軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第16話 新木場の奇跡と過ぎたる神薬

東京都江東区、新木場。

かつて「貯木場」として栄えたこの埋立地は、東京湾の湿った潮風と、微かな木の香りが混じり合う独特の空気に包まれている。

木材倉庫や製材所が立ち並ぶ工業地帯の一角。

高いフェンスで囲まれた広大な敷地——かつて大手商社の資材置き場だった場所——は、今、戦時下のような厳戒態勢にあった。

入り口には『内閣府・次世代植物資源研究センター(仮称)』という真新しい看板。

だが、その実態は要塞に近い。

敷地の上空は「第一種飛行禁止空域」に指定され、さらに視覚的なカモフラージュとして、工事用を装った巨大な遮蔽ネットが空を覆っている。

周囲には携帯電話の電波を遮断するジャミング装置が稼働しており、警備員という名目の公安警察官が鋭い視線を巡らせている。

近隣住民には「大規模な地下構造物の建設工事」として説明し、重機の騒音を流して作業音を誤魔化す徹底ぶりだ。

その敷地の中央に、工藤創一は立っていた。

「……ここですね、予定地は」

創一は周囲を見渡した。

コンクリートで舗装された地面。

その向こうには遮蔽ネット越しに、東京の曇った空が透けて見える。

異星テラ・ノヴァの赤茶色の大地とは違う、湿った灰色の風景だ。

「ええ。海水淡水化プラントからの配管も接続済みです。電力も、特別高圧線を引き込みました」

隣に立つ日下部駐在員が、タブレットを操作しながら答える。

彼の背後には経済産業省や農林水産省の官僚たちが、固唾を呑んで見守っている。

彼らの視線は、期待と不安が半々といったところだ。

「じゃあ、設置しますね」

創一は軽い調子で言った。

彼は右手を虚空にかざし、インベントリから「それ」を取り出した。

ズドォォォォォン……!!

重厚な着地音と共に、東京の埋立地に巨大な構造物が出現した。

直径五メートル、高さ四メートルほどのガラスドーム。

鉄骨のフレームに支えられたその姿は、周囲の古びた倉庫群の中で異質な未来感を放っていた。

「おお……!」

「これが例のプラントか……」

官僚たちがどよめく。

創一は慣れた手つきで配管と電源ケーブルを接続した。

ブゥン……と低い唸りを上げて、温室が起動する。

「レシピ設定『木材』。

材料投入……水と砂です」

創一の操作でベルトコンベアが動き出す。

流れてくるのは、テラ・ノヴァからゲート経由で逆輸入された高純度の珪砂だ。

異星の砂が地球の水と出会い、ナノマシンの触媒となる。

「……スイッチオン」

プシューッ!

ドーム内にナノマシンを含んだミストが噴射される。

床に敷き詰められた砂が波打ち、次の瞬間——。

メキメキメキメキッ!!

ガラスの内側で爆発的な成長が始まった。

緑色の芽が砂を割り、瞬く間に太い幹となり、枝を伸ばし、葉を広げる。

早回しの映像を見ているのではない。現実の物理現象だ。

空っぽだったガラスの城が、わずか数十秒で鬱蒼とした「森」に変貌したのだ。

「な、なんだこれは……」

「馬鹿な……種も植えていないのに……」

農水省の技官が眼鏡をずり落として呆然としている。

植物学の常識が、音を立てて崩れ去る瞬間だった。

「成長完了。収穫プロセスに移行します」

創一が告げると同時に、温室の内部で機械的なアームが動き、育ったばかりの木を伐採した。

ガコン、ゴロン。

排出口から加工されたばかりの真新しい丸太が、ベルトコンベアに吐き出される。

ほのかに木の香りが漂った。

「……成功です。

これで水と電気がある限り、24時間体制で木材が供給されます」

沈黙の後、割れんばかりの拍手が湧き起こった。

経産省の官僚が、震える手で丸太を撫でている。

「素晴らしい……! これぞ『緑の 金(グリーン・ゴールド) 』だ!」

「これでウッドショックは終わる。いや、日本の林業が再定義されるぞ!」

興奮する大人たちを横目に、創一は日下部と顔を見合わせて苦笑した。

テラ・ノヴァでは当たり前の光景だが、地球で見ると、やはり異常だ。

この一台の温室が、日本の産業構造に風穴を開けたのだ。

遮蔽ネットの隙間から差し込む光が、ガラスドームを神々しく照らしていた。

設置作業が一段落し、簡易的なプレハブの休憩所へ移動した時のことだった。

日下部が少し表情を引き締めて、創一に声をかけた。

「工藤さん。紹介したい人物がいます」

「人物?」

「ええ。今後、日本国内およびテラ・ノヴァでの貴方の身辺警護、ならびに機密保持任務を担当する『特別強化要員』です」

日下部が目配せをすると、入り口のドアが開き、一人の男が入ってきた。

黒いスーツに身を包んだ初老の男だ。

白髪交じりの短髪。深く刻まれた皺。

見た目の年齢は五十代半ばといったところか。

だが、その立ち居振る舞いには老いなど微塵も感じさせない、鋼のような覇気が漂っていた。

一歩踏み出すたびに、空気が張り詰めるような重圧感がある。

「……初めまして。 鬼塚(おにづか) ゲンです」

男が深く頭を下げる。

その声は腹の底から響くような重低音だった。

「鬼塚さんは元警視庁公安部の外事課長です。

テロ対策と防諜のスペシャリストでしたが……先日、ある事情で『現役復帰』されました」

「ある事情?」

創一が首を傾げると、鬼塚が一歩前に出た。

その目が創一を真っ直ぐに射抜く。

殺気ではない。強烈な感謝と、揺るぎない忠誠の色だ。

「工藤さん。貴方には命を救っていただきました」

「えっ?」

「私は末期の膵臓癌でした。余命数日の、ただの死に損ないだったのです。

……貴方が提供してくださった『医療用キット』によって、私は地獄の淵から蘇りました」

鬼塚は自分の胸に手を当てた。

「この体、この命。すべて貴方の技術によるものです。

癌が消えただけではない。肉体は全盛期……いや、それ以上に作り変えられました。

この力、貴方と国のために使わせていただきたい」

創一は目を丸くした。

これがあの薬の被験者第一号か。

確かに、ただならぬ気配だ。

スーツの上からでも分かる筋肉の密度。足運びの静けさ。

人間というより、高性能なサイボーグに近い印象を受ける。

「はあ……なるほど。

実験成功、おめでとうございますでいいのかな?

まあ、頼もしいボディーガードができて、俺も安心です。よろしくお願いします、鬼塚さん」

「はっ! 粉骨砕身、お守りします」

鬼塚が差し出した手を、創一が握り返す。

万力のような握力だった。

本気を出せば、創一の手など粉砕できるだろう。

だが、その力は完全にコントロールされ、敬意を持って接してきているのが分かった。

その背後で、もう一人、若い女性が控えていた。

鬼塚の紹介が終わった後、彼女はそっと創一に近づいてきた。

「……あの、工藤さん」

「はい?」

「鬼塚の娘のマリと申します。内調からの出向で、父のサポートを担当します」

彼女は周囲を憚るように声を潜め、深々と頭を下げた。

「……ありがとうございました」

「え?」

「父を……父の命を救ってくださって、本当にありがとうございます。

私は……父を実験台にする書類にサインしました。もし失敗していたら、私は一生、自分を許せなかった。

貴方の技術が、私の家族を救ってくれたんです」

彼女の目には薄っすらと涙が浮かんでいた。

創一は頭をかいた。

「いや、俺はただ道具を提供しただけですから。

礼を言うなら、決断した政府の人たちに言ってください」

「いいえ。……この御恩は一生忘れません」

彼女はもう一度頭を下げ、父の元へと戻っていった。

創一は少し複雑な気分になった。

自分が作った(正確にはイヴがレシピ解析した)アイテムが、人の運命をここまで劇的に変えてしまったのだ。

それは「救済」であると同時に、「不可逆な変化」を与える劇薬でもある。

その後、場所を移して行われた非公式の会談。

窓のない会議室には、創一、日下部、そして鬼塚が同席していた。

議題は他でもない、『医療用キット』についてだ。

「……正直に申し上げますと、工藤さん」

日下部が苦渋に満ちた表情で切り出した。

彼は手元のタブレットに表示された、鬼塚の身体検査データを指差した。

「この薬……性能が『良すぎ』ます」

「良すぎる? 副作用でもありましたか?」

「いいえ、逆です。完璧すぎるのです。

癌の消失、臓器の若返り、身体機能の強化。

これほどの効果が、たった一本の注射で、しかも数分で完了してしまう。

……ハッキリ言って、これは『兵器』です」

日下部は、ため息をついた。

「もし、この薬の存在が公になれば、世界中の富裕層、権力者、そして軍部が血眼になって奪い合いを始めるでしょう。

『不老不死』に近い技術です。戦争の火種になりかねない。

正直、今の日本政府だけで抱え込むには荷が重すぎます」

「まあ、そうでしょうね」

創一も同意した。

ゲームの中なら「HP回復薬」で済む話だが、現実世界ではバランスブレイカーもいいところだ。

「そこで相談なのですが……。

この薬の効果を、もう少し『落とす』ことはできませんか?」

「落とす?」

「ええ。例えば希釈して成分を薄めるとか。

癌は治すけれど若返りはしない、あるいは治療に数ヶ月かかるといったレベルまで、性能を下げられませんか?

今のままでは劇的すぎて、隠蔽しきれません。

『魔法』ではなく『高度な医療』の範疇に収めたいのです」

官僚らしい悩みだ。

効果がありすぎて困るなんて贅沢な話だが、安全保障上は切実なのだろう。

「イヴ、どうなんだ? デチューン(性能低下)はできるか?

例えば水で薄めて使うとか」

創一が問いかけると、スマホから冷静な声が返ってきた。

『否定します。不可能です』

イヴの回答は、にべもなかった。

彼女は冷徹な事実として告げる。

『この医療用キットに含まれるナノマシンは、『生体の最適化(Optimization)』を目的としてプログラムされています。

対象のDNA情報を読み取り、損傷箇所、老化によるテロメア短縮、遺伝子エラーをすべて「正常な状態」へと書き換えます。

これには一定量以上のナノマシン密度、すなわち「 閾値(いきち) 」が必要です』

「……閾値?」

『はい。もし薬液を希釈し、中途半端な量で投与した場合、ナノマシンはエネルギー不足に陥ります。

結果、DNAの書き換えプロセスが途中で停止します。

それは治療の失敗ではありません。

細胞の崩壊——すなわち対象者がドロドロの有機スープのように溶解し、死亡することを意味します』

「ひっ……溶解……」

日下部の顔が青ざめる。

鬼塚も眉ひとつ動かさなかったが、こめかみに冷や汗が伝うのが見えた。

『最適化するか、溶解するか。0か1かです。

中間の「ほどほどの治療」という選択肢は、このテクノロジーには存在しません』

「……だそうです」

「そうですか……」

日下部がガックリと肩を落とした。

目の前にあるのは、融通の利かない神の技術だ。

手加減などしてくれない。

使うなら覚悟を決めろと、突きつけられている。

「まあ、そういうわけなんで、効果を落とすのは無理ですね。

諦めて、トップシークレットとして管理してください」

創一はコーヒーを啜った。

「それに今はまだ、原料の『バイオマター』が希少ですから、大量生産もできませんしね。

数が少なければ、市場に出回ることもないでしょう」

「……そこなんですよ、もう一つの懸念は」

日下部が頭を抱えた。

「大量生産は無理……とおっしゃいますが、もし将来的に可能になったら?

例えばバイオマターの代替品が見つかったり、合成に成功したりすれば……」

「ああ、それなら」

イヴが補足する。

『研究が進めば、バイオマターを化学合成する技術(代替レシピ)もアンロック可能です。

さらに組立機を連結すれば、将来的には量産ラインを構築することも可能です』

「なっ……!?」

日下部が椅子から転げ落ちそうになった。

「りょ、量産できるんですか!? この不老不死の薬が!?」

『はい。十分な電力と、石油化学プラント、そして研究データがあれば。

ただし、それは現時点での技術ツリーではロックされています。

少なくとも数年は先の話です』

「数年……」

日下部は遠い目をした。

数年後に日本は「不老不死の薬」を輸出する国になるかもしれない。

それは経済的な覇権を意味すると同時に、全世界からの圧力と嫉妬を一身に浴びる未来でもあった。

「……頭が痛くなってきました。

ですが状況は理解しました。

とにかく今は『極めて希少で再現不可能な特効薬』というスタンスを貫きます。

大量生産の可能性については、総理にも伏せておいた方がいいかもしれませんね。

欲望で理性が飛びそうだ」

「それがいいでしょう。

俺としても、薬屋をやるつもりはないですから。本業は工場長です」

創一は笑ってごまかした。

だが事態は、確実に動き出している。

新木場の温室は、日本の産業界に衝撃を与え始めた。

そして医療用キットは政界の裏で、静かに、しかし強力な「通貨」として流通し始めるだろう。

鬼塚ゲンという生ける 証拠(スーパーソルジャー) を伴って、創一は窓の外を見た。

遮蔽ネットの隙間から見える東京の空は、曇っていた。

テラ・ノヴァの紫色の空が、少し恋しくなっていた。

「……さて、そろそろ戻りますか。

向こうではまだ、石油の確保とバイター退治が残ってますからね」

「はい。護衛はお任せを」

鬼塚が低く答える。

最強の盾を得て、創一の異星開拓は次のフェーズへと進む。

だが地球側に残した「過ぎたる技術」の種が、どんな芽を吹くのか。

それはイヴの演算能力をもってしても、予測できないカオスな未来だった。