作品タイトル不明
第46話 悪魔の算盤と官僚の矜持
東京都千代田区永田町。
日本国の権力の中枢、首相官邸。
その地下深く、核攻撃にも耐えうるとされる危機管理センターの大会議室は、一つの巨大なプロジェクトの節目を迎えた安堵感と、それ以上に重い次なるフェーズへの緊張感に包まれていた。
円卓を囲むのは、副島内閣総理大臣、内閣官房長官、外務大臣、防衛大臣、経済産業大臣、そして各情報機関のトップたち。
彼らの表情は一様に硬い。
だが、その瞳の奥には、かつてのような「持たざる国」の悲壮感はない。
あるのは、世界を盤面に見立て、駒を動かすプレイヤーとしての冷徹な光だ。
スクリーンの脇に立つ内閣官房参事官、日下部が手元のタブレットを操作し、最終報告を開始した。
「……それでは、フェーズ3『対米・対中工作』の総括を行います」
日下部の声は、機械のように淡々としていた。
「まず、アメリカ合衆国の動向について。
結論から申し上げますと……完全に、こちらの手に落ちました」
スクリーンに、ワシントンD.C.とニューヨークを結ぶ相関図が表示される。
そこにはホワイトハウス、CIA、そして軍産複合体の巨頭『タイタン・グループ』のロゴが並び、それらが日本というハブを中心に、強固なラインで結ばれていた。
「先日、キャンプ・デービッドにて譲渡した5本の『医療用キット』。
その使途は、CIA内部の 協力者(エス) からの報告により、全て特定されました」
日下部は、指を一本立てた。
「1本は、NIH(国立衛生研究所)の極秘ラボにて、成分解析のために消費されました。
結果は想定通り。
『再現不可能』『ブラックボックス』という結論に至り、彼らは独自開発を断念。
日本からの供給に依存せざるを得ない状況を、確認させました」
二本目の指が立つ。
「もう1本は、ウォルター・リード陸軍医療センターにて、四肢欠損および内臓損傷を負った退役軍人——ジェームズ・マクラーレン軍曹に使用されました。
効果は劇的。
完全な再生と機能強化を確認。
これにより米軍上層部は『兵士の消耗を無効化できる技術』として、この薬に狂信的な価値を見出しました」
そして三本目の指。
「そして3本目。
これが最も重要な一手でした。
アーサー・マクドウェル率いる『タイタン・グループ』。
その唯一の後継者であり、不治の病に伏せっていた孫、ノア・マクドウェルに使用されました」
画面に、若く精悍な青年の写真が映し出される。
かつて死の床にあった少年とは思えない、力強い眼差しだ。
「彼は完治しました。
それだけでなく、ナノマシンによる身体機能の最適化を受け、次世代のリーダーにふさわしいカリスマ性と能力を獲得しています。
……現在、マクドウェル家はアメリカ政府に対し、そして間接的に日本に対し、絶対の忠誠を誓っています」
「『アメリカの海道サクラ』か」
官房長官が、満足げに頷いた。
「金や利権で繋がった関係は脆いが、命と血で結ばれた恩義は重い。
特に、溺愛する孫を救われた祖父の感謝は、核兵器よりも強い拘束力を持つ」
「はい。
すでに効果は表れています。
ノア・マクドウェルの指示の下、民間軍事会社『ブラック・オニキス』が動き出しました。
彼らは新木場周辺だけでなく、日本の主要な港湾、研究施設、そして海道重工の幹部たちの警護を、ボランティア同然の契約で引き受けてくれています。
名目は『日米安全保障協力の民間委託』ですが、実態はマクドウェル家の私兵による『日本守護』です」
日下部は、皮肉な笑みを浮かべた。
「皮肉なものです。
かつて日本を支配しようとしたディープステートの一部が、今や日本の最強の番犬となっているのですから」
「全て、計画通りに進んだな」
防衛大臣が膝を打つ。
これで中国の工作員がどれだけ浸透しようとも、アメリカの 筋肉(マッスル) が物理的に排除してくれる。
日本の公安警察だけでは手が回らない汚れ仕事を、彼らが肩代わりしてくれるのだ。
「……いえ」
日下部が、わずかに表情を曇らせた。
「正確に言えば、一つだけ誤算がありました。
当初のシナリオでは4本目のキットを『ウォーレン大統領自身』が使用するはずでした」
会議室がざわめく。
最高権力者への首輪。
それが実現していれば、日本はアメリカを完全にコントロール下に置けたはずだ。
「大統領は、心臓に持病を抱えています。
通常なら目の前の『若返り』の誘惑には勝てないはずでした。
ですが……彼は拒否しました。
『個人の延命より、国家のシステムを守る』と」
「未使用か……」
総理が、感嘆と悔しさの入り混じった溜め息をついた。
「ウォーレン大統領の理性が勝ったか。
流石と言うべきだろうな。
自身より国家を優先する。
政治家として、見習うべき手本だ」
「うむ。素晴らしい精神です……。
敵に回すには惜しい。
いや、だからこそ厄介な相手だ」
外務大臣も同意する。
欲に溺れた独裁者なら御しやすいが、信念を持った愛国者は手強い。
彼は日本を「利用価値のあるパートナー」として扱ってはくれるが、決して日本の言いなりにはならないだろう。
「ともかく、大統領個人への首輪は失敗しましたが、結果として軍産複合体という『アメリカの腕力』には首輪が嵌められました。
政権が代わろうとも、マクドウェル家の恩義は消えません。
十分な戦果と言えるでしょう」
日下部は、結論づけた。
アメリカ戦線、異常なし。
むしろ想定以上の防御壁が構築された。
次なる議題。
東の脅威、中国だ。
「では次に、中国の動向について。
内閣情報官、お願いします」
指名された情報官が立ち上がり、資料を切り替えた。
そこには北京の中南海と、日本国内で暗躍する二重スパイたちのネットワーク図が表示されている。
「はい。
先日、我々が放った二重スパイ——コードネーム『黒猫』からのリーク情報は、中国指導部に激震を走らせました。
『医療用キットによる再生治療の証拠映像』および『日本政府が条件次第で2本を譲渡する準備がある』という偽情報です」
「反応は?」
「熱狂……いや、狂乱に近い状態です」
情報官は、傍受した通信記録を読み上げた。
「李総理をはじめとする幹部たちは映像を見て『神の薬だ』『日本の神秘だ』と歓喜しています。
特に党の長老たちの興奮ぶりは尋常ではありません。
『徐福や始皇帝の悲願がついに叶うのだ!』と涙を流して喜んでいるとの報告が入っています」
「……始皇帝か。
数千年の妄執だな」
官房長官が、呆れたように言った。
「さらに彼らを驚かせたのは『在庫数』の情報です。
『100本にも満たない』という情報を我々は『希少だ』という意味で流しましたが、彼らは逆の捉え方をしました。
『100本もあるのか!? そんなに!?』と」
「ああ……。
彼らの感覚では伝説の秘薬といえば世界に1つか2つ。
それが100個もあると聞けば、バーゲンセールに見えるわけか」
「はい。
『それだけあるなら我々の分も必ずあるはずだ』という希望的観測が、彼らの対日姿勢を軟化させています。
『保護区』という屈辱的な条件すら、『薬を手に入れるための通過儀礼』として飲み込む構えです」
会議室に失笑が漏れた。
プライドの高い中華帝国が、薬欲しさに頭を下げる。
それほどまでに、死の恐怖は絶対的なのだ。
「それで、総理」
防衛大臣が身を乗り出した。
「本当に渡すのですか?
『2本』を」
その問いに、全員の視線が日下部と総理に集まる。
約束は約束だ。
もし反故にすれば、騙されたと知った龍は、今度こそ怒り狂って暴れだすだろう。
「えっ?」
日下部は、キョトンとした顔で言った。
「渡すわけないでしょう?
ブラフに決まっています」
「……は?」
防衛大臣が絶句する。
「いや、しかし……。
何も渡さなければ交渉が決裂するぞ。
時間稼ぎだとしても、何らかの 成果物(アウトプット) がなければ……」
「ラット利用分のサンプルぐらいは渡す予定ですよ。
使いさしの、空に近いインジェクターを一本。
『輸送中の事故で中身が漏れましたが、成分は残っています』とでも言って」
日下部は、平然と言い放った。
「流石に新品を2本渡す予定は、今の所なしですよ」
「しかし、それでは彼らが納得しないのでは?」
「そこは駆け引きです。
『今は在庫が切れている』
『アメリカの監視が厳しい』
とのらりくらり躱しつつ、
『指示に従ってくれるなら、将来的に2本ぐらいなら……』と、常に鼻先に人参をぶら下げ続けるのです」
日下部は、悪魔的な笑みを深めた。
「まあ、彼らの態度次第ですね。
もし彼らが本当に日本を『保護』し、アメリカの圧力から守る盾になってくれるなら……。
そして日本の内政に一切干渉せず、尖閣周辺からも完全に手を引くなら。
その時はご褒美として、1本くらい恵んでやってもいいかもしれません」
「……君は中国を飼い慣らすつもりか」
経産大臣が戦慄した。
14億の民を抱える超大国を、薬一本でペットのように扱おうとしている。
「ですが日下部くん。
渡さないにしても、彼らが独自に解析を進めるリスクはあるぞ。
ラット用のサンプルからでも、何かを掴むかもしれん」
科学技術担当大臣が、懸念を示す。
「そこなんですよ」
日下部が、パンと手を叩いた。
「むしろ、そこに期待しているんです」
「期待?」
「はい。
ラット分の残骸で解析して、技術的に無理でしょうが……万が一、再現できれば、それを頂きます」
日下部の目が、冷酷に光った。
「中国です。
彼らなら倫理規定など無視して、人権無視の人体実験を繰り返すでしょう。
死刑囚、政治犯……。
ありとあらゆる『材料』を使って、ナノマシンの複製実験を行うはずです。
日本やアメリカでは絶対に不可能な、数千、数万のサンプルを使った強制実験をね」
会議室の空気が、急速に冷え込んだ。
誰もが日下部の意図を理解し、そのおぞましさに言葉を失った。
「もし彼らが死体の山の上に『ナノマシンの複製法』や『代替生産法』を確立してくれたら……。
我々はそれをスパイ網を通じて、横から頂くのです」
日下部は続けた。
「現在の『医療用キット』は、工藤創一氏の 工場(テラ・ノヴァ) に100%依存しています。
彼がいなくなれば、あるいは彼の気が変われば、供給は止まる。
これは国家安全保障上、極めて脆弱な状態です。
我々としても工藤氏に依存したくない。
独自生産のルートを確保したいのです」
「そのための実験台として、中国を使うと?」
「ええ。
日本人の手は汚せませんからね。
汚れ仕事は隣国に任せるのが一番です。
……まあ今の中国の技術力では無理でしょうけど。
宝くじを買うようなものです」
日下部は、コーヒーを一口啜った。
その仕草は、優雅ですらあった。
長い沈黙の後、副島総理が低い声で言った。
「……日下部くん。
君は悪魔かね?」
それは非難ではなく、畏怖の言葉だった。
国を守るために、ここまで冷徹になれる人間が、自分の部下であることへの恐怖。
日下部は、きょとんとした顔をした。
そして、にこりと微笑んだ。
「えっ?
官僚ですから、当たり前です」
その言葉に、部屋中の誰も反論できなかった。
官僚。
国家という巨大なシステムを維持するために、感情を捨て、法と論理と国益のみに従事する生き物。
彼は、その究極形なのだ。
「……分かった。
その方針で進めよう。
アメリカには『誠実な同盟国』の顔を。
中国には『気まぐれな神』の顔を。
そして工藤氏には……『良き理解者』の顔を見せ続けるのだ」
総理が締めくくった。
「はい。
工藤氏には、余計な心配をかけさせませんよ。
彼は工場のことだけを考えていればいい。
泥を被り、血を流し、嘘をつくのは、我々大人の仕事です」
日下部は、ファイルを閉じた。
第三部の幕が下りる。
硝子のカーテンは閉ざされ、黄金の賄賂は配られた。
だが、その裏で渦巻く欲望と策謀は、決して消えることはない。
テラ・ノヴァで工藤創一が拡張し続ける工場の煙突から、今日もまた新しい煙が立ち上る。
その煙の影で、日本という国は、したたかに、そして恐ろしく変貌を遂げていた。
——The Factory Must Grow.
その言葉は、今や一人の男のモットーではなく、国家生存のための絶対命令となっていた。
第三部 硝子のカーテンと黄金の賄賂編 完