軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第83話 正義の終着点と影の戴冠式

アメリカ合衆国ワシントンD.C.。

この国の首都は、数ヶ月にわたる熱狂と喧騒の嵐が過ぎ去り、一種の心地よい疲労感と新たな時代への期待に包まれていた。

大統領選挙は終わった。

激戦州を次々と制し、圧倒的な選挙人獲得数を誇って勝利を宣言したのは、元連邦検事であり上院議員を務めたキャサリン・ヘイズであった。

彼女の選挙戦は、後半戦において劇的な盛り上がりを見せた。

発端となったのは、軍の極秘治験薬が一部の特権階級に不正流出していたという大規模な汚職スキャンダルだ。

彼女は、持ち前の正義感と検事時代に培った鋭い追及力で腐敗したエリートたちを白日の下に晒すと公約し、大衆の爆発的な支持を集めた。

「一部の者のためのアメリカは終わる。私は法と秩序、そして透明性を取り戻す」。

その力強いスローガンは、分断に疲弊していた国民の心を打ち、彼女を次期大統領の座へと押し上げたのだ。

11月の冷たい風が吹き抜ける中、キャサリン・ヘイズは黒塗りの装甲リムジンの後部座席で、窓の外を流れるワシントンの街並みを見つめていた。

沿道には、まだ彼女の勝利を祝うプラカードを掲げた人々の姿が散見される。

彼女は小さく手を振りながら、自らの内側に湧き上がる重い責任感と誇らしさを噛み締めていた。

彼女は信じていた。

自分の力でこの国を蝕む膿を出し切り、建国の父たちが理想とした真の民主主義国家を再建できると。

軍の汚職を徹底的に解明し、国民の手に政治を取り戻す。

それが彼女に与えられた歴史的使命であると。

「……ヘイズ次期大統領。

まもなくホワイトハウスに到着します」

シークレットサービスの警護官が、事務的な声で告げた。

キャサリンは軽く頷き、濃紺のスーツの襟を正した。

今日の訪問は、政権移行に向けた公式な顔合わせではない。

現職であるロバート・“ボブ”・ウォーレン大統領からの、個人的かつ極秘の呼び出しであった。

「新大統領にのみ伝えるべき重要な引き継ぎがある」。

そう伝えられた時、キャサリンは少しの警戒を抱いた。

ウォーレンは彼女と同じ党の出身であり、表向きは彼女の選挙戦を熱烈に支援してくれた恩人でもある。

だが、彼は老獪な政治の怪物だ。

彼が長年握りしめてきた権力の裏側には、決して表には出せない秘密が山ほどあるはずだ。

(どんな脅しや裏取引を持ちかけられようとも、私は決して屈しない。私は正義のために選ばれたのだから)

彼女は心の中で固く誓い、車がホワイトハウスの地下駐車場へと滑り込むのを静かに見届けた。

厳重なセキュリティチェックを経て、キャサリンはSPの先導で 西棟(ウエストウイング) の奥へと進んでいく。

通常、大統領の執務室であるオーバル・オフィスで行われるはずの会談だが、案内されたのはさらにその奥、地図には記載されていない地下のセキュア・ルームだった。

鉛と電磁シールドで覆われた分厚い扉が開く。

中には、レザークッションの効いた重厚なアームチェアと、磨き上げられたマホガニーのテーブルだけが置かれている。

照明は薄暗く、空調の微かな駆動音だけが静寂を際立たせていた。

「よく来てくれたね、キャサリン」

部屋の奥から、ウォーレン大統領がゆっくりと歩み寄ってきた。

彼は柔和な笑みを浮かべていたが、その瞳の奥には、すべてを見透かすような冷徹な光が宿っていた。

彼は両手を広げ、彼女の勝利を祝うようにハグを求めた。

「おめでとう。

見事な勝利だった。

君の演説は、私のような老いぼれの心すら震わせたよ。

国民は君という新しい希望を選んだ。

これで私も安心して肩の荷を下ろすことができる」

「ありがとうございます、ウォーレン大統領」

キャサリンは冷静に、しかし敬意を込めて彼の手を握り返した。

「貴方のご支援があったからこそです。

貴方が築き上げたアメリカの強さを引き継ぎ、さらに透明で公正な国へと発展させていく所存です。

……軍の汚職スキャンダルに関しても、公約通り徹底的にメスを入れるつもりです」

彼女は、あえてその話題を切り出した。

ウォーレン政権下で起きた不祥事だ。

現職の大統領として、彼がどこまでその事実を隠蔽しようとするのか試す意味合いもあった。

だが、ウォーレンの反応は彼女の予想を裏切るものだった。

「ああ、もちろん。

存分にやってくれ。

腐敗したエリートどもを刑務所にぶち込むのは、君の得意分野だろう。

国民もそれを望んでいる。

君が正義の鉄槌を下すことで、この国は浄化される」

ウォーレンはソファに腰を下ろすよう促し、自らも対面に座った。

「だがね、キャサリン。

今日はその話をするために君を呼んだのではない。

君がこれから座る『大統領』という椅子の本当の重さについて、話をしておきたくてね」

「本当の重さですか」

「そうだ。

君は素晴らしい正義感を持っている。

法を愛し、秩序を尊ぶ。

それは平時において、国民を束ねるための最高の資質だ。

……だが、世界は法では動いていない。

正義だけでは、この巨大な国家を守り抜くことはできないのだ」

ウォーレンの声が一段低くなり、部屋の空気が張り詰めた。

「大統領の仕事とは何だと思う?

国民の生活を豊かにすることか?

法を守ることか?

……違う。

大統領の最大の使命は、『アメリカ合衆国というシステムを、いかなる手段を用いても存続させること』だ。

そのためには、時には法を破り、倫理を捨て、悪魔と手を結ばなければならない時がある」

「……私は、そうは思いません」

キャサリンは毅然として反論した。

「手段を選ばない権力の行使は、最終的に国家を腐敗させます。

我々が守るべきはシステムではなく、アメリカの理念です。

裏取引や非合法な手段に頼れば、いつか必ずそのツケを払うことになる」

「美しい理想だ。

だが現実は、君が思っているよりも遥かに残酷で、そして複雑だ」

ウォーレンは自嘲気味に笑った。

「君は、世界がこれまでのルールで動いていると信じている。

だが、ルールはすでに変わってしまったのだ。

我々の理解の及ばない領域で新たな力が生まれ、世界のパワーバランスを根底から書き換えようとしている。

……アメリカが、これまでのように表の顔だけで覇権を維持できる時代は、とうの昔に終わったのだよ」

「……何をおっしゃっているのか、理解しかねます」

「理解しなくてもいい。

いや、むしろ『理解してはいけない』のだ」

ウォーレンは謎めいた言葉を口にすると、手元のインターホンを押した。

「……入れ」

その合図と共に、部屋の奥にあるもう一つの隠し扉が音もなく開いた。

キャサリンは警戒するように視線を向けた。

そこから現れたのは、二人の人物だった。

一人は見覚えのある女性だった。

氷のように冷たい碧眼と、一切の感情を排した鉄面皮。

中央情報局(CIA)のトップ、エレノア・バーンズ長官だ。

彼女の存在は驚きではない。

インテリジェンスの引き継ぎのために同席するのは当然だ。

だが、もう一人。

エレノアの半歩前を歩くようにして現れた人物を見て、キャサリンは息を呑んだ。

少年、いや青年と言うべきか。

10代後半ほどの若さでありながら、その立ち居振る舞いには、何十年も世界を支配してきた老獪な帝王のような威厳と底知れぬ狂気が漂っていた。

完璧に仕立てられたスリーピースのスーツを着こなし、青白い光を宿した瞳で、キャサリンを見下ろすように見つめている。

「……彼は?」

キャサリンは戸惑いを隠せずに、ウォーレンに尋ねた。

軍のトップでもなければ閣僚でもない。

こんな若者が、大統領の極秘の引き継ぎの場にいるなど、あり得ないことだ。

「紹介しよう。

彼がノア・マクドウェル。

アメリカ最大の軍需産業、タイタン・グループの次期総帥だ。

……そして隣は、知っての通りエレノア・バーンズCIA長官」

ウォーレンはゆっくりと立ち上がり、二人の背後を示すように手を広げた。

「キャサリン。

君にアメリカの真の姿……いわゆる『ディープステート(影の政府)』を紹介しよう」

ディープステート。

その言葉がウォーレンの口から発せられた瞬間、キャサリンの思考は一時的にフリーズした。

彼女は元検事であり、徹底した現実主義者だ。

ネットの掲示板で陰謀論者たちが騒ぎ立てる「影の政府」や「世界を裏から操る闇の組織」といった類のオカルトじみた言説を、心底軽蔑し、鼻で笑ってきた。

政治とは、人と人との泥臭い交渉の積み重ねであり、システムを裏から完全に支配するような一枚岩の組織など、物理的に存在するはずがないと信じていた。

「……冗談でしょう、大統領」

キャサリンは強張った顔で、笑みを作ろうとした。

「ディープステート?

そんな三流の陰謀論を、貴方が本気で口にするとは思いませんでした。

軍産複合体と情報機関の結びつきが強いことは承知していますが、それをオカルトめいた名前で呼ぶのは……」

「陰謀論ではない。

現実だ」

ウォーレンの言葉は、氷のように冷たく、そして重かった。

「大衆が想像するような爬虫類人や秘密結社の儀式などはない。

だが、『法と民主主義の枠組みを超えて、国家の存亡を左右する極秘の技術や外交交渉を完全に独占し、管理するシステム』は実在する。

……彼らがそうだ」

キャサリンは、ノアとエレノアを交互に見つめた。

エレノアは無表情のまま、微動だにしない。

だがノアは、楽しげに口角を上げ、優雅に頭を下げた。

「お初にお目にかかります、次期大統領閣下。

ノア・マクドウェルです。

貴女の輝かしい選挙戦、拝見しておりました。

腐敗したエリートを糾弾し、透明な政府を取り戻す。

……素晴らしい演説でした。

大衆は貴女の『正義』に熱狂し、この国に再び希望を見出しています」

ノアの言葉は賞賛の形をとっていたが、その響きには明らかな嘲弄が含まれていた。

「……タイタン・グループの御曹司が、なぜここにいるのです。

貴方のような民間人が、国家の最高機密の場に立ち入る権利などないはずです」

キャサリンは検事時代の鋭い眼差しを取り戻し、ノアを睨みつけた。

「私が大統領に就任した暁には、軍需産業と政府の不透明な癒着は全て清算します。

貴方たちが裏で何を企んでいるかは知りませんが、私に通用すると思わないでいただきたい」

「癒着ではありません。

これは『役割分担』です」

ノアはソファに腰を下ろし、足を組んだ。

その態度は、目の前にいるのが次期大統領であることを完全に忘れているかのような傲岸さだった。

「キャサリン・ヘイズ。

貴女は正義を愛し、法を遵守する素晴らしい政治家だ。

だからこそ大統領に選ばれた。

だが、この世界には法律や正義といった陳腐な概念では到底太刀打ちできない『異次元の力』が存在する。

他国の主権を無視し、倫理を蹂躙し、地球上のあらゆるバランスを破壊する力。

……それを手懐け、アメリカの利益に変換するためには、清廉潔白な大統領の『表の顔』では不可能なのです」

「……異次元の力?」

「ええ。

貴女が追及している『軍の極秘治験薬の不正流出』。

……あれは我々が用意した、ただのスケープゴート(目くらまし)に過ぎません」

ノアの言葉に、キャサリンは雷に打たれたような衝撃を受けた。

「スケープゴート……?

では、あの薬は軍が開発したものではないと?」

「アメリカの技術力で、あのような神の奇跡を作れるはずがないでしょう」

エレノアが冷ややかに引き取った。

「それは、ある同盟国が未知の領域から引きずり出してきた『本物』のオーバーテクノロジーの欠片に過ぎません。

薬だけではありません。

我々は今、あらゆる手段を用いてその国と繋がり、彼らの技術をアメリカの覇権維持のために利用しています。

……その交渉には、脅迫、暗殺、裏取引、そして超法規的な情報の隠蔽が伴います。

とてもではありませんが、議会に報告し、国民の承認を得て行えるようなものではない」

キャサリンは息を呑んだ。

彼女の信じていた世界が、音を立てて崩れ落ちていく。

軍の汚職スキャンダルは、より巨大な秘密を隠すための煙幕だったというのか。

自分が熱狂的に叫んだ「正義」は、彼らが仕組んだ巨大な劇のシナリオ通りに踊らされていたに過ぎないというのか。

「……そんな存在が……本当にいたなんて……」

キャサリンは震える声で呟いた。

陰謀論を笑っていた自分が、今、その陰謀の中心に立たされている。

タイタン・グループという民間企業とCIAという暴力装置が完全に結託し、大統領の頭越しに国家の最深部を動かしている。

それは民主主義の完全な敗北であり、法治国家の死を意味していた。

「直ちに……直ちにこれを議会に公表し、特別委員会を……!」

キャサリンが立ち上がろうとした瞬間、ノアの冷たい声が彼女を縫い止めた。

「公表してどうします?」

ノアの瞳が、深海のように暗く冷たく輝いた。

「大衆に真実を伝えますか?

『アメリカは、未知のテクノロジーに依存しなければ覇権を維持できない状態にある』と?

『我々の知らないところで、一部の人間だけが不老不死の恩恵に預かっている』と?

……そんなことをすれば、アメリカは一瞬で崩壊しますよ。

暴動が起き、経済はストップし、同盟国は離反し、中国やロシアがここぞとばかりに牙を剥く。

貴女が愛する『法と秩序』は、真実を公表した瞬間に塵となるのです」

「……っ!」

キャサリンは言葉を失った。

ノアの言う通りだ。

真実が常に正義であるとは限らない。

時には、真実こそが国家を滅ぼす猛毒となる。

彼女は検事として、「真実を明らかにすること」が絶対の善だと信じて生きてきた。

だが今、彼女の前に提示されたのは、「真実を隠し通さなければ国が滅ぶ」という絶望的なパラドックスだった。

「キャサリン。

彼らの言う通りだ」

ウォーレン大統領が静かに、しかし重みのある声で言った。

「私が彼らを君に紹介したのは、君を彼らの仲間に引き入れるためではない。

君には、この真実から『目を背けてもらう』ためだ」

「……目を背ける?」

「そうだ。

君はアメリカの顔だ。

君はこれからも、何も知らない清廉な大統領として、国民の前で正義を語り、法を守るポーズを取り続けなさい。

君が光の当たる場所で国を率いる限り、国民は安心する。

世界もアメリカの威信を信じる。

……その後ろ暗い影の部分は、彼らが全て引き受ける」

ウォーレンは、ノアとエレノアを指し示した。

「彼らがディープステートとして、泥にまみれた交渉や非合法な脅威の排除を行う。

君はそれに一切関与しなくていい。

報告を受ける必要もない。

君の正義感や手が血で汚れることはないのだ」

それは究極の免罪符であり、同時に究極の無力化だった。

大統領でありながら、国家の真の力からは完全に疎外される。

権力という名の豪華な籠の中で、何も知らずに囀るだけのカナリアになるということだ。

「……そんなこと、許されるはずがありません。

私が最高司令官です。

私が全ての責任を負うべきです!」

キャサリンは必死に抵抗した。

だが、ノアは静かに立ち上がり、彼女の目の前まで歩み寄った。

彼の纏う空気が、周囲の温度を急激に下げていくような錯覚を覚える。

「責任ですか。

貴女に、人類の進化の行き先を左右する技術の管理ができると?

倫理観に縛られ、人権を気にし、世論の顔色を窺う貴女に、世界のパワーバランスを冷徹に切り捨てる決断ができると?」

ノアはキャサリンを見下ろした。

「我々は、 大統領(あなた) さえ知ってはいけない暗部を代行するだけです。

貴女は光の中で美しく踊り続けてください。

我々は影の中で世界を統治します。

……それが、アメリカ合衆国が生き残るための唯一の最適解なのですから」

ノアの宣告は、冷酷な事実としてキャサリンの胸に突き刺さった。

彼女は全身の力が抜けるのを感じ、ソファに崩れ落ちた。

勝ったはずの選挙。

手に入れたはずの世界最高の権力。

だが、その頂点に立ってみれば、そこには自分が到底及ばない「影のシステム」がすでに完成し、自分を単なる部品として組み込もうとしていた。

「……私は……」

キャサリンの震える唇から、言葉が漏れる。

彼女は理解してしまった。

もはや後戻りはできない。

自分がこの「影」を否定すれば、国が壊れる。

アメリカという国家は、すでに正義や民主主義という旧時代の衣を脱ぎ捨て、未知のテクノロジーと結託した狂気の怪物へと変貌していたのだ。

「歓迎しますよ、大統領閣下」

エレノアが氷のような笑みを浮かべて言った。

「ようこそ、真のアメリカへ」

窓の外では雷鳴が轟き、ワシントンの空を青白く照らし出した。

大統領選挙の熱狂の裏側で、静かに、そして絶対的な力を持って、影の戴冠式が行われた。

新たな大統領は光の仮面を被り、そしてタイタン・グループという怪物は、アメリカの暗部を完全に掌握した。

極東の島国から始まった「魔法」は、アメリカ合衆国の民主主義というシステムすらも、都合の良いカバーストーリーへと作り変えてしまったのである。

誰も知らない。

世界がすでに、見えない糸で操り人形のように踊らされていることに。