軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第63話 赤い龍の戦慄と黄金の覇道

中華人民共和国、北京。

紫禁城の西に位置する中南海。

その地下深くに穿たれた国家安全部(MSS)の極秘指令室『深淵の間』は、かつてないほどの重苦しい沈黙と、それを上回るほどの熱に浮かされていた。

換気システムがフル稼働しているにも関わらず、最高級の 龍井茶(ロンジンチャ) の香りと、極度の緊張が強いる脂汗の臭い、そして絶え間なく燻らされる紫煙が混じり合い、呼吸することさえ困難なほどの淀んだ空気を醸成している。

円卓を囲むのは、14億の民を統べる巨龍の頭脳たちだ。

国務院総理の 李(リー) 。

中央軍事委員会副主席の 劉(リュウ) 将軍。

国家安全部長の 張(チャン) 。

そして党の長老会から派遣された数名の重鎮たち。

彼らの視線は、壁一面を覆う巨大スクリーンに釘付けになっていた。

そこに映し出されているのは、中東の荒野で繰り広げられた地獄絵図——アメリカ軍特殊部隊と、中国が支援した武装勢力との戦闘記録映像である。

だがそれは、彼らが予想していた「米軍の苦戦」でもなければ、「物量による圧殺」でもなかった。

映し出されていたのは、物理法則と生物学的常識を蹂躙する、悪夢のような一方的な虐殺劇だった。

映像の中で、一人のアメリカ兵が撃たれる。

大口径の銃弾が防弾プレートを貫通し、腹部を食い破る瞬間がスローモーションで再生される。

鮮血が舞い、兵士が崩れ落ちる。

誰の目にも致命傷だ。助かるはずがない。

しかし次の瞬間、倒れた兵士が懐から灰色のインジェクターを取り出し、自らの傷口に突き立てる。

そこから先は、魔法としか表現しようのない光景だった。

傷口から灰色の泡が溢れ、肉が盛り上がり、瞬く間に塞がっていく。

兵士は苦痛に歪んでいた表情を一変させ、獣のような咆哮を上げて立ち上がり、再び銃を構えて突撃を開始する。

「……こ、これは……」

劉将軍が掠れた声で呻いた。

彼の手にある茶碗は、無意識のうちに加えられた握力によってヒビが入っている。

「ゾンビだ。

いや、ゾンビよりも質が悪い。

知能を持ち、武装し、連携し、そして死なない兵士たちだ……」

スクリーンでは、同じような光景が繰り返されていた。

腕を吹き飛ばされかけた兵士が、その場で接合して復帰する。

全身をハチの巣にされた兵士が、何事もなかったかのように起き上がる。

圧倒的な火力と物量で包囲していたはずの傭兵部隊が、恐怖に顔を引きつらせ、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑っている。

それは戦闘ではなかった。

不死者による狩りだった。

「報告によれば、この部隊は40分間の激戦の末、敵勢力150名を壊滅させ、味方の死者はゼロ。

……繰り返します。死者はゼロです」

張部長が震える手で報告書を読み上げる。

その額には大粒の汗が滲んでいた。

「使用されたのは、日本から供与された『バンドエイドMK3』。

我々が『劣化版』『量産型』と侮っていた、あの灰色の薬です」

ダンッ!!

李総理がテーブルを拳で叩きつけた。

重厚な音が響き渡り、周囲の参謀たちがびくりと肩を震わせる。

「見くびっていた……!

我々は致命的なまでに、見くびっていたのだ!

あれが劣化版だと?

冗談ではない!

あれは『戦術核』に匹敵する戦略兵器ではないか!」

総理は立ち上がり、スクリーンを指差して叫んだ。

「見ろ! あの兵士たちの目を!

痛みを感じていない! 恐怖を感じていない!

ただ任務を遂行するためだけの殺戮機械と化している!

こんな軍隊と、どうやって戦えと言うのだ!

人民解放軍の兵士が100人かかっても、死なない1人の米兵に勝てる保証がないぞ!」

会議室は凍りついたような静寂と、沸騰するような焦燥感に支配された。

中国が誇る人海戦術。

数の暴力。

それが「不死」という絶対的な質の暴力の前では無力化されるという現実。

国防の根幹が揺らぐ音が、彼らの耳にはハッキリと聞こえていた。

「……懸賞金は」

党の長老の一人が、しわがれた声で口を開いた。

車椅子に深く沈み込んだその体は、老いと病魔に蝕まれているが、眼光だけは異様なほど鋭く光っている。

「MK3に懸けた100万ドルの賞金……。

あれは直ちに取り下げよ」

「長老……?」

「分からんのか!

これ以上、アメリカを刺激するなと言っているのだ!」

長老は激しく咳き込みながら、杖で床を突いた。

「あの映像を見れば分かるだろう。

アメリカ軍は今、無敵の万能感に酔いしれている。

同時に、この力を守るためなら手段を選ばない狂気も帯びている。

ウォーレン大統領が『全面戦争も辞さない』と言ったのは、ブラフではないかもしれん。

……不死身の軍隊を手に入れた国が、何を恐れる?

核の報復さえ恐れずに、北京に強行突入してくる可能性すらあるのだぞ!」

その指摘に、劉将軍も青ざめた顔で頷いた。

「長老の仰る通りです。

今の米軍と正面から事構えれば、我が軍の損害は計り知れない。

まずは事態の沈静化を図るべきです。

MSSの工作員を一時撤収させ、賞金も『架空の組織の暴走』として処理し、取り消しましょう。

……今は頭を下げる時です」

屈辱的な撤退。

だが、生存のためには必要な判断だった。

龍は一時的に爪を隠し、嵐が過ぎ去るのを待つしかない。

しかし会議室の空気は、敗北感だけで塗りつぶされていたわけではなかった。

恐怖の裏側で、どす黒く、そして強烈な「希望」の炎が燃え上がっていたからだ。

「……だが、諸君」

張部長がスクリーンを見つめながら呟いた。

その声には、恐怖を超えた恍惚が混じっていた。

「逆説的に考えてみようではありませんか。

あの『MK3』は、日本側が『量産型』『簡易版』と呼んでいたものです。

外傷治療に特化し、機能を制限した廉価版だと」

張は以前、日本から入手した(拾わされた)MK1の残骸が入ったケースを、愛おしげに撫でた。

「あの『劣化版』ですら、戦場でこれほどの奇跡を起こすのです。

死にかけた兵士を蘇らせ、五体満足で戦線復帰させるほどの力を発揮する。

……ならば」

張は言葉を区切り、全員の顔を見回した。

「『オリジナル(本物)』は、一体どれほどの力を持っているというのですか?」

ゴクリ。

誰かが生唾を飲み込む音が、静寂に響いた。

劣化版でさえ、死人を蘇らせるに近い効果がある。

ならば、日本政府が厳重に隠蔽し、世界のVIPにのみ限定的に使用している『医療用キット(オリジナル)』は?

あるいは、そのさらに上位に位置するかもしれない技術は?

「……不老不死」

李総理が、夢遊病者のように呟いた。

「いや、それ以上だ。

神の如き全能。

永遠の若さ。

あらゆる病魔からの解放。

……それは伝説や神話の中の話ではなかったのだ」

総理の脳裏に、日本から届いた海道サクラの治療映像が蘇る。

先天性の心疾患が消え、少女が走り回る姿。

あれはMK3など比較にならない「完全なる再生」だった。

「感動的だ……。

震えが止まらんよ」

長老が涙ぐみながら、天井を仰いだ。

「我々は人類史の転換点に立っているのだ。

日本という小さな島国が、いつの間にかオリンポスの山頂に到達していたのだ。

彼らはすでに神々の 酒(ネクタル) を醸造している!」

興奮が伝播する。

先程までの敗北感は消え失せ、代わりに強烈な欲望と野心が鎌首をもたげた。

「欲しい……!」

「なんとしてでも手に入れねばならん!」

「中華民族こそが、その力を継承するにふさわしい!」

口々に叫ぶ幹部たち。

だが、その方法は以前のような「強奪」や「恫喝」ではなかった。

アメリカ軍の変貌を目の当たりにした彼らは、力ずくで奪うことの不可能性と、リスクの高さを骨の髄まで理解したからだ。

「……方針を転換する」

李総理がギラギラとした目で宣言した。

「日本に対する敵対的行動は、全て停止せよ。

スパイ活動も破壊工作もだ。

これからは『求愛』の時間だ」

「求愛ですか?」

「そうだ。

日本を脅すのではない。

日本を取り込むのだ。

アメリカ以上の『好条件』を提示し、彼らを我々の陣営に引き入れる」

総理は立ち上がり、世界地図の前に歩み寄った。

彼の手が、日本列島と中国大陸を繋ぐように動く。

「日本には技術がある。

だが、資源がない。国土がない。市場が小さい。

アメリカの属国として生きるには、彼らの持っている技術は大きすぎる。

いずれアメリカに潰されるか、吸い尽くされる運命だ」

「そこで、我々の出番というわけですね」

外交担当の王が、総理の意図を察して笑みを浮かべた。

「中国には広大な国土がある。

14億の巨大市場がある。

そして何より、党による強力な指導体制がある。

日本の技術と中国の国力が融合すれば……」

「……世界覇権だ」

劉将軍が呻くように言った。

「アメリカなど敵ではない。

『日中同盟』……いや、『東アジア共栄圏』の再来か。

不死身の軍隊と、無尽蔵の生産力。

この二つが揃えば、地球上に我々を止められる勢力は存在しない!」

夢物語ではない。

日本の『医療用ナノマシン』と『監視システム』。

それらが中国の手に渡り、正式な技術供与が行われれば、それは現実となる。

アメリカが独占しようとしている未来を、横から掠め取るのだ。

「日下部参事官の提案した『保護区』……。

あれは屈辱的な条件だと思っていたが、今思えば日本からのSOSだったのかもしれん」

張部長が独りごちた。

「彼らもアメリカの圧力に苦しんでいる。

だからこそ、中国というカウンターバランスを求めた。

……ならば、それに応えてやろうではないか」

李総理は頷き、指示を飛ばした。

「直ちに日本政府とのホットラインを開け。

態度は極めて友好的に。

『アメリカ軍によるMK3の乱用を憂慮する』というポーズを取りつつ、

『中国は日本の平和利用の精神を尊重し、全面的に協力する用意がある』と伝えろ」

「レアメタルについては?」

「妥協せよ。

関税を撤廃し、日本の深海採掘を黙認する。

いや、むしろ協力姿勢を見せろ。

海道重工との提携も進めるのだ。

金に糸目はつけるな。

日本の歓心を買うためなら、国家予算の半分を使っても惜しくはない!」

狂気じみた決断。

だが、その対価として得られる「不老不死」と「世界覇権」を考えれば、あまりにも安い投資だった。

長老が震える手で茶を啜り、恍惚とした表情で呟いた。

「……日本よ。

早く来い。

我々の懐へ飛び込んでこい。

アメリカという野蛮な鷲よりも、同じアジアの龍の方が居心地が良いはずだ……」

地下指令室の空気は、熱狂的な片思いと、底知れぬ下心が入り混じった、ドロドロとしたものに変質していた。

彼らはまだ知らない。

自分たちが求愛している相手——工藤創一という男が、そんな地政学的な野望など歯牙にもかけず、ただ「工場のラインをどう組むか」だけを考えているという事実を。

そして、その工場が吐き出す煙が、やがて龍をも窒息させるほどの猛毒——放射能という名の次のステップ——を含み始めていることを。

北京の夜明け。

紫禁城の屋根に朝日が差し込む頃、中国政府は歴史的な方針転換を決定した。

「反日」から「親日(併呑)」へ。

その歪んだ愛は、日本という国をより深く、より逃れられない泥沼へと引きずり込もうとしていた。