軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第50話 空虚な採集と愉快な誤解

東京都港区六本木。

深夜の雨に煙るアメリカ大使館の敷地内で、奇妙な作業が行われていた。

防護服に身を包んだ数名の男たちが、最新鋭の大気採取装置——通称『バキューム・スニファー』を空に向けて稼働させている。

周囲には厳重な警戒線が張られ、CIAの科学技術班が血眼になってモニターを睨みつけていた。

「……どうだ? 何か捕れたか?」

現場責任者の捜査官が、焦燥感を隠さずに尋ねる。

だが分析官は、首を横に振るばかりだった。

「いえ……何も。

窒素、酸素、アルゴン、二酸化炭素。

それに微量のPM2.5と花粉。

極めて正常な、東京の夜の空気です」

「馬鹿な! 感度を上げろ!

日本政府は『ここを見ている』んだぞ!

ナノマシンが飛んでいないはずがない!」

責任者は怒鳴り散らした。

彼らは確信していた。

日本が構築した『広域監視システム』の正体は、空気中に散布された無数の極小ナノマシン——『スマートダスト』であると。

ならば、その現物を捕獲し解析すれば、日本の技術を丸裸にできるはずだ。

そう考えて彼らはここ数日、大使館の屋上や窓から必死に空気を吸い続けていた。

しかし結果は「シロ」。

あまりにも完璧な「無」だった。

「……恐らく、自壊しています」

分析官が震える声で、推測を述べた。

「自壊?」

「はい。

日本のナノマシン技術は、我々の想像を絶するレベルにあります。

任務を終えた個体、あるいは一定時間が経過した個体は、即座に分子レベルまで分解し、ただの窒素や炭素に戻るようにプログラムされているのでしょう。

『証拠を残さない』という、徹底した隠蔽工作です」

「……そこまでやるか、日本め」

責任者は空を睨みつけた。

雨粒の一つ一つが、自分たちをあざ笑う日本の監視カメラに見える。

見えない。捕まえられない。

だが確実に見られている。

その事実は、彼らの精神をじわじわと追い詰めていた。

翌日。

首相官邸地下5階『特別情報分析室』。

エレノア・バーンズCIA長官は、重厚な扉の前で深呼吸をした。

彼女の背後には、アメリカ国家安全保障局(NSA)から選抜されたトップクラスのオペレーター、ジョン・スミスが控えている。

彼の目には緊張の色が見て取れた。

これから足を踏み入れる場所が、現代における「情報の特異点」であることを理解しているからだ。

「……入ります」

生体認証が通過し、扉が開く。

中から出迎えたのは、内閣官房参事官の日下部だった。

彼はいつも通り、疲れたような、しかし油断のならない笑みを浮かべていた。

「ようこそ、エレノア長官。

そしてNSAのスミス君。

遠路はるばる、日本の『天気予報』を見学に来ていただき光栄です」

「皮肉は結構よ、日下部さん」

エレノアは冷徹に返した。

「貴方たちが天気以外のものを見ていることは、もう分かっているわ。

……今日は、その『眼』の共有と共同利用の可能性について、話し合いに来たの」

「ええ、伺っております。

どうぞ、こちらへ」

日下部は二人を円卓へと案内した。

そして手元のスイッチを押す。

「『ジャミング』起動」

ブゥン……。

空間が断絶する感覚。

スミスが持っていた最新鋭のスマートウォッチが、即座に通信圏外を表示した。

「……徹底していますね」

スミスが唸る。

「ええ。ここでの会話は、国家最高機密に属しますので」

日下部はウィンクをして、メインスクリーンを起動した。

そこに映し出されたのは、現在の東京のリアルタイム映像——『硝子の迷宮』だった。

3次元ワイヤーフレームで構築された都市。

透けて見える建物。流れる人々の光点。

そしてスピーカーから流れる、無数の「会話」の断片。

「こ、これは……」

スミスが絶句した。

彼はNSAで世界中の通信傍受を行ってきたプロだが、こんなものは見たことがない。

衛星写真とも、電波傍受とも違う。

まるで神が雲の上から下界を覗き込んでいるかのような、圧倒的な解像度と網羅性。

「これが貴方たちのシステム……『位相空間レーダー』なのね」

エレノアもまた息を呑んで、画面を見つめていた。

報告書で知ってはいたが、実物を目の当たりにすると、その異質さに肌が粟立つ。

「はい。

現在、新木場を中心とした半径100キロメートル圏内をカバーしています。

ご覧の通り、死角はありません」

日下部は操作コンソールの前にスミスを座らせた。

「どうぞ、触ってみてください。

ただし、アメリカ大使館や米軍基地にはマスキングがかかっていますので、そこは見えませんが」

スミスは、おそるおそるトラックボールを操作した。

視点が滑らかに移動する。

渋谷、新宿、そして横浜へ。

彼は試しに、とある雑居ビルにズームインした。

壁が透け、中のオフィスで働く人々の姿が映る。

机の上の書類の文字まで読める。

「……信じられない。

ラグ(遅延)が全くない。

これほどの膨大なデータを、どうやって処理しているんですか?

それに、このセンサー密度……」

スミスは技術者としての興奮を抑えきれずに、日下部を振り返った。

「やはりナノマシンなんですね?

空気中に億単位のセンサー・デバイスを散布している。

それらがメッシュネットワークを組み、分散処理を行うことで、このリアルタイム生成を実現している……違いますか?」

エレノアも頷く。

彼女たちの結論は揺るがない。

「スマートダストの究極系」。

それ以外に、この現象を説明できる科学的根拠がないからだ。

「……」

日下部は一瞬だけ瞬きをした。

そして内心で、盛大に苦笑した。

(ナノマシン……?)

(なるほど、そう来たか)

日下部にとって、それは予想外だが好都合な誤解だった。

実際にはこれは、テラ・ノヴァにある巨大なレーダー塔が、次元の壁を超えて空間そのものをスキャンしている「異次元テクノロジー」だ。

ナノマシンなど、一粒も飛んでいない。

だが、それを正直に説明したところで信じるわけがないし、テラ・ノヴァの実態(異世界へのゲート)を明かすことになってしまう。

(……「スマートダスト」か。

SF映画の観すぎだが、今の彼らには、それが一番納得できる答えなのだろう。

ならば、それに乗っかるのが一番安全だ)

日下部は、この勘違いを利用することに決めた。

嘘をつくときは、相手が信じたがっている嘘をつくのが一番だ。

「……流石ですね、スミス君。

そして長官」

日下部は感服したように溜め息をついた。

「我々が極秘中の極秘として隠蔽してきた基幹技術を、一目で見抜かれるとは。

……ええ、その通りです。

これは、日本独自のナノテクノロジーによる広域分散型監視網です」

彼はもっともらしく頷いた。

「医療用ナノマシンの開発過程で生まれた副産物でしてね。

空気中を浮遊し、音と光、そして電磁波を感知する極小デバイス……開発コードネーム『蛍(Firefly)』と呼んでいます」

「『蛍』……。

美しい名前ね。やっていることはエゲツないけれど」

エレノアは納得した表情を浮かべた。

やはり、という顔だ。

「ですが、昨日、我々の部隊が大使館周辺で大気採取を行いましたが、何も見つかりませんでした。

あれは?」

「ああ、それは……自壊機能ですよ」

日下部はスラスラと嘘を重ねた。

「『蛍』は極めて繊細です。

吸引されたり、強い衝撃を受けたりすると、即座に分子結合を解いて無害な炭素粉末になります。

証拠隠滅のため……まあ、技術流出を防ぐためのセキュリティですね」

「……やはり。

恐ろしい技術力だわ」

エレノアは戦慄し、そして本題を切り出した。

「日下部さん。

単刀直入に言うわ。

このシステム、ワシントンD.C.にも導入したいの」

「……ほう?」

「テロ対策、要人警護、そして敵国のスパイ摘発。

この『眼』があれば、アメリカの国家安全保障は盤石になる。

もちろん、技術供与に対する対価は支払うわ。

金銭でも、政治的な貸しでも、好きなものを言ってちょうだい」

日下部は顎に手を当てて、考え込むふりをした。

心の中では、笑いが止まらなかった。

アメリカ側から、監視させてくれと頼んでくるとは。

「うーん……。

お気持ちは分かりますが、技術的に難しいですね」

「なぜ?

ナノマシンを散布するだけでしょう?

専用の散布機と受信サーバーがあれば……」

「いえ、そう簡単ではないのです」

日下部は、もっともらしい「技術的制約」をでっち上げた。

「先ほど申し上げた通り、現在の有効範囲は半径100キロです。

これはナノマシン——『蛍』の通信出力の限界なのです。

彼らは小さすぎて長距離通信ができません。

新木場にある『中央制御サーバー』からの制御波が届く範囲でしか活動できず、また収集したデータを送り返すこともできないのです」

「……なるほど。

だから100キロ限定なのか」

スミスが納得する。

無線通信の出力問題なら、エンジニアとして理解できる話だ。

「つまり、ワシントンで使いたければ、ワシントンに『中央制御サーバー』のような巨大な施設を建てる必要があると?」

「そこまで大掛かりではありませんが……。

ええ、現地のナノマシン群を統括し、日本へのデータリンクを確立するための『中継局』が必要です」

日下部はタブレットを操作し、あるデバイスの 設計図(フェイク) を表示させた。

それはテラ・ノヴァで使用している「座標特定用ビーコン」の外見を、少し近未来的にアレンジしたものだ。

「これです。

『広域制御用ビーコン(Area Control Beacon)』。

これを現地の中心部に設置することで、その周囲半径100キロメートル圏内に『蛍』の制御フィールドを展開することが可能になります」

「ビーコン……」

エレノアが、その画像を食い入るように見つめる。

「これをワシントンに置けば、D.C.全域が『視える』ようになるのね?」

「はい。

このビーコンがナノマシンの司令塔となり、収集したデータを圧縮して衛星回線を通じて貴国のNSA本部へ送信する形になります」

嘘である。

実際には、ビーコンを置けばテラ・ノヴァのレーダーが次元を超えてロックオンし、日本側の日下部のモニターにワシントンが丸映りになるだけだ。

「ナノマシンの司令塔」などという機能は存在しない。

ただの「目印」だ。

「ただし、日下部さん」

エレノアが鋭い目を向けた。

「そのビーコン、そしてナノマシンの 制御権(ルート・アクセス) 。

それは誰が握るの?

まさかワシントンの映像が、一度日本を経由してから我々に届くわけじゃないでしょうね?」

鋭い。

だが日下部は、想定問答を用意していた。

「ご安心ください。

システムは現地で完結させます。

ビーコンからのデータはNSAのサーバーに直結させましょう。

我々日本側は、メンテナンスのための『管理用ポート』を確保するだけです。

……ナノマシンの暴走を防ぐための、安全弁としてね」

「……管理用ポートね」

エレノアは鼻で笑った。

そんなものが、ただのメンテナンス用であるはずがない。

日本もまたワシントンを覗き見るつもりだということは明白だ。

だが彼女は、それを拒絶しなかった。

リスクを承知でメリットを取る。

それが諜報の世界だ。

「いいわ。

多少の『覗き見』は目をつぶりましょう。

どうせ今でもエシュロンで、お互いに探り合っている仲だもの。

それよりもロシアや中国、そして国内のテロリストを監視できるメリットの方が大きい」

エレノアは決断した。

「ビーコンを導入するわ。

ワシントンD.C.、ニューヨーク、そしてロサンゼルス。

主要都市に設置したい。

……もちろん、このビーコン、タダとはいかないわよね?」

「ええ、もちろん」

日下部は商人の顔になった。

「このビーコンは特殊なレアメタル——『オリハルコン級の希少素材』を使用しています。

製造は極めて困難で、量産は効きません。

代金は……高くつきますよ」

「言いなさい。

予算なら、黒い 予算(ブラック・バジェット) から、いくらでも引っ張ってくるわ」

「金銭ではありません」

日下部は静かに首を振った。

金など、テラ・ノヴァの資源があれば紙切れ同然だ。

彼が欲しいのは、もっと実質的な「力」だ。

「三つの条件を提示します。

一つ。ビーコンの設置場所および管理は、日本から派遣する『技術者』——つまりマクドウェル家のPMCと日本の公安——が独占的に行うこと。

技術流出を防ぐためです」

「……いいでしょう。ブラックボックスを守りたいのね」

「二つ。

収集されたデータのうち『テロおよび国際犯罪』に関する情報は、リアルタイムで日本側とも共有すること。

日本の安全を守るため、海外の脅威も把握しておきたいので」

「……ギブアンドテイクね。呑みましょう」

「そして三つ目。

これが最も重要です」

日下部は、エレノアの目を真っ直ぐに見据えた。

「今後、国際社会において日本が行う『あらゆる経済活動および資源開発』に対して、アメリカ合衆国は無条件で支持し、他国からの干渉を排除すること。

たとえそれが……既存の国際条約や環境保護基準に抵触するようなものであったとしてもです」

エレノアの目が細められた。

それはつまり、日本が何をやっても——例えば国内で未知のエネルギー実験を行おうが、謎の資源を独占しようが——アメリカは文句を言わず、むしろ用心棒になれということだ。

テラ・ノヴァからの資源輸入や、今後の原子力開発を見越しての布石である。

「……随分と大きく出たわね。

まるで日本が世界の覇者になる準備をしているみたいだわ」

「買い被りですよ。

我々はただ、安心してモノづくりがしたいだけです。

……我が国の技術力は、成長し続けなければなりませんから」

日下部は、工藤創一の「工場は成長する」という言葉を、日本の国策に置き換えて答えた。

長い沈黙の後、エレノアは手を差し出した。

「……契約成立よ。

ビーコンを送りなさい。

ホワイトハウスの地下に、貴方たちの『眼』を招き入れてあげるわ」

「ありがとうございます。

良きパートナーシップに感謝を」

日下部は、その手を握り返した。

スミスが横で不安そうに二人を見ている。

彼は直感していた。

これは「監視システムの導入」ではない。

トロイの木馬を自ら城門の中に引き入れる行為だと。

会談が終わり、エレノアたちが去った後。

日下部は一人、円卓に座り込んでいた。

モニターには、依然として東京の硝子の迷宮が輝いている。

「……ふう。

ナノマシンですか」

彼はポケットからビーコンの試作品を取り出し、弄んだ。

テラ・ノヴァで作られた、ただの「目印」。

だがアメリカ人はこれを「ハイテク・ナノマシンの司令塔」だと信じ込んでくれた。

「彼らが勝手に『自壊するスマートダスト』だと信じ込んでくれたおかげで、話が早かった。

これで堂々と、ホワイトハウスの中を覗き見ることができる。

まさか別の星から覗かれているとは、夢にも思わないでしょうね」

ビーコンを置けば、そこは日本の領土も同然だ。

アメリカ大統領が何を悩み、誰と電話し、どんな密約を交わしているか。

全てが手に取るように分かる。

情報の非対称性は、極限まで広がった。

「さて……。

次は中国ですね。

彼らもきっと『ナノマシン監視網』を欲しがるはずだ。

……北京にもビーコンを置いてきてもらいましょうか」

日下部は悪魔の笑みを浮かべた。

硝子の迷宮は東京だけでは終わらない。

ワシントンへ、北京へ、そして世界中へ。

静寂の監視者は、その不可視の根を地球全土に張り巡らせようとしていた。