軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第166話 ゲーム業界、フルダイブという爆弾を渡される

東京都千代田区永田町、首相官邸。

普段は各省庁の高級官僚や与野党の政治家たちが行き交うその厳粛な建物の一角、大きめの会議室に、今日は明らかに異質な空気を纏う集団が集められていた。

パリッとしたスーツを着込んでいるものの、どこか自由な雰囲気が抜けきらない男たち。

タブレットやノートパソコンを前に、周囲の人間とヒソヒソと探り合いの視線を交わしている者たち。

彼らは、日本を代表する大手コンシューマーゲーム会社の社長、世界規模のMMORPGを運営するオンラインゲーム企業のトップ、既存のVR・メタバース事業を牽引するベンチャーの代表、そして、国内最大のインディーゲーム団体の代表理事である。

さらに、部屋の反対側には、日本有数の大手出版社の役員たち、数々のメガヒットアニメを生み出してきた制作委員会のプロデューサー、そして知財や著作権を専門とする辣腕の法務担当者たちが陣取っていた。

会議室は、彼らが発する隠しきれない期待と、強烈な猜疑心で満たされていた。

「政府が、ゲーム業界と出版業界を揃って官邸に呼ぶって、一体何なんだ?」

「名目は『リヤド国際博覧会における日本デジタルコンテンツ展示に関する極秘説明会』だったが……」

「万博の日本館で、アニメやゲームの展示協力でもしてくれって話か?」

「いや、それなら経産省や文化庁の会議室で済む話だろ。なんでわざわざ官邸なんだ」

「最近の政府の動きを見てみろ。もしかして……アンノウン関係って噂もあるぞ」

「アンノウン? あの魔法の薬や核融合炉を作ったっていう?」

「まさか。ゲームや出版と何の関係があるんだ」

大手ゲーム会社代表が、隣に座る役員にぼそりと呟いた。

「まさか、核融合炉を電源に使った次世代ゲーム機でも作るから、ソフトを供給してくれとか言わないだろうな」

それを耳ざとく聞きつけた出版社側の法務担当が、冷ややかに返す。

「それはゲーム機ではなく、ただの発電所です。我々の出番はありませんよ」

会議室には、日本のエンターテインメントの最前線を走る者たち特有の、鋭い商売勘と、未知に対するワクワクした空気が漂っていた。

やがて、会議室の正面の扉が開き、一人の官僚が前に立った。

経済産業省・文化コンテンツ戦略室に所属する、 鴻上玲司(こうがみ・れいじ) である。

彼は、いわゆる霞が関のエリート官僚でありながら、ゲームの商習慣、アニメの権利処理、プラットフォームの力学、そしてネットの炎上ポイントまでを完璧に熟知している「超有能なオタク官僚」として、業界内でも一部で名を知られた存在だった。

そして、鴻上の少し後ろ、壁際に目立たないように立って控えているのは、内閣官房参事官の日下部である。今日は彼が主役ではない。あくまで、ゲーム業界の熱量が暴走しないように監視するためのストッパーとしての同席だ。

鴻上がマイクを握ると、参加者たちの私語がピタリと止まった。

「本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。経済産業省・文化コンテンツ戦略室の鴻上です」

鴻上は、一礼した後、極めて硬いトーンで前置きを始めた。

「本日の内容は、現時点で国家の最上位機密に準じます。ここで聞いた内容は、社内であっても、指定された関係者以外の範囲へ共有することを固く禁じます。違反した場合の罰則については、入室時にサインいただいた誓約書の通りです」

一気に、会議室の空気が重くなった。

「やっぱりアンノウン絡みか?」

「マジのやつだ……」

「官邸でNDA(秘密保持契約)以上の説明会って、業界の歴史でも初めてじゃないか」

緊張感が走る中、鴻上は淡々と、しかし確かな熱を込めて言葉を継いだ。

「先に申し上げます。

……本件は、ゲーム業界、出版業界、アニメIP業界にとって、極めて大きな転換点になります」

「大げさだな」

オンラインゲーム企業の代表が、少し斜に構えたように小声で呟いた。だが、鴻上はそれを正面から否定した。

「大げさではありません。

皆様のビジネスの前提が、根底から覆る話です」

そして、鴻上は本題を口にした。

「現在、サウジアラビアのリヤド国際博覧会において。

アンノウン機関が、『フルダイブゲーム技術』の出展を行う方向で調整中です」

——。

一瞬、会議室の時間が完全に静止した。

参加者たちの脳が、今発せられた単語の意味を処理するのに、数秒のタイムラグを必要としたのだ。

そして、次の瞬間。

会議室が、文字通り爆発した。

「フルダイブ!?」

大手ゲーム会社代表が、椅子を蹴り倒さんばかりの勢いで立ち上がった。

「SAOのような!?」

大手出版社の代表が、メガヒットライトノベルのタイトルを叫びながら机に身を乗り出す。

「マジかよ!? 冗談だろ!」

オンラインゲーム企業代表が頭を抱える。

「既存のVR、全滅じゃないですか!!」

VR企業の代表が、自社の事業が1秒で過去の遺物になったことを悟り、悲鳴を上げる。

「なんでもありだなアンノウン!」

「流石、現実を壊す 者(アンノウン) ですね!」

「フルダイブだぞ!? 全てのゲーム体験が変わる技術だ!!」

アニメ関係者たちも完全にパニックになっていた。

「これは日本アニメ史の最大の伏線回収じゃないか?」

「現実がフィクションに追いついた……いや、追い越したんだぞ……」

ラノベ編集者が、震える手で頭を抱えながら呻く。

そんな狂騒の中、ゲーム会社の法務担当だけが、血走った目で現実的なビジネスの核心を叫んだ。

「待て! 販売権は!? プラットフォームはどうなるんだ! 開発機材(SDK)はどこが持つ!?」

「海道グループはゲームに注力していないはずだ! どこのメーカーから出すんだ!?」

大手ゲーム会社代表が、覇権ハードの独占を恐れて食ってかかる。

「MMOだ! まずMMOを作るべきだ! うちのサーバー技術なら絶対に……!」

オンラインゲーム企業代表が、新たなブルーオーシャンに涎を垂らす。

「待て、フルダイブなら物語体験型コンテンツもあり得る。既存の原作IPの価値が天文学的に跳ね上がるぞ!」

出版社代表が、自社のコンテンツ資産の再評価に目を輝かせる。

「大手だけで囲い込むなよ! 小規模なインディーにも開発環境を開放しろ!!」

インディー団体の代表が、既得権益の独占を防ごうと必死に叫ぶ。

誰の耳にも、他人の言葉など入っていない。

彼らは今、人類が長年夢見た究極のエンターテインメントの扉が開かれたという事実に、完全に理性を失い、強烈なゴールドラッシュの熱に浮かされていた。

「皆さん、落ち着いてください」

鴻上がマイクを握り、声を張ったが、誰も落ち着かない。熱狂の渦はさらに激しさを増すばかりだ。

その時。

後方に控えていた日下部が、スッと一歩前に出た。

「……落ち着かなければ、本日の説明会はここで終了し、この話は全て白紙に戻します」

マイクも使わず、ただ地を這うような冷たく重い一言。

だが、その声には「本当に今すぐ全員を追い出して、全てを無かったことにする」という、官僚としての絶対的な権力と凄みがこもっていた。

ピタリと。

会議室の狂騒が、嘘のように静まった。

全員が息を呑み、すごすごと椅子に座り直す。

「ありがとうございます、日下部参事官」

鴻上が軽く一礼する。

「いえ」

日下部は再び壁際へと戻り、無言で腕を組んだ。

静寂を取り戻した会議室で、鴻上が極めて冷静に、そして冷酷に釘を刺した。

「まず、大前提をお伝えします。

……現時点で、フルダイブゲームの『販売許可』は出せません」

会議室から、一斉に不満の呻き声が漏れた。

「ええ……」

「そこまで言っておいて……」

「いや、そりゃそうか。いきなり市販は無理か」

「でも、いずれは販売権のコンペが……」

未練がましく呟く業界トップたちに対し、鴻上は首を横に振った。

「お気持ちは分かります。私も、一人のゲーマーとして、皆様の興奮は痛いほどよく分かります。

しかし……この技術は、ただの『新しいゲーム機』ではありません。脳神経接続型の、完全な『仮想環境システム』なのです」

ここで、日下部が再び口を開き、技術の「本質」を叩きつけた。

「脳波や神経信号を直接読み取り、全ての感覚情報を脳へ返す技術です。

……つまり、これは『映像を見せる装置』ではありません。仮想世界を『現実として認識させる装置』です」

会議室が、水を打ったように静まり返った。

彼らもエンターテインメントのプロだ。その言葉の意味する「恐ろしさ」を、瞬時に理解したのだ。

「問題は山積みです」

鴻上が、淡々とリストアップしていく。

「現実より快適な世界への『仮想世界依存』。痛みのない世界への『現実逃避』。脳の成長段階にある『未成年利用のリスク』。現実の肉体との間で生じる『身体感覚の混線』。過剰な快楽刺激による『精神的影響』。

そして、ソフトウェアの『違法改造』による人体への直接的なハッキングリスク。射幸性を煽る『課金設計』の危険性。さらには、遠隔操作技術としての『軍事転用』や『犯罪利用』。

……これらすべてのリスクと法整備を検討せずに、民間企業にホイホイと商用化の許可を出せるような代物ではないのです」

出版社の法務担当が、深く息を吐いて言った。

「つまり、今日我々が呼ばれたのは、販売権のオークションの説明ではない、と」

「その通りです」

鴻上は即答した。

「では、目先の目的を整理します」

鴻上がスクリーンに資料を投影する。

「まず、我々が直近でクリアすべき目的は二つです。

一つ目は、リヤド国際博覧会に出展する、『安全なフルダイブ体験展示』の設計。

二つ目は、その前段階として、アブドゥル皇太子殿下およびエキスポ関係者に見せる『体験会用デモ』の制作です」

「商用ゲームではありません」

鴻上は、念を押すように強調した。

「まずは、皇太子殿下、サウジ側のエキスポ運営、安全担当、医療担当、展示設計担当に向けた、限定デモを作る必要があります」

大手ゲーム会社代表が、少し残念そうに、だが納得したように頷いた。

「なるほど……。まずは、万博出展の許可を勝ち取るための『体験会用デモ』の制作というわけか」

「販売ではなく、あくまで展示用コンテンツですね」

出版社代表も、ビジネスの規模を下方修正して理解する。

「フルダイブのショーケースを作るわけですか」

VR企業代表が言うと、鴻上は首を縦に振った。

「はい。しかも、ただスゴいものを見せるのではなく……『安全性を最優先したショーケース』です」

日下部が、背後から絶対条件を付け加える。

「戦闘、恐怖、過度な快楽刺激、そして長時間の滞在を前提としたコンテンツは、初回デモでは一切禁止します」

オンラインゲーム企業の代表が、すがるような目で日下部を見た。

「あの、MMO(大規模多人数同時参加型オンラインRPG)は……」

「今回は不可です」

日下部の一刀両断に、オンラインゲーム企業代表は項垂れた。

「ですよね……」

依存症の塊のようなジャンルを、初手で出せるわけがないのだ。

鴻上が、具体的な「体験会デモ」の条件をスクリーンに表示した。

【フルダイブ体験会デモ・絶対条件】

・体験時間は3〜5分。最大でも10分以内。

・痛覚フィードバックなし。

・恐怖演出なし。

・戦闘なし、または極めて限定的なもの(出血・部位欠損表現禁止)。

・快楽刺激の上限設定必須。

・視点移動は極めて緩やかであること(VR酔い・神経負荷防止)。

・外部からの強制ログアウト機能の実装。

・体験者のバイタルおよび脳波の常時監視。

・未成年体験は当面不可。

・体験中の外部モニターへの映像出力。

・技術中核(ハードウェア・制御プログラム)は完全非開示。

・装置の操作はアンノウン機関および政府指定技術者のみ。

・制作されたソフトウェアは、すべて政府(アンノウン機関)の事前安全審査の対象となる。

そのガチガチに縛られた条件リストを見て、ゲーム関係者たちは顔を見合わせた。

彼らは次第に、「これは通常のゲーム開発ではない」という現実を肌で理解し始めていた。

「これは……」

大手ゲーム会社代表が、唸るように言った。

「ゲームというより、医療機器の上で動かす『テーマパークのアトラクション』に近いですね」

「現段階では、その認識が最も正確です」

鴻上が答える。

そこで、出版社代表が難しい顔をして尋ねた。

「では、既存の有名IP(キャラクターや作品)を使うのは難しいのでは?」

「難しいですが、不可能ではありません。

ただし、初回体験会では、既存IPの世界観を無理に当てはめるよりも、この技術そのものの凄さと安全性を伝えるための『オリジナルデモ』を推奨します」

会議室が、少しだけざわついた。

出版社やアニメ関連企業からすれば、自社の持つ人気IPをフルダイブで体験させることが最大の商機であり、万博という世界的な舞台での最高のアピールになる。

しかし、安全面や権利関係の整理、そして万が一の国際的な展示トラブルを考慮すれば、最初から有名IPを乗せるのはリスクが高すぎるのだ。

その時、出版社の法務担当が、極めて冷静な声で手を挙げた。

「一つ、法的な観点から確認させてください。

……フルダイブにおける“原作再現”は、現在の著作権法における、従来の『映像化権』や『ゲーム化権』の範囲に収まるのでしょうか?」

会議室が、再び静まり返った。

これは、誰もまだ答えを出したことのない、全く新しい法的な深淵への問いであった。

「漫画やライトノベルの世界を、フルダイブ空間としてユーザーに『体験』させる場合。それは映像を見せているのか、ゲームをプレイさせているのか、テーマパークの空間に没入させているのか、あるいは一種の『舞台化(演劇)』にあたるのか。

現在の既存のライセンス契約の文言では、その権利範囲を処理できない可能性が極めて高いと考えます」

法務担当の指摘に、ゲーム会社の法務も即座に同調した。

「加えて、プレイヤーがフルダイブ空間の中で、その世界の物体に触れ、物語に物理的に介入できるのであれば、それは『二次創作』や『同一性保持権の侵害(改変)』の問題を必ず引き起こします。どこまでが原作の体験で、どこからがユーザーの創作行為になるのか、線引きが不可能です」

アニメプロデューサーも、深刻な顔で続く。

「キャラクターと直接会話できる場合、声優の音声権利はどうなりますか? 人格権の問題は? AIによる自動生成音声をキャラクターに当てる場合、誰がその責任と権利を持つのか……」

次々と噴出する、フルダイブという新しい現実がもたらす『権利のバグ』。

「……その通りです」

鴻上は、彼らの指摘を全面的に肯定した。

「だからこそ、初回展示では既存IPの完全再現は避けるのです」

「では、我々出版社やアニメ業界が、今日ここに呼ばれた意味は何なのですか?」

出版社代表が、当然の疑問をぶつける。

「二つあります」

鴻上は、彼らを見据えて言った。

「一つは、今後のIPのフルダイブ化に向けた、法制度の整備と全く新しい『契約モデル』の検討を、今から業界全体で始めていただくため。

そしてもう一つは、リヤド万博の展示において、『日本の物語文化が、フルダイブ時代へいよいよ接続する』という強烈な 文脈(メッセージ) を、世界に向けて発信するためです」

出版社代表は、その言葉を聞いて納得しつつも、目が完全に「商売人」のそれになっていた。

「なるほど……。つまり、今後のフルダイブ時代の『 覇権規格(スタンダード) 』作りに、最初から参加できるということですね」

「言い方は過激ですが、そうです」

鴻上が微笑むと、出版社やアニメのトップたちは、互いに目配せをして深く頷いた。

だが、会議の空気が少し落ち着いたところで、誰かが、誰もが思っていながら口に出せなかった当然の問いを投げかけた。

「なら、変にオリジナルを作るより、SAO的なものではなく……本当に『SAOのコラボ』をそのまま出せばいいのでは?」

会議室が、一気にざわついた。

「夢はある!」

「話題性は世界最大だ!」

「それこそ、日本のポップカルチャーの勝利宣言になる!」

だが、その熱狂を、日下部が即座に、冷たい氷でぶん殴るように一刀両断した。

「初回展示では不可です」

——即答だった。

「ですよね……」

関係者たちは、肩を落として苦笑した。

「理由は明確です」

日下部は、決して感情的にならず、極めて論理的に説明した。

「フルダイブという技術が現実の社会に初めて投下される展示において、過去に『ログアウト不能』や『ゲーム内での死が現実の死に直結するデスゲーム』を題材とした作品を前面に出すのは、社会的メッセージとして非常に危険です。

無用な恐怖とパニックを煽るだけです」

「もちろん、作品自体への敬意を示すことはできます」

鴻上がフォローを入れる。

「しかし、初回展示のコンセプトは、あくまで『帰ってこられる夢』です。

作品の知名度に頼って話題性を取るよりも、まずは『安全に夢を見て、無事に現実へ帰還できる』という安全性と未来性を、世界に対して証明することを最優先とします」

出版社側も、その理屈には納得せざるを得なかった。

「確かに、最初のメッセージを間違えれば、世界的な炎上は免れませんね」

「『日本政府がSAOを現実化!』という見出しはキャッチーですが……技術への恐怖を煽るという意味では、危険すぎます」

アニメ関係者も同意する。

「ですので、体験会用のデモは、完全にオリジナル環境で進めます」

鴻上が最終的な方針を固めた。

では、具体的に何を見せるのか。

鴻上が、いくつかのデモ内容の候補をスクリーンに表示した。

【体験会用デモ候補】

1.空を飛ぶ

・最も直感的にフルダイブの浮遊感・解放感を体験できる。

・ただし、高度・速度は制限し、落下などの恐怖感を抑える。鳥のような穏やかな滑空体験。

2.桜並木を歩く

・日本らしさのアピール。

・風の感触、花びらが肌に触れる触覚、温度を見せられる。

・極めて安全であり、皇太子や海外関係者にも分かりやすい。

3.月面を歩く

・現実の宇宙開発(宇宙輸送パッケージ)との接続をアピール。

・低重力感覚を体験できる。安全で未来感がある。

4.深海を泳ぐ

・実際には危険な極限環境を、安全に体験できることの証明。

・教育・観光・科学展示に向く。

5.未来のリヤドを歩く

・サウジ側への配慮と、万博テーマとの親和性。

・ポスト石油都市のビジョンを体験化する。

6.身体が軽くなる体験

・障害者支援・リハビリ・福祉への応用を示せる。

・※ただし、誤解を招く医療効果の断言は避ける。

「最初は『空を飛ぶ』と『桜並木』が強いですね」

大手ゲーム会社代表が、プロの目線で評価する。

「分かりやすいし、何より絶対に安全に設計できる。チュートリアルとしては最適です」

「物語性やガイドを入れるなら、『未来のリヤドを歩く』に、案内役のキャラクターを置くのもありですね」

出版社代表が提案する。

「ただし、キャラクター性が強すぎるとIP問題が出ます。案内役は、特定の作品に属さないオリジナル AI(アバター) にすべきです」

アニメプロデューサーが、権利問題の観点から修正を入れる。

「素晴らしい。採用候補とします」

鴻上は、彼らの建設的な意見を次々とメモに書き留めていった。

会議が具体的な方向へと進み、少し落ち着きを取り戻したところで、オンラインゲーム企業の代表が、最も切り込みにくい、しかしビジネスとして最大の核心について慎重に口を開いた。

「あの……展示用デモの作り方は理解しました。

ですが、将来的な商用化について、業界として少しでも見通しを確認しておきたいのですが。……収益モデルはどう考えていますか?」

その質問に、鴻上の表情がスッと引き締まった。

「フルダイブ環境における射幸性課金……いわゆる『ガチャ』は、現時点では禁止の方向で検討しています」

会議室が、どよめいた。

「全面禁止ですか?」

オンラインゲーム企業代表が、思わず身を乗り出す。

「少なくとも、初期段階では禁止です」

日下部が、冷たく言い切る。

「理由は、依存リスクです」

鴻上が説明を補足する。

「フルダイブは、通常のモニター越しのゲームとは没入度が桁違いです。

そこに、射幸性、強烈な快楽報酬、仮想空間における希少アイテム、ランキング、そして対人承認欲求を組み合わせた場合……。人間の脳は耐えきれず、依存形成が現在のスマホゲームの比ではなくなる可能性が極めて高いと、アンノウン機関は分析しています」

「……」

「商用化後も、確実な年齢制限は必須になるでしょう。初期展示のデモにおいても、未成年の体験は一切行いません」

ゲーム会社代表たちは、厳しい顔で頷いた。

「業界としては非常に厳しい条件ですが……。その没入度を考えれば、理解はできます」

会議室の隅で、相良のようなオタク開発者気質の社員が、隣の同僚に小声で囁いた。

「フルダイブでガチャ爆死して、仮想空間でリアルに破産するとか、洒落にならないからな……」

会議室の何人かが、その生々しい恐怖に深く同意するように頷いた。

最初は「販売権」という美味しい果実に飛びついていた関係者たちも、議論が進むにつれて、自分たちがこれから扱おうとしているものの「本当の重さ」を理解し始めていた。

これは、普通の新ハードの発表会ではない。

ゲーム機ではなく、脳神経接続装置。

ソフトは娯楽でありながら、医療・精神・社会システムに直結する影響力を持つ。

既存IPの権利関係はすべて作り直し。

依存対策を、ゲームデザインの根本から組み込む必要がある。

表現の自由と、脳への直接刺激という安全管理が、激しく衝突する。

そして、プラットフォームは国(アンノウン機関)がガチガチに管理する可能性が高い。

「これは……ゲーム業界だけで扱える技術ではありませんね」

大手ゲーム会社代表が、重い溜め息とともに呟いた。

「はい」

鴻上が頷く。

「出版業界も同じです」

出版社代表も、覚悟を決めたような顔で言った。

「読者が、文字通り『物語世界の中へ入る』時代になる。そうなれば、原作の権利も、契約の形も、ビジネスモデルも、全部一から作り直しになる」

「キャラクターと直接会い、声を聞き、一緒に歩く。

それはもう、映像でもゲームでもイベントでもない。全く新しい体験価値であり、新しい権利区分が必要になります」

アニメプロデューサーも、未来への期待と恐怖を同時に抱えながら語る。

「でも、大手企業だけで囲い込まないでほしい」

インディー団体の代表が、切実な声で訴えた。

「フルダイブ時代の、本当に新しくて面白い才能は、絶対にインディー(個人開発者)からも出るはずです。彼らから開発の機会を奪わないでください」

「その点も、十分に検討します」

鴻上は真摯に答えた。

「ただし、初期段階では、強固な安全審査を通せる開発体制と責任能力を持つ企業・団体が中心にならざるを得ません」

「ですよね……。でも、将来的な枠は必ず残してください」

「残します」

すべての懸念と要望が出尽くしたところで、鴻上が本日の結論を提示した。

「本日の結論です。

リヤド万博への出展に向け、まず皇太子殿下および関係者向けの『制限付きフルダイブ体験会デモ』を制作するための、横断的なタスクフォースを設置します」

スクリーンに、壮大なタスクフォースの構成図が表示される。

【政府側】官邸、経産省、文化庁、厚労省、外務省、安全保障担当、アンノウン機関。

【業界側】大手ゲーム会社、VR関連企業、オンラインゲーム企業、出版社、アニメIP関係者、法務専門家、依存症対策アドバイザー、UI/UX専門家、アクセシビリティ専門家。

【アンノウン側】オラクル、アンノウン機関科学者、フルダイブ安全評価班。

目的は、体験会用デモの制作だけではない。

万博展示用コンテンツの選定、新しいIP使用ルールの検討、フルダイブ向け表現規制案および依存症対策ガイドラインの作成、課金モデル規制案の策定。

……これらすべては、将来的な「フルダイブ技術の 業界標準(スタンダード) 」を世界に先駆けて構築するための、壮大な準備作業なのだ。

「繰り返します」

鴻上は、最後に会議室の全員を真っ直ぐに見つめて言った。

「今回我々が作るのは、市販ゲームではありません。

皇太子殿下と、リヤド万博の関係者に見せる……『最高に安全で、美しい体験版』です」

「了解しました」

ゲーム会社代表が、力強く頷く。

「まずは夢を壊さず、安全に見せる、ということですね」

出版社代表も、方針を深く理解した。

「その通りです」

説明会が終了し、参加者たちは会議室を後にしていく。

彼らの表情は、官邸に到着した時とは全く違うものになっていた。

「とんでもないものを見せられたな……」

「まだ実機すら見てないのに、もう胃が痛いよ」

「いや、でも夢だろ。俺たちがずっと作りたかったものだ」

「ゲームの歴史が変わる。いや、エンタメの歴史が終わって、新しく始まるんだ」

「出版も変わるぞ。文字を追うだけじゃなく、読者が物語の中に直接ダイブする時代だ」

「アニメのイベントも、ライブ体験も、全部ひっくり返る」

「でも、あれは危険だ。絶対に、完璧な規制が必要になる」

「規制込みでも、やる価値はある。俺たちがやらなきゃ誰がやるんだ」

大手ゲーム会社の代表が、エレベーターホールで小さく呟いた。

「最初に世界へ見せる一本だ。……下手なものは、絶対に出せないぞ」

「原作ものを焦って出さなくて正解かもしれませんね」

出版社代表が同意する。

「まずは世界の人々に、“フルダイブとは何か”を正しく理解させるべきです」

「既存のVR事業は終わりかと思ったが……」

VR企業の代表が、少しだけ希望を取り戻した顔で言う。

「逆に、現実とフルダイブを繋ぐ、橋渡し 役(インターフェース) になれるかもしれない」

「いつか、個人開発者にも触れる時代が来るといいですね」

インディー代表が、はるか未来の夢を語る。

誰もが、これまでにないほどの極限の興奮と、同時に底知れぬ恐怖を抱えながら、足早に官邸を後にしていった。

関係者がすべて帰り、だだっ広い会議室には、鴻上と日下部の二人だけが残された。

「……思ったよりは、落ち着きましたね」

鴻上が、ネクタイを緩めながら息を吐いた。

「最初は、会議室が物理的に爆発するかと思いましたよ」

日下部が、いつものように胃のあたりを押さえながら返す。

「まあ、フルダイブと言われて、冷静でいられるゲーム業界人はいませんからね」

「でしょうね」

「ただ、皆さん、思っていたよりも理解は早かったです。

……これは、普通のゲーム機ではない、と」

「そこが分かってもらえただけでも、今日の最大の収穫です」

鴻上が、少しだけ疲れたように笑った。

「とはいえ、これからが本当の地獄ですよ。

ゲーム会社、出版社、アニメ業界、法務、厚労省、文化庁、経産省、サウジ側、そしてアンノウン機関。……この全く利害の違う化け物たちを、一つのプロジェクトにまとめるんですから」

「知っています。だからあなたを呼んだんです」

日下部が、冷徹に言い切る。

「……胃薬、要ります?」

鴻上が苦笑しながら尋ねると、日下部は即座にポケットを叩いた。

「持っています」

「ですよね」

フルダイブは、人類が長年見続けてきた最高の夢だった。

だが、その夢を商品として現実の社会に下ろすには、ただ夢を見る者だけでは足りない。

夢を作る者、ルールで守る者、権利を売る者、危険を規制する者。そして何より、夢から現実への「帰り道」を完璧に設計する者が必要だった。

その日、首相官邸の地下に集められたゲームと物語の作り手たちは、初めて理解したのである。

自分たちがこれから作るのは、ただのゲームではない。

人類が、狂うことなく安全に夢を見るための、一番最初の「扉」なのだということを。