セレナ様がいらした頃は、みんな笑っていたのに」

「座も自然に動いて、叱責の声がぐっと減ったわよね」

「戻ってくださらないかな……」

通りすがりに、足が止まる。

すぐ背で交わされる声だった。

サフィアは振り向かなかった。けれど、琥珀の瞳が、わずかに冷える。

……セレナ様。

胸の底に、ぬるく尖ったものが沈む。

……どうしてあの娘ばかり。

指先が帯に触れ、結び目がきしむ。

回廊の向こう、青い衣の影がちらりと揺れる。政務殿へ向かう、あの方の背。

あの娘のいない後宮を——寂しいと。

喉の奥が熱い。

水盤に落ちた一片の葉が、くるりと裏返る。

……私だけを、見て。

嫉妬は、刃の背で撫でられるみたいに静かに痛い。

「——勤務に戻ります」

近くで控えていた侍衛にだけ届くほどの低い声だった。

振り返らずに警護線へ歩を戻す。背筋はまっすぐ、歩幅も乱れない。

揺れても、崩れない。アルシオンの前でだけは、絶対に。

柳の影が風に割れ、侍女たちの「セレナ様」という音だけが、長く耳の奥で細く鳴り続けた。

政務殿の片隅、油皿だけが淡く照らす小部屋。

ラシードが盃を軽く揺らし、口元をゆるめる。

「殿下、面白いものですな。姫君がいなくなっただけで、宮がこうも軽くなるとは」

アルシオンは椅子に沈み、青の瞳を伏せた。

「くだらん話をするな。座は残っている」

――残っている。形は、な。

ラシードは淡く笑う。

「形だけでは動かぬということです。皆“セレナ様がいれば”と口にしておりましたよ」

その名が落ちた瞬間、アルシオンの拳が机をかすかに叩いた。

……聞き飽きた。あの娘の名を。

影ひとつで、なぜここまで惑わされねばならん。

蝋燭の炎が揺れた。

ラシードは片唇を上げた。

「……さて。寝所へ戻られぬのですか? お待ちでしょう」

「……余計な気遣いはするな」

短く返し、立ち上がった。

夜気が冷たい。

寝所へ向かう廊下は、いつもより長く感じた。

余計なことを考えるな。

扉を押す。

灯が揺れ、帳が落ちた――

夜の寝所。

淡い明かりが揺れている。

重ねた熱の余韻が、まだ肌に残っていた。

サフィアはアルシオンの胸に頬を押しつけ、静かに息を整えていた。

その重みが腕に伝わるたび、胸の奥に名を持たぬ痛みが疼く。

……俺は、この女を愛している。

彼は指先で黒髪を梳き、囁くように唇を寄せた。

「……おまえがいるから、俺は立っていられる。

おまえが俺の剣であり、心そのものだ」

サフィアが顔を上げる。

琥珀の瞳が揺れた。

「……ねぇ、アルシオン。

私、本当にあなたの隣に立っていいの?

武官としてじゃなく……正妃として」

アルシオンは息を吐き、彼女の頬を包んだ。

「……俺はおまえを愛している。

正妃に迎えるつもりでいる」

唇が触れ合い、熱が重なる。

だが――その奥底で、別の影が静かに揺れた。

……セレナ。

おまえを“愛している”わけではない。

ただ、あの在り方が、俺の理に触れただけだ。

サフィアの指先が肩に触れる。

その温もりは確かだ。だが、胸の奥で冷たい問いが燻る。

サフィアを正妃にしたい。心は揺らがない。

……だが、王太子としての俺は。

アルシオンは抱きしめる腕に力を込めた。

「……おまえを、離さない」

灯が揺れ、二人の影を絡めて溶かした。

翌朝の訓練場。

乾いた剣戟が空気を裂く。

サフィアは汗を飛ばしながら、刃を振り抜く。

「……相変わらずだな」

背後から低い声。

振り返ると、カリムが立っていた。

「昨夜も殿下のもとにいたのか?」

「……余計な詮索はするな」

再び剣を振り下ろす。

カリムはため息をついた。

「お前は殿下の盾だ。それは誰にも真似できない役目だろう」

「……盾、か」

サフィアは、額の汗をぬぐった。

「それだけじゃ足りない」

「足りない?」

柄を握り直す。

「殿下の隣に立ちたいなら……守るだけじゃ駄目だ。

言葉も、礼も、私には知らないことが多すぎる」

「女官の真似でもするつもりか?」

「真似でもいい。笑われてもいい。……結果を出せば、誰も笑えない」

カリムは剣の柄に手を置く。

「……なるほどな。お前らしい答えだ」

サフィアは刃を構え直す。

「剣だけじゃ届かないなら、別の方法で戦うまでだ」

陽を返した刃が、まっすぐ前を向く。