作品タイトル不明
第77話 宇宙への階梯と世界の余熱
第七部 宇宙の産声と狂騒の代償編開始
東京都千代田区、永田町。
首相官邸の地下深くに存在する『特別情報分析室』。
今日もまた、日本国の舵取りを担う男たちが、分厚い鉛と電磁シールドに守られた円卓を囲んでいた。
副島内閣総理大臣をはじめ、官房長官、防衛大臣、外務大臣、経済産業大臣といった面々が揃う中、内閣官房参事官の日下部が定位置であるスクリーンの横に立った。
「……では、近況報告会を始めます」
日下部が手元のコンソールを操作する。
「『 位相干渉装置(ジャマー) 』オン」
ブゥン……という極低周波の振動が室内の空気を満たし、この空間を物理的にも電子的にも外界から完全に切り離した。
盗聴も透視も不可能な、絶対的な密室の完成である。
「ジャミング正常に作動中。
……まずは 現地(テラ・ノヴァ) の状況からです」
日下部がタブレットを操作すると、巨大なスクリーンにテラ・ノヴァの最新映像が映し出された。
そこには、これまでに見慣れた平面的な工場の拡張風景とは一線を画す、巨大で垂直な建造物がそびえ立っていた。
天を衝くような鋼鉄の骨組みと、その中央に鎮座する流線型の巨大な飛翔体。
「工藤創一氏の工場において、第一号ロケットの打ち上げが秒読み状態に入りました。
現在、最終的なペイロード(積載物)の積み込みとシステムチェックが行われています」
その言葉に、閣僚たちは一様に息を呑んだ。
ついに宇宙か。
大地を這い回り、資源を掘り起こし、バイターの群れを焼き払ってきたあの男が、とうとう星の重力を振り切る時が来たのだ。
「……素朴な疑問なんだがね」
外務大臣が腕を組みながら首を傾げた。
「そもそも、宇宙に行く必要はあるのか?
あそこには、まだ未開拓の広大な大地と無尽蔵の資源が広がっているのだろう?
何も急いで、危険でコストのかかる宇宙開発に手を出さなくても良いのではないか?」
地球の常識で考えれば、至極真っ当な疑問である。
宇宙開発はロマンではあるが、即座に実利を生むものではない。
「ええ。
その点については、私も工藤氏に確認しました」
日下部が淡々と答える。
「理由は明確です。
工藤氏は、自身のテクノロジーを『テクノロジーツリー』という形式で順番にアンロックしていくシステムに則って行動しています。
……そして、彼が次に必要とする上位の技術——『宇宙テクノロジーカード(白パック)』と呼ばれる研究データ——が、宇宙空間でしか生産出来ないという厳格なシステム上の制限があるのです」
「……なんだと?」
「つまり、いくら地上に広大な土地があろうと、いくら資源を掘り出そうと、宇宙に行かなければ工場の技術レベルはここで『頭打ち』になるということです。
彼にとってはロマンなどではなく、今後の拡張と 生存(ゲームクリア) のために『不可避のステップ』なのです」
「なるほど……。
やむを得ない宇宙開発ということだな」
総理が納得したように頷いた。
成長を義務付けられた工場にとって、立ち止まることは許されない。
システムがそれを要求するならば、たとえそれが星の彼方であろうとも向かうしかないのだ。
「ええ、テラ・ノヴァ側の深刻な事情はよく分かった」
防衛大臣が、どこかウキウキとした口調で割って入った。
「おっと、日下部くん。
報告書によれば、工藤氏たちは最近、あの巨大な『機動兵器』で遊んでいるそうじゃないか?
格闘戦(なぐりあい) やペイント弾の撃ち合いをしている映像を見たぞ。
……羨ましいじゃないか!」
防衛大臣の目が、完全に少年のそれになっていた。
「どうだ?
あの機動兵器、ぜひ自衛隊にも1台欲しいのだが!
レーザー戦車は国内で走らせられないにしても、あれならバッテリー駆動だろう?
災害救助用とか技術研究用という名目で、なんとか……」
「駄目です」
日下部は、食い気味に、そして冷酷に即答した。
「えっ……」
「以前も申し上げたはずです。
あの機動兵器はロマンの塊ではありますが、実用性は皆無に等しい。
……そして何より、あの機体のメンテナンスはナノテクノロジーによる『 自動修復(リペアキット) 』や『建設ロボット』に完全に依存しています」
日下部は呆れたように息を吐いた。
「関節部の複雑な摩耗や装甲の微細なダメージ。
それらを地球の整備兵が手作業で直すことは不可能です。
一歩歩くごとに数億円の修理費がかかり、しかも直せない。
……そんなものを自衛隊に押し付けられても、現場が迷惑するだけです」
「そ、そうか……残念だ」
防衛大臣は本気で肩を落とした。
「あの機動兵器、この目で生で見てみたかったのだがな……」
「テラ・ノヴァでは、防衛隊の皆さんが非番の時に機動兵器でバトルしてストレス発散していますので、どうしても見たければ大臣ご自身がテラ・ノヴァに行って直接お願いしてみて下さい。
……少なくとも、地球側に持ち込む予定は一切ありませんので、あしからず」
日下部の冷ややかなトーンに、防衛大臣は「いや、異世界に行くのはちょっと……」と口を噤んだ。
「さて、現地の無邪気な話題はこれくらいにして。
地球側の政治・外交情勢に移ります」
日下部は表情を引き締め、スクリーンに星条旗を映し出した。
「まずは、我々の最大の『共犯者』であるアメリカの様子からです。
……アメリカは間もなく次期大統領選挙の期間に入ります」
「そうか。
今のウォーレン大統領は2期目だから、憲法の規定により次の大統領は必ず別の人間になるわけだな」
総理が重々しく頷く。
ロバート・ウォーレン。
老獪にして現実的、そして日本の「劇薬」の価値を正確に理解し、自身の若返りの誘惑すらも断ち切って国家のシステムを守ろうとした恐るべき指導者。
彼との間には、いびつではあるが確かな「信頼と恐怖の均衡」が成立していた。
「はい。
ウォーレン大統領が退任した後のアメリカが、この『秘密』をどう扱うか。
……どのような大統領になるかで今後の舵取りも劇的に変わりますから、最大の注目ポイントです」
「あの薬(MK1)の魔力に溺れるような俗物がトップに立てば、我々への要求は際限なく膨れ上がるだろうな。
逆に、正義感に駆られて『こんな非人道的な技術は破棄すべきだ』と言い出すような理想主義者でも困る」
「ええ。
現在、我が国とアメリカ軍との間では『バンドエイドMK3』の限定的な運用が始まっており、前線での生存率は飛躍的に向上しています。
アメリカ軍は、もはや日本のナノマシンなしでは戦争ができない体質になりつつある。
……次期政権がこの『依存状態』をどう評価するか、注意深く見守る必要があります」
「分かった。
対米工作班の予算を倍増させろ。
次期候補者たちの性格思想、そして『健康状態』や『家族の病歴』まで徹底的に洗い出しておくのだ。
いざという時に首輪を掛けられるようにな」
「承知いたしました」
日下部はタブレットにメモを走らせた。
「では、次に中国です」
スクリーンが切り替わり、北京の中南海の画像が表示される。
「先日、尖閣諸島の完全譲渡という歴史的なカードを切ったことへの『お礼(貢物)』として、我々が譲渡を約束した『医療用キット(オリジナル)』1個。
……これを巡って、現在、中国共産党の中枢では長老たちによる壮絶な権力闘争が繰り広げられています」
「ほう。
予想通りだな」
総理が口元を歪めた。
「彼らは事前に『世界経済を乱すような大規模な内乱は起こさない』と約束してくれてはいますがね。
……まあ、実態は裏切りや謀略上等の、血で血を洗うドロドロの権力闘争なんですが」
日下部は、CIAや自前のスパイ網から上がってきた生々しい報告書を思い浮かべながら言った。
「表向きの軍事衝突こそ起きていませんが、水面下での粛清、謎の失脚、そして『不慮の事故』による幹部の死亡が相次いでいます。
たった1つの『永遠の命』を手に入れるために、14億の頂点に立つ老人たちが最後の命を燃やして醜く争っている状態です。
……まさに、我々が仕掛けた『毒饅頭』が最高の効き目を発揮していると言えます」
「まあ、世界経済や我が国のサプライチェーンに影響が出なければ、それで良いよ。
好きにやらせればいい」
総理は冷酷に言い放った。
中国の指導部が内向きの争いにエネルギーを浪費してくれれば、それだけ日本や台湾への外向きの圧力は減る。
日本にとって、これほど都合の良い状況はない。
「ロシアはどうなっている?」
話題は北の巨大な熊へと移った。
「ロシアは現在、ウクライナとの休戦協定に基づき、占領地域から順次撤退中です」
日下部はウクライナの戦線マップを表示し、赤いエリアが徐々に縮小していく様子を示した。
「国内の強硬派からは『弱腰だ』『西側に屈した』と激しい批判もあるみたいですが、長引く動員と経済制裁に疲弊しきっていた一般国民からは、概ね『これでやっと平和になる』と理解されているようです。
……ボグダノフ大統領の強権的な統制もあり、大規模な暴動には発展していません。
ロシアは当面の間は、国内の立て直しに専念せざるを得ない『安定期』に入ったと言って良いでしょうね」
「安定期か。
だが……」
官房長官が鋭い指摘を入れた。
「それは、あくまで彼らが『日本の真実』を知らないからこその安定だろう?
もし我々がアメリカや中国に『医療用キット』という不老不死の薬を渡しているという事実がロシアにバレれば、どうなる?」
その言葉に、会議室の空気が微かに張り詰めた。
「波乱はあるでしょうね」
日下部は静かに肯定した。
「ロシアは、アメリカの諜報網の一斉摘発(大掃除)によって『日本が強力な監視システムを持っている』ことまでは気づきましたが、その技術の根幹が『生命を操るナノマシン』であることまでは掴んでいません。
……もしそれを知れば、彼らだけが蚊帳の外に置かれているという屈辱と死への恐怖から、暴発する可能性は十分にあります」
「中国がすでに医療用キットを1個手に入れる約束を取り付けているからな。
下手したら、その1個を巡ってロシアが中国に噛みつく……なんて展開もあり得るかもな?」
防衛大臣の推測に、日下部も頷いた。
「ええ。
泥棒同士の奪い合いです。
我々としては、それもまた『高みの見物』を決め込める面白い展開ではありますが、火の粉が日本に飛んでこないよう、ロシアへの情報統制は引き続き最高レベルを維持する必要があります」
「うむ。
北の熊には、ずっと冬眠していてもらおう。
……さて、中東はどうか?」
最後の議題。
世界経済の血液である「石油」を握る、砂漠の王侯貴族たちだ。
「中東は、先日極秘裏に来日したアブドゥル皇太子との間で、医療用キットの譲渡に関する最終交渉に入りました」
日下部は手元の資料をめくった。
「彼らは当初、日本の次世代エネルギー技術に脅威を感じ、オイルマネーの力でその利権を買い叩こうとしてきました。
しかし、我々が『医療用キット』の存在をチラつかせたことで、彼らの目的は完全に『薬の確保』へとシフトしました」
「で、数はどうなったのだ?」
「どうやら、帰国した皇太子が国王に報告した際、国王が『ワシは老い先短い。まず未来のあるお前(皇太子)から使え』という話をしたらしいのです」
日下部は、傍受した通信や内通者からの情報を総合して報告した。
「しかし皇太子は『父上を見捨てることはできない』と。
……結果として、彼らは強硬に『2個』の譲渡を希望してきています。
父と子、二人で永遠の繁栄を手にするために、と」
「……2個か」
総理が腕を組んだ。
アメリカに5個。中国に1個。そして中東に2個。
日本の地下金庫にある205個の在庫からすれば微々たる数だが、世界にばら撒く劇薬としては無視できない量になりつつある。
「どうしますか、総理?
1個で突っぱねることも可能ですが……」
「いや。
まあ、国王が病で亡くならないうちに、あげる必要があるだろうな」
総理は現実的な判断を下した。
「中東の王族は情に厚く、そして誇り高い。
もし我々が薬を出し惜しみして交渉が長引いている間に国王が死んでしまえば……。
彼らは悲しみを通り越して、『日本が薬を出し惜しみしたせいで父は死んだ』と強烈な逆恨みをする可能性がある。
タイミングが間違えば、オイルマネーの強力なパトロンを手に入れるどころか、最悪の敵に回すことになる」
「……確かに。
彼らの富と政治力は、我々が国際社会で好き勝手やるための『強力な防波堤』として必要不可欠です。
ここで恩を売り、完全にこちら側に引き込んでおくべきでしょう」
日下部も総理の意見に同意した。
「じゃあ、とりあえず2個渡すか……。
その代わり、日本の『次世代エネルギー』に関する国際的な非難やIAEAの横槍に対しては、彼らの持つ全てのロビー力を使って徹底的に日本を擁護させる。
……悪くない取引だ」
「承知いたしました。
では中東へは、『特別VVIP枠として2個の確保を約束する』と回答しておきます」
日下部はタブレットのスケジュールに『中東への引き渡し』のタスクを追加した。
アメリカ、中国、ロシア、中東。
世界を動かす巨大な歯車たちは、全て日本という国の、いやナノマシンという名の極細の糸によって雁字搦めに縛り付けられている。
地球上の政治的・軍事的な不安要素は、これで一通り「管理下」に置かれたと言っていい。
「……さて。
地球のお掃除は、これで一段落ですね」
日下部は小さく息を吐き、スクリーンを見上げた。
そこには、再びテラ・ノヴァの巨大なロケットサイロが映し出されていた。
カウントダウンの数字が刻一刻とゼロに近づいている。
「総理。
いよいよです」
日下部の声に、円卓の全員が息を呑み、スクリーンを注視した。
『——メインエンジン点火』
工藤創一の弾むような声が、通信機越しに響く。
ゴオオオオオオオオオオオオッ!!!!
サイロの底から、目を焼くような強烈な閃光と大地を揺るがす爆炎が噴き出した。
莫大な量のロケット燃料が燃焼し、圧倒的な推力を生み出す。
数万トンの鋼鉄と最先端の電子機器の塊が、重力の鎖を引きちぎり、ゆっくりと、しかし確かな力強さで上昇を開始した。
「おお……!!」
防衛大臣が思わず立ち上がり、歓声を上げる。
ロケットはぐんぐんと加速し、紫色の空を切り裂いて、はるか彼方の暗黒の宇宙へと向かって真っ直ぐに突き進んでいく。
その光の尾は、人類が未知の領域へと踏み出すための輝かしい希望の矢のようだった。
「……飛んだな」
総理が感嘆の溜め息を漏らした。
彼ら日本の指導者たちは、地球での泥沼の権力闘争を制した上で、ついに「空の上の覇権」をもその手に収めようとしている。
「ええ。
……これで工藤氏の工場は、『宇宙空間』という新たな次元へと拡張されます」
日下部は、ロケットが雲を突き抜け、星々の間へと消えていくのを見届けながら、静かに呟いた。
「さあ、 宇宙(あちら) では一体どんな非常識なことが起きるのやら。
……胃薬の追加、本気で頼んでおきましょう」
地球の喧騒を置き去りにして、工藤創一の乗らない第一号ロケットは、無限の暗黒と可能性が広がる宇宙へと旅立っていった。
それは、新たな資源、新たな技術、そして——新たなる『脅威』との遭遇の始まりであった。