軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第160話 日本国、銀河に応答する

東京都千代田区永田町、首相官邸。

地下五階に設けられた『特別情報分析室』は、地上の喧騒も気候も時間すらも完全に隔絶された、無機質で冷徹な絶対の密室である。分厚い鉛と特殊コンクリートに守られたこの空間には、今日も空調の微かな稼働音だけが単調に響いていた。

だが、この日の空気は、これまでのどんな緊急会議とも異なっていた。

深夜、あるいは早朝と呼ぶべき時間帯。

叩き起こされるようにして極秘裏に招集された閣僚たちの顔には、疲労よりも、何か得体の知れない事態に対する強烈な警戒感が張り付いていた。

円卓を囲むのは、矢崎薫内閣総理大臣を筆頭に、官房長官、外務大臣、霧島大悟防衛大臣、榛名理人科学技術担当大臣、御堂周作経済産業大臣、綾瀬真琴厚生労働大臣、そして内閣情報官。必要最小限のコアメンバーと記録官のみである。

そして、スクリーンの傍らには、つい先ほどテラ・ノヴァから『帰還』したばかりの内閣官房参事官、日下部が、額に微かな汗を滲ませながら立っていた。

彼の服装は完璧に整えられていたが、その瞳には、これまでの医療技術や宇宙輸送パッケージの調整で見せていた「官僚としての冷徹さ」を通り越し、完全な「 緊急対応(レッドアラート) 」の緊迫感が宿っていた。

「全員、通信端末を封印ボックスへ。これより、アンノウン関連緊急会議に入ります」

官房長官が、重々しく宣言する。

出席者たちが無言で自らのスマートフォンやタブレットを金属製のボックスに収めると、官房長官は手元のコンソールを操作した。

「——ジャミング、オン!」

ブゥン……という、内臓の奥底を微かに震わせるような極低周波の駆動音が室内の空気を満たす。テラ・ノヴァの技術を応用した『位相干渉装置』が稼働し、室内の照明が警戒を示す薄暗い赤色へと切り替わった。

外部通信の遮断。盗聴防止。電磁波の完全監視。そして記録の極限制限。

世界で最も安全で、最も重い密室が完成した。

矢崎総理が、組んだ両手に顔を半分埋めるようにして、鋭い視線を日下部へ向けた。

「日下部さん。……報告を」

日下部は、一つ、深く、深呼吸をした。

そして、人類の歴史を根底から覆す事実を、極めて事務的な、だが絶対的な重量を持った声で告げた。

「さて、緊急事態です。

……テラ・ノヴァ側で、異星文明と遭遇しました」

シン、と。

特別情報分析室の時間が、完全に停止した。

息を呑む音すら聞こえない。誰もが、今発せられた言葉のスケールを脳内で処理しようと、激しいフリーズを起こしていた。

最初に声を絞り出したのは、榛名科学技術担当大臣だった。

「……異星文明、ですか」

「はい」

日下部は、手元のタブレットを操作し、メインスクリーンにデータを投影した。

それは、ヤタガラス外宇宙船団が捉えた、おぼろげな光学映像と電磁波の解析波形であった。

「自動運行中のヤタガラス外宇宙船団が、外宇宙航行中に、人工物と推定される宇宙船団と遭遇しました。相手は通信波と思われる信号を発信しており、交流、または識別を求めている可能性が高いとのことです」

その報告に、綾瀬厚労大臣が耐えきれないといった様子で本音を漏らした。

「正直に言えば……私はまだ、工藤氏の自作自演や、何らかの超高度AIによる大規模な実験の可能性も疑っていました。宇宙人がいるなどと……SF映画の話だと」

「私も、完全に否定していたわけではありません」

日下部は、その懐疑的な意見を真っ向から受け止めた。

「ですが、今回の相手は、工藤氏側の『既知の存在』ではない可能性が高いのです」

矢崎総理が、冷静に確認を入れる。

「工藤氏に力を与えたとされる……KAMIや賢者・猫とは別、ということですね」

「はい。工藤氏と、工場管理AIであるイヴ氏の見解では、別です。相手は手探りで通信してきており、我々のヤタガラス船団を『既知の存在』として認識している様子はありません。全くの初対面、未知の文明との接触です」

霧島防衛大臣が、ゴクリと生唾を飲み込んだ。

「つまり、未知の異星文明……」

「はい」

矢崎総理は、重くのしかかる現実の質量に耐えかねたように、こめかみを指で強く押さえた。

「胃が痛くなってきたわね……」

それは、法務と制度設計のスペシャリストである彼女の、政治家としてのキャパシティの限界を告げるような、正直すぎる悲鳴だった。

国内の医療改革や、アメリカとの外交調整とは、次元が違いすぎるのだ。

だが、事態の深刻さはそれだけではなかった。

霧島防衛大臣が、バンッと机を叩いて立ち上がった。彼の顔には、国家の防衛を預かる者としての強烈な危機感が張り付いている。

「待ってください! 異星人がいるということは、この瞬間にも……その異星文明が『地球』にやってきてもおかしくないのではないか!?」

その一言で、会議室が騒然となった。

「テラ・ノヴァ側で遭遇したということは、宇宙には確実に星間航行文明が存在するということです! ならば、地球周辺にも来る可能性は十分にある。明日にでも、別の異星文明の大艦隊が地球軌道上に現れても、何ら不思議ではない!」

外務大臣が、青ざめた顔で同調する。

「それは……否定できませんね。我々は今、人類が宇宙で孤独であるという前提を失ったのですから」

会議の空気が、「テラ・ノヴァでの接触」から、「地球防衛の危機」へと一気に脱線しかけた。

そこに、榛名科学技術担当大臣が冷静なストップをかけた。

「待ってください。落ち着きましょう。

……そもそも、テラ・ノヴァが『地球と同じ宇宙』に存在するとは限らないでしょう」

榛名は、理論的な防波堤を築こうと試みる。

「これまでの情報から推測するに、テラ・ノヴァは地球とは異なる宇宙、あるいは 並行世界(パラレルワールド) に近い可能性もあります。空間の物理法則が同一かどうかも定かではないのです」

「だが、工藤氏は地球とテラ・ノヴァを行き来しているではないか!」

霧島が食い下がる。

「それは、アンノウン由来の特殊な『次元ゲート』によるものです。通常の物理的な宇宙航行で、あちらの文明がそのまま地球へ来られるかは、全くの別問題です。今すぐ地球に異星人が来ると断定するのは、あまりにも飛躍しすぎています」

「しかし、可能性はゼロではないだろう!」

御堂経産大臣も危機感を露わにする。閣僚たちの間で、パニックに近い議論が沸騰し始める。

未知の恐怖が、彼らの冷静な判断力を奪い去ろうとしていた。

「——皆様、落ち着いてください」

日下部が、一段と低く、そして鋭い声で割って入った。その声の圧力で、会議室の喧騒がピタリと止まる。

「霧島大臣の懸念はもっともです。地球に異星文明が来た場合の対応策は、国家として当然、別途必要になります」

日下部は、円卓の全員を冷徹な視線で見回した。

「ですが、今この場で最優先すべきは、それではありません。

すでにテラ・ノヴァ側で遭遇し、今まさに我々に通信を送ってきている『目の前の異星文明』への対応です。会議の焦点が脱線しています」

矢崎総理が、小さく息を吐き出して深く頷いた。

「日下部さんの言う通りね。まず、目の前の接触を処理しましょう。地球防衛の問題は、後半で改めて整理します」

総理の裁定により、会議はようやく「ファーストコンタクトの実務」へと引き戻された。

「では、現状の整理を行います」

日下部が、ホログラム資料を再展開する。

【現状のまとめ】

・ヤタガラス外宇宙船団が、人工物船団と遭遇。

・相手から通信波と思われる信号を受信中。

・こちらは未応答。

・敵対行動はなし。相手は一定距離を維持している。

・先制照準、兵器ロックと思われる挙動は未確認。

・相手の技術レベルは、ヤタガラス外宇宙船団に近い可能性がある。

・工藤氏側に『万能翻訳機』が存在し、言語解析は可能。

・ただし文化的な理解は別問題。

・判断猶予は、数時間から数十時間程度と推測。

外務大臣が、最も基本的な外交ツールについての部分で反応した。

「万能翻訳機?」

「はい」

日下部は、無表情のまま即答した。

「また、未報告の文明破壊級テクノロジーが出てきました」

矢崎総理が、頭を抱える。

「……そこは、後でまとめて報告書にしてちょうだい。今は聞くと胃が痛くなりそうだから」

「承知しました」

日下部も、これ以上余計な情報を出して総理のメンタルを削るつもりはなかった。

「翻訳できるなら、交流自体は可能なのですね」

外務大臣が安堵の息を漏らしたが、日下部は即座に冷水を浴びせた。

「言葉が通じることと、文化が通じ、相互理解が成立することは全くの別問題です。

地球上の国家間ですら、言葉が通じても戦争は起きます。相手の価値観、政治概念、倫理観が全く不明な状態で、安易な発言をすればどうなるか。……初回応答は、極めて慎重に行う必要があります」

その言葉は重かった。

翻訳機は単なるツールに過ぎない。外交の成否を決めるのは、何を語り、何を隠すかという「戦略」なのだ。

「では、まず基本方針を固めます」

日下部は、画面に赤い文字で大きく一つのルールを表示した。

「絶対に守るべき最優先事項。

……『地球の存在を悟らせない』。これはよろしいですね?」

会議参加者が、一斉に深く頷いた。

「異論なしだ。地球の座標を出すなど、論外の極みだ」

霧島防衛大臣が力強く同意する。もし相手が侵略的な文明であった場合、地球の場所を教えることは、自ら破滅の扉を開くことに他ならない。

「地球の国家、人口、文明レベル、そして我々日本政府との関係も、完全に伏せるべきです」

外務大臣が、外交的なガードを上げる。

内閣情報官も、情報戦の観点から厳しい警告を発した。

「地球側の通信波形、言語の癖、文化的な背景情報、使っている座標系や天文情報から、我々の本来の居場所(地球)が逆算される可能性にも、細心の注意が必要です」

「星図を出す場合も極めて危険です。星の配置から、地球との接続関係や航路が推測される可能性があります」

榛名も、天文学的なリスクを指摘した。

「では、地球秘匿を最優先方針とします」

日下部がまとめると、矢崎総理が重々しく宣言した。

「承認します」

【決定事項】

・地球の存在は絶対秘匿。

・地球座標は非開示。

・地球由来の文化情報、言語情報を出さない。

・地球日本との関係を出さない。

・工藤氏が地球人であることを隠す。

・接触主体は、外向きには『日本国』とする。

・ただし、本拠地や文明圏の詳細は、初回では一切開示しない。

基本方針が固まったところで、日下部が少しだけ言いにくそうに、次の議題へと進んだ。

「次に、名乗りの問題です。

……先ほど、工藤氏が仮称として、『銀河帝国日本国』という名称を提案しました」

シン……と。

会議室が、本日二度目の完全な停止状態に陥った。

「……銀河帝国……」

矢崎総理が、魂が抜けたような声で反復する。

「……日本国……」

官房長官も、虚空を見つめながら呟いた。

「それは……正式な提案ですか?」

外務大臣が、額に冷や汗を浮かべながら確認する。

「いいえ。工藤氏の完全な思いつきです。私はその場で全力で止めました」

日下部が即答すると、矢崎総理は深く息を吐き出した。

「……賢明です」

だが、霧島防衛大臣が少しだけ顎を撫でて、思わぬ意見を口にした。

「しかし、抑止力としては悪くないのではないか?

相手がこちらを巨大な星間国家だと認識すれば、軽々しく攻撃は仕掛けてこないかもしれない」

「逆です、防衛大臣」

外務大臣が、即座に否定した。

「帝国を名乗れば、相手からは拡張主義的な軍事国家、あるいは専制的な覇権国家と見られる可能性が極めて高い。相手が警戒レベルを最大に引き上げ、初回接触から無用な軍事的緊張が高まる恐れがあります」

「そもそも、相手の政治概念に『帝国』という言葉がどう翻訳されるかも不明です。我々の意図しない、残虐な意味合いを持つ概念に変換される可能性もあります」

榛名も、翻訳のリスクを指摘する。

「宇宙帝国なんて大仰な名前は要らないでしょう……。普通に『日本国』でよいのでは?」

綾瀬厚労大臣が、常識的な意見を述べた。

だが、霧島が鋭く突っ込む。

「待て。その前に、本当に『日本国』と名乗るのか?

地球の存在を隠すのなら、全く別の架空の国名を作るべきではないのか?」

「そこは、嘘をつく必要はないと思います」

外務大臣が、外交的な一貫性の観点から主張した。

「最初に嘘の国名を名乗り、後からそれが発覚した場合、説明が食い違い、決定的な不信感を生みます。外交において『最初から嘘をついていた』という状態を作るのは、極めて危険です」

「私も同意します」

日下部が、外務大臣の意見を支持した。

「問題は、『日本国』と名乗ることではありません。

……問題は、それが『地球の日本国』だと悟られることです」

「つまり、国名は『日本国』とする。ただし、本拠地、座標、種族情報、文明圏の詳細は、初回では一切出さない、ということですね」

榛名が整理する。

「はい。相手から詳細を問われた場合は、初回接触段階では『相互理解が成立してから段階的に開示する』と返すべきです。これが最も誠実であり、かつ安全な防衛策です」

「では、初回応答では『日本国』と名乗ります。銀河帝国という言葉は絶対に使用しません」

矢崎総理が、最終決定を下した。

「承知しました」

日下部が頷く。

「……銀河帝国、少し見たかったがな」

霧島が、ポツリと本音を漏らした。

「防衛大臣」

外務大臣が、冷たく睨みつける。

「冗談だ」

霧島は肩をすくめた。

「向こうが交流を求めているとして、本当に応答するのですか?」

外務大臣が、接触そのものの是非について問うた。

「応答しない時間が長すぎれば、相手に不信感を与える可能性があります」

日下部が答える。

「だが応答すれば、こちらの存在と知性を確定させることになる」

霧島がリスクを指摘する。

「すでにヤタガラス外宇宙船団は観測されています。存在自体は、もう隠せません」

榛名が、物理的な現実を突きつけた。

「問題は、何をどこまで明かすかです」

内閣情報官が、情報戦の基本に立ち返る。

「敵対行動を避けることが第一ですね」

矢崎総理が、最も重要な目標を確認する。

「相手の技術レベルがヤタガラス外宇宙船団に近いなら、交戦は絶対に避けるべきです。テラ・ノヴァ側なら最悪なんとかなるとしても、相手がこちらの拠点や、地球との接続ゲートを探り当ててくる可能性がありますから」

霧島の懸念はもっともだった。

「ならば、初回応答は友好的に。ただし、情報は最小限に留める」

外務大臣が方針をまとめた。

「はい。こちらから示すのは、『敵対意思がないこと』『通信を受信したこと』『安全距離を維持したいこと』『相互理解のため通信形式を確認したいこと』。……この四点に絞るべきです」

日下部の提案に、矢崎総理が頷いた。

「承認します。では、初回応答の文案を作成しましょう」

会議室のスクリーンに、白紙のテキストエディタが表示される。

「ちなみに、工藤氏からは『こんにちは。こちら銀河帝国日本国です。仲良くしましょう』という案が出されていました」

日下部が報告すると、会議室は冷たい沈黙に包まれた。

「……即却下だ」

外務大臣が、頭を抱えながら言った。

「工藤氏の文案は、友好的ではありますが、外交文書としてはあまりにも軽すぎます。政治主体が不明確ですし、相手の文化によっては『仲良くしましょう』という言葉が、降伏勧告や侮辱と受け取られる可能性もあります」

「銀河帝国だけ削れば……」

霧島がまだ未練がましく言う。

「削ります」

外務大臣がピシャリと言い切り、自ら文案を口述し始めた。

「『こちらは日本国。貴船団からの通信を受信した。我々に敵対の意思はない。相互の安全距離を維持したまま、通信形式と基本概念の確認を希望する。まずは、互いの識別と意思疎通の確立を優先したい』……これでいかがでしょう」

「『安全距離の維持』を明確に入れるのは良いですね。こちらも接近しないが、相手にも接近しないよう求める、強い意志表示になります」

霧島が評価する。

「本拠地、座標、種族情報、領域情報は一切出さない。テラ・ノヴァという単語も初回では伏せる。船団名や指揮系統の名称も、必要最小限に留めましょう」

情報官が、情報統制の観点から修正を加える。

数分の推敲を経て、最終的な初回応答文案が完成した。

【初回応答文案】

こちらは日本国。

貴船団からの通信を受信した。

我々に敵対の意思はない。

相互の安全距離を維持したまま、通信形式と基本概念の確認を希望する。

まずは、互いの識別と意思疎通の確立を優先したい。

「これを、万能翻訳機で相手側の言語体系に合わせて変換し、送信します」

日下部が確認する。

「工藤氏には、この文案から一文字も外れないように伝えます」

「お願いします」

矢崎総理が深く頷く。

「工藤氏、勝手に銀河帝国を足したりしませんか?」

霧島が、極めて現実的な不安を口にする。

「隣で私が全力で止めます」

日下部が、悲壮な決意を込めて宣言した。

「交渉の担当は、誰が適任でしょうか」

官房長官が、次の実務的課題を提示する。

候補は三人。工藤創一、日下部、そしてイヴである。

「工藤氏は、テラ・ノヴァの管理者であり、実際にヤタガラス船団を動かせる権限を持っています。万能翻訳機も彼が制御している。相手から見れば、最高権限者に近い立場です。……しかし、外交感覚がゼロであり、うっかり地球の情報を漏らす危険性が極めて高い」

日下部が、自らのボス(?)の短所を容赦なく列挙する。

「私は、日本政府の実務代表であり、情報制御や安全保障の感覚は持っています。……ですが、テラ・ノヴァ側の主権者ではなく、相手から見れば権限が曖昧に見える可能性があります。それに……胃が限界です」

日下部の本音に、誰も何も言えなかった。

「イヴ氏は、正確無比であり、翻訳制御も完璧、失言もしません。技術的な説明も論理的に行えます。……しかし、彼女がAIであることを明かすかどうかという問題があります。相手文明がAIをどう扱うか不明であり、無機質すぎて冷酷な種族だと誤解されるリスクがあります」

三者三様の長所と短所。

「結論として」

日下部が提案する。

「初回応答は、工藤創一が『名目上の代表』として表に立ちます。私が隣に同席し、彼が余計なことを言わないように発言内容を完全に 管理(コントロール) します。イヴ氏には、翻訳および技術的補佐に徹してもらいます。……ただし、外向きには工藤氏の個人名は出しません」

「表現は?」

「『日本国より応答する』。それだけです」

矢崎総理が頷く。

「それがベストですね。私と工藤氏で交流します。イヴ氏には通信補助をお願いします。……工藤氏には、絶対にアドリブを控えていただきます」

「控えてくれるといいのですが……」

矢崎総理が、苦笑交じりに言う。

「全力で止めます」

日下部は、二度目の決意表明をした。

「アメリカへの情報共有はどうしますか」

内閣情報官が、外交上の火種になりかねない議題を提示する。

会議室が再び重くなる。

「日米同盟を考えれば、いずれ知らせる必要があります」

外務大臣がセオリーを説く。

「だが今すぐ知らせれば、アメリカは必ず主導権を取りに来る」

霧島が、アメリカの強欲さを警戒する。

「しかも、これは地球側ではなくテラ・ノヴァ側の接触です。アメリカに権限はありません」

榛名も、科学技術および管轄の観点から釘を刺す。

「ヘイズ大統領は後で怒るでしょうね」

綾瀬厚労大臣が、ため息をつく。

「怒るでしょう」

矢崎総理が同意する。

「ですが、今怒られるのと、銀河文明に地球の存在を知られるのでは、前者の方がましです」

日下部が、リスクの天秤を冷徹に計る。

「初回応答までは、日本単独で対応します。その後、相手の性質が分かり次第、ヘイズ大統領へ限定共有するか検討します」

矢崎総理が、方針を固める。

「記録は?」

「完全機密。閲覧権限は総理、官房長官、日下部参事官、指定担当者のみ」

内閣情報官が答える。

「それで進めます」

「しかし、これは先送りで済む話ではありません。宇宙に異星文明がいることが確定した以上、地球防衛の前提が変わります」

霧島防衛大臣が、黙っていられず再び声を張り上げる。

「分かっています」

矢崎総理が、その視線を受け止める。

「ヤタガラスが4台運行中です。最悪、日本は守れるかもしれません。ですが……」

御堂経産大臣が、割り込むように言う。

「いやいや、日本だけ守っても駄目でしょう」

「その通りです」

霧島が机を叩く。

「地球全体が脆弱です。もし明日、別の異星文明が地球軌道上に現れた場合、現在の国際社会に対応能力はありません」

「国連を巻き込むのか、日米だけで抑えるのか、あるいは完全秘匿するのか。そこから決める必要があります」

外務大臣も、地球規模のパラダイムシフトに頭を抱える。

「議論を分けます」

矢崎総理が、混乱しそうになる会議のタクトを力強く握る。

「日下部さんは、テラ・ノヴァ側の初回接触へ戻ってください。こちらは、地球に異星文明が来た時の対応を、敵対・友好の両面から検討します」

「承知しました」

日下部が頷く。

「だから準備室を作ります。今この場で答えは出ません」

矢崎総理が、新たな組織の設立を宣言した。

【地球外文明接触対応準備室】

・地球外文明が地球に出現した場合の初動対応

・友好的接触時の外交プロトコル

・敵対的接触時の避難・防衛計画

・ヤタガラス4台の防衛運用方針

・日本単独防衛と地球全体防衛の差分整理

・アメリカへの情報共有時期の検討

・国連・各国政府への開示シナリオ

・地球座標・文明レベル秘匿方針

防衛、外交、そして地球の存亡を懸けた、途方もない規模の課題のリスト。

これを、この狭い会議室のメンバーだけで背負い込まなければならないのだ。

「では、最終決定事項を確認します」

官房長官が、会議のまとめを読み上げる。

【テラ・ノヴァ側接触方針】

・地球の存在は秘匿。

・初回応答は実施する。

・名称は『日本国』。

・銀河帝国は使用禁止。

・本拠地・座標・文明圏の詳細は開示しない。

・種族情報も初回では出さない。

・敵対意思なしを伝える。

・安全距離維持を提案する。

・通信形式と基本概念の確認を優先する。

・工藤氏が名目代表。日下部が同席し、発言管理。イヴが翻訳・技術補佐。

・アメリカには初回応答前は知らせない。

・応答内容は完全記録し、相手の反応次第で再度政府判断を仰ぐ。

【地球側対応方針】

・『地球外文明接触対応準備室』を設置。

・地球防衛・友好接触・敵対接触の対応案を作成。

・ヤタガラス4台の防衛運用を検討。

「決定します」

矢崎総理が、重々しく宣言した。

全員が、深く頷いた。

「日下部さん」

矢崎総理が、日下部を見る。

「テラ・ノヴァに戻って、工藤氏と異星文明との初回接触を行ってください」

「承知しました」

「こちらは会議を続けます。日本として、地球に異星文明が来た時の対応を、友好的接触・敵対的接触の両面で決めます。随時連絡を」

「分かりました。では、テラ・ノヴァに戻ります」

日下部が、踵を返そうとした、その時。

「日下部さん」

霧島防衛大臣が、声をかけた。

「はい」

「銀河帝国は、本当に駄目か?」

「防衛大臣」

外務大臣が、氷のような声でたしなめる。

「冗談だ。半分は」

霧島が、少しだけ口角を上げてみせる。

「半分でも困ります」

日下部は、全く笑わずにピシャリと返した。

矢崎総理が、苦笑しながら言う。

「日下部さん。お願いします。……日本国としての、最初の銀河外交です」

「……承知しました」

日下部は、深く一礼し、特別情報分析室の重い扉を開けて退室した。

日下部が、テラ・ノヴァの最前線へと向かう。

一方、官邸地下の密室では、残された閣僚たちによる、さらに重く苦しい会議が続いていた。

もし、異星文明が友好的であったなら、どう迎えるか。

敵対的であったなら、どう地球を守るか。

日本だけが 超兵器(ヤタガラス) で生き延びることは、国際社会において許されるのか。

アメリカへ、いつ真実を告げるか。

国連という旧時代のシステムを、どう扱うか。

果たして、地球人類という未熟な種族は、銀河の外交というスケールに耐えられる精神構造を持っているのか。

矢崎総理は、手元の資料を見つめたまま、微動だにしない。

地球の地表では、まだ誰も知らない。

人々は、明日の仕事の心配をし、週末の予定を語り合っている。

だが、日本政府はもう、地球の枠組みを飛び越え、「銀河と地球の間に立つ壁」としての役割を背負ってしまっているのだ。

その日、官邸地下の一室で、日本政府は初めて“地球の政府”ではなく、“銀河に応答する文明の窓口”として振る舞うことを決めた。

ただし、その最初の仕事は、銀河帝国を名乗りたがる工藤の軽薄な思いつきを必死に止め、ただ『日本国』という三文字だけを、極めて慎重に、そして震えながら宇宙の深淵へと差し出すことだったのである。