軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第39話 紫禁城の深謀と龍の血圧

中華人民共和国、北京。

かつての皇帝たちが天下を睥睨した紫禁城の西側、中南海。

朱色の壁と瑠璃色の瓦に囲まれたこの広大な敷地は、現代中国における共産党指導部の中枢であり、14億の民と世界第二位の経済・軍事大国を動かす巨大な脳髄である。

その一角にある会議室『西花庁』。

窓の外には、人工湖の穏やかな水面と、PM2.5に霞む北京の灰色の空が広がっている。

室内の空気は、最高級の 龍井茶(ロンジンチャ) の香りと、重苦しい紫煙、そして張り詰めた緊張感によって支配されていた。

円卓を囲むのは、国家の舵取りを担う最高幹部たちだ。

党中央軍事委員会副主席の 劉(リュウ) 将軍。

国家安全部(MSS)部長の 張(チャン) 。

外交部トップの 王(ワン) 。

そして上座には、国務院総理の 李(リー) が沈痛な面持ちで座っていた。

彼らの視線は、壁面の巨大スクリーンに釘付けになっている。

映し出されているのは、日本の東富士演習場で撮影された『26式多目的装甲戦闘服』——通称ヘビーアーマーの演習映像だ。

米軍将校ですら「青い目の悪魔」と恐れたその銀色の巨人が、戦車の砲撃を耐え、鉄扉を引きちぎる様が、高精細な映像で繰り返されている。

「……怪物だな」

沈黙を破ったのは、軍服に身を包んだ劉将軍だった。

歴戦の軍人である彼をして、その声には隠しきれない畏怖が滲んでいる。

「装甲の材質、動力源、アクチュエータの出力……。

我が軍の技術局が総力を挙げて解析したが、結論は『再現不能』だ。

現行の科学技術の延長線上にはない。

西側のプロパガンダかと思ったが、物理挙動に嘘はない。これは本物だ」

「たった一兵士が、戦車小隊を壊滅させるか……」

安全部の張が、指でテーブルを叩いた。

「これでは人海戦術も意味をなさん。

100万の人民解放軍といえど、この『鉄人』を量産されたら、地上戦での優位性は崩壊する」

李総理が、ゆっくりと口を開いた。

「軍事バランスの崩壊。

それは認めよう。

だが、同志諸君、冷静になりたまえ。

問題は『能力』ではない。『意図』だ」

総理は手元の資料——日本国内の世論調査や、政治動向の分析レポート——を指差した。

「日本がこの兵器を使って、 大陸(こちら) へ攻め込んでくると思うかね?」

その問いに出席者たちは一瞬顔を見合わせ、そして鼻で笑った。

「あり得ませんな」

外交部の王が即答した。

「彼らには『平和憲法』という足枷がある。

それに何より、国民性が軟弱だ。

少子高齢化で若者の命を惜しむあまり、侵略戦争などというリスクを冒す度胸はない。

彼らが望んでいるのは『現状維持』と『経済的繁栄』だけです」

「左様。

日本は『盾』を強化したに過ぎない」

劉将軍も同意する。

「あの装甲服は、あくまで専守防衛のための道具だ。

尖閣(釣魚島)や沖縄に配備されれば厄介極まりないが、北京まで飛んでくるミサイルではない。

我々が手を出さなければ、向こうから撃ってくることはない。

……少なくとも、今のところはな」

「そう、今のところはだ」

李総理は目を細めた。

「だが日本は変わった。

あの『資源』を手に入れてから、彼らの背骨には鉄が入ったようだ」

話題はもう一つの懸案事項——『レアメタル』へと移った。

これこそが中国にとって、真に痛恨の一撃だった。

スクリーンに、南鳥島沖で操業する日本の採掘船団(もちろんダミーだが、中国側は真実を知らない)の映像が映し出される。

「……憎々しい光景だ」

経産担当の幹部が呻く。

「日本の『深海採掘』成功の発表以来、我が国のレアアース産業は壊滅的打撃を受けている。

国際価格は暴落。

対日輸出カードとしての価値はゼロになった。

それどころか、逆に日本から高品質で安価なインゴットが世界中にばら撒かれ、市場を独占されつつある」

「 技術的特異点(シンギュラリティ) だ」

安全部の張が呟いた。

「深海から無尽蔵に資源を吸い上げ、謎の技術でナノマシン装甲を作る。

……日本の説明通りなら『技術革新』で済む話だが、あまりにも出来すぎている。

まるで魔法だ」

「魔法だろうが何だろうが、現実に我々は首を絞められている」

李総理が冷徹に告げる。

「経済的な損失は許容できる。我々には巨大な内需がある。

だが地政学的な損失は別だ。

日本が資源と武力で自立し、アメリカへの依存度を下げつつ、独自の影響力を持ち始めた。

これは悪夢だ」

「アメリカは、どう動いていますか?」

「焦っていますよ」

外交部の王が、CIAの動向レポートを開いた。

「ワシントンも、日本の急成長を制御できていない。

表向きは『同盟の強化』を謳っているが、裏では技術の開示を求めて猛烈な圧力をかけている。

……日本政府がアメリカと喧嘩別れしてくれれば、我々にとっては最高の展開なのだが」

「それは期待薄だな」

劉将軍が首を振る。

「日本はアメリカの犬だ。

いや、今は『チタンの牙を持った狂犬』になりつつあるが、首輪はついたままだ。

彼らは賢い。

アメリカの庇護下にあるという立場を利用しつつ、アメリカすら手を出せない技術的優位性を確立しようとしている。

……実に、いやらしい戦略だ」

会議室に苦い沈黙が流れる。

中国にとって日本は長年のライバルであり、歴史的な因縁の相手だ。

その日本が、理解不能な「何か」を手に入れ、急速に強大化している。

侵略の意図がないとしても、隣に「無敵の巨人」が座っているだけで、枕を高くして眠ることはできない。

「では、どうする?

実力行使に出るか?」

過激派の若手将校が発言した。

「特殊部隊を送り込み、新木場の施設を破壊する。

あるいは海上封鎖を行い、南鳥島の操業を妨害する。

今ならまだ叩けるはずです」

「馬鹿者ッ!!」

李総理が一喝した。

若手将校が縮み上がる。

「短絡的な思考は捨てろ。

日本に実力行使? 100%ない。断言できる。

そんなことをすれば日米同盟が発動し、全面戦争になる。

それに……あちらには『26式』がいるのだぞ?

生半可な特殊部隊など、返り討ちに遭うだけだ」

総理は深呼吸をし、言葉を続けた。

「むしろ日本側は、我々が暴発することを待っている節がある。

『中国が攻撃してきた』という既成事実ができれば、彼らは堂々と再軍備を加速させ、あの装甲服を数千、数万と量産する大義名分を得るだろう。

……相手の土俵に乗るな」

「では、静観すると?」

「いいや。

『寸止め』だ」

総理の目が老獪な光を帯びた。

「現場には厳命しろ。

『暴発手前の動きはしていいが、暴発だけは絶対にするな』と。

領海侵犯ギリギリの航行、ドローンによる偵察、サイバー攻撃……。

あらゆる手段でプレッシャーをかけ続けろ。

日本の神経を逆撫でし、疲弊させ、ボロを出させるのだ」

「グレーゾーン事態の継続ですね」

「そうだ。

そして我々は、その隙に『魔法のタネ』を探る」

ここで安全部の張が、一枚の新しい資料を提示した。

そこには一見すると軍事とは無関係なデータが並んでいた。

「……ナノマシン。

アメリカの情報機関も、日本の技術の根幹はこれだと推測しています。

物質を自在に構築する極小の機械。

もしそれが本当なら……軍事や資源以外にも、応用できる分野があるはずです」

張は資料のページをめくった。

そこに現れたのは、人体解剖図と、DNAの二重螺旋構造。

「医療です」

その言葉に会議室の空気が変わった。

それまでの殺伐とした軍事的な緊張感とは違う、もっと根源的な人間の欲望に根ざした熱気が漂い始めた。

「医療用ナノマシン……か」

年配の幹部たちが身を乗り出した。

中華の歴史において、権力者が最後に求めるものは常に一つだ。

始皇帝の時代から変わらない。

富でも領土でもない。

『長寿』である。

「張部長。

日本がその分野でも実用化していると思うか?」

李総理の声が、わずかに震えた。

「可能性は極めて高いと分析します」

張は淡々と、しかし確信を持って答えた。

「考えてもみてください。

植物を数分で巨木に育てる技術があるなら、人体の細胞分裂を制御することなど造作もないはずです。

傷を瞬時に治す。

老化した細胞を修復する。

……あるいは寿命そのものを延ばす」

ゴクリと、誰かが唾を飲み込む音がした。

「もしそれが実現していたら……。

日本との関係は、対立だけでは済まされませんな」

外交部の王が目を輝かせた。

「交渉の余地があります。

もし『不老長寿の薬』が手に入るなら、レアメタルの利権など安いものです。

我々の指導部、ひいては党の長老たちにとって、これ以上の福音はない」

「だが日本政府は、それを隠している」

張が指摘する。

「公式には『木材』と『装甲』しか発表していない。

なぜだ?

医療技術なら人道的な貢献として発表すれば、日本の国際的地位は盤石になるはずだ。

それを隠す理由は?」

「……数が少ないからか?」

劉将軍が推測する。

「あるいは副作用があるか。

もしくは……『日本人以外には渡したくない』という排他的な選民思想か」

「いずれにせよ、そこに日本の『アキレス腱』がある」

張は断言した。

「新木場の施設は要塞化されており、物理的な潜入は不可能です。

これ以上あそこを掘っても、コンクリートと警備兵しか出てきません。

ですが……『人間』は違います」

張はスクリーンに数枚の写真を映し出した。

日本の政財界の大物たちの写真だ。

「我々の 工作員(スパイ) が日本の病院ネットワークのデータを洗いました。

奇妙なデータが見つかっています。

末期癌だったはずの元公安警察官。

再起不能の重傷を負った自衛官。

そして……」

最後に表示されたのは、車椅子に乗った少女の写真と、その隣で微笑む老人の写真だった。

「海道重工会長、海道龍之介。

彼の孫娘サクラ。

彼女は重篤な心臓疾患で余命いくばくもない状態でしたが、ここ数ヶ月で劇的な回復を見せています。

今では元気に学校に通っているとか」

「……海道重工か」

李総理が唸った。

あの『26式』の開発元であり、深海採掘の主役でもある企業だ。

点と点が繋がる。

「孫娘の命と引き換えに、政府に協力している……という図式か」

「その可能性は高いです。

つまり日本政府は、すでに『医療用ナノマシン』を実用化し、 身内(インナーサークル) だけで密かに使用している。

これは、その証拠です」

張の言葉に幹部たちは確信を得た。

そこにあるのは単なる兵器以上の価値を持つ「宝」だ。

「方針を変更する」

李総理が決断を下した。

「新木場への物理的な偵察は縮小せよ。アメリカに任せておけばいい。

我々の主戦場は『人間』だ。

日本国内の不自然な症例、特に政財界のVIPやその親族における『奇跡的な回復』を徹底的に調査しろ」

「はっ!」

「そして、もし『現物』を持っている者がいれば……。

金、ハニートラップ、脅迫、何を使ってもいい。

その『薬』のサンプルを手に入れろ。

もしそれが本物なら、日本に対する最強の外交カードになる」

総理は窓の外、北京の空を見上げた。

汚染された空の下で、多くの老人たちが呼吸器疾患に苦しんでいる。

そして何より、自分たち自身も老いからは逃れられない。

「日本は『装甲』で体を守り、『薬』で命を守ろうとしている。

……独り占めは良くないな。

隣人として、その幸福を分かち合おうではないか」

その言葉は慈愛に満ちているようでいて、底知れぬ貪欲さを秘めていた。

中国という龍は爪を立てるのをやめ、舌なめずりを始めたのだ。

力づくで奪うのではなく、搦め手で、そして人間の根源的な欲望を利用して、日本の懐に入り込む。

それこそが数千年の歴史を持つこの国の真骨頂だった。

「工場は成長しなければならない」——その日本のスローガンの裏で、

「龍は長生きしなければならない」という新たな欲望の方程式が、動き出そうとしていた。

北京の夜は深い。

だが、その闇の中で光る無数の目は、東京の灯りを虎視眈々と見つめていた。