作品タイトル不明
第65話 緑色の神火と滑稽な熊狩り
東京都千代田区永田町。
日本国の心臓部である首相官邸の地下5階、『特別情報分析室』。
分厚い鉛の壁と最新鋭の電子ロックに守られたこの聖域に、今日もまた国家の中枢を担う男たちが集っていた。
円卓を囲むのは、副島内閣総理大臣、内閣官房長官、外務大臣、防衛大臣、経済産業大臣、そして各情報機関のトップたち。
彼らの表情には、慣れ親しんだ疲労感と、新たな難題を前にした緊張感が同居している。
スクリーンの脇に立つ内閣官房参事官、日下部は、手元のコンソールに手をかけ、いつもの儀式を執り行った。
「……では、定例報告会を始めます。
『位相干渉装置(Jammer)』起動」
ブゥン……。
空間が歪むような重低音と共に、テラ・ノヴァ由来の不可視の波動が室内を満たす。
これで物理的・電子的なあらゆる盗聴は無効化され、世界から切り離された完全なる密室が完成した。
日下部は深く息を吐き、懐から胃薬の瓶を取り出して、慣れた手つきで2錠を水なしで飲み込んだ。
今日の報告内容は、胃酸の分泌を促進させるには十分すぎる劇薬だからだ。
「ジャミング、正常に作動中。
……総理、および各大臣。
覚悟を決めてお聞きください。
ついに、恐れていた事態が動き出しました」
日下部はスクリーンを操作し、テラ・ノヴァからの最新映像を投影した。
そこに映っていたのは、前線基地(FOB)のさらに奥地、新たに造成された区画だ。
巨大なコンクリートの建屋の中に、不気味な緑色の光を放つ円筒形の機械が、何十台も整然と並んでいる。
高速回転する機械音が、映像越しにも伝わってくるようだ。
「……これは?」
経産大臣が眼鏡を押し上げ、目を細めた。
「『遠心分離機(Centrifuge)』です。
テラ・ノヴァで採掘されたウラン鉱石を粉砕し、六フッ化ウランガスにして高速回転させ、核分裂性物質であるウラン235を濃縮するための装置です」
日下部は淡々と、しかし重く告げた。
「現地時間で昨日未明。
工藤創一氏は、ウラン濃縮プロセスの準備を正式に開始しました。
目的は、原子力発電所の燃料確保、および……」
彼は一呼吸置いた。
「核兵器への転用も可能な、高濃縮ウランの生成です」
シン……。
会議室の空気が凍りついた。
ついに来たか、という沈黙。
これまでも予感はあった。工藤創一がエネルギー不足を嘆き、ウランを探していたことは知っていた。
だが、実際に「濃縮」が始まったという事実は、被爆国である日本の指導者たちにとって、あまりにも重い意味を持つ。
「……始まったか」
総理が呻くように呟いた。
「パンドラの箱の、最後の蓋が開いたな。
木材、石油、ナノマシン、レーダー……。
数々のタブーを踏み越えてきたが、こればかりは次元が違う。
『核』だ」
「ええ。
工藤氏本人は『電気が欲しいだけ』『ついでに強い弾丸(劣化ウラン弾)が作りたい』と無邪気に言っていますが……。
客観的に見れば、これは日本が核武装能力を持ったに等しい事態です」
防衛大臣が顔をしかめた。
「技術的には可能でも、政治的には自殺行為だ。
もしこの事実が漏れれば、NPT(核拡散防止条約)体制への挑戦とみなされる。
国際社会からの制裁は免れんぞ」
「ですが大臣」
官房長官が低い声で割って入った。
「隠し通せる段階は過ぎました。
テラ・ノヴァでの電力需要は爆発的に増大しています。
レーダー網を維持し、さらに拡張するためには、蒸気機関やソーラーパネルでは限界がある。
原子力への移行は不可避です。
……問題は、それをどうやって『国内』および『世界』に説明するかです」
官房長官は鋭い視線を巡らせた。
「国民に黙っているわけにはいきません。
いずれ、どこかから漏れます。
それに、テラ・ノヴァから持ち込まれる物資の中に、微量の放射性物質が混入するリスクもある。
『何もしていません』では、後で取り返しがつかないことになる」
「……では、公表すると?」
「『核兵器を作っています』とは言えませんよ。
ですが……『次世代エネルギーの研究』としてなら、どうでしょう?」
日下部が提案した。
「例えば、『研究施設において、高効率な次世代原子力発電(例えば小型モジュール炉や、レーザー濃縮技術)の基礎実験を開始した』と発表するのです。
あくまで平和利用、エネルギー安全保障のためであると強調して」
「……国内の反発は必至ですね」
内閣情報官が懸念を示す。
「アレルギー反応は凄まじいでしょう。
野党や市民団体は蜂の巣をつついたような騒ぎになる。
『核実験か!』『再稼働反対!』と、官邸前でデモが起きる未来が見えます」
「だが、嘘をつき通してバレた時のダメージよりはマシだ」
総理が決断を下した。
「『管理された実験』であると公表し、透明性を(ある程度)担保するふりをする。
ガス抜きだ。
それに……これは外交カードにもなる」
総理の目が、たぬきのような狡猾な光を帯びた。
「『日本はいつでも核を持てる』という潜在的な 能力(ポテンシャル) を、世界にチラつかせることになる。
公式には否定しつつも、技術的には完成していると匂わせる。
……いわゆる『核のブラフ』だ」
「なるほど。
『我々を追い詰めると、何をするか分かりませんよ』というメッセージですか」
外務大臣が頷いた。
「北朝鮮やイランがやっている瀬戸際外交を、技術大国日本が本気でやれば……その脅威度は桁違いです」
「ええ。
ただし、アメリカと中国の反応が怖いですな」
防衛大臣が天井を仰いだ。
「特にアメリカだ。
彼らは日本の核武装を絶対に許さない。
『ナノマシンは目をつぶったが、核は別だ』と、空母を東京湾に寄越すかもしれんぞ」
「……いえ、大臣。
そこなんですが」
日下部が、奇妙な顔で口を挟んだ。
「私の分析では……彼らの反応は、もっと『冷めた』ものになると思います」
「冷めた?
どういうことだ?」
「彼らはすでに知っているからです。
日本が『核兵器より恐ろしいもの』を持っていることを」
日下部は、モニターに映る『バンドエイドトMK3』と『位相空間スキャナー』のデータを並べて表示した。
「考えてもみてください。
死なない兵士を作り出し、地球の裏側まで透視できる国が、今更『核分裂』ごときで騒いだところで……。
『えっ、今更そこ?』というツッコミが入るのがオチです」
会議室に、乾いた失笑が漏れた。
確かにそうだ。
SFレベルのオーバーテクノロジーを乱発している日本が、20世紀の技術である核開発を始めたところで、脅威のレベルが下がることはあっても上がることはない。
「アメリカにしてみれば、『核なんて時代遅れのおもちゃより、もっとMK3を寄越せ』と言うでしょうね。
あるいは『核廃棄物の処理もナノマシンで消せるんだろ?』と、無理難題を吹っかけてくる可能性の方が高い」
「……確かに。
感覚が麻痺しているのは、我々だけではないか」
総理が苦笑した。
「では中国は?」
「中国は……もっと厄介です」
内閣情報官が報告書をめくる。
「彼らは現在、日本に対して『求愛』モードに入っています。
『日本保護区構想』を掲げ、日本を自陣営に取り込もうと必死です。
そんな中で日本が核開発を始めたと知れば……」
「怒るか?」
「いえ、逆です。
『肯定』するでしょう」
「肯定!?」
「はい。
『日本がアメリカの核の傘から脱却し、自立しようとしている!』と勝手に解釈し、諸手を挙げて歓迎する可能性があります。
『中国は日本の核保有を支持する。共にアジアの平和を守ろう』などと言い出し兼ねません」
全員が顔をしかめた。
敵対されるより、 味方面(づら) される方が質が悪い。
中国の核の傘と日本の技術力が合体すれば、それこそ悪夢の 枢軸(アクシス) だ。
「……頭が痛いな。
核を持っても怒られないどころか、褒められるかもしれないとは。
世界はどうなってしまったんだ」
外務大臣が嘆く。
「いずれにせよ、方針は決まりました」
総理がまとめた。
「1.国内向けには『次世代エネルギー実験』として公表し、ガス抜きを図る。
2.国外向けには『平和利用』を強調しつつ、潜在的核抑止力としてブラフに使う。
3.工藤氏には『安全対策を徹底しろ』と釘を刺しつつ、思う存分発電してもらう。
……これでいいな?」
「異議なし」
閣僚たちが頷く。
毒を食らわば皿まで。
ナノマシン中毒になった世界なら、放射能の一つや二つ、スパイス程度にしかならないだろう。
だが。
日下部は手元の資料の最後の一枚をめくり、表情を引き締めた。
「……さて、本題はここからです。
アメリカ、中国に続く、第3のプレイヤー。
北の熊——ロシアについてです」
その言葉に、室内の空気が再び張り詰めた。
「彼らもまた、日本の『異変』に気づきました。
ウクライナにかかりきりで遅れを取っていましたが……ここに来て、猛烈な巻き返しを図っています」
日下部はモニターを切り替え、東京の3Dマップ——『位相空間スキャナー』の映像を表示させた。
そこには、港区や新宿、そして新木場周辺に点在する、赤いマーカーが無数に表示されていた。
「これらは全て、過去48時間以内に日本に入国し、不審な動きを見せている『ロシア国籍の男性』たちです。
観光客、ビジネスマン、あるいは船員を装っていますが……。
骨格、筋肉の付き方、歩き方。
全てが軍事訓練を受けた者のそれです」
「……工作員か」
警察庁長官が目を細めた。
「はい。
SVR(対外情報庁)、GRU(情報総局)。
そして……最悪の部隊、『ザスローン(Zaslon)』の隊員も確認されています」
「ザスローン……!
ロシア対外情報庁の掃除屋か。
暗殺、拉致、破壊工作。
証拠を残さず、任務のためなら一般人の犠牲も厭わない連中だ」
公安調査庁長官が補足する。
「彼らの目的は明白です。
『実力行使』です」
日下部は断言した。
「アメリカや中国のように、外交ルートや経済的圧力といったまどろっこしい手段は使いません。
彼らは直接、日本の『秘密』を物理的に奪いに来ました。
ターゲットは……新木場の関連施設、あるいは海道重工の技術者」
ダンッ!
防衛大臣が机を叩いた。
「許せん!
テロリスト同然ではないか!
主権国家に対する明らかな攻撃だ!」
「ええ。
ですが彼らは、自分たちが『見えていない』と思っています」
日下部は、冷酷な笑みを浮かべた。
「ロシアは、日本の『位相空間スキャナー』の存在を知りません。
アメリカや中国がそれを共有していることも知らない。
彼らは、『日本は脇が甘い』『工作員を送り込めば簡単に潜り込める』と高をくくっています」
日下部はモニターを操作し、ズームインした。
都内の安ビジネスホテルの一室。
そこには、銃の手入れをしているロシア人たちの姿が、壁を透かして映し出されていた。
彼らの会話も、クリアに聞こえてくる。
『……作戦は今夜2時だ。
警備の交代時間を狙って、トラックに突っ込む。
邪魔する奴は全員殺せ』
『日本の警察など案山子だ。
何も気づいていない』
「……滑稽ですね」
日下部がポツリと言った。
「彼らは自分たちが闇の中に潜んでいるつもりですが、我々からはスポットライトを浴びているように丸見えです。
武器の隠し場所、作戦計画、連絡網。
全てが筒抜けです」
「……哀れだな」
総理が溜め息をついた。
「情報格差とは、かくも残酷なものか。
彼らは裸で戦場に立っていることに気づいていない」
「どうしますか、総理?
泳がせますか?
それとも……」
警察庁長官が、獲物を狙う猛獣の目で尋ねた。
「排除だ」
総理は即答した。
「テラ・ノヴァの秘密、そして国民の安全を脅かす者は、容赦なく排除せよ。
ただし、公にしてはならん。
外交問題にする価値もない」
「承知しました。
……公安の精鋭部隊、および『協力者』を動員します」
日下部は、ある男の顔を思い浮かべた。
鬼塚ゲン。
MK1によって超人と化した元公安刑事。
そして、彼の指揮下にあるマクドウェル家の私兵集団『ブラック・オニキス』。
「ロシアの精鋭部隊VS日本の超人&米国の傭兵。
……勝負は見えていますね」
◇
その夜。
東京湾岸、新木場の倉庫街。
冷たい海風が吹き抜ける深夜2時。
闇に紛れて、数台の黒いワンボックスカーが接近していた。
ロシアの特殊部隊『ザスローン』の襲撃チームだ。
「目標まで500メートル。
警備員の配置に変更なし。
……行けるぞ」
リーダーのイワン大尉が、暗視ゴーグル越しに囁く。
彼らの計画は完璧だった。
陽動班が爆発を起こし、その隙に突入班が重要物資を強奪する。
日本の警察が到着する頃には、彼らはすでに海の上だ。
そう信じていた。
「突入10秒前。
……5、4、3……」
カウントダウンがゼロになる瞬間。
パァァァン!!
突如、強烈な 探照灯(サーチライト) が四方八方から照射され、彼らを真昼のように照らし出した。
「なっ!?」
「待ち伏せか!?」
イワンたちが動揺する間もなく、倉庫の屋根、コンテナの影、マンホールの下から、無数の銃口が突きつけられた。
「動くな! 公安だ!」
「武器を捨てろ! 貴様らの包囲は完了している!」
スピーカーから警告が響く。
日本の公安警察のSAT(特殊急襲部隊)だ。
それだけではない。
彼らの背後には、米軍仕様の装備に身を包んだ『ブラック・オニキス』の傭兵たちが、ニヤニヤしながら退路を断っていた。
「馬鹿な……!
なぜバレた!?
通信は暗号化していたはずだ!
集合場所も直前まで伏せていたのに!」
イワンは混乱した。
情報漏洩の可能性はないはずだ。
内部に裏切り者がいるのか?
だが、答えはもっと単純で、絶望的だった。
上空——見えない「神の眼」が、彼らの心拍数から作戦開始のタイミングまで、全てをカウントダウンしていたのだ。
「抵抗するな!
……と言いたいところだが」
闇の中から、一人の男が歩み出てきた。
スーツ姿の初老の男。
鬼塚ゲンだ。
彼は武器を持っていない。素手だ。
「少し運動不足でね。
ロシアの特殊部隊の実力、見せてもらおうか」
「舐めるなッ!!」
イワンは反射的にサブマシンガンを構え、鬼塚に向けて発砲した。
タタタタッ!
9mm弾が放たれる。
だが、鬼塚は消えた。
「遅い」
背後からの声。
振り返る暇もなく、イワンの視界が天と地ひっくり返った。
鬼塚に襟首を掴まれ、コンクリートの地面に叩きつけられたのだ。
ゴシャッ!!
イワンの意識が飛ぶ。
残りの隊員たちが一斉に射撃を開始するが、鬼塚は弾丸の雨の中を悠然と——しかし残像を残すほどの速度で——駆け抜けた。
殴る。蹴る。投げる。
単純な暴力。
だが、その威力は人間を超越していた。
防弾ベストの上から肋骨をへし折り、強化ヘルメットを素手で握り潰す。
「ば、化け物……!」
「撤退! 撤退だ!」
だが逃げ場はない。
周囲を固めるSATと傭兵たちが、逃げようとする者を容赦なく制圧していく。
それは戦闘ではなかった。
完全情報下における、一方的な「害虫駆除」だった。
わずか10分後。
路上には、手足を縛られ、芋虫のように転がるロシアの工作員たちが並べられていた。
誰一人として逃げおおせた者はいない。
「……弱すぎる」
鬼塚は、埃を払ってスーツの襟を直した。
息一つ切れていない。
「バイターの方が、まだ手応えがあるな」
彼は無線機を取り出した。
「日下部さん。
掃除完了です。
……ゴミの分別は、どうしますか?」
『ご苦労さまです、鬼塚さん』
インカムから日下部の声が響く。
『彼らは外交ルートを通じて、丁重にロシア大使館へお返ししましょう。
「夜道で迷子になっていたようなので保護しました」というメモを添えてね』
それは最大の屈辱だ。
「お前たちの動きは全てお見通しだ」という無言の宣告。
翌日。
ロシア大使館の前に、ボロボロになった男たちが放り出された。
彼らのポケットには、GPSのログデータが入ったUSBメモリがねじ込まれていた。
そこには、彼らが日本に入国してから捕まるまでの、分単位の移動記録と、密談の音声データが記録されていた。
それを見たボグダノフ大統領が、クレムリンでどんな顔をしたか。
それは想像に難くない。
北の熊は、見えない檻に閉じ込められていることを悟り、震え上がったことだろう。