軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第170話 ホワイトハウス、リヤド万博にねじ込む

ワシントンD.C.、ホワイトハウス。

世界の中心とも言えるこの建物のウエストウイング(西棟)に位置する 大統領執務室(オーバルオフィス) で、キャサリン・ヘイズ大統領は眉間を揉みほぐしていた。

巨大なレゾリュート・デスクの上には、今日も決裁を待つ書類の山が築かれている。

国内のインフラ法案、欧州との新たな貿易協定、そして宇宙開発予算の増額申請。どれも国家運営において極めて重要かつ頭の痛い案件ばかりだが、ヘイズ大統領の疲労の根本原因は、それら通常の政治的課題ではなかった。

執務室の重厚なマホガニーの扉が開き、二人の人物が入室してくる。

タイタン・グループ総帥ノア・マクドウェルと、CIA長官エレノア・バーンズ。

アメリカの 裏舞台(ディープステート) における、アンノウン事案の実質的な顔役である。

ヘイズ大統領は、入ってきた二人の顔を見た瞬間、持っていた万年筆をデスクにコトリと置いた。

「……どうしたの?」

ヘイズ大統領は、身構えるように二人を睨みつけた。

「あなたたち二人が揃って私の執務室へ来る時は、だいたい私の胃に極めて悪い話を持ってくる時でしょう」

ノアは、まるで夜会に招待された貴族のように、楽しげな笑みを浮かべて肩をすくめた。

「ご安心ください、大統領。今回は、胃に悪いというより、好奇心に非常に悪い話です」

「それは全く安心できないわね」

ヘイズ大統領が冷たく返す。

隣に立つエレノアが、一切の感情を交えない能面のような顔で本題を切り出した。

「大統領。少し、日本の動きに気になる点がありまして」

ヘイズ大統領は、深く、深く溜め息を吐いた。

「……日本? カオル(矢崎総理)たちが、また何かしたの? それともあの魔法使い(アンノウン)が、今度は地球の自転速度でも変えようとしているの?」

エレノアは即答しなかった。

それが、長年諜報のトップを務める彼女特有の、事態の不確実性と重要性を示すサインであった。

「日本政府単独の動きではありません」

エレノアは、慎重に言葉を選んだ。

「サウジアラビアと、何らかの極秘の『共同プロジェクト』を進めているようです」

「日本とサウジ……」

ヘイズ大統領は、眉をひそめた。

「中東のエネルギー政策? それともサウジが国を挙げて進めている未来都市開発? あるいは医療ナノマシンの導入?

……それとも、またアンノウン案件?」

「最後の可能性が、我々としては一番楽しいですね」

ノアが、目をキラキラさせて横槍を入れる。

「楽しまないでちょうだい。私は真面目に聞いているのよ」

大統領がノアを嗜めると、エレノアが一歩前に出て、手元のセキュアなタブレット端末をデスクの上に置いた。

「サウジアラビア側から降りてきている情報は、現時点ではかなり曖昧です」

エレノアが端末を操作すると、大統領執務室の空中に、数枚の立体映像が展開された。

それは、サウジアラビアの首都リヤドの広大な砂漠地帯に建設中の、巨大な万博会場の最新の衛星写真だった。

「表向きには、『リヤド国際博覧会において、日本がある先端技術をお披露目する』という、非常に抽象的な説明しかありません」

「ある技術?」

ヘイズ大統領が、映像の中の一角を指差す。

「詳細は不明です。ただし、サウジ側の反応と動きが、通常の展示案件のスケールを明らかに逸脱しています」

エレノアは、モニターに箇条書きの報告書を表示させた。

【リヤド万博における不審な動向】

・会場内の特区において、日本・サウジ共同の『大型パビリオン』の建設が急加速している。

・サウジ側が、パビリオン専属の医療スタッフ、警備部隊、および王族向けのVIP導線を、異常な規模で増強。

・通常の展示施設にしては、セキュリティと医療救護体制が過剰に強固。

・日本側から搬入予定の機材リストが極度に曖昧(黒塗りが多い)。

・展示コンセプトは「次世代没入型未来体験」「日本・サウジ共同未来展示」など、実態が不明。

・サウジのアブドゥル皇太子が、この件に対して自ら強い関心と予算権限を行使している。

「工期が異常に短いにもかかわらず、サウジ側が国庫から莫大な予算を投じて、砂漠のど真ん中で突貫工事を行っています」

エレノアの報告を聞きながら、ヘイズ大統領はスケジュールを確認した。

「リヤド万博の開幕って、確か今年の……もう三か月後くらいだったかしら?」

「ええ、十月の開催予定です」

エレノアが肯定する。

「サウジが本気で金を使うと、砂漠に一晩で街が生えるほどの勢いになりますからね」

ノアが、中東のオイルマネーの威力を評して笑う。

「ただ、今回はその莫大な資金力に加えて、日本の強烈な『アンノウン臭』が混じっている。……これは、ただの映像展示やテーマパークの類ではないでしょうね」

「アンノウン臭って、CIAの正式な分析用語なの?」

ヘイズ大統領が、皮肉交じりに問う。

「残念ながら、我々の内部では、常識を逸脱した技術事案を指す、かなり有効な分類になりつつあります」

エレノアが、大真面目な顔で答えた。

ヘイズ大統領は、空中に浮かぶ衛星写真と報告書をじっと見つめ、自らの政治的直感を働かせ始めた。

「……リヤド万博でお披露目」

彼女は、一つ一つ事実を整理していく。

「つまり、完全な『軍事関係の技術』ではなさそうね」

「同意します」

エレノアが頷く。

「会場が世界中から一般の客が集まる万博である以上、少なくとも表向きには、民生・産業・文化の展示として出すつもりでしょう。隠蔽すべき兵器を、わざわざあんな場所に持ち込む意味がありません」

「サウジアラビアが、日本から極秘裏に『宇宙要塞』を購入した、という話ではなさそうです」

ノアが、大げさな身振りで茶化す。

「宇宙要塞をリヤド万博でお披露目するには、少々場所が違いすぎますからね」

「あなたの例えは、毎回極端すぎるのよ」

ヘイズ大統領が、こめかみを強く押さえた。

「極端な例を最初に除外することで、我々の現実的な推理がより早く進むのですよ」

ノアは全く悪びれずに微笑む。

「少なくとも、兵器そのものではない」

エレノアが、議論を本筋に引き戻した。

「しかし、展示施設に対する医療スタッフと警備体制の増強が、明らかに過剰です。

……つまり、これは単に何かを『見る』だけの展示ではなく、体験者の『人体に直接関わる技術』である可能性が極めて高いと考えられます」

「人体に直接……? 医療? またアンノウンの治療系ナノマシンか何かの展示?」

「それだけなら、次にお見せする『日本国内での動き』が説明できません」

エレノアは、空中のホログラムを別のデータ群へと切り替えた。

「気になるのは、サウジ側よりも、むしろ日本国内での特異な動きです」

エレノアが提示した資料には、東京都内の監視カメラ映像や、各個人のSNSの行動履歴、企業間の通信メタデータから抽出された情報が並んでいた。

「ここ数週間、日本国内の特定のゲーム開発者、大手出版社関係者、アニメプロデューサー、VR企業の代表、法務専門家、そして医療安全関係者などが、都内某所の『政府管理施設』へ頻繁に、かつ集団で出入りしているのが確認されました」

「ゲーム開発者?」

ヘイズ大統領が、意外なキーワードに眉を上げる。

「はい。しかも、末端のプログラマーではなく、かなり中核に近い人材ばかりです。

大手ゲーム会社の開発本部長クラス、世界的オンラインゲームのネットワーク技術責任者、出版社のIP(知的財産)担当役員、アニメ制作側の演出トップ、そして法務部門の責任者。……通常の万博向けコンテンツ制作の打ち合わせにしては、顔ぶれが重すぎます」

「まるで、日本のゲーム・エンタメ産業の首脳会議ですね」

ノアが、感心したように口を挟む。

「さらに、彼らの一部が、企業内で突如として極度の守秘義務(NDA)を課された形跡があります。

具体的な内容はまだ取れていませんが、社内で突然姿を消して会議室にこもりきりになった中核スタッフたちについて、日本の業界内で『何かとんでもない政府案件が動いている』と、すでにネット上で噂になり始めています」

「ゲーム業界、出版社、アニメ、医療、安全、法務……」

ヘイズ大統領は、それらのキーワードを口の中で反芻し、デスクの上で指をリズミカルに叩いた。

「サウジのアブドゥル皇太子は、日本のゲームやアニメの文化が非常に好きだったわね?」

「ええ。日本のサブカルチャーへの理解は深く、自ら多額の投資も行っています。その意味では、日本とサウジの間に強力な接点はあります」

ノアが肯定する。

「リヤド万博で、ゲームやアニメ関係の新技術を大々的に出す。……それ自体は、十分にあり得るシナリオね」

「ただのゲームの新技術なら、問題はありません」

エレノアが、冷や水を浴びせるように言う。

「ですが、そこにアンノウン機関が深く絡んでいる可能性が極めて高い。そこが問題なのです」

大統領執務室の空中に、エレノアが導き出した『仮説リスト』が表示される。

【仮説1:超大型ゲーム・アニメ展示】

普通の可能性。日本がサウジ向けに、既存技術を用いた巨大なテーマパーク型展示を作っている。

「普通に考えれば、これじゃないの?」

ヘイズ大統領が指摘する。

「それなら、サウジ側での医療スタッフの過剰な関与と、日本政府の異常な機密レベルの高さが説明できません」

エレノアが即座に却下寄りの評価を下す。

【仮説2:新型VR/AR技術】

かなり現実的な可能性。ゲームの技術を利用した、没入型都市体験や教育シミュレーション空間。

「これならありそうね。ゲームの技術を使って、未来都市のビジョンや観光を擬似的に体験させる展示。……万博のテーマとしても完璧だわ」

「最も可能性が高い仮説です」

エレノアも一定の同意を示す。

「ただし、アンノウン機関が技術の中核に関与しているなら……それが『既存のVRゴーグルの延長』であるとは、到底限りません」

「“既存VRの延長ではない”という言葉、いいですねえ」

ノアが、ソファーに深くもたれかかりながら楽しそうに笑う。

「それだけで、最高に嫌な 予感(ワクワク) がしますよ」

【仮説3:脳神経接続系の体験技術】

エレノアが、最も深刻な最後の仮説を慎重に提示した。

「もし、厳格な医療安全チームと、最高峰のゲーム開発者が『同時に』必要になる技術があるとすれば……それは、脳波や神経に直接接続し、身体感覚を完全に同期させるような、究極の没入技術の可能性があります」

「つまり?」

ヘイズ大統領が、嫌な汗をかきながら先を促す。

ノアが、まるで手品師が種明かしをするような大げさな身振りで言った。

「大統領。

……日本が、ついに『フルダイブ』を作ってしまった可能性です」

——。

ヘイズ大統領は、一瞬完全に黙り込んだ。

「……あの、日本の有名なアニメに出てくる、あれのこと?」

「ええ」

ノアが嬉しそうに頷く。

「あるいは、アンノウンに対して、『私があのゲームやアニメで見た技術を作ってくれないか』と、サウジの皇太子が莫大な資金を積んで個人的にお願いしたのかもしれませんね」

「まさか。いくら何でも……」

ヘイズ大統領は否定しようとしたが、言葉尻が弱まった。

「大統領、アンノウン案件において“まさか”という言葉を使うのは、最近のトレンドではあまり安全ではありませんよ。大抵、その“まさか”が現実になりますから」

ノアの痛烈な皮肉に、大統領は反論できなかった。

「まだ推測の域を出ません」

エレノアが、冷静に情報をまとめる。

「ですが、ゲーム開発、医療安全、法務、サウジ皇太子、万博、そしてアンノウン機関。

……これら一見バラバラの要素を、全て一つの線でつなげる仮説としては、『フルダイブ技術の実用化』は、かなり美しく整合します」

「フルダイブ……」

ヘイズ大統領は、両手でこめかみを強く押さえた。

「もし、その推測が本当なら……これは、ただの『ゲーム業界』だけの話で収まる代物じゃないわ。

教育、医療、軍事訓練、心理ケア、観光産業、労働、果ては宗教観まで。……人類の全てが、根底から変わってしまう」

「だからこそ、CIAとして最大級の警戒をしているのです」

エレノアの言葉に、これまでにない重い危機感が込められていた。

「素晴らしい」

ノアは、一人だけ全く違う温度で拍手をした。

「もし日本が、本当にフルダイブ技術を万博で世界に出すというのなら。……これは人類史上、初めて“夢の中を産業化する”という歴史的瞬間になりますよ」

「詩的に言うのはやめてちょうだい。余計に怖くなるわ」

ヘイズ大統領が睨む。

「怖いからこそ、面白いのではないですか。

考えてみてください。人は、現実の肉体では絶対に行けない場所へ、安全に行けるようになる。国家は、まだ図面の上にしかない未完成の都市を、国民に歩かせることができる。

企業は、存在しない店舗で商品を体験させ、軍は、誰も死なない究極の 戦場(シミュレーター) を作れる。

そしてゲーム会社は、ついに液晶画面という“四角い檻”から解放されるのです!」

ノアの言葉は、フルダイブが持つ圧倒的な光の側面を捉えていた。

「同時に」

エレノアが、冷水でその熱を叩き消す。

「極度の仮想世界への依存、洗脳への悪用、記憶の操作、感覚の詐欺、人格データの保護問題、未成年の脳への影響、そして仮想空間を用いた強烈な『 国家宣伝(プロパガンダ) 』の問題が、一斉に発生します」

「……あなたはいつも、最高に楽しい話に、最高のタイミングで冷水を浴びせますね」

ノアが、少し恨めしそうにエレノアを見た。

「仕事ですから」

エレノアは、微塵も表情を変えずに即答した。

「二人とも、今回はどちらの言い分も極めて正しいわね」

ヘイズ大統領は、深く息を吐き出して思考をまとめた。

ヘイズ大統領は、しばらくの間、空中の衛星写真と日本のゲーム会社の情報を無言で見つめていた。

やがて、彼女は決断したように、デスクの上にある内線電話の受話器を取った。

ノアが、その様子を楽しそうに見守る。

エレノアは、少しだけ眉を動かして次の展開を予測した。

「……私よ」

ヘイズ大統領が、秘書官へ指示を出す。

「リヤド万博の予定を、私のスケジュールに入れられるかしら?」

電話先の秘書官が、慌てた様子で何かを答える。

「ええ、開幕の当日よ。

……無理? すでに各国の要人で枠が埋まっていて、正規のルートでのねじ込みはもう厳しい?

……そうでしょうね。分かっていたわ」

ヘイズ大統領は、少しだけ不敵に笑った。

「では、サウジアラビアの王室へ直接お願いしてちょうだい。

開幕当日、アメリカ合衆国大統領として、『特別視察枠』をなんとしてもねじ込めないか、今すぐ交渉に入りなさい。

ええ、表向きの理由は『日米サウジ三ヶ国の、経済および次世代技術協力の強固な連携確認』でいいわ。……できれば、日本の特別展示も『ついでに』見たい、と伝えて。

……お願いね。絶対に無理を通しなさい」

ガチャリ、と受話器を置く。

「動きが早いですね、大統領」

ノアが、感心したように拍手をする。

「当たり前でしょう」

ヘイズ大統領は、強い意志の宿った目で二人を見た。

「リヤド万博で、日本とサウジがアンノウン絡みの何かとんでもないものを世界に出す。

……それを、当日テレビのニュースやネットの動画で初めて知るほど、私は呑気で愚かな大統領ではないわ。後手になれば、それこそアメリカの敗北よ」

「安全保障上の観点からも、大統領自らが現地で直接確認する価値は十分にあります」

エレノアが、その政治判断を支持する。

「それに」

ヘイズ大統領が、言葉を区切った。

「それに?」

ノアが促す。

大統領は、少しだけ、本当に一人の人間としての無邪気な笑みを浮かべた。

「もし、それが本当にアニメで見たような『フルダイブ』なら……私だって、一人の人間として、どうしても見てみたいもの」

ノアが、満面の笑みで同意した。

「実に健全で、素晴らしい好奇心です、大統領」

「好奇心だけで、未知のポッドに入らないでくださいね」

エレノアが、頭が痛いというように忠告する。

「まだポッドに入ると決まったわけじゃないでしょう?」

「そうであることを、心から祈っています」

エレノアは、これ以上の厄介事が増えないことを願って深くため息をついた。

数時間後。

ホワイトハウスの国家安全保障会議室に、大統領補佐官が慌ただしく駆け込んできた。

「大統領。……サウジ側から、開幕当日の『特別視察枠』について、極めて前向きな回答がありました」

「早いわね」

ヘイズ大統領が、驚きつつも書類から顔を上げる。

「アブドゥル皇太子殿下ご本人から、『ぜひ大統領にも、我々の目指す未来を見ていただきたい』とのことです。特別に、VIP向けの非公開体験枠を用意すると」

「招待状が来ましたね」

ノアが、待ってましたとばかりに手を叩く。

「サウジ側が、渋るどころか即座に歓迎の意を示したということは……」

エレノアが、冷徹に状況を分析する。

「つまり、彼らはアメリカ大統領に見せる準備が、すでに完全に整っているということです」

「あるいは、こちらが無理を言って来ることも、最初から織り込み済みだったのかもしれないわね」

ヘイズ大統領が、外交の裏を深読みする。

「可能性はあります。日本側もサウジ側も、ある程度世界の中枢から『見られること』を前提にして、強固な安全基準を構築しているのでしょう」

「あるいは、もっと単純な理由かもしれませんよ」

ノアが、ニヤリと笑った。

「彼らは、自分たちの手に入れたものを、見せたくて見せたくて仕方がないのです」

「カオル(矢崎総理)たちが?」

「いえ。ゲーム好きの、サウジ皇太子殿下が、です」

ヘイズ大統領は、その分析に深く納得した。

「なるほど。長年ゲームやアニメを愛好してきた皇太子が、もし本物のアンノウン製の『夢の技術』を手に入れたなら……」

「隠しきれないほど、嬉しそうにしている可能性がありますね」

エレノアが、人間の心理を突いた分析に同意する。

「非常に人間的で、好感が持てます。彼もまた、未来を前にした子供の一人なのでしょう」

ノアが、微笑ましくまとめた。

「では、リヤド訪問に向けた具体的な警戒プロトコルを策定します」

エレノアが、職務に戻り、モニターに準備事項を並べ始めた。

・日本・サウジ共同展示の、技術的・法的な内容の事前確認。

・大統領が現地で「体験」を求められた場合の、警護および外交的対応方針。

・米軍専属の医療チームの同行。

・万が一の神経接続・感覚刺激系技術だった場合の、安全フェイルセーフの確立。

・記録媒体の持ち込み制限への対応。

・大統領の生体データ(バイタル・脳波等)の、日本・サウジ側への提供可否。

・米国側の技術・医療専門家の同席要求。

・技術供与を直接求めないが、情報収集は最大限行う。

・日本側との同盟関係を壊さない。

・サウジ側の顔を絶対に潰さない。

「ずいぶん本格的で、面倒なリストね」

ヘイズ大統領が、項垂れる。

「アンノウン案件において、事前の楽観は禁物です。最悪を想定して、最善を尽くします」

エレノアは一切妥協しなかった。

「大統領が万が一ポッドに入る場合、私も一緒に入りたいのですが」

ノアが、どさくさに紛れて要求を通そうとする。

「まだポッドと決まっていません」

エレノアが即座に却下する。

「決まっていなくても、私は入りたいのです」

「あなたは、入るとしても一番最後尾ね。大統領の安全が確認されたずっと後よ」

ヘイズ大統領が、呆れたように言う。

「構いませんよ。十六時間くらいなら、喜んで並びますとも」

「……何よ、その十六時間って。何の数字?」

エレノアが怪訝な顔をする。

「さあ? なんとなく、ゲームの行列といえばそれくらいかな、と」

ノアは、意味深に笑って誤魔化した。

ノアとエレノアが退室する前、ヘイズ大統領は少しだけ真面目な顔になり、二人を呼び止めた。

「ねえ、二人とも。

……もしこれが、本当にフルダイブだった場合。我々アメリカはどうするべきかしら?」

エレノアが、即座に国家の安全保障の観点から答えた。

「第一に、安全性と依存性の徹底的な評価。

第二に、教育・医療・軍事シミュレーションへの応用可能性の検討。

第三に、この技術の 中核(プラットフォーム) を、世界の誰が握るかの牽制。

第四に、日本がこの技術をどこまで世界に公開するつもりかの見極め。

第五に、国際的な法的ルール作りの主導権を握ることです」

「そして第六に」

ノアが、エレノアの完璧な回答に、たった一つだけ付け加えた。

「世界で誰が最初に、このプラットフォーム上で『最高のゲーム』を作るか、ですね」

「ノア」

ヘイズ大統領が、少し咎めるように呼ぶ。

「重要ですよ、大統領」

ノアは、真剣な眼差しで答えた。

「人類は、パンとインフラと軍事力だけで動くわけではありません。……人類は、『夢』でも動くのですから」

ヘイズ大統領は、そのノアの言葉を否定しなかった。

「……そうね。

夢を管理できる国は、世界の未来を管理できるかもしれないわね」

この一言で、ヘイズ大統領は、フルダイブという技術が持つ本当の『政治的・覇権的な意味』を完全に理解した。

「だからこそ、これが穏便で、制御可能な技術であることを祈ります」

エレノアが、静かに締めくくる。

「祈るしかない?」

「現時点では。我々はまだ、何も見ていませんから」

「では、お楽しみに、ですね」

ノアが、最後までワクワクとした顔で言った。

ヘイズ大統領は、二人の対照的な態度を見て、小さく苦笑した。

「ええ。当日が本当に楽しみね。……背筋が凍るくらいに」

大統領執務室の専用端末に、秘書官から新しい予定が追加された。

【Riyadh International Expo Opening Day】

【Special Visit: Japan-Saudi Future Experience Pavilion】

【Security Classification: Eyes Only / Preliminary】

ヘイズ大統領は、そのデジタルカレンダーの予定をじっと見つめた。

地球外に艦隊が迫っているわけでもない。戦争が起きるわけでもない。核ミサイルの発射ボタンが押されたわけでもない。

だが、彼女の研ぎ澄まされた直感は、強く告げていた。

これは、間違いなく『世界の形』を不可逆的に変える技術である、と。

日本とサウジアラビアが、中東の砂漠に用意しているもの。

それが兵器でないことだけは、ほぼ確かだった。

だが、兵器でないからといって、世界を変えないとは限らない。むしろ、世界を本当に、そして急激に変えるのは、恐怖ではなく、人々が笑顔で、自ら進んで受け入れる『夢』なのだ。

「……穏便な技術であることを、心から祈ります」

エレノアの最後の言葉が、部屋に響く。

「祈りが届くといいですねえ」

ノアが、扉の前で振り返って微笑んだ。

「届かなかったら?」

ヘイズ大統領が問う。

「その時は、我々も文句を言いながら、彼らの作った行列に並びましょう。……最高の夢を見るためにね」

扉が閉まり、静寂が戻った大統領執務室で、ヘイズ大統領は一人、未来の万博会場に思いを馳せていた。