軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第140話 神の火を学ぶ席と、共和国への返礼

日本の政治の最深部、首相官邸地下のジャミング会議室。

分厚い鉛とコンクリートの防音扉が重々しい音を立てて閉ざされ、外部との物理的な接触が完全に絶たれる。

いつものように、内閣官房特別情報分析室の室長である日下部が、手元の端末を操作した。

「ジャミング、オン」

室内の照明が、通常モードの柔らかな青色から、警戒と秘匿を示す薄暗い赤色へと切り替わった。

すべての電波通信が遮断され、いかなる最新鋭の盗聴器であろうと、この部屋の音を外に持ち出すことはできなくなった。

円卓の上座に座る総理が、軽く息を吐き出して口を開いた。

「というわけで、定例の特別案件会議を始める」

円卓を囲むのは、外務、防衛、経産、そして科学技術の各担当閣僚たちだ。

だが今日の彼らの表情は、いつにも増して微妙に硬く、どこか戸惑いのような色が入り混じっていた。

日下部が、メインモニターに本日の議題となる資料を投影した。

件名:『核融合炉技術に関する段階的理解および実証協力の提案』

「先ほど、フランス共和国大統領府より、非公式かつ最高レベルのセキュリティラインを通じて、正式な外交提案の文書が届きました。要約すると――」

日下部は、手元のタブレットに視線を落としながら、外交特有の持って回った表現を読み飛ばし、極めて噛み砕いた「本音版」の要約を読み上げ始めた。

「『我々フランスは、アンノウンの核融合炉を完全に理解することができませんでした。よって、共同研究などと偉そうなことは言いません。まずは教えてほしい』……と、実質的な技術的敗北を認めています」

室内の閣僚たちが、僅かに姿勢を正した。

あのプライドの高い理性の国が、これほどストレートに白旗を揚げてくるとは予想外だった。

「ですが」

日下部は言葉を続ける。

「フランスはただ泣きついてきたわけではありません。彼らは続けてこう述べています。

『その代わり、我々が主導するITER(国際熱核融合実験炉)の優秀な人材と実験施設、欧州への政治的・制度的通路、フランス領ギアナのクールー宇宙センター、そして国際的な安全規格作りの知見を差し出します。フランスは、決して空の手では行きません。だから、神の火を学ぶための席をください』……と」

読み終えた日下部の声が途切れると、地下室に深い沈黙が降りた。

総理が、信じられないものを見るような目でモニターを見上げ、ぽつりと言った。

「……あの、フランスが?」

外務担当閣僚が、深く頷いた。

「はい。かなり、下りてきています。外交文書の体裁は保っていますが、実質的には『弟子入り志願』に近い」

防衛担当閣僚が、腕を組みながら怪訝そうな顔をした。

「心が折れたのでしょうか? ITERで何十年もかけて世界をリードしてきた彼らが、ここまでアッサリと……」

日下部は静かに首を振った。

「心が折れた、というよりは、『現実を直視した』のでしょう。彼らの科学者たちは、我々が提示した技術の圧倒的なレベル差を正確に測り、政治的なプライドで意地を張るよりも、真理に近づくことを選んだのだと思います」

外務担当が補足する。

「フランスは核融合研究において、国家の威信と強い自負を持っています。その彼らが、『共同研究』という対等の立場を放棄し、『実証と理解のための協力(実質的な教育)』を求める文面を出してきた。これはフランス外交の歴史から見ても極めて異例です。……しかし、彼らは決してただ降伏したわけではない」

外務担当は、モニターに箇条書きにされたフランスの『手札』を指し示した。

「フランスは敗北を認めています。ですが、屈服はしていません。自分たちが今差し出せる最大限の役割を盤面に並べ、頭を下げて『学ぶための席』を取りに来ている。非常に強かで、賢明な外交判断です」

総理が、感心したように唸った。

「ふむ……したたかだな。負けをただの負けで終わらせず、次の時代の最前列の切符を買いに来たか」

「ええ。かなりしたたかです」

日下部も同意した。

その時、円卓の端で聞いていた経産担当閣僚が、少し申し訳なさそうに手を挙げた。

「あの、根本的な疑問を口にしていいか? しかし、その『小型核融合炉』というのは、そんなにヤバいものなのか? いや、すごいのは分かっているつもりだが……我々は政治家であって科学者ではないから、正直なところ、フランスのプライドをへし折るほどの衝撃というものが、いまいち肌感覚で理解できていないんだが」

その正直すぎる疑問に、防衛担当も「確かに」と頷いた。

「150キロで飛ぶロケットや、ガンが治るナノマシンは、結果が分かりやすいから直感で凄さが理解できる。だが、ただの『発電機』だろう? エネルギー効率が良いというだけで、大国がそこまで絶望するものなのか?」

これこそが、日本政府が抱えていた盲点だった。

彼らはあまりにも長い間、工藤という男の「異常な技術ツリー」のシャワーを浴び続けてきたせいで、テクノロジーに対する基準値が完全に狂ってしまっていたのだ。

科学技術担当閣僚が、少し呆れたような、しかし同情するような顔で説明を引き取った。

「経産相、防衛相。現在、世界の核融合研究というのは、まだ『実用化の遥か手前』の段階にあります。フランスのITERを筆頭に、世界中の先進国が協力し、サッカー場サイズの巨大な施設を作り、数兆円という莫大な予算を注ぎ込んでも、いまだに安定してエネルギーを生み出す『商業炉』には到達していません。プラズマを数秒間維持できただけで大ニュースになる世界です。

そこへ……あの男は、わずか『3メートル四方』の箱の中で、永久機関のように安定して1億度のプラズマを燃やし続ける完成品を出してきたのです」

科学技術担当は、卓を軽く叩いた。

「各国のトップの科学者からすれば、これは『少し進んだ発電機』などという生易しいものではありません。突然、空からUFOが降りてきて、異世界の完成品をポンと目の前に置かれたようなものです。絶望するなという方が無理な話です」

「つまり」

総理が苦笑混じりに言った。

「我々が思っていたよりも、遥かにとんでもない爆弾だったということか」

「はい。水素爆弾よりタチの悪い爆弾です」

科学技術担当が断言した。

日下部が、少し遠い目をして、天井を仰いだ。

「正直に言えば……こちらの感覚も、完全に麻痺していました」

「麻痺?」

総理が問う。

「はい」

日下部は深い疲労を感じさせる声で言った。

「工藤氏のデタラメな技術ツリーにおいては、あのヤタガラスを動かしている『反物質エンジン』があり、その前に重力制御とセットの『常温核融合炉』があり……今回世界に提示した『高温プラズマ型の小型核融合炉』は、さらにその前の世代の技術です。

つまり、我々の脳内では、あのアメリカやフランスが絶望している代物が、『かなりダウングレードした、二世代も三世代も前の型落ち技術』という認識になってしまっていたのです」

室内の何人かの閣僚が、頭を抱えるように顔をしかめた。

「反物質エンジンの、さらに前の、常温核融合炉の前の世代……」

防衛担当がうわ言のように繰り返す。

「その言い方をすると、確かにただの型落ち品に聞こえるが……」

経産担当が脂汗を浮かべる。

科学技術担当が、苦々しい顔でピシャリと言った。

「現代の人類文明から見れば、型落ちどころか『神話の産物』です。基準が違いすぎる」

日下部が、深いため息をついた。

「もしかすると……世界に最初に出すテクノロジーのレベルを、間違えたかもしれませんね。刺激が強すぎました」

総理が少しだけ沈黙し、それから力強く言った。

「だが、出したものは仕方がない。世界はもう、あれを見てしまったのだ」

「ええ」

日下部も頷いた。

「このまま進めるしかありません。我々は後戻りできない」

日下部は気を取り直し、タブレットを操作して次の資料をモニターに映し出した。

「なお、この件に関して、アメリカ側からも非公式な反応が情報機関経由で入ってきています」

「アメリカは何と?」

総理が身を乗り出す。

「極めて難解な科学用語と政治的言い回しに包まれていましたが、かなり噛み砕いて翻訳すると……『核融合炉、自分たちにも理解できないかもしれません』です」

室内に、微妙な沈黙が落ちた。

「あのアメリカが?」

防衛担当が、目を丸くして言った。

「我々から『現物』と『マニュアル』を受け取って、すでに自国で稼働までさせているあの技術大国が、か?」

「はい」

日下部は淡々と答えた。

「彼らのエネルギー省のトップ科学者たちは、工藤氏の核融合炉を解析した結果、『現代の材料工学と物理学から見て、少なくとも500年は進んでいる』と絶望的な評価を下したそうです。当然、自国での 複製(リバースエンジニアリング) は不可能という結論に至っています」

科学技術担当が、やれやれと首を振った。

「フランスの科学者は300年先と分析し、アメリカの科学者は500年先と評価したわけですか」

「誤差の範囲ですね」

経産担当が乾いた笑いをもらした。

「要するに、どっちにしても現行の人類の手に余るオーパーツだということだ」

「その認識で間違いないと思います」

日下部も同意した。

総理が、腕を組んで深く息を吐き出した。

「なるほど。超大国アメリカも、理性の国フランスも、神の火を受け取ったはいいが、熱すぎて扱いきれないと白旗を揚げたわけだ」

総理は、改めてモニターに映されたフランスの提案文書を見つめた。

「フランスは、自らの非を認め、ここまで下りてきた。ならば、彼らのその誠意と、差し出してきたカードに対して、何らかの形で報いるべきではないか?」

外務担当が力強く頷いた。

「同感です、総理。この文書は、誇り高いフランス外交にとって相当な屈辱を伴うものです。それでも彼らは、プライドを飲み込み、ITER、欧州への通路、ギアナ宇宙港、そして安全規格という、極めて実務的で価値の高い手札を差し出してきた。これは無視すべきではありません」

「単なる泣きつきではなく、明確な『取引のカード』を持ってきたということか」

防衛担当が評価する。

「ええ」

日下部が応じる。

「しかも、彼らが提示してきたカードは、どれも我々日本にとって、今後の技術展開において非常に有用なものばかりです」

日下部は、立ち上がってホワイトボードに向かい、マーカーでフランスの手札を四つに整理して書き出した。

「第一に、ITERの人材と施設です」

日下部はボードを叩いた。

「フランスは、我々の小型炉の完成品をそのまま再現することは無理だと悟っています。しかし、もし『現行人類が段階的に理解できるレベルのダウングレード版・教育用核融合炉』が存在するなら、ITERの巨大な施設と、そこに集まる世界最高峰の核融合研究者たちは、最高の『実験場』と『頭脳』になります。教育用・実証用としては非常に便利です」

「なるほど」

科学技術担当が頷く。

「一足飛びに完成品を与えるのではなく、彼らが自力で階段を登るための『教材』を試す場所として、ITERを使わせるわけですね」

「第二に、欧州への政治的通路です」

日下部は次を指差す。

「日本が今後、アンノウン技術を欧州市場に展開しようとした時、必ずEU内の複雑な規制や、技術への恐怖、世論の反発に直面します。ですが、フランスが『協力国』として前面に立ち、EU内の調整や各国への説明の扉役を引き受けてくれれば、我々の負担は劇的に下がります」

「日本が単独で欧州全体を説得して回るより、フランスを『現地代理人』にした方が遥かに楽だということだな」

外務担当が納得する。

「第三に、フランス領ギアナ宇宙センターです」

この項目には、経産担当が目を輝かせた。

「先日アメリカと合意した『宇宙輸送パッケージ』の欧州側拠点ですね。赤道近くで打ち上げに有利なギアナ宇宙港を日米の宇宙輸送ネットワークに組み込めるなら、これはかなりの価値があります」

「ええ。宇宙輸送の分野でも、フランス(欧州)の面子を立てつつ、実利を取れます」

日下部が頷く。

「そして第四に、安全規格作りです」

日下部は最後の項目に丸をつけた。

「核融合炉という未知のエネルギーを、本当に世界へ広げ、商業化するなら、いつか必ず国際的な『安全基準』が必要になります。どの規模までを民間利用可能とするか、設置基準はどうするか、事故時の責任の所在は。この面倒なルール作りにおいて、原子力の経験が豊富なフランスが協力すれば、日本は『独自の基準で勝手に危険な神の火を配っている』という国際社会からの批判を避ける『盾』を得ることができます」

「安全規格作りは地味ですが、技術の覇権を握る上では最も重要です」

科学技術担当が強く同調した。

「フランスが入れば、欧州向けの正当性は跳ね上がります」

一通りの説明を聞き終え、防衛担当閣僚が、別の戦略的な観点から口を開いた。

「フランスが核融合炉側に入ると、一番困るのはロシアだな」

総理が興味深そうに顔を向ける。

「ほう。どういうことだ?」

「簡単な理屈です」

防衛担当は地図を思い浮かべるように言った。

「現在、ロシアは石油と天然ガスの輸出によって、欧州に対して強いエネルギー的影響力を持っています。しかし、欧州の雄であるフランスが、日本と共に『次世代のクリーンエネルギー』の理解と実証の最前列に座るとなれば、どうなるか。欧州全体のロシア産エネルギーへの依存度は、劇的に下がります。ロシアのエネルギー外交の息の根を止める最後の一撃になる」

外務担当も同意する。

「安全保障上も非常に悪くありません。フランスをこちら側に深く引き込むことは、結果的に欧州全体の安定と、対ロシアの強力な牽制につながります」

日下部がまとめる。

「フランスを核融合炉チームの末席に加えるメリットは計り知れません。ロシア牽制、欧州市場への導線、国際的な安全規格作り、そして宇宙港。彼らが差し出してきたカードは、どれも非常に使えるものばかりです」

総理は、深く頷いた。

「フランスに花を持たせる価値は、十分すぎるほどある、ということだな」

「はい」

日下部が答えた。

「問題は、何を渡すかです」

科学技術担当が、議論を本質に引き戻した。

「フランスに『学ぶ席』を与えるとして、彼らに何を教材として与えるのか。完成品の3メートル級小型核融合炉をそのまま渡すわけにはいきませんよね?」

「当然です」

日下部は即答した。

「あれは人類側には理解不能なブラックボックスです。現物を持っているアメリカでさえ複製できないのですから、フランスに渡しても混乱を生むだけです。技術的なオーバーフローを起こします」

「ならば、必要なのは……現行人類の技術体系で、段階的に建設・理解できる『核融合炉の設計』ということになりますね」

科学技術担当が思考を巡らせる。

「たとえば、3メートル四方という極小サイズではなく、もっと大型で、効率が悪く、素材への要求スペックが低いもの。それでも、現代の核融合研究のレベルから見れば、数十年から百年分の決定的な大進歩になるような代物です」

「つまり」

経産担当が言葉を引き取った。

「現代文明レベルに合わせた『教育用ダウングレード版』か」

「はい」

日下部が頷く。

「フランスの言葉を借りるなら、文字通り『神の火を学ぶための教材』です」

防衛担当が、少し引きつった顔で言った。

「……それを、またあの工藤氏に設計してもらうと?」

室内に、本日二度目の、何とも言えない嫌な沈黙が降りた。

総理が、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。

「また、彼に無茶を頼むのか……」

「彼に頼まないと始まりません。我々には作れないのですから」

日下部は冷徹な事実を告げた。

「しかし、彼は応じてくれるのか? 自分の作った完璧な完成品を、わざわざ『低性能なデチューン版』に作り直してくれなどと……」

日下部は、そこで少しだけ申し訳なさそうに、咳払いをした。

「実は……今日のこの会議が始まる前に、フランスの提案の概要と、ダウングレード版の必要性について、工藤氏へメールで打診を済ませてあります」

「もう送ったのか!」

総理が目を丸くする。

「はい」

日下部は手元の端末を操作した。

「『フランスが核融合炉を理解できず、教育用のダウングレード版を求めています。彼らはITERやギアナ宇宙港を差し出すそうです。現代人類の技術レベルでも建設可能な核融合炉の設計、作れますか?』と」

「それで、返事は?」

防衛担当が身を乗り出す。

日下部は、モニターに受信タイムスタンプを表示させた。

「送信から、1秒でOKという返事が返ってきました」

地下会議室が、完全に静まり返った。

誰も言葉を発することができず、ただモニターに映る『1秒』という数字を見つめていた。

「……相変わらず、世界の命運を左右する自覚が微塵もない、軽い男だなぁ……」

防衛担当が、毒気を抜かれたようにぼやいた。

「話が速いのは良いことだが……」

経産担当も、複雑な顔で頭を掻く。

「一秒で返せる話なんですか、それは……。普通、国家プロジェクトで何年も揉める内容ですよ……」

科学技術担当が、半ば呆然と呟く。

日下部が、感情のない声で解説する。

「工藤氏にとっては、おそらく『過去に作ったボツ案』の引き出しを開ける程度の、型落ち教材の作成作業に過ぎないのでしょう」

総理が、両手で顔を覆った。

「……その『型落ち教材』で、また世界のエネルギー地図がひっくり返るわけだな」

「おそらく」

日下部は無慈悲に肯定した。

「一応、工藤氏からのメールの文面を共有します」

日下部が、モニターに工藤の返信文を投影した。

『了解です!

現代技術で建設可能なサイズまで落とした核融合炉の設計なら、すぐに作れます。

3m級のやつは材料と制御系がキツいので、人類版は大型施設前提になりますね。

ITERの施設が使えるならちょうどいいと思います。

安全装置は厚めにしておきますね。

出力はだいぶ落ちますけど、練習用なら十分だと思います!』

室内が、三度静まり返った。

科学技術担当が、目を細めてモニターの文字を睨んだ。

「……練習用……」

「練習用核融合炉」

防衛担当が、味を占めるように反復する。

「言葉が強すぎるだろう……」

経産担当が天を仰いだ。

総理が、深い疲労感とともにため息をついた。

「工藤氏は本当に、この現実世界を、自分が作ったゲームの『チュートリアル』くらいに思っていないか?」

「否定は難しいですね」

日下部も、同意せざるを得なかった。