軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第49話 星条旗の誤読とスマートダストの悪夢

アメリカ合衆国ワシントンD.C.。

深夜のホワイトハウス。

大統領執務室(オーバル・オフィス) の窓ガラスを、激しい雨が叩きつけていた。

遠くで雷鳴が轟く中、ロバート・“ボブ”・ウォーレン大統領は、革張りの椅子に深く沈み込み、アンティークの置時計が刻む秒針の音に耳を傾けていた。

彼の目の前には、飲みかけの冷めたコーヒーと、一枚の外交文書が置かれている。

それは日本政府——正確には、内閣官房参事官の日下部という男——から、極秘のホットラインを通じて送られてきた「通知書」だった。

『同盟国への重要情報の共有』という表題がついているが、その中身は事実上の「最後通牒」に近い。

ノックの音が響いた。

返事を待たずに、重厚な扉が開く。

入ってきたのはCIA長官のエレノア・バーンズだ。

普段は鉄面皮の彼女だが、今夜ばかりはその顔色が悪く、化粧でも隠しきれない疲労と焦燥が滲んでいた。

彼女の小脇には、分厚いファイル——最高機密を示す「レッド・ファイル」が抱えられている。

「……遅かったな、エレノア」

ウォーレンは静かに言った。

「日本からの『通知』は、読んだか?」

「ええ、大統領。

移動中の車内で確認しました」

エレノアはデスクの前に立ち、ファイルを置いた。

その手つきは、まるで時限爆弾を扱うかのように慎重だった。

「日本がまた、とんでもない物を作成したようです。

彼らは『情報共有』という名目で、あるシステムの稼働を知らせてきました」

「『広域位相空間レーダー(Wide-area Phase Space Radar)』……だったか?」

ウォーレンは手元の文書を弾いた。

そこにはSF小説のガジェットのような単語が並んでいる。

「レーダー?

何のレーダーだ?

イージス艦のSPY-1か? それとも次世代の早期警戒管制機(AWACS)か?

日本が新しいレーダーを作った程度で、なぜ私が深夜に叩き起こされなければならん」

ウォーレンは苛立ちを隠さなかった。

日本が軍事技術を進歩させるのは歓迎だ。

中国への抑止力になる。

だが、その報告を持ってきたエレノアの態度は、新型ミサイルが配備された時のそれとは明らかに異なっていた。

彼女は怯えているのだ。

「……大統領。

これは、空を飛ぶ鉄の塊を見つけるためのレーダーではありません」

エレノアはファイルを開き、一枚の 概念図(ダイヤグラム) を示した。

それは日本側から提供されたシステムの概要図だ。

東京湾岸エリアを中心に、巨大なドーム状の領域が描かれている。

「概要にはこうあります。

『東京都新木場を中心とした半径100キロメートル圏内における、全ての空間情報をリアルタイムで3次元データとして記録・解析するシステム』であると」

「空間情報?」

「はい。

航空機や船舶だけではありません。

地上の車両、歩行者、建物内部の構造、地下鉄の運行状況、配管の中の水流……。

そして空気の微細な振動——つまり『音声』に至るまで。

その領域内に存在する、あらゆる物理現象を、神の視点で記録するシステムです」

ウォーレンは眉をひそめた。

「……なんだそれは。

SF映画の話か?

『マイノリティ・リポート』か何かか?」

「私も最初は目を疑いました。

ですが、添付されていたサンプルデータを見てください」

エレノアはタブレットを取り出し、動画を再生した。

そこに映っていたのは、東京・渋谷のスクランブル交差点の映像だ。

だが、カメラで撮影したものではない。

ワイヤーフレームと半透明のポリゴンで構成された、不気味なほど精緻なデジタルモデルだ。

視点は自由に動き回り、ビルの壁を突き抜け、地下街を歩く人々の心臓の鼓動まで可視化している。

そして、スピーカーからは雑踏の中での会話がクリアに再生されていた。

『……マジで? じゃあ明日ディズニー行く?』

『いいねー、行こう行こう』

「……これだけの情報量を、カメラもマイクもなしで収集していると言うのか?」

「はい。

彼らはこれを『レーダー』と呼んでいますが、我々の知るレーダーとは原理が根本から異なります。

壁の向こう側が見え、密室の会話が聞こえる。

プライバシーという概念を、物理的に消滅させる技術です」

ウォーレンは息を呑んだ。

そしてすぐに、疑問を口にした。

「待て、エレノア。

全然ナノマシン関係ないじゃないか。

日本が持っている切り札は『医療用ナノマシン』だったはずだ。

生物学的な奇跡だ。

それがどうして、こんな 電子戦(エレクトロニック・ウォーフェア) の極致みたいな技術に繋がる?」

ウォーレンの常識では、創薬技術とレーダー技術は別分野だ。

ファイザーが最新鋭のステルス戦闘機を作るようなものだ。

脈絡がない。

だが、エレノアは首を横に振った。

彼女の目は、恐怖と、ある種の狂信的な確信に満ちていた。

「いえ、大統領。

繋がります。

むしろ、ナノマシンだからこそ可能なのです」

「どういうことだ?」

「考えてもみてください。

巨大なアンテナを建てたところで、ビルの影や地下までは見えません。

電波には物理的な限界があります。

ですが……もし、アンテナそのものが『空気中』にあったとしたら?」

エレノアは、空中の埃を掴むようなジェスチャーをした。

「恐らく……いえ、間違いなく。

彼らはナノマシンを、空気中に散布しています」

「散布だと?」

「はい。

目に見えないほど微細な——ウイルスサイズの『自律型センサー・ナノマシン』を、新木場を中心に大量にばら撒いているのです。

いわゆる『スマートダスト(Smart Dust)』構想の究極系です」

エレノアの推論は続いた。

そしてそれは悲劇的なほどに的確で、かつ滑稽なほどに間違っていた。

実際には、テラ・ノヴァのレーダーは異次元の物理法則による「位相スキャン」であり、地球上にナノマシンなど一粒も飛んでいない。

だが、アメリカの科学常識で説明しようとすれば、この結論にたどり着くしかなかったのだ。

「空気中に漂う無数のナノマシンが互いに通信し合い、巨大なメッシュネットワークを形成している。

それらが一つ一つが目となり耳となり、空間の情報を収集して中央サーバーに送信している。

だからこそ壁の向こうも地下も死角なく『視える』のです。

空気が存在し、ナノマシンが入り込める隙間がある限り、逃げ場はない」

「……なるほど?」

ウォーレンは呻いた。

その説明には、身の毛もよだつような説得力があった。

「ナノマシンによる監視網か……。

確かにそれなら辻褄が合う。

彼らは『医療用』として人体を修復するナノマシンを作れるのだ。

『偵察用』として情報を集めるナノマシンを作れても不思議ではない。

……むしろ、技術的難易度は偵察用の方が低いかもしれん」

「その通りです。

彼らは我々が『病気を治す薬』に目を奪われている隙に、もっと恐ろしい『毒』を空気に混ぜていたのです」

ウォーレンは自分の呼吸を意識してしまった。

今、自分が吸っている空気の中にも、日本のナノマシンが含まれているのではないか?

そんな疑心暗鬼が頭をもたげる。

「しかし、エレノア。

もしそうだとしたら、なぜ『半径100キロ』なんだ?

空気に乗せてばら撒くなら、風に乗って世界中に拡散するはずだろう?

なぜ新木場周辺だけに限局されている?」

「……技術的なナノマシン制御の 範囲(コントロール・レンジ) でしょうね」

エレノアは即答した。

「ナノマシンは極小です。

バッテリーもアンテナも小さい。

中央の制御塔——おそらく新木場にある施設——からの指令電波が届く範囲、あるいは収集したデータを送信できる限界距離が100キロなのでしょう。

それ以上離れると、ナノマシンは活動を停止するか、自壊するようにプログラムされているはずです」

「制御下でのみ稼働するか。

…… 暴走(グレイ・グー) を防ぐための安全装置でもあるわけか」

ウォーレンは納得した。

100キロという数字のリアリティが、皮肉にも「ナノマシン説」を補強してしまったのだ。

まさか「レーダーの仕様(チャンク読み込み範囲)」が原因だとは、夢にも思うまい。

「とにかく、原理はどうあれ、現実に彼らは『眼』を持っている。

そして問題は……その範囲だ」

ウォーレンは東京の地図を指差した。

新木場から半径100キロ。

その円の中には日本の主要都市だけでなく、ある重要な施設が含まれている。

「港区赤坂……。

アメリカ合衆国大使館も範囲に入っているな」

「はい。

大使館だけではありません。

横田基地、横須賀海軍施設、厚木基地、キャンプ座間……。

在日米軍の主要な司令部と戦力が、すべて日本の監視下にあります」

エレノアの声が震えた。

「これは安全保障上の悪夢です。

大使館の中での会話、軍事基地での作戦会議、艦船の整備状況、兵士の配置……。

それらが全てリアルタイムで、日本政府に筒抜けになっている可能性があります。

ウィーン条約も日米地位協定も、物理的に無効化されています」

ウォーレンは拳を握りしめた。

同盟国とはいえ、許されることではない。

外交官の寝室まで覗かれているかもしれないのだ。

「……抗議!

と言いたいところだが……」

ウォーレンは言葉を飲み込んだ。

怒りが湧き上がると同時に、彼の政治家としての本能が別の感情を呼び起こしていたからだ。

それは「羨望」だった。

「……技術的に、欲しいです!

この技術!」

エレノアがウォーレンの心の声を代弁するかのように、身を乗り出した。

彼女の目は恐怖から一転して、獲物を狙う猛禽類のような貪欲な光を放っていた。

「大統領、考えてもみてください!

もしこの『スマートダスト監視網』を我々が手に入れたら?

ワシントンD.C.に展開すれば、テロリストは息をすることさえできなくなります。

国境地帯に展開すれば、不法移民も麻薬カルテルも一網打尽です。

そして……もし北京やモスクワに工作員を使って、このナノマシンを散布できれば……」

「……世界を手中に収められるか」

ウォーレンの背筋に、ゾクリとするような快感が走った。

それは究極のインテリジェンスだ。

核兵器など、時代遅れの遺物に過ぎない。

「全てを知る」ことこそが、真の支配なのだ。

「抗議などして、彼らを怒らせてはいけません。

『やめろ』と言うのではなく、『我々にも使わせろ』と交渉すべきです」

エレノアは熱弁を振るった。

「日本側も同盟国である我々を、完全に敵に回したくはないはずです。

現にこうして『通知』をしてきた。

これは『我々は見ていますよ』という脅しであると同時に、『仲良くすれば見逃してあげますよ』というサインでもあります」

「……あるいは、『一緒に世界を見ませんか?』という誘いか」

ウォーレンは顎を撫でた。

日本——日下部という男の顔が脳裏に浮かぶ。

あの男はアメリカを出し抜くつもりはない。

アメリカを利用し、巻き込み、共犯者にしようとしている。

医療用ナノマシンの時と同じ手口だ。

「日本側は、大使館への監視について何と言っている?」

「『外交上の配慮から、大使館エリアにはマスキング処理を施す』と言っています。

『普段は見ない』と」

「ふん。

『普段は』か」

ウォーレンは鼻で笑った。

「つまり、『いざという時は見るぞ』ということだ。

そして『ログは残しているぞ』という無言の圧力だ。

……食えない連中だ。

我々がエシュロンで彼らを盗聴していたことを、根に持っているな」

因果応報だ。

アメリカが世界中でやってきたことを、今度は日本が、より高度な技術でやり返しているに過ぎない。

「……分かった。

抗議はしない。

公式には『日本の高度なセキュリティ技術を歓迎する』という声明を出せ」

ウォーレンは決断した。

「その代わり、裏で交渉を進めろ。

『在日米軍基地の警備強化のために、このシステムのデータ共有を希望する』と持ちかけるんだ。

米軍基地の周辺100キロが見えれば、我々にとってもメリットは大きい」

「なるほど。

『基地を守るため』という名目なら、日本側も断りづらいですね」

「ああ。

そうやって少しずつ食い込むんだ。

そして隙を見て、そのナノマシンのサンプルや制御アルゴリズムを入手しろ。

……100キロの制限を突破し、世界中を監視できる『アメリカ版スマートダスト』を作るために」

エレノアがニヤリと笑った。

「御意。

NSA(国家安全保障局)の技術者たちを総動員して、日本の『霧』の正体を暴いてみせます」

ウォーレンは窓の外、雨に煙るワシントンの街を見下ろした。

この美しい首都も、いずれ「見えない塵」に覆われ、硝子の迷宮の一部となる日が来るのだろうか。

プライバシーの喪失への本能的な忌避感。

だが、それ以上に「全てを見たい」という権力者としての欲望が、彼の理性を麻痺させていた。

「……日本め。

次から次へと、パンドラの箱を開けおって」

ウォーレンはコーヒーを一口啜った。

冷めきった泥水のような味がした。

だが、その苦味こそが、今の彼に必要な現実の味だった。

「エレノア。

大使館の職員たちには、こう伝えろ。

『トイレに行く時も、誰かに見られていると思って行動しろ』とな」

「……残酷な指令ですね」

「平和ボケした彼らには、丁度いい教育だ。

……世界はもう、密室を失ったのだから」

雷鳴が一閃し、ホワイトハウスを一瞬だけ白く照らし出した。

その光の中で、ウォーレンの影は長く、黒く伸びていた。

アメリカという巨人もまた、日本の作り出した「硝子の迷宮」の中に、知らぬ間に閉じ込められつつあった。