軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

伊勢松坂屋松坂本店で話し合いはさらに続く。比叡山との落としどころの話。博之の野望は全国津々浦々に飯の道を広げること

松阪本店の奥座敷で、地図を囲んだ話は、さらに広がっていった。

比叡山との落としどころ。

最初は、伊勢松坂屋の人を狙わない、飯場を荒らさない、六角や三好の領内での商いを認める、

というあたりを考えていた。

だが、博之は首をひねった。

「うーん。落としどころはな、たぶん何かの飴がないと無理やと思う」

お花が聞き返す。

「飴、ですか」

「そう。庭を荒らさないでください、飯場を壊さないでください、だけやと、

向こうからしたら面白くない。比叡山の面子もある。だから、どこかで“得”がないと、

手打ちにならん気がする」

ヨイチが帳面を開いた。

「では、何を渡すのですか。銭ですか」

「銭は直接は出さん。そこは曲げたらあかん」

博之は地図の北近江を指した。

「たぶん、中継役になるのは浅井やと思う。あるいは朝倉。で、落としどころとして、

浅井や朝倉の領地で飯を出すことを認めてもらう、みたいな話ちゃうかな」

「比叡山と揉めた結果、浅井や朝倉の領内に飯場を出す許可を得る、ということですか」

「そう。浅井は取れると思う。朝倉はちょっと分からん」

古参衆の一人が眉を上げた。

「また話が北へ伸びますな」

「伸びるな」

博之は少し楽しそうに言った。

「わし個人的には、敦賀が気になる」

「敦賀ですか」

「要は日本海や。海に面してる。港がある。そこに市や拠点があれば、魚のすり身揚げができるやろ」

お花が呆れた顔になる。

「また食べ物の話ですか」

「飯屋やからな。日本海やと、マグロはないかもしれんけど、魚はある。すり身揚げはできる。

あら汁もできる。寒いところで魚のあら汁は強いぞ」

ヨイチが書き込みながら言う。

「日本海の魚を使ったすり身揚げ、あら汁。敦賀方面の可能性」

「そうそう。タコとイカがどれぐらいあるかは分からへん。海鮮焼きができれば

火力が上がるんやけどな」

「火力という言い方はやめてください」

「売れる力や」

古参衆の古参が、少し笑った。

「旦那様、先々何がしたいんですか」

その言葉で、座敷が少し静かになった。

古参は続けた。

「京都や堺で、砂糖と小豆の安定供給を得たいというのは分かります。

甘味を作りたいというのも分かります。けど、最近の動きを見ていると、それだけではない気がします」

別の者も頷いた。

「松阪の郊外で始まった飯屋が、今や京都、堺、近江、紀州、日本海まで話を広げている。

正直、旦那様がどこを見ているのか、分からなくなる時があります」

博之は少し黙った。

それから、麦茶を一口飲んで言った。

「じゃあ、言うとこうか」

お花もヨイチも、地図から博之へ視線を移した。

「基本は、隣の土地へ行くことや」

「隣、ですか」

「そう。今ある拠点の隣へ行く。そこで飯を出す。食えへん者がおるなら食わせる。

いい品があるなら買う。作れるものがあるなら作る。そこで人を雇う。市を開く。

それをじゅんぐりじゅんぐりやる」

博之は、地図の松阪から、津、白子、松坂、奈良、堺、京都、草津へ指を動かした。

「最終的には、全国津々浦々まで、伊勢松坂屋の支援の手というか、料理というか、

飯場が届くことが目標や」

場が静まり返った。

それから、お花が呆れたように言った。

「話がめちゃめちゃ大きくなってるじゃないですか」

「そうか?」

「そうです」

ヨイチも静かに頷く。

「全国津々浦々は、大名でも簡単には言いません」

「いやいや。だから、今は畿内を押さえる動きに行ってるやろ」

博之は少し笑った。

「後付けやけどな。なりゆきや。最初から京都だ、堺だ、全国だなんて考えてへん。

けど、気づいたら堺まで行った。京都にも行った。紀州への道も探し始めた。

海の道も使おうとしてる」

「後付けにしては、動きが大きすぎます」

「そうやな。でも、流れとしては見えてきた」

博之は地図を叩いた。

「まず畿内や。京都、堺、大和、近江、伊勢。ここが回れば、飯と荷の道は相当強くなる。堺で砂糖や

小豆、摂津の酒。京都で公家や寺社との筋。大和から浪速、上町。近江から草津、大津、

堅田。伊勢から海。これが回ると、うちの価値は跳ねる」

古参衆が真剣に聞いている。

「だから、浅井や朝倉の領地で商いを認めてもらうことには意味がある。北近江、敦賀、

日本海。そこが開けば、また飯が変わる」

「美濃はどう見ますか」

ヨイチが聞く。

「美濃も大事やな。美濃ができて、大和や近江とつながれば、内陸の物流が回る。

味噌、紙、木材、野菜、漬物、いろいろあるやろ。物流が回るということは、

価値が上がる場所が出るということや」

「価値が上がる場所」

「そう。今まで埋もれていたものが、別の場所へ運ばれることで価値を持つ。

海の魚が内陸で高くなる。山の木材が港で使える。小豆や砂糖が飯屋の甘味になる。そういうことや」

お花が少し感心したように言った。

「飯屋というより、道を作っているんですね」

「飯を出すためにな」

博之は笑った。

「紀州の船が行けるなら、次は但馬の先はどうか、日本海側はどうか、

という話になる。敦賀が見えたら、その先も見える。けど、そこから先は知らん」

「知らん、ですか」

「知らんというか、やることは変わらん。隣へ行けるなら行く。飯を出す。

困ってる人を拾う。いい品を買う。拠点を作る。これを繰り返すだけや」

古参が腕を組んだ。

「それを繰り返した先が、全国津々浦々」

「まあ、最終的にはそこに行き着くかな、という話や」

お花は小さく息を吐いた。

「旦那様、本当に話が大きいです」

「大きいけど、やってることは小さいで。今日の飯を出す。隣の寺に炊き出しをする。

隣の港で魚を買う。隣の町で市を開く。それだけや」

ヨイチが言った。

「その小さいことを、延々と積み重ねるわけですね」

「そうや」

博之は、ヨイチを見た。

「本当は、大名の動き、寺社仏閣の動き、伊勢の筋、三好、六角、浅井、朝倉、織田、北畠、

その辺までみんなが頭に入れて動いてくれるのが一番ええ」

「それは、かなり難しいです」

「分かってる。そこまでは求めん」

博之は、古参衆にも目を向けた。

「まずは、催し物をちゃんと回す。近隣の炊き出しを止めない。飯を待ってる人に飯を出す。

拠点ごとに小さな判断をする。当たり前のことを当たり前にやってくれるだけで、

わしの夢には近づく」

お花が静かに頷いた。

「拠点が増えれば、収入も増える。人も増える。伊勢松坂屋の格も上がる」

「そうや。どこまで大きくするのが正解かは分からん。でも、

小さくせせこまるために始めたわけではない」

博之は少しだけ遠くを見るような顔をした。

「もともとはゼロからや。根なし草から始めた。ボロ小屋で飯を炊いて、子どもらに食わせて、

そこから始まった」

座敷が静かになった。

「だったら、生きてる間にどこまででかくできるかやな」

博之は笑った。

「あとは、お前らが頑張ってくれ」

お花が即座に言った。

「急に丸投げしないでください」

ヨイチも静かに続ける。

「旦那様が生きて指示を出すのが前提です」

「分かってる、分かってる」

古参の一人が苦笑した。

「全国津々浦々まで飯を届けるなど、普通なら夢物語です」

「やろうな」

「ですが、旦那様が言うと、なぜか一歩目だけは見えますな」

「一歩目が見えたら十分や」

博之は地図の松阪を指した。

「ここから隣へ。隣からまた隣へ。それだけや」

お花は地図を見つめながら、少し呆れ、少し笑った。

「本当に、とんでもない根なし草ですね」

「根なし草やったから、どこにでも根を張れるんや」

博之がそう言うと、座敷の空気が少しだけ和らいだ。

比叡山との揉め事はまだ終わらない。

浅井、朝倉、三好、六角、朝廷。話はさらに広がるかもしれない。

けれど、博之の中で軸は変わっていなかった。

隣へ行く。

飯を出す。

人を拾う。

品を運ぶ。

また隣へ行く。

それを続けた先に、いつか全国津々浦々がある。

松坂本店の奥座敷で、博之は麦茶を飲み干し、地図を見ながら言った。

「まあ、今日はまず、松坂の飯をちゃんと出そうか」

そのあまりに当たり前の一言に、皆が笑った。