軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第44話 軍産複合体の涙と星条旗への跪拝

バージニア州ラングレー。

CIA本部の一室で、エレノア・バーンズ長官は一枚の写真を凝視していた。

デスクの上に広げられた極秘ファイルには、『プロジェクト・ガーディアン』というコードネームが記されている。

これは日本から譲渡された「神の薬」——医療用キットの残る3本を、最も効果的な政治的資源として活用するための選定計画だった。

「……彼しかいないわね」

エレノアは呟き、そのファイルを鞄に収めた。

彼女が向かう先は、ホワイトハウスではない。

ニューヨーク州の北、ハドソン川を見下ろす広大な森の中に、要塞のように聳え立つ、ある個人邸宅である。

『マクドウェル・エステート』。

その名は表のニュースには滅多に出てこない。

だが、ワシントンの政界やウォール街で、この名を知らぬ者はいない。

主であるアーサー・マクドウェルは、アメリカ最大の軍需産業コングロマリット『タイタン・グループ』の総帥であり、上院議員の半数に政治献金を行い、ペンタゴンの予算編成にすら口を出せると言われる影のフィクサーだ。

いわゆる「軍産複合体」、あるいは陰謀論者が好んで呼ぶ「ディープステート」の象徴的存在である。

そのマクドウェル邸の最上階。

集中治療室並みの設備が整えられた広い寝室は、死の匂いに満ちていた。

「……ノア。

今日は天気がいいぞ。

窓を開けようか?」

アーサー・マクドウェルは、ベッドの脇で枯れ木のような老体を震わせていた。

80歳を超え、世界を動かしてきた彼だが、今の彼はただの無力な老人に過ぎなかった。

ベッドに横たわっているのは、彼の唯一の孫であり、マクドウェル家の正当な後継者、ノア・マクドウェル。

17歳。

だが、その体は見る影もなく痩せ衰え、無数のチューブに繋がれている。

筋萎縮性側索硬化症(ALS)の劇症型。

発症からわずか一年で全身の筋肉が動かなくなり、今は人工呼吸器がなければ息をすることさえできない。

残されているのは、明晰な意識と、動かせるわずかな眼球だけだ。

(お爺様……)

ノアの視線が、アイトラッキングシステムを通じて合成音声を紡ぐ。

『ごめんなさい。

もう楽にしてください』

その無機質な電子音が、アーサーの心臓を抉った。

「馬鹿なことを言うな!

諦めるな、ノア!

世界中の研究機関に資金を提供している。

新薬の開発は進んでいるんだ。

あと少し、あと少し待てば……!」

アーサーは叫んだが、その声は虚しく響くだけだった。

彼は知っている。

金で買える医療は、すべて試した。

遺伝子治療、幹細胞移植、未承認の治験薬。

だが、どれも効果はなかった。

現代の医学では、この病の進行を止めることはおろか、遅らせることさえできないのだ。

彼が築き上げた巨万の富も、国家を動かす権力も、愛する孫の命一つ救えない。

その絶望が、彼を内側から食い荒らしていた。

その時、執事が静かに入室してきた。

「旦那様。

お客様です」

「帰せ!

誰とも会わんと言ったはずだ!」

「ですが……合衆国大統領閣下です」

アーサーの手が止まった。

ウォーレンが?

直接?

電話一本で済む用件ではないのか?

「……通せ」

数分後。

ロバート・ウォーレン大統領が、エレノア長官を伴って寝室に入ってきた。

SS(シークレットサービス) は廊下で待機させている。

完全な非公式訪問だ。

「やあ、アーサー。

久しぶりだな」

ウォーレンは静かに歩み寄り、ベッドの上の少年を見つめた。

そして痛ましげに目を細めた。

「……これがノア君か。

噂には聞いていたが」

「同情しに来たのか、ボブ」

アーサーは冷たく言い放った。

彼は大統領をファーストネームで呼ぶ数少ない人間の一人だ。

「選挙資金の話なら秘書に言え。

次期戦闘機のロビー活動なら、今は聞く気になれん」

「違うよ、アーサー。

今日は大統領としてではなく、古い友人として来た。

……と言いたいところだが、現実はもっとシビアだ」

ウォーレンは椅子を引き寄せ、アーサーの隣に座った。

その目は政治家の鋭さを帯びている。

「なぜ私がホワイトハウスを抜け出し、極秘裏にここまで来たと思う?

電話でも、使者を送ることもできたはずだ。

だが、それでは君は信じないだろう」

「……何の話だ?」

「『奇跡』の話だ。

これから見せるものは、国家安全保障上の 最高機密(トップシークレット) だ。

通信回線に乗せることも憚られる。

だから私が直接持ってきた」

ウォーレンはアーサーの目を真っ直ぐに見据えた。

「単刀直入に言おう。

君の孫を救いに来たんだ」

「……何?」

「治せる。

完全に元通りにな」

アーサーは乾いた笑い声を上げた。

「冗談も休み休み言え。

世界最高の名医たちがサジを投げたんだぞ。

神に祈ってもダメだった。

それをお前ごときが……」

「神ではないが、それに近い力を持つ同盟国がいる」

ウォーレンはエレノアに合図した。

彼女は鞄からタブレットを取り出し、映像を再生した。

それはウォルター・リード病院で撮影された、ジム軍曹の再生記録だ。

四肢を失った男が1分間で手足を取り戻す、衝撃的な映像。

「……なんだこれは。

CGか?

ハリウッドの新作か?」

「実写だ。

数日前、我が軍の病院で行われた極秘実験の記録だよ」

ウォーレンは淡々と説明した。

日本から譲渡された医療用ナノマシン。

その驚異的な修復能力。

そして、それが神経系や筋肉の難病にも適用可能であること。

アーサーは映像を食い入るように見つめた。

彼ほどの情報のプロなら、映像の真偽くらいは直感で分かる。

そこに映っている男の苦悶と歓喜の表情は、演技では出せないものだ。

「……ナノマシン……。

日本がそこまで進んでいるというのか」

「ああ。

彼らは隠しているがね。

我々は、その貴重なサンプルを、わずかだが手に入れた」

エレノアが銀色のアタッシュケースをテーブルに置いた。

カチャリとロックが外され、中から一本のインジェクターが現れる。

エメラルドグリーンの光が、薄暗い部屋を妖しく照らした。

「これがその薬だ。

これを打てば、ノア君の神経細胞はすべて再構築される。

萎縮した筋肉も元通りだ。

数分後には自分の足で歩けるようになるだろう」

アーサーの手が震え、インジェクターへと伸びた。

喉から手が出るほど欲しい。

全財産を投げ打ってでも欲しい。

だが彼は、ギリギリのところで手を止めた。

彼は商人であり、政治の怪物だ。

タダより高いものはないことを、誰よりも知っている。

大統領自らが運んできた「奇跡」の代金が、安いはずがない。

「……対価は?」

アーサーはウォーレンを睨みつけた。

「これを私に使う対価として、何を求める?

私の首か?

それともタイタン・グループの解体か?」

ウォーレンは、にこやかに微笑んだ。

それは慈愛に満ちた聖人の笑みではなく、魂の契約書を持ってきた悪魔の笑みだった。

「安いものだよ、アーサー。

君の忠誠だ」

「忠誠?」

「ああ。

君と、そして次期当主となるノア君。

マクドウェル家が未来永劫、アメリカ合衆国政府——ひいては、この私の方針に、絶対の忠誠を誓うことだ」

ウォーレンは立ち上がり、窓の外のハドソン川を指差した。

「世界は変わろうとしている。

日本という特異点が生まれ、中国という龍が暴れようとしている。

この不安定な時代に、アメリカが覇権を維持するためには、政府と産業界が完全に一体化し、一枚岩にならなければならない」

彼はアーサーを見下ろした。

「君の影響力が必要だ。

軍需産業、メディア、エネルギー……君が握っている全てのリソースを使って、私の政策を支えろ。

特に、対中国戦略においてだ。

中国の経済的・軍事的浸透を阻止し、そして……」

ウォーレンは声を潜めた。

「日本から供給されるこの技術を、中国から守り抜く『鉄壁』となれ。

日本の技術者を守り、物流ルートを確保し、中国の工作員を排除する。

そのための汚れ仕事を、君の私兵とネットワークで引き受けろ」

アーサーは考え込んだ。

それはマクドウェル家が政府の「下請け」になることを意味する。

これまでは対等のパートナー、あるいは政府を操る側だった彼らが、ウォーレンの駒になるのだ。

プライドが許さない。

だが。

彼はベッドの上の孫を見た。

ノアの瞳が必死に何かを訴えている。

『生きたい』と。

(……簡単な計算だ)

アーサーは目を閉じた。

孫が死ねば、マクドウェル家は終わる。

後継者のいない帝国は、遠からず霧散するだろう。

ならば誇りを捨ててでも、未来を取るべきだ。

「……いいだろう」

アーサーは目を開けた。

その瞳には、かつての冷徹なフィクサーの光が戻っていた。

「契約成立だ、ボブ。

ノアを救ってくれるなら、私は喜んで君の番犬になろう。

地獄の底まで付き合ってやる」

「賢明な判断だ、友よ」

ウォーレンは満足げに頷いた。

そしてエレノアに目配せをした。

「始めよう」

エレノアが手袋をはめ、インジェクターを取り出す。

彼女は躊躇なく、ノアの点滴ラインの注入口にデバイスを接続した。

「投与します」

プシュッ。

緑色の液体がチューブを通って、ノアの体内へと流れ込んでいく。

変化は劇的だった。

投与から数秒後、ノアの体がビクリと跳ねた。

心拍モニターのアラームが鳴り響く。

「うううう……ッ!」

喉の奥から、くぐもった声が漏れた。

人工呼吸器が邪魔だと言わんばかりに、彼の胸が大きく波打つ。

「ノア!」

アーサーが叫ぶ。

バキン、バキンッ!

体内で骨が鳴る音がした。

萎縮して細くなっていた手足の筋肉が、まるで風船を膨らませるように隆起し始める。

青白かった肌に血色が戻り、浮き出ていた血管が力強く脈動する。

神経系が再接続される激痛——いや、生の感覚。

ノアは目を見開き、自分の手で人工呼吸器のマスクを引き剥がした。

動かなかったはずの手が、動いたのだ。

「はぁッ!

はぁ、はぁ……!」

彼は自分の肺で、大きく空気を吸い込んだ。

酸素の味がする。

生きている味がする。

「お爺様……」

合成音声ではない。

彼自身の肉声が、部屋に響いた。

一年ぶりに聞く、愛する孫の声。

「おお、ノア……!

喋れるのか!」

アーサーは孫に抱きついた。

涙が止まらなかった。

冷たかった孫の体が、今は熱いほどの体温を発している。

ノアは震える手で、祖父の背中を抱き返した。

その力は病弱な少年のそれではない。

若々しく、力強い青年の腕力だった。

「……凄い。

力が溢れてくる……」

ノアは上体を起こし、ベッドから降りようとした。

よろめくこともなく、しっかりと床に立つ。

身長180センチ。

痩せこけていた体は、ギリシャ彫刻のように均整の取れた肉体へと変貌を遂げていた。

ナノマシンによる最適化。

彼は病を克服しただけでなく、遺伝子が持つポテンシャルの限界まで「進化」したのだ。

「……ありがとうございます、大統領」

ノアはウォーレンの方を向いた。

その瞳には知性と、そして底知れぬ野心が宿っていた。

彼は直感的に理解していた。

自分が手に入れた命が、タダではないことを。

そして、この力をくれた相手が、自分の新たな 主(マスター) であることを。

「この命、貴方に捧げます。

マクドウェル家は今日から、アメリカ合衆国の盾となり、矛となります」

17歳とは思えない、堂々たる宣言だった。

やはり彼は、ただの子供ではない。

帝王学を叩き込まれた怪物の雛だ。

「期待しているよ、ノア君。

君にはこれから長い時間がある。

その健康な体と、君の家の富を使って、この国を正しい方向へ導いてくれ」

ウォーレンは少年の肩を叩いた。

確かな手応えがあった。

これで軍産複合体は、完全にホワイトハウスの統制下に入った。

その夜。

マクドウェル邸の書斎で、アーサーとウォーレンはグラスを傾けていた。

中身は100年物のスコッチだ。

「……さて、ボブ。

命の代金の話をしよう」

アーサーは上機嫌だった。

孫が助かった安堵感で、10歳は若返ったように見える。

「君が言っていた『中国対策』。

具体的には、どう動けばいい?」

「うむ。

中国は今、日本の技術を狙って工作員を大量に送り込んでいる。

特に新木場の物流拠点と、関係企業の技術者がターゲットだ」

ウォーレンは氷を揺らした。

「CIAも動いているが、公式な組織には限界がある。

外交問題にしたくない案件や、法律の壁がある捜査だ。

そこで君の『民間軍事会社(PMC)』の出番だ」

「……『ブラック・オニキス』か」

アーサーが保有する世界最大級のPMCだ。

元特殊部隊員で構成され、汚れ仕事を専門とする実力部隊。

「そうだ。

彼らを『警備コンサルタント』として、日本の関連企業に送り込め。

海道重工や、新木場の倉庫会社とな。

そして中国の工作員が手を出してきたら……」

ウォーレンは指で首を切るジェスチャーをした。

「法に触れない範囲で、あるいは触れても証拠を残さずに排除しろ。

『事故』や『行方不明』として処理するんだ」

「了解した。

お安い御用だ。

日本の公安警察とも連携させた方がいいか?」

「ああ。

日本政府には話を通してある。

日下部という男が窓口になるはずだ。

彼と連携して、鉄壁の防諜網を敷け」

アーサーはニヤリと笑った。

「面白い。

久しぶりに血が騒ぐな。

ノアにも手伝わせよう。

あいつも新しい体を持て余しているだろうからな」

数日後。

東京新木場。

工藤創一がテラ・ノヴァから送ってくる資材を保管する巨大倉庫群。

その周辺の警備体制が一変していた。

これまでの日本の警察官や警備員に混じって、屈強な外国人たちの姿が見られるようになったのだ。

彼らは黒いスーツや作業着を着ているが、その隙間からは筋肉の隆起と、ショルダーホルスターの膨らみが見え隠れする。

鋭い眼光。

無駄のない動き。

明らかにカタギではない。

路地裏で様子を伺っていた中国MSSの工作員が、双眼鏡を下ろして舌打ちした。

「……チッ。

また警備が増えたか。

しかも、あれは……『ブラック・オニキス』の連中だ」

工作員は無線で本国に報告を入れる。

「北京、応答せよ。

状況が悪化している。

アメリカの民間軍事会社が介入してきた。

それも最精鋭の部隊だ。

……日本政府は、アメリカに魂を売ったようだ」

無線の向こうで、北京の担当官が息を呑む気配がした。

アメリカが本気で守りに入った。

それはつまり、そこに「守るべき価値のあるもの」——すなわち医療用ナノマシン——が確実に存在するという証明でもあった。

首相官邸危機管理センター。

日下部はモニターに映る新木場の様子を見て、安堵と懸念の入り混じった溜め息をついた。

「……マクドウェル家の私兵が到着しましたか」

隣に立つ鬼塚ゲンが、険しい顔で頷く。

「ええ。

現場の警察官たちはカンカンですよ。

『なんで我々の管轄に、拳銃を持った外国人がのさばっているんだ』とね」

「まあ、そうでしょうね」

日下部は胃薬の袋を開けた。

「法務省も悲鳴を上げていますよ。

彼らを『特別顧問』として入国させるための、超法規的措置の書類作りで徹夜続きです。

もし彼らが市街地で発砲騒ぎでも起こしたら、どう言い訳すればいいのか……。

世論やメディアには『外資系の警備会社との提携』と説明していますが、いつまで保つか」

「飼い犬が増えたと思えばいいのです。

狂犬ですが、中国という狼を追い払うには丁度いい」

日下部は薬を水で流し込んだ。

「これで防衛ラインは固まった。

アメリカの軍産複合体が味方につけば、中国も迂闊には手を出せない。

……当面は、ですが」

彼は知っていた。

強力な味方は、時に最大の敵になり得ることを。

アメリカの浸透は守護であると同時に、侵略でもある。

いつか彼らが「守る」だけでなく「奪う」ことに舵を切った時、日本はどう対抗するのか。

盾は同時に、日本を縛る鎖にもなっているのだ。

「工藤さん……。

貴方は呑気に工場を広げているでしょうが、地球側は火薬庫の上ですよ」

日下部はテラ・ノヴァの方角を見つめた。

そこでは今頃、何も知らない工場長が、「原発作りたいなー」などと危険な夢想をしているに違いない。

世界は確実に、破滅と繁栄の分岐点へと向かっていた。

その中心にあるのは、たった一人の男と、彼が作り出す無限の生産ライン。

「工場は成長する」。

その言葉の重みが、地球の自転すら歪ませようとしていた。