作品タイトル不明
草津の催しの次の日。観音寺城で六角方へ500万文の寄進と領内での乱暴狼藉の際、止めてほしい旨の文を渡す。
翌朝、博之は草津の拠点で朝飯を食べていた。
首筋にはまだ布が巻かれている。お花が朝から何度も替えたもので、博之としては
「もうええやろ」と言いたかったが、言えば怒られるので黙っていた。
膳の上には、また小鉢が並んでいた。
焼きおにぎり。
干物のほぐし飯。
旅人味噌汁。
酢だれ鶏。
湖の小魚の揚げ物。
野菜の炊き合わせ。
漬物。
博之はそれを見て、少し笑った。
「朝から多いねん」
料理番たちは、胸を張った。
「旦那様、これは私らの中でも厳選した六種七品でございます」
「厳選したら減るんちゃうんか」
「減らした結果です」
「これでか」
そう言いながらも、博之は箸を取った。
「うまい、うまい」
焼きおにぎりをかじる。
「これは焦げがええな。旅人向けに任せ印でええ」
ぽん、と焼印。
酢だれ鶏を食べる。
「昨日より酢が丸い。これは見習い印やな。もう一段整えたら任せまでいける」
小魚の揚げ物。
「これはうまいけど、少し油が重い。見習いや」
料理番たちは、真剣に一つ一つ聞いていた。
「ありがとうございます」
「私らも頑張りますので」
「おう。ただ、あんまり気負いすぎたら途中でバテるからな」
博之がそう言うと、お花がじっと見た。
「旦那様がそれを言いますか」
「何がや」
「昨日、一昨日の熱はどうなっているんですか」
「大丈夫やで。」
「気持ちがふわふわしています」
「してへん」
「しています」
お花は相変わらず心配していた。首筋の傷そのものよりも、博之がまた変なところで
腹をくくるのではないかと、それが怖いのだろう。
ヨイチは帳面を閉じながら言った。
「今日の段取りは、観音寺ですね」
「うん。六角に筋を通しに行く」
博之は茶を飲んだ。
「弁当を十個ほど持っていこう。飯屋として行くんやから、手ぶらはあかん」
「後日、五百万文を送る旨の文もですね」
「そうや。すぐに全部持っていくわけやない。草津、大津、亀山・関の筋から順々に流す。
ただ、口約束だけではあかんから、文できっちり出す」
お花が言った。
「無茶はしないでくださいね」
「今日は喋るだけや」
「昨日も喋るだけのつもりだったはずです」
「今日はほんまに喋るだけや」
信用されないまま、博之たちは観音寺へ向かった。
弁当十個。
文。
少しの土産。
そして、首筋に布を巻いた大膳亮。
観音寺へ着くと、六角方の取次は、博之の姿を見るなり笑った。
「おう、久しぶりやな、旦那さん」
「ご無沙汰しております」
「北伊勢の騒動の前以来か。今は大膳亮か。偉なったというか、でかなったというか、面白くなったな」
相手は、遠慮なく笑った。
博之は苦笑する。
「私は北伊勢で騒動があったから、それを抑える手伝いをして、官位をいただいて、
その礼の足で京都へ挨拶に来ただけなんですけどね」
「いやいや、もう話は伝わってるで」
「どの話ですか」
「大津で比叡山の神輿と僧兵に会場を荒らされて、首に薙刀当てられても引かずに、
一千万文を三好と六角に撒くと言うた話や」
「広がるの早すぎませんか」
「めちゃくちゃ面白いやないか。金がなくても乗ってやるぐらい面白い話やぞ」
そこで、相手はにやりとした。
「まあ、もらえるもんはもらうけどな」
「それはもちろんです。お金の方は後日と言わず、数日内には動かします」
その場にいた家臣の一人が、思わず引いた顔をした。
「数日内に五百万文を動かすのか」
「一度にではありません。荷と一緒に、筋を分けて流します」
「どれだけ銭を持っておるのだ」
「詳しい金額は言えませんが」
博之は少し困った顔で言った。
「主に伊勢の海沿いで、海鮮焼きというものをやっておりまして。それが爆発的に受けているのと、
鰻屋がかなり受けております」
「ああ、聞いたぞ」
六角方の取次は楽しそうに言った。
「観音寺の下でもやってるよな。二十席だけで、高いやつは五百文。
湯浴みに入れて、昼寝もできるってやつやろ」
「そこまでご存じで」
「そら、あれだけ目立てば聞こえるわ。いろいろ考える飯屋やな」
「飯屋ですので」
「で、今度は比叡山と戦争か」
「戦はしません」
博之は即座に首を振った。
「うちは兵を持ちません。城も持ちません。ただ、壊されたら粛々と建て直す。
飯を踏まれたらまた炊く。比叡山の周りを、京都郊外、大津、草津、堅田あたりで囲う形にして、
難民が来たら助ける。仕事を出す。それだけです」
「それだけ、なあ」
取次は笑った。
「それが一番えぐいやり方やないか」
「そうですか」
「兵で殴るより、飯と仕事で人を抜く方が効く時もある」
「うちは戦をしたくないんです」
「分かってる。だから面白い」
博之は文を差し出した。
「こちらが、今回のお願いでございます。大津でこのような騒動がありました。伊勢松坂屋は
六角様に戦を求めるものではありません。ただ、六角様の領内にて飯場や市を荒らす者があれば、
治安の維持としてお取り締まりをお願いしたい。そのための協力金として、
五百万文を用意いたします」
取次は文を受け取り、ざっと目を通した。
「うまい書き方やな」
「ヨイチが整えました」
「攻めろとは書いてない。比叡山を討てとも書いてない。ただ、領内の乱暴狼藉を取り締まってくれと」
「はい」
「そして銭は出す」
「はい」
「こっちが治安維持に努めたら、その都度金が入るということか」
「都度都度というわけではありません」
博之は少し慌てて言った。
「まずは納めさせていただきます。できれば、こちらが草津、大津、堅田あたりで
飯場や小さな市をやることもお認めいただきたい。私どもは六角様に迷惑をかけず、
店を粛々とやるだけでございます」
取次は、楽しそうに頷いた。
「比叡山の寺としての振る舞いは、近ごろ目に余るところがある。とはいえ、
こちらもなかなか手が出せん。三好とのこともあるしな」
「承知しております」
「だが、領内の揉め事となれば話は別や」
取次は、わざとらしくすっとぼけた顔をした。
「うちの領内で、飯場を荒らし、市を壊し、民を脅す者がいるなら、止めにいかんとな」
「ありがとうございます」
「しかも、これが観音寺まで来たとなれば、しばらく語り草になるやろうな。
延暦寺の僧兵が飯を踏み、大膳亮が血を流しながら引かなかった。面白すぎる」
「私は面白くないんですけどね」
「当事者はそうやろな」
そう言いながら、相手は弁当を見た。
「で、これは?」
「飯屋として来ましたので。十個ほどですが、よろしければ」
「ほう。これが伊勢松坂屋の弁当か」
弁当を開けると、焼きおにぎり、鶏の酢だれ、小魚の揚げ物、漬物、味噌を利かせた
小さな肉あんが入っていた。
「なるほどな」
取次は一口食べて笑った。
「こりゃ人が集まるわ」
「ありがとうございます」
「飯で人を集め、銭で筋を通し、戦はせず、しかし囲う。ほんま厄介な飯屋や」
「褒められているんですか」
「褒めてる」
「なら、ありがたく受け取ります」
話はそこでひとまずまとまった。
五百万文は順に流す。
六角方は、領内の治安維持として、伊勢松坂屋の飯場や市を荒らす者があれば取り締まる。
草津、大津、堅田での活動は、ひとまず黙認、必要なら協力。
城を出る時、博之はようやく息を吐いた。
「とりあえず、やることはやったな」
お花が隣で言った。
「無茶はしないでくださいね」
「今日はしてへんやろ」
「まだ油断できません」
「信用ないなあ」
「昨日の今日です」
ヨイチは帳面を抱えながら言った。
「次は三好方への筋通しです」
「そっちもやな」
「それと、五百万文を流す段取りをすぐ動かします」
「頼む」
観音寺で昼飯を食べた後、博之たちは草津へ戻ることにした。
途中、道端で少し休みながら、博之は弁当の残りをつまんだ。
「六角は乗ってくれそうやな」
ヨイチが頷く。
「面白がっている面は強いですが、利もあります。治安維持の名目も立ちます」
「比叡山が暴れたら、六角にとっても口実になる」
「はい」
お花は静かに言った。
「でも、これで話が大きくなりました」
「そうやな」
「だから、本当に無茶はしないでください」
博之は首筋の布に触れた。
「分かってる」
「本当に?」
「本当に」
草津へ戻る道は、まだ少し緊張を含んでいた。
だが、博之の中では一つ、筋が通った感覚があった。
大津で荒らされた。
草津で催しを止めなかった。
観音寺で六角に筋を通した。
次は、三好。
そして、堅田。
比叡山の周りに、飯と銭と仕事の道を作る。
武器を持たない飯屋の戦いは、静かに始まっていた。