軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第40話 増殖する奇跡と外交の処方箋

東京都千代田区、首相官邸地下。

危機管理センターの直通ホットライン専用ブースにて、内閣官房参事官の日下部は、こめかみの血管が切れそうなほどの頭痛と戦っていた。

彼の手には、暗号化通信用の受話器が握られている。

モニターの向こうにいるのは、惑星テラ・ノヴァで屈託のない笑顔を浮かべる工藤創一だ。

『——というわけで、日下部さん。朗報です!』

創一の声は明るかった。

背景には、不気味に脈動する紫色の有機的なプラント——『バイオチャンバー(Biochamber)』が映り込んでいる。

ガラス質の培養槽の中で、アメーバのような何かが蠢き、分裂し、増殖しているのが見える。

『ついに成功しましたよ。「バイオマター」の量産化に!』

「……量産、ですか」

日下部は呻くように繰り返した。

バイオマター。

それはテラ・ノヴァの原生生物バイターから採取される希少物質であり、あの万能治療薬『医療用キット』の主原料だ。

これまでは「遠征で敵を倒して奪う」しか入手手段がなく、その供給量は不安定かつ限定的だった。

それが量産?

『ええ。

新しい研究で『生物学的プロセス(Biological Process)』を解禁しましてね。

このバイオチャンバーに、 種(タネ) となるバイオマターと、栄養剤(水と有機物)を投入して培養するんです。

そうすると……細胞分裂して増えるんですよ!』

創一は嬉々として解説する。

『効率はまだ悪いんですけどね。

10個のバイオマターを触媒にして、培養サイクルを回すと12個になって戻ってくるんです。

つまり1サイクルで、プラス2個の黒字です。

これを繰り返せば、理論上は無限に増やせます!』

「……10個入れて、12個戻る。

ネズミ算式に増えると?」

『はい。

まあ培養に時間がかかるし、栄養剤のコストも高いんで、今の設備だと日産10個くらいの純増が限界ですけど。

でも、もう危険を冒してバイターの巣を襲撃しなくても、工場の中で安定して生産できるようになったんです!』

創一は「凄いでしょ?」と言わんばかりのドヤ顔だ。

だが日下部の顔色は、青を通り越して土気色になっていた。

日産10個。

つまり月産300個。

これまでの供給量が「月10個(残りは軍事研究用)」だったことを考えれば、30倍の生産能力だ。

しかも工場を拡張すれば、その数は100倍、1000倍にもなる可能性がある。

それは「希少な奇跡」が、「ありふれた工業製品」に変わる瞬間だった。

「……工藤さん」

『はい?』

「今すぐ、その記憶を消してください」

『えっ』

「そして、そのプラントの増設は許可しません。

現状維持。

いえ、生産調整を行ってください」

日下部の冷徹な声に、創一がきょとんとする。

『えー? なんでですか?

増やせば増やすほど、医療用キットが沢山作れるじゃないですか。

日本には病気で苦しんでる人が沢山いるんでしょ?

みんなに配って健康になれば良いのに……』

「駄目ですッ!!!」

日下部が絶叫した。

ブース内のSPたちが驚いて振り返るほどの剣幕だった。

「いいですか、工藤さん!

貴方はエンジニアとしては天才ですが、政治経済に関しては幼児並みだ!

『みんな健康になればいい』?

そんなことをすれば、世界が崩壊します!」

『崩壊って、大袈裟な……』

「大袈裟ではありません!

不老不死の薬が市場に溢れたら、どうなると思いますか?

人口爆発、年金制度の破綻、生命保険会社の連鎖倒産、そして『持てる者』と『持たざる者』の階級闘争による暴動!

社会システムそのものが、瓦解するんです!」

日下部は早口でまくし立てた。

「それに外交的価値です!

この薬は『世界に数個しかない』からこそ、アメリカ大統領すら黙らせる切り札になるんです。

それが『工場で量産してます、誰でも買えます』なんてことになったら……。

レアメタルどころじゃない。

世界中が日本を『独占禁止法違反』と『人道に対する罪』で袋叩きにしますよ!

戦争になります!」

創一は口をへの字に曲げた。

『むぅ……。

せっかく自動化したのに。

需要があるなら供給するのが、工場の使命なのに……』

「その使命感は、鉄板と電子基板だけで発揮してください。

生命に関しては、我々がコントロールします」

日下部は深呼吸をして、トーンを落とした。

「……いいですね、工藤さん。

この『バイオマター量産技術』は、存在自体を 最高機密(トップシークレット) 中の最高機密に指定します。

日本政府への納品数は、これまで通り『毎月10個』。

それ以上は受け取りませんし、増やさないでください」

『……ちぇっ。分かりましたよ。

じゃあ余った分は全部、軍事研究に回します。

ウラン弾とか、強化爆薬の研究に使っちゃいますからね』

「ええ、どうぞ。

弾薬になって消えてくれるなら、その方が平和です」

通信を切った後、日下部は椅子に崩れ落ちた。

胃がキリキリと痛む。

工藤創一という男は無自覚にパンドラの箱を開け、その中身を「便利だから」という理由でばら撒こうとする。

それを必死で回収し、蓋をするのが、自分たちの役目だ。

「……忘れてくださいと言ったが。

一度生まれた技術は、消えない」

日下部は天井を見上げた。

今は隠蔽できている。

だが、いずれ「量産可能」という事実は、どこかから漏れ出すだろう。

その時までに日本は、世界を御するだけの力をつけなければならない。

数時間後。

場所を移して、官邸地下の大会議室。

総理、官房長官、外務大臣、防衛大臣、そして各情報機関のトップが集まり、緊急戦略会議が開かれていた。

議題は二つ。

中国の不穏な動きと、アメリカの沈黙だ。

「……まずは中国の動向からだ」

内閣情報官が資料をスクリーンに映し出す。

そこには、海道重工のサクラ嬢をはじめとする医療用キット投与者たちの周辺で確認された不審人物のリストと、サイバー攻撃の痕跡が示されていた。

「彼らは気づいています。

日本の『新技術』の本質が、単なる資源や軍事だけでなく、医療——すなわち『ナノマシンによる生体修復』にあることを」

「早かったな」

官房長官が渋い顔をする。

「アメリカよりも鼻が利く。

やはり中華思想の根底にある『不老長寿』への渇望か。

彼らはレアメタル以上に、この技術に執着している」

「はい。

MSS(国家安全部)の動きは総力的です。

ハッキング、ヒューリント(人的諜報)、あらゆる手段を使って『証拠』と『現物』を探しています。

……ハッキリ言えば、もうバレていると考えるべきです。

『日本は何かとんでもない薬を持っている』と」

会議室に緊張が走る。

核兵器を持っていることがバレるより、ある意味でタチが悪い。

核は使えば破滅だが、薬は誰もが欲しがるからだ。

「ですが、これは『使えます』」

日下部が冷ややかな声で切り出した。

「使える?」

「はい。

中国が『薬』を狙っているということは、彼らには『交渉の意思』があるということです。

彼らは日本を破壊したいわけじゃない。

日本から技術を奪いたい、あるいはシェアして欲しいのです」

日下部は指を組んだ。

「ならば、それを利用しましょう。

中国に対して、医療用キットの存在を『匂わせ』つつ、制御するのです」

「制御だと?

あの貪欲な龍をか?」

「ええ。

決して渡すつもりはありません。

少なくとも、アメリカより先に渡すつもりはない。

ですが、ガードを少し下げて『親日的な態度を取れば、あるいは……』という期待を持たせるのです」

日下部は悪魔的な笑みを浮かべた。

「いわゆる『寸止め外交』です。

彼らの工作員をあえて泳がせ、断片的な情報——例えば『劇的に回復した患者のデータ』などをリークする。

そうすれば彼らは『日本とのパイプを太くしなければならない』と考える。

強硬手段に出れば、永遠に薬は手に入らないと思わせるのです」

「……なるほど。

餌を目の前にぶら下げて走らせるわけか」

総理が唸った。

「さらに、逆スパイも仕込めます。

『薬の横流し』を装って、こちらの二重スパイを中国の中枢に食い込ませる。

医療利権を餌にすれば、向こうの幹部も簡単に釣れるでしょう。

自分や家族の寿命がかかっているとなれば、イデオロギーなど脆いものです」

「毒入りの餌だな」

外務大臣が身震いした。

「だが有効だ。

レアメタルで追い詰められた中国が暴発するのを防ぐには、別の『希望』を見せてやる必要がある。

それが叶わぬ夢だとしてもな」

「よし。中国はその方針で行こう」

総理が裁可した。

中国という猛獣は、不老不死という夢を見させて、檻の中に留めておく。

「次はアメリカだ」

話題が変わると、空気の質が変わった。

こちらはより複雑で繊細な対応が求められる。

「アメリカ政府の動向ですが……。

彼らは『26 式(ヘビーアーマー) 』の解析を、事実上断念したようです」

防衛大臣が報告書をめくる。

「先日のネバダでの演習後、彼らは供与した試験機に対してX線スキャンを試みました。

結果は……工藤氏の仕込んだ『自壊プログラム』が見事に作動。

装甲の一部が溶解し、彼らは大慌てでスキャンを中止したとのことです」

「ハハハ! いい気味だ」

官房長官が笑った。

「『触れば溶ける』という脅しがハッタリではないと、骨身に沁みただろう。

これで当分、彼らは強引なリバースエンジニアリングは出来まい」

「ええ。

彼らの結論は『日本のナノマシン技術はブラックボックスとして扱うしかない』というものです。

ライセンス生産の交渉も、日本からの『完成品ユニットの輸入』を前提としたものにシフトしつつあります」

「技術的敗北を認めたか。

アメリカにしては殊勝だな」

「ですが……」

日下部が懸念を口にする。

「問題は、彼らがまだ『医療用ナノマシン』の存在にたどり着いていないことです」

「ほう?

CIAの目は節穴か?」

「いえ。

彼らの視線が『軍事』と『資源』に集中しすぎているのです。

『26式』のインパクトが強すぎたせいで、彼らの関心は『日本はどうやってあの兵器を作ったか』に向いています。

『どうやって人を治したか』には、まだ意識が向いていない」

「……ここらへんの嗅覚は、中国が一枚上手ということか」

総理が呟く。

中華文明特有の「生への執着」が、アメリカの合理的思考を上回った形だ。

それに日本国内における中国のヒューリント網は、アメリカのそれよりも深く、草の根レベルまで浸透している。

「この温度差はマズいですね」

外務大臣が指摘する。

「中国が医療技術について探りを入れていることを、アメリカが知らないままだと、後で『日本は中国と裏で通じていたのか』と疑われかねません。

あるいは中国が先に確証を掴んで動き出し、アメリカが出遅れる……という事態になれば、パワーバランスが崩れます」

「……バランスを取る必要があるな」

日下部が眼鏡を直した。

「アメリカ政府にも、ここら辺で『医療用ナノマシン』の話を少し振って、様子見をするべきです」

「自らネタ晴らしをするのか?」

「ええ。

ただし、直接的にではありません。

『相談』という形を取ります」

日下部は即興のシナリオを語り始めた。

「次回の次官級協議で、こう持ちかけるのです。

『最近、中国の諜報機関が日本の特定の医療研究に対して異常な執着を見せている。

どうやら彼らは、日本がナノマシンを使った次世代医療を開発したと勘違いしているようだ。

…… 貴国(アメリカ) も何か情報を掴んでいないか?』と」

「なるほど。

『中国が探っている』という情報をリークすることで、アメリカの注意を喚起するわけか」

「はい。

そうすればCIAも慌てて調査を始めます。

そして海道会長の孫娘や、鬼塚さんの事例にたどり着くでしょう。

そこで初めて彼らは気づくのです。

『日本が持っているのは兵器だけじゃない。もっとヤバいものを持っている』と」

「……アメリカを意図的に誘導するのか。

危険な賭けだぞ」

官房長官が警告する。

「彼らがその価値に気づけば、26式の時以上に強烈な圧力をかけてくるぞ。

『その技術をよこせ』と」

「その時は、こう言えばいいのです。

『まだ実験段階で、安全性も確立されていない。

だが同盟国であるアメリカには、優先的に情報共有する用意がある。

……中国に渡すつもりはないから安心してくれ』と」

日下部は不敵に笑った。

「アメリカと中国、双方に『日本は凄い技術を持っている』と認識させつつ、互いに牽制させる。

『あっちに渡るくらいなら、日本に持たせておいた方がマシだ』と思わせるのです。

それが核を持たない日本が生き残るための、唯一の抑止力です」

総理は目を閉じ、腕を組んで考え込んだ。

綱渡りだ。

右には飢えた龍、左には強欲な鷲。

その間を、ナノマシンという細い糸の上を歩いて渡る。

「……やろう」

総理は目を開けた。

「日下部くん、君のシナリオで行く。

中国には『寸止め』の幻想を。

アメリカには『共犯者』の安心感を。

両天秤にかけて、時間を稼ぐのだ」

「承知しました。

……工藤氏には『最近スパイが増えるかもしれないから、気をつけて』とだけ伝えておきます。

彼は細かい政治の話より、工場のラインが止まることの方を心配するでしょうから」

数日後。

ワシントンD.C.のアメリカ国務省。

日米実務者協議の席上で、日本の外務審議官が休憩時間に、ふと漏らした「懸念」が、即座にホワイトハウスへと報告された。

『日本側からの情報提供あり。

中国MSSが日本のバイオナノテク技術に対し、大規模な諜報活動を展開中の模様。

ターゲットは……医療?』

報告を受け取ったエレノアCIA長官は、執務室で眉をひそめた。

「医療……?

日本人は、あの 装甲(アーマー) の技術を人体に応用しているというの?」

彼女の脳裏に、ネバダで見た26式の自己修復機能がフラッシュバックする。

金属を瞬時に再生させるナノマシン。

もしあれが、生体細胞に対して行われたら?

「……まさか」

エレノアは受話器を取り、東京支局へ緊急暗号通信を繋いだ。

「 総点検(オーバーホール) よ。

ターゲットの優先順位を変更する。

新木場の倉庫や工場じゃない。

『病院』を洗え。

日本のVIPたち……特に、最近、奇跡的に病気から回復した人物がいないか、徹底的にリストアップして」

彼女の目が、獲物を狙う猛禽類のように鋭くなった。

「中国が血眼になっている理由が分かったわ。

日本は隠している。

鉄の鎧の下に……『不死の肉体』の秘密を」

世界が蠢き始めた。

テラ・ノヴァで工藤創一が「バイオマター増えた! やったー!」と無邪気に喜んでいる間に、その波紋は地球全土を巻き込む巨大な渦となっていた。

北京の中南海では、龍が涎を垂らして日本の懐を狙っている。

ワシントンのホワイトハウスでは、鷲が鋭い爪を研ぎ直し、同盟国の真意をえぐり出そうとしている。

そして東京。

日下部たちは、増え続けるバイオマターの在庫と、胃薬の在庫を交互に見比べながら、終わりのないダンスを踊り続けていた。

「工場は成長する」

その言葉はいまや、物理的な拡張だけでなく、欲望と陰謀の連鎖反応をも意味するようになっていた。

制御棒のない原子炉のように、世界は熱を帯びていく。