軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第91話 星条旗の傲慢と無欠の修復者

アメリカ合衆国、ワシントンD.C.。

冬の足音が確実に近づいていることを告げる冷たい雨が、ポトマック川の水面を無数に波立たせ、ホワイトハウスの堅牢な外壁を執拗に叩きつけていた。

西棟(ウエストウイング) の深部、大統領のプライベートな空間であると同時に世界最高の権力を行使するための孤独な密室—— 大統領執務室(オーバル・オフィス) 。

分厚い防弾ガラス越しに見える鉛色の空の下、星条旗が濡れて重たげに風に揺れている。室内の暖炉には赤々と薪が燃え、特注のレザーチェアとマホガニーの家具が放つ重厚な香りが、この部屋に漂う政治の生々しさをわずかに中和していた。

第47代アメリカ合衆国大統領、ロバート・“ボブ”・ウォーレンは、レゾリュート・デスクの上に広げられた極秘のインテリジェンス・レポートを読み終え、ゆっくりと、そしてどこか滑稽なものを見たかのように皮肉な笑みを口元に浮かべた。

彼の向かいのソファには、首席補佐官のダグラスと、CIA長官のエレノア・バーンズが、隙のない姿勢で座っている。彼らもまた、大統領がたった今読み終えたレポートの全容を完全に把握し、同じように冷ややかな感想を抱いていた。

「……なるほど。ロシアの熊は、今度は中国の龍に噛みついたみたいだな」

ウォーレンは、書類をデスクの上に放り投げ、コーヒーカップを手に取りながら言った。

「アメリカで痛い目を見たから、今度は東のアジアなら何とかなると思ったか。結果は見事なまでの 虐殺(マサカー) だ。中国の国家安全部(MSS)に完膚なきまでに叩き潰されたな」

「ええ。まさに一方的な狩りでした」

エレノアが、氷のような無表情のまま応じた。

「中国全土に潜伏していたSVRとGRUの工作員、および彼らの協力者ネットワークは、昨夜のわずか数時間で物理的に消滅しました。中国当局は『逮捕』という手続きすら踏まず、抵抗する者はその場で射殺、あるいは拉致して闇から闇へと葬り去りました。……彼ららしい、人権という概念が微塵も存在しない、極めて効率的な掃除です」

「まあ、事前に中国の李総理から『我々の庭に迷い込んだ熊の群れを駆除する。少々騒がしくなるが心配するな』と、ご丁寧な通告があったからな」

ウォーレンは喉の奥で笑い声を立てた。

「あのプライドの高い中国が、わざわざ我々と日本に事前連絡を入れてから行動を起こすとは。彼らも随分と行儀が良くなったものだ。おかげでこちらは、中国国内で何が起きても『我関せず』を貫く大義名分が立った。……ロシアの工作員が何百人死のうが、アメリカの知ったことではないし、外交問題に発展することもない」

「ロシアのボグダノフ大統領は、今頃クレムリンの地下で頭を抱えているでしょうね」

ダグラスが、薄笑いを浮かべながら推測した。

「アメリカだけでなく、中国までもが自分たちの隠密行動を完全に察知し、先回りして潰してきた。……彼らは間違いなく、『中国にもあの“監視システム”があるのか』と戦慄しているはずです。自分たちだけが目隠しをされ、世界中の大国から丸裸にされているという絶対的なパラノイア。その恐怖は、どんな経済制裁よりも彼らの精神を確実に蝕んでいきます」

「自業自得だ。……まあ、ロシアのことはもうどうでもいい」

ウォーレンは、まるでテーブルの上のパン屑を払い落とすかのような軽い手つきで、空を払った。

「もはやロシアは、我々が真面目に取り合うべきプレイヤーではない。情報戦において完全に周回遅れであり、時代遅れのアナログなスパイ技術にしがみついているだけの没落国家だ。そんな時代遅れのロシアを相手にするだけ、時間とリソースの無駄というものだ」

「同感です、大統領」

エレノアが頷く。

「彼らの通常戦力はウクライナの泥沼で底をつき、インテリジェンスの要であった工作員網も日米中によって完全に破壊されました。彼らに残されたカードは、もはや一つしかありません」

「核兵器か」

ウォーレンの目が、微かに険しさを帯びた。

大国が追い詰められた時、最後にすがりつく絶対的な暴力の象徴。ロシアは世界最大の核保有国であり、そのボタンを押す権限は、パラノイアに陥っているボグダノフの手の中にある。

「せいぜい核兵器が怖いが……まあ、それも結局は使えないカードだ」

ウォーレンはすぐに鼻で笑い、リラックスした姿勢に戻った。

「核兵器を使えば、報復によってロシアという国家自体が地図から消滅する。彼らとて自滅を望んでいるわけではない。それに、今の我々には日本の『グラス・アイ(位相空間レーダー)』がある。彼らが発射サイロの扉を開け、ミサイルに燃料を注入し始めた瞬間に、我々はそれを把握し、先制攻撃で潰すことができる。……もはや核の奇襲すら成立しないのだ。どうせ使えないガラクタの山に等しい」

「はい、そうですね。ロシアの脅威は事実上、封じ込められました」

ダグラスが同意し、話題を転換するタイミングを見計らった。

ロシアという過去の遺物の話はこれで終わりだ。今、彼らが最も注視し、そして渇望しているのは、極東の島国から尽きることなく湧き出してくる「未来の技術」の話である。

「さて、大統領。本日のメインの報告に移らせていただきます」

ダグラスは手元のジュラルミンケースをデスクの上に置き、厳重なロックを解除した。カチャリという金属音が、静かな執務室に響く。

「日本政府の窓口である日下部参事官から、新たな『テクノロジーの共有』に関する申し出がありました」

「ほう?」

ウォーレンの目が、子供のように好奇心に輝いた。

日本からの贈り物。それは常にアメリカの常識を破壊し、そしてアメリカの覇権を強固なものにする劇薬であった。不老不死の医療用キット、戦場を無双するMK3、そして世界を透視する監視レーダー。

次は何だ。空飛ぶ空母か、それとも気象を操る兵器か。

「今度は何を持ってきた? また我々の度肝を抜くようなオーパーツか?」

「ええ……。これもまた、世界の常識をひっくり返す代物です。名称は『リペアキット(Repair Pack)』」

ダグラスがケースの蓋を開けた。

緩衝材の中に収められていたのは、医療用キットのような注射器ではない。無骨な金属製のシリンダーに取り付けられた、スプレーガンやコーティングガンのような形状のデバイスだった。全体的に無機質なグレーで塗装されており、側面には日本の製造元のロゴなどは一切なく、ただ機能を示す記号だけが刻印されている。

「リペアキットねぇ……。名前からして修理用の道具のようだが、その効果は?」

ウォーレンはデバイスを手に取り、その重量感と冷たい金属の感触を確かめた。見た目は自動車の塗装に使うスプレーガンのようだが、そこから発せられる異質なプレッシャーは、これがただの工具ではないことを物語っている。

「そうですね……。一言で表現するなら、『物限定のバンドエイド』といった感じでしょうか」

ダグラスが、日本側から提供されたマニュアルのデータをタブレットで表示しながら説明する。

「このデバイスの中には、医療用キットに似た極小のナノマシン群が、特殊なゲル状の溶媒と共に封入されています。しかし、医療用が『有機体(人間)』の細胞を修復するのに対し、こちらは『無機物(機械や建築物)』の構造を修復することに特化しています。……物の消耗や破損を、ナノマシンが原子レベルで再構築し、自動修復するという効果ですね」

「……物の消耗を修復する?」

ウォーレンは眉をひそめた。

「つまり、壊れた機械にこれを吹き掛ければ、直るということか?」

「単に直るというレベルではありません、大統領」

エレノアが、科学技術的な観点からの分析を補足した。

「例えば、戦闘で被弾して装甲に大きな穴が開いた装甲車があるとします。このリペアキットをその損傷箇所に噴射すると、ナノマシンが即座に周囲の材質を分析し、空気中の炭素や微細な金属粒子、あるいはデバイス内に蓄えられた予備素材を利用して、欠損した装甲を完全に『復元』します。……凹みや穴が塞がるだけでなく、金属の分子結合レベルで新品同様の強度を取り戻すのです」

「……新品同様に、だと?」

ウォーレンの顔色が変わった。

それは、単なる「便利な修理道具」という言葉では済まされない事態だ。

「装甲だけではありません。エンジン内部のギアの摩耗、焼き切れた電子回路の断線、熱で歪んだ砲身。ありとあらゆる物理的・電子的な損傷を、このナノマシン群が自動的に解析し、元の設計図通りに『再構築』してしまいます。……つまり、このキットがある限り、メンテナンスという概念が不要になるということです」

「メンテナンスが不要になる……」

ウォーレンは、その言葉の持つ途方もない軍事的・経済的意義を即座に理解し、絶句した。

現代の軍隊において、「メンテナンス」とは 兵站(ロジスティクス) の最大のアキレス腱である。

例えば、アメリカが誇る最新鋭の第5世代ステルス戦闘機、F-35ライトニングII。この機体は圧倒的な戦闘力を持つが、その代償として、1時間の飛行につき数十時間の地上での精密なメンテナンスを必要とする。特殊なステルス塗料の塗り直し、複雑なアビオニクスのチェック、エンジンブレードの微細なクラックの検査。それらには莫大な予算と、高度に訓練された専門の整備兵の膨大なマンパワーが割かれている。

海軍の原子力空母も同じだ。定期的なドック入り(オーバーホール)には何年もの時間と数千億円の費用がかかり、その間、空母は海に浮かぶただの鉄の塊となる。戦車も、ミサイルも、全ては「消耗」し「壊れる」という物理法則の 軛(くびき) に縛られているのだ。

だが、もしこの『リペアキット』があれば。

「……戦闘機のメンテナンスは時間がかかりますからね。ステルス塗料が剥げようが、エンジンが焼け付こうが、着陸してこれを吹き掛ければ、数分で新品状態に戻って再び出撃できるということか」

ウォーレンの声が、興奮で微かに震えた。

「これは戦争の概念が変わる超発明ですよ、大統領」

ダグラスが熱っぽく語る。

「我々アメリカ軍の最大の弱点は、高度に複雑化した兵器システムの稼働率(可動率)の低さと、それを維持するための莫大な維持費でした。ですが、このリペアキットがあれば、前線の兵士が整備兵の代わりに、ほんの数分で兵器を完全な状態に復旧できる。兵器のライフサイクルコストは劇的に下がり、稼働率はほぼ100%に達します。……これは、新たな兵器を開発するよりも、遥かに恐ろしい 戦力倍増(フォース・マルチプライヤー) 効果をもたらします」

「なるほど……。日本はまたしても、とんでもないカードを切ってきたな」

ウォーレンはデバイスを両手で持ち、その完璧なフォルムを舐めるように見つめた。

「医療用ナノマシンで『兵士の命』を永遠のものにし、今度はリペアキットで『兵器の命』をも永遠のものにする。……まさに、ポンと出される超テクノロジーということだな。まるで手品師のシルクハットだ。次から次へと、我々の想像を絶する代物が出てくる」

「ええ。次は何が出てくるか、本当に怖いですよ」

ダグラスが、胃のあたりをさすりながら苦笑した。

日本の官僚である日下部がいつも胃薬を手放せない気持ちが、ダグラスにも痛いほどよく分かった。日本から届く報告は、常に世界のパワーバランスを根底から破壊する爆弾のようなものばかりなのだから。

「日本政府は、このリペアキットをどう運用しろと言ってきている?」

「まずはアメリカ軍の限られた兵器——例えば極秘任務に就くステルスヘリや、一部の特殊車両での運用テストを行ってほしいとのことです。医療用キットと同様に、我々アメリカ軍を『巨大なテストグラウンド』として利用する腹積もりでしょう」

「テスト台にされるのは癪だが、この恩恵を前にしては断る理由はないな。……すぐに国防総省の装備局に回し、徹底的にテストさせろ。そして、このナノマシンが『自壊』する前に、成分や構造を少しでも解析できるよう、科学班にも並行して研究させろ。……どうせまた、日本のブラックボックス特有の『触れば溶ける』という嫌がらせが仕込んであるのだろうがな」

「承知いたしました。厳重な管理の下で運用させます」

ダグラスがケースを閉じ、書類にサインを入れた。

これでまた一つ、アメリカ軍は日本の技術という名の「麻薬」に深く依存することになる。

「しかし……」

ウォーレンはコーヒーを一口啜り、深く息を吐き出した。

「まあ、このリペアキットも確かに軍事革命を起こす凄まじい代物ではあるが……。やはり、あの『医療用キット(オリジナル)』には及ばんからな」

大統領の脳裏には、いまだにあの「奇跡」の光景が焼き付いている。

欠損した四肢が生え、不治の病が消え去り、老いた肉体が全盛期の若さを取り戻す。

それは、兵器のメンテナンスや戦争の効率化といった「人間の営み」の枠を超えた、生命そのものへの冒涜であり、神への挑戦だ。

「確かに凄いが、あれが一番ずば抜けている。人間が死を克服し、永遠の命を得る。……あれに比べれば、機械が直ることなど、ただの便利な手品に過ぎないように思えてくるよ」

ウォーレンの言葉には、権力者として、そして一人の老いゆく人間としての、拭いきれない「生への執着」と、医療用キットに対する絶対的な畏怖が込められていた。

だが、その大統領の意見に対し、エレノア・バーンズCIA長官が静かに、しかし冷徹な声で異論を唱えた。

「大統領。私としては、あの『位相空間レーダー(グラス・アイ)』の方が、医療用キットよりも遥かに上の、恐るべきテクノロジーだと思いますけどね」

「レーダーが?」

ウォーレンが怪訝そうに聞き返す。

「ええ。確かに医療用キットは個人の命を救い、権力者を縛り付ける最強のカードです。ですが、それはあくまで『個体』に対する影響に留まります。

しかし、あの位相空間レーダーは違います。半径100キロメートルの空間内のあらゆる情報を、壁を透かし、音を拾い、リアルタイムで完全に掌握する。……情報こそが現代における真の力です。敵の意図を完全に読み取り、彼らが行動を起こす前に潰すことができる。この『全知の眼』の前では、どんな強力な兵器も、どんな優秀なスパイも、そしてどんなに若返った不老不死の権力者でさえも、ただの無力なチェスの駒に成り下がります」

エレノアの碧眼が、情報の持つ絶対的な暴力性を語っていた。

スパイの元締めである彼女にとって、この世のすべての秘密を暴き出す神の眼こそが、最も価値のある、そして最も恐るべきテクノロジーなのだ。

「なるほど、情報機関のトップらしい視点だな。一理ある」

ウォーレンは面白そうに頷いた。

「命を永遠にする薬と、世界のすべてを見通す眼。そして今度は、あらゆる物を永遠に修復し続ける魔法の杖か。……まあ、両方とも凄まじいですよ。いや、どれもこれも現代テクノロジーを完全に超越していますし」

ダグラスが、ため息混じりにまとめた。

「我々は今、日本という国がどこからか見つけてきた『神々の道具箱』から、次々と出てくる魔法のアイテムに振り回されているようなものです。……日本政府の連中は、これほどの力を手にして、一体何を企んでいるのでしょうか」

「彼ら自身も、完全にコントロールできているわけではあるまい」

ウォーレンは窓の外を見つめながら、低い声で言った。

「私が思うに、日本の官僚たちもまた、あのオーパーツを生み出している『何者か』に振り回されているだけだ。彼らは必死になって、その制御不能な力を外交という枠組みに押し込もうとしている。

……そのバランスが崩れた時、世界はどうなるか。日本という国自体が、あのオーパーツの重みに耐えきれずに崩壊するかもしれないし、あるいは我々ごと世界を全く別の次元へと作り変えてしまうかもしれない」

大統領の言葉は、雨音に混じって不吉な予言のように室内に響いた。

アメリカは強くなった。日本の技術を取り込み、ロシアを封じ込め、中国を牽制するだけの絶対的な優位性を手に入れた。

だが、その強さはあくまで「日本の技術」というブラックボックスの上に成り立った砂上の楼閣に過ぎない。

「まあいい。我々は我々のやるべきことをやるだけだ。日本の魔法の道具を最大限に利用し、アメリカの覇権を維持する。……次期大統領のキャサリンには、せいぜい綺麗な表舞台で国民に夢を語ってもらおう。この泥まみれの神の力は、ディープステートが裏でしっかりと管理する」

ウォーレンはコーヒーを飲み干し、決意を新たにした。

世界はすでに、戻ることのできない狂気の坂道を転がり始めている。

不老不死、全知の眼、そして無欠の修復者。

極東の島国から尽きることなく溢れ出すオーパーツの奔流は、やがて地球という惑星の定義そのものを書き換えていくことになるだろう。

雷鳴が再びワシントンの空を引き裂いた。

雨は降り続き、ポトマック川は濁った水を海へと流し続けている。

オーバル・オフィスの三人は、沈黙の中でそれぞれの野心と恐怖を抱えながら、見えない未来へと続く暗闇をただ静かに見据えていた。

第七部 宇宙の産声と狂騒の代償編完