軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第41話 ワシントンの戦慄と神への招待状

アメリカ合衆国ワシントンD.C.。

ポトマック川から吹き付ける湿った風が、ホワイトハウスの星条旗を重々しく揺らしていた。

その地下深く、世界で最も安全であり、かつ最も危険な決断が下される場所——危機管理センター(シチュエーション・ルーム)。

ブルーライトに照らされたこの密室に、今、アメリカ合衆国の中枢を担う4人の人間が集まっていた。

ロバート・“ボブ”・ウォーレン大統領。

ダグラス首席補佐官。

アーサー・スタイン科学顧問。

そして、この緊急会議の招集者であるCIA長官エレノア・バーンズ。

彼女の手には、赤い封蝋が押された極秘ファイルが握られている。

だが、その手が僅かに震えていることを、ウォーレンは見逃さなかった。

鉄の女と呼ばれ、中東のクーデター情報ですら眉一つ動かさずに報告する彼女が、動揺している。

「……始めようか、エレノア」

ウォーレンは革張りの椅子に深く沈み込み、指を組んだ。

「君が『国家の最高優先事項』として、私を叩き起こしたんだ。

エイリアンの侵略か?

それとも、イエローストーンが噴火したか?」

「それらに匹敵する事態です、大統領」

エレノアはファイルをテーブルの中央に滑らせた。

中から数枚の写真と医療データが散らばる。

「間違いありません。

裏が取れました。

日本が隠蔽している『魔法のタネ』の正体……それは資源でも兵器でもありませんでした。

いえ、それらを含めた全ての根源と言うべきでしょう」

エレノアは一枚の写真を指差した。

それは先日、「奇跡の回復」を遂げた海道重工会長の孫娘、サクラの写真だった。

「日本のナノマシン技術は、すでに『医療用』として実用化されています」

その言葉が落ちた瞬間、部屋の空気が凍りついた。

空調の音さえも消えたかのような静寂。

「……医療用ナノマシン、だと?」

科学顧問のスタイン博士が、掠れた声で反問した。

「長官、それは飛躍が過ぎませんか?

先日見せられた『26式装甲服』の自己修復機能……あれは確かにナノマシンによるものでしょう。

ですが、無機物である金属を直すのと、極めて複雑で繊細な有機体である人体を治すのとでは、技術的難易度が桁違いです。

月に行くのと、隣の銀河に行くくらいの差がある」

「ええ、博士。常識で考えれば、そうです」

エレノアは冷徹に肯定し、そして否定した。

「ですが、現実を見てください。

ここにあるデータは、日本の公安関係者、自衛隊の退役軍人、そして財界のVIPたちのカルテです。

我々の工作員が、日本の医療ネットワークの深層から、決死の思いでハッキングしたものです」

彼女は次々とデータを提示していく。

『元公安警察官・鬼塚ゲン。末期の膵臓癌、全身転移。余命数日と診断——現在、完治。身体能力は20代アスリートを凌駕』

『自衛隊員・佐藤3曹。訓練事故による右脚切断——現在、完治。義足の使用痕跡なし。生体脚が再生』

『海道サクラ。重篤な先天性心疾患——現在、完治。心臓組織の完全な再構築を確認』

「……これらは全て、ここ1年以内に起きた事例です。

現代医療の常識では100%不可能な回復。

共通点は、ただ一つ。

彼らが全員、日本政府の『特別プロジェクト』に関与しているか、その親族であることです」

スタイン博士がデータを食い入るように見つめ、そして絶望的に首を振った。

「……あり得ない。

癌が消えている?

切断された四肢が生えている?

これは治療じゃない。

時間を巻き戻しているのと同じだ。

……神の領域だ」

「ええ、博士。まさしく神の領域です」

エレノアの声には、戦慄と、ある種の畏敬が混じっていた。

「ですが日本政府は、間違いなくその領域に到達しています。

新木場から出てくる『異常成長した木材』。

戦車の砲撃を耐えて修復する『無敵の鎧』。

そして『死の淵から蘇る人間』。

全ての点が繋がりました。

彼らは原子レベルで物質を操作し、生命さえも設計図通りに書き換える技術を持っているのです」

ウォーレン大統領は、こめかみを揉んだ。

頭痛がした。

同盟国が「便利な道具」を持っていると思っていたら、いつの間にか「魔法の杖」を振り回していたのだ。

「……分かった。認めよう。

日本は不老不死の薬……『医療用ナノマシン』を持っている。

だとしてだ。

なぜ彼らは、それを我々に『匂わせた』んだ?」

ウォーレンは、先日の日米協議での日本側の発言を思い出した。

『中国が日本の医療研究に執着している。困ったものだ』という、あの相談だ。

「彼らは我々に、『中国が探っているから、どうしよう?』と投げかけてきた。

隠したいなら黙っていればいいはずだ。

なぜ、わざわざ薮をつついて蛇を出すような真似をした?」

「それは誘いです、大統領」

エレノアは断言した。

彼女の瞳には、諜報のプロフェッショナルとしての冷徹な分析が光っている。

「彼らは言っているのです。

『我々は凄い宝を持っている。だが中国という泥棒が狙っている。

アメリカさん、貴方もこの宝に興味があるでしょう?

なら番犬になってください。

そうすれば……貴方にも分け前があるかもしれませんよ』と」

「……共犯者になってくれ、ということか」

ダグラス首席補佐官が、苦々しい顔で言った。

「同盟国という枠組みを超えて、もっと深く暗い場所で手を組もうと。

そういうメッセージですか」

「おそらくは。

日本政府も一枚岩ではないでしょうが、少なくともこのプロジェクトを主導している男は、極めて計算高い。

彼は知っているのです。

この技術を日本単独で抱え込むのは不可能だと。

だからこそアメリカを巻き込み、中国を牽制させる盾に使おうとしている」

ウォーレンは天井を仰いだ。

生意気な。

かつての敗戦国が、今や覇権国であるアメリカを手玉に取ろうとしている。

だが、その手口は見事と言うほかなかった。

「……ここで重要な推測があります」

エレノアが声を落とした。

「日本がこの技術を積極的に展開していない理由についてです。

これほどの奇跡ならば、世界中に売りさばけば、日本はGAFAなど目ではないほどの巨万の富を得られるはずです。

ですが彼らは隠している。

それはなぜか?」

「政治的リスクを恐れてか?」

「それもありますが……もっと物理的な理由でしょう。

『数に限度がある』のです」

彼女の推測は半分当たっていて、半分外れていた。

実際にはバイオマターの量産に成功しているが、日本政府が政治的判断で供給を絞っているだけだ。

だが外から見れば、「作れないから出さない」ように見える。

「あのナノマシンの製造には、おそらく極めて特殊な希少資源、あるいは莫大なエネルギーが必要です。

未知の物質……仮に『オリハルコン』とでも呼びましょうか。

それがボトルネックになっているはずです」

エレノアは確信に満ちた表情で続けた。

「だからこそ貴重なのです。

湯水のように湧くなら、彼らもここまで神経質にはなりません。

『製造が難しく、数が少ない』。

だからこそ彼らは、それを最強の外交カードとして温存している」

「……なるほど。筋は通るな」

ウォーレンは顎を撫でた。

希少価値。

それが高ければ高いほど、交渉の余地は生まれる。

「上手く日本政府を説得できれば……あるいは圧力をかければ。

我々もその『検証用サンプル』を譲り受けることができるかもしれない。

そういうことか?」

「可能性は十分にあります!

いえ、手に入れなければなりません!」

エレノアが身を乗り出した。

彼女の冷静な仮面が剥がれ、焦燥が露わになる。

「大統領、これは単なる新薬の話ではありません。

国家の生存戦略に関わる問題です。

もしこの技術が、大統領ご自身や軍の最高司令官たちの健康を永遠に維持できるとしたら?

あるいは負傷した兵士を即座に前線復帰させられるとしたら?

アメリカの覇権は、今後数百年、揺るがないものになります」

「……逆に言えば」

スタイン博士が震える声で補足した。

「他国に渡れば、終わるということですね」

「その通りです」

エレノアが頷く。

「ここで躊躇してはなりません。

大統領、ここは日本政府とトップレベルの会談を行うべきです!

事務レベルではありません。

貴方と日本の総理大臣、二人だけのホットラインで腹を割って話すべきです。

『我々は知っている。だから寄越せ』と!」

部屋に熱っぽい空気が充満する。

「不老不死」という言葉の魔力に、理性が焼かれていくようだ。

だがウォーレンは動かなかった。

彼は静かに目を閉じ、考え込んでいた。

「……うーむ。

少し待ってくれ、エレノア。

飛躍しすぎているぞ」

ウォーレンは目を開け、冷静な光を宿した瞳で、CIA長官を見据えた。

「確かに状況証拠から見て、日本が医療用ナノマシンを持っているのは濃厚だろう。

そこは認めよう。

だが……『渡す』か?

日本が我々に?」

「日本は同盟国です。

それに彼らは、中国の脅威を感じています。

アメリカの保護を得る対価としてなら……」

「いいや、違うな」

ウォーレンは首を横に振った。

「逆の立場で考えてみろ。

もし我々アメリカが、その技術を独占していたらどうする?

世界中に公表するか?

同盟国に『お裾分け』するか?

……しないだろう。

絶対に隠し通す。

墓場まで持っていく秘密だ」

ウォーレンの声に重みが加わる。

「なぜなら、それが『究極の力』だからだ。

核兵器よりも強い力だ。

それを他人に渡す馬鹿はいない。

日本だって同じはずだ。

それなのになぜ彼らは情報をリークし、我々に近づいてきた?」

「それは……中国という敵に取られるのを警戒してでしょう。

自分たちだけでは守りきれないと判断したから……」

「そこだ」

ウォーレンは指を突きつけた。

「『中国に取られるのはマズい』。

これは我々にとっても共通認識だ。

だが、もし日本が……

『アメリカに取られるくらいなら、中国にあげてしまおう』と考えたらどうなる?」

その言葉にダグラスが息を呑んだ。

「大統領……。

まさか、日本が裏切ると?」

「裏切りじゃない。生き残りだ」

ウォーレンは冷徹にシミュレーションを語る。

「日本にとって最大の脅威は中国だ。

核を持ち、強大な軍事力を持ち、隣に居座る巨大な龍。

これまではアメリカの核の傘で守られてきた。

だが、もし日本が『医療用ナノマシン』というカードを使って、中国を懐柔できるとしたら?」

ウォーレンは地図上の日本と中国を指でなぞった。

「中国の指導層は高齢化している。

彼らにとって、共産党の支配維持と同じくらい、自身の延命は切実な問題だ。

もし日本が『長寿の薬をあげます。その代わり日本に手出ししないでください』と持ちかけたら?

……中国は乗るぞ」

エレノアの顔色が蒼白になる。

「そんな……。

歴史的な反日感情があります。

中国のプライドが、日本の下につくことを許すはずが……」

「プライドで死は避けられない、エレノア。

それに『下に付く』のではない。

『日本を特区として保護する』という名目なら、中国のメンツも立つ。

……医療用ナノマシンは、それほどの劇薬なのだ」

ウォーレンは拳を握りしめた。

「もしそうなれば、日中同盟……いや、アジア独自の巨大経済圏が誕生する。

ナノマシン技術と、中国の生産力・市場が融合すれば、アメリカは太平洋から締め出される。

パックス・アメリカーナの終わりだ」

部屋に絶望的な沈黙が落ちた。

日本が敵に回る。

かつての悪夢が、最悪の形で蘇るシナリオ。

ナノマシンという「奇跡」は、同盟を強化する絆にもなれば、それを断ち切る刃にもなる。

「……だからこそ、急がねばなりません」

エレノアが呻くように言った。

「日本が中国と手を組む前に。

日本が『アメリカよりも中国を選んだ方が得だ』と判断する前に。

我々が日本を完全に抱え込む必要があります。

大統領、ここはご決断を。

躊躇している時間はありません」

ウォーレンは目を閉じ、数秒間、思考の海に沈んだ。

日本という国。

礼儀正しく、従順で、しかし腹の底が見えない同盟国。

彼らが作り出した「新木場」の工場と、魔法使いの幻影。

(彼らは我々を試しているのか?

それとも、助けを求めているのか?)

どちらにせよ、選択肢は一つしかなかった。

「……分かった」

ウォーレンは目を開けた。

そこには世界の警察官としての、そして覇権国家の長としての覚悟が宿っていた。

「トップ会談を行おう。

名目は『日米安全保障条約の改定に関する緊急協議』だ。

だが中身は違う。

『ナノマシン協定』の締結だ」

「はい!」

「ダグラス、直ちに日程を調整しろ。

場所はキャンプ・デービッドだ。

盗聴の心配のない場所で、ソエジマ総理とサシで話す。

……彼が懐に隠しているナイフの正体を、白状させてやる」

「イエッサー。直ちに手配します」

「スタイン博士。

君は理論武装を頼む。

日本側が『科学的に不可能だ』と言い訳してきた時に、論破できるだけの材料を揃えろ。

26式のデータ、木材の成分、そして患者のカルテ。

すべてを突きつけて、逃げ道を塞ぐんだ」

「承知しました。

科学者としての誇りにかけて、彼らの『魔法』を解剖してみせます」

「そしてエレノア」

ウォーレンはCIA長官を見た。

「君の部隊は、中国の動きを全力で妨害しろ。

日本国内でのMSSの活動を、徹底的に潰せ。

日本政府に恩を売るんだ。

『アメリカだけが、中国から日本を守れる』と、骨の髄まで分からせてやれ」

「御意。

……東京の夜を、少し騒がしくしてやりますわ」

エレノアは冷酷な笑みを浮かべた。

会議は終わった。

だがそれは、新たな戦いの始まりだった。

ワシントンの地下で下された決断は、光ファイバーを通じて太平洋を越え、東京へ、そしてテラ・ノヴァへと波及していく。

「神の領域」に踏み込んだ日本。

その神の力を欲するアメリカ。

そして隙を伺う中国。

三つ巴のパワーゲームは、いよいよ最終局面——首脳同士の直接対決へと収束しようとしていた。

テーブルの上に置かれるチップは「不老不死」という人類最大の夢。

このポーカーゲームに、降りることは許されない。

ウォーレンは、誰もいなくなった部屋で一人呟いた。

「……ソエジマ。

君が良いポーカープレイヤーであることを祈るよ。

でないと我々は、全員破滅だ」

彼は上着の内ポケットから、常用している心臓の薬を取り出し、飲み込んだ。

苦い味が広がる。

もし日本の薬があれば、この苦味からも解放されるのだろうか。

そんな個人的な欲望を振り払うように、彼は部屋を後にした。