軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第52話 星条旗の守護者と与えられた全知

アメリカ合衆国バージニア州ラングレー。

CIA本部から数キロ離れた森の中に、地図には記載されていない無機質なコンクリートの施設が存在する。

通称『サイト・オメガ』。

かつて冷戦時代に核シェルターとして建設され、現在は国家安全保障局(NSA)と中央情報局(CIA)が合同で管理する、最高機密レベルの通信傍受・解析センターとして運用されている場所だ。

その最深部、地下10階にある『第7戦術情報室』。

分厚い防音扉の前に、一人の男が立っていた。

デイビッド・ミラー上級分析官。

40代半ば、元海兵隊の情報将校であり、中東での潜入任務や対テロ作戦の指揮経験を持つ。

現場とデスクワークの双方を知り尽くしたベテランだ。

だが、そんな彼でさえ、今日という日の緊張感は異常だった。

早朝、自宅に黒塗りの車が迎えに来たかと思えば、目隠しをされてこの施設に連行され、弁護士でも読み解くのに数日かかりそうな誓約書(NDA)にサインさせられたのだ。

『国家反逆罪』という単語が、契約書の至る所に散りばめられていた。

「……入れ」

インターホン越しに女性の声が響いた。

デイビッドは深呼吸をして、生体認証パネルに手をかざした。

重厚な油圧音が響き、扉が開く。

中は薄暗いオペレーションルームだった。

壁一面に巨大なスクリーンが設置され、その前には航空機のコックピットを思わせる複雑なコンソールデスクが鎮座している。

そして、そのデスクに腰掛け、脚を組んで彼を待っていたのは、CIA長官エレノア・バーンズ、その人だった。

「長官……!」

デイビッドは反射的に直立不動の姿勢を取った。

雲の上の存在である長官が、たった一人でここで待っていたことの意味。

それは、この部屋で行われることが、大統領直轄レベルの極秘事項であることを示していた。

「楽にして、ミラー分析官。

貴方をここに呼んだのは、他でもない。

貴方の能力と、これまでの忠誠心を高く評価してのことよ」

エレノアは立ち上がり、ゆっくりと彼に歩み寄った。

「貴方は選ばれました。

今日から貴方には、あるシステムの『オペレーター』になってもらいます」

「オペレーター……ですか?」

デイビッドは眉をひそめた。

彼の階級は現場指揮官クラスだ。

今更、端末を叩くオペレーターに降格ということか?

「不満そうね。

でも誤解しないで。

これは、ただのオペレーターじゃない。

神の視座に座る、唯一の人間よ」

エレノアはコンソールの電源を入れた。

ブォン、という重低音と共に、壁一面のスクリーンが光を放つ。

「これは……」

そこに映し出されたのは、見慣れたワシントンD.C.の地図だった。

だが、何かが違う。

通常の衛星写真や電子地図とは根本的に異なる、異様な質感を持っていた。

建物が半透明のワイヤーフレームで描かれ、その内部で無数の光の粒子が脈動している。

「日本から貸与された最新鋭の広域監視システム。

コードネーム『グラス・アイ(硝子の眼)』よ」

「日本から?

同盟国とはいえ、外国のシステムを中枢に?」

「ええ。

彼らが開発した『ナノマシン・レーダー網』です」

エレノアは、日下部から吹き込まれた嘘を、そのまま真実として語った。

彼女自身もそれを信じているし、部下に対しても、その説明が最も合理的だからだ。

「ナノマシン……?

まさか、SF映画のスマートダストですか?」

「その『まさか』よ。

日本政府は極秘裏に開発した自律型センサー・ナノマシンを、特殊な『ビーコン』と共に提供してきたわ。

現在、ワシントンD.C.の中心部にそのビーコンが設置され、周囲半径100キロメートルの空間に、不可視のナノマシンが充満している」

エレノアはコンソールを指差した。

「座って。

そして、操作してみて」

デイビッドは半信半疑のまま、革張りのシートに座った。

手元にはキーボードの他に、球体状のトラックボールと、複雑なダイヤルがついたコントローラーがある。

彼は恐る恐るトラックボールを動かした。

シュッ。

画面が滑らかに動いた。

遅延(ラグ) がない。

まるで、自分の眼球を動かしているかのような追従性だ。

「ズームインしてみて。

場所はどこでもいいわ。

例えば……ユニオン駅とか」

言われるがままに操作する。

視点が降下し、駅の巨大なドーム屋根に近づく。

そして——突き抜けた。

「なっ!?」

屋根を透過し、構内の雑踏が映し出された。

行き交う人々、ベンチに座る老人、売店の店員。

それらがサーモグラフィーとX線を合わせたような、高精細な3次元モデルとして描写されている。

「見えますか、ミラー捜査官。

これが日本の技術です。

壁も地下も夜闇も関係ない。

空間そのものをスキャンし、再構築しているのです」

「……馬鹿な。

これほどの解像度で?

衛星監視システム『キーホール』でも、新聞の文字までは読めませんが……」

デイビッドは、さらにズームした。

ベンチでスマートフォンを操作しているサラリーマンの手元。

画面の文字が読める。

メールの内容まで識別できる。

「……音声も聞けるわよ。

そこのフェーダーを上げて」

彼が震える手でつまみを上げると、ノイズ混じりの音がクリアになった。

『……だから言っただろ、あの株は売れって』

『でも、まだ上がると……』

電話の会話だ。

マイクなどないのに、空気の振動を拾っているのだ。

「こ、これは……」

デイビッドは戦慄した。

背筋に冷たい汗が流れる。

長年インテリジェンスの世界に身を置いてきた彼だからこそ、この技術の異常性が理解できる。

これは「監視」のレベルを超えている。

「全知」だ。

「凄いテクノロジーです……!

日本は、いつの間にこんな怪物を……」

「彼らは『医療用の副産物』だと言っているわ。

人体の中を見る技術を、都市に応用しただけだと」

エレノアは苦々しげに言った。

「対象エリアは、ワシントンD.C.だけじゃないわ。

ニューヨーク、そしてロサンゼルス。

この3都市の中心部に『ビーコン』が設置されたことで、それぞれ半径100キロメートル圏内をカバーしている」

彼女がメインメニューを操作すると、アメリカ全土の地図が表示され、3つの巨大な円が青く輝いた。

アメリカの政治、経済、そして文化の中心地。

その全てが、今このコンソールから覗き見ることができる。

「貴方の任務は、この『天からのカメラ』を使って、テロ計画者を捕まえることよ」

エレノアの声が厳しくなる。

「最近、国内で過激派の動きが活発化している。

従来の手法——通信傍受や、ヒューリント(人的諜報)——では尻尾を掴めないケースが増えているわ。

彼らはデジタルの痕跡を残さず、密室で会合を開き、アナログな手段で計画を進めている」

「ですが、このシステムがあれば……」

「ええ。

密室は、もう存在しない。

彼らが地下室で爆弾を作っていようと、森の中で密談していようと、全てお見通しよ」

エレノアはデイビッドの肩に手を置いた。

「貴方達には、この3都市を自由に見る権限を与えます。

裁判所の令状はいらない。

上司の許可もいらない。

怪しいと思ったら、即座にズームし、記録し、分析しなさい。

……法の番人ではなく、狩人になりなさい」

それはアメリカ合衆国憲法修正第4条(不当な捜索・押収の禁止)を、真っ向から否定する命令だった。

だが、この部屋に憲法は届かない。

「ただし」

エレノアは画面上の一角を指差した。

そこには黒いノイズのような「モザイク」がかかっているエリアがあった。

「制限事項があるわ。

マップ上には『マスキング』されたエリアが存在する」

「マスキング?」

「ええ。

例えば、ホワイトハウスの大統領執務室周辺。

ペンタゴンの作戦司令室。

そして……日本大使館と、その関連施設」

エレノアは少し顔をしかめた。

「これらの場所は、システム的にロックされていて、我々でも中を見ることはできない。

日本側が『技術保護』と『同盟国への配慮』という名目で設定したブラックボックスよ」

「……なるほど。

日本大使館は、見えないですか」

デイビッドは察した。

これは日本からの「借り物」なのだ。

首輪付きの番犬。

だが、その首輪を受け入れてでも、この力は魅力的すぎる。

「マスキングエリア以外は自由です。

一般市民の寝室だろうが、企業の会議室だろうが、全て貴方の監視下にある。

……その意味が分かるわね?」

「はい。

プライバシーの死ですね」

「そう。

でも、それによって救える命がある。

……頼んだわよ、ミラー捜査官。

この『硝子の迷宮』の中で、アメリカを脅かすネズミを一匹残らず駆除して頂戴」

エレノアはそう言い残し、部屋を出て行った。

重厚な扉が閉まり、電子ロックがかかる音が響く。

残されたデイビッドは、広大なスクリーンの前に一人、佇んでいた。

画面の中では、無数の人々が生活を営んでいる。

彼らは知らない。

今、頭上から自分たちの全てが見下ろされていることを。

「……神の視点か」

デイビッドは呟き、コンソールに向き直った。

彼はターゲットのリストを入力した。

テロ組織の支援者と目される、ある実業家の名前。

即座にシステムが反応し、ニューヨークのマンハッタンにある高級アパートの一室を表示した。

壁が透ける。

男が電話をしている。

その声が鮮明に聞こえてくる。

『……ああ、計画は順調だ。今夜、港の倉庫で……』

「……見つけた」

デイビッドの指が動く。

恐怖と同時に、抑えきれない高揚感が彼を包んでいた。

これは全能感だ。

誰にも知られず、誰の秘密でも暴くことができる力。

それは麻薬のように甘く、そして危険な味がした。

彼は知らなかった。

このシステム自体が日本——テラ・ノヴァにある日下部のモニターともリンクしており、彼が「誰を監視しているか」さえも日本側に筒抜けであることを。

彼は狩人になったつもりだが、実際には「日本の手のひら」という巨大な檻の中で飼われた、優秀な猟犬に過ぎなかったのだ。

一方、日本。首相官邸地下。

日下部は手元のタブレットで、アメリカの稼働状況を確認し、満足げにコーヒーを啜った。

「起動しましたね。

アメリカのオペレーターも、真面目に働いてくれているようだ」

画面には、デイビッドがニューヨークのテロリストを追跡しているログが表示されている。

彼の操作履歴、注目したエリア、録音した音声。

その全てがバックドアを通じて、日本側にもリアルタイムで送信されていた。

「ギブアンドテイクですからね」

日下部は笑った。

アメリカが国内のテロリストを監視すればするほど、そのデータは日本にも蓄積される。

アメリカの治安維持活動が、そのまま日本のインテリジェンス資産になる仕組みだ。

「それに、彼らがこのシステムに依存すればするほど……もう手放せなくなる」

一度「全知の眼」を手に入れた人間は、盲目だった頃には戻れない。

アメリカは今後、このビーコンを維持するために、日本の要求——テラ・ノヴァ関連の無理難題——を呑まざるを得なくなるだろう。

「ビーコンを止めますよ?」という一言が、核ミサイル以上の脅しになるからだ。

「さて、次は中国か」

日下部は視線を、東シナ海の向こうへと向けた。

アメリカが落ちたなら、中国も時間の問題だ。

彼らの猜疑心と支配欲は、アメリカ以上だ。

「監視の甘い果実」を見せつければ、必ず食いついてくる。

硝子の迷宮は、確実に世界を飲み込み始めていた。

そして、その中心で日下部は静かに糸を引いていた。

胃薬の瓶を片手に、世界の管理者を演じながら。