軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

師範代催し終盤。料理人の心情は様々。会は順調に進み最終審査。催しの収益以上に料理人には得るものがあったなと知る

師範代催しが始まり一刻目が終わった。

鐘が鳴り、客がゆっくりと外へ出ていく。女衆が器を下げ、下働きが慌ただしく洗い場へ運ぶ。

竹串の入った箱は、係の者が抱えて奥へ持っていった。

博之は会場の端で息を吐いた。

「一刻目、なんとか回ったな」

夜市は帳面を見ながら頷いた。

「大きな混乱はありません。器の戻りが少し詰まりましたが、次から洗い場を一人増やせば回ります」

お花も周囲を見ていた。

「お客さんも、思ったより落ち着いていましたね」

「二百五十文払って来る客やからな。爆食いしに来てるというより、

ちゃんと味を見に来てる感じやったな」

実際、客たちは騒ぎすぎることもなく、小皿を手に取り、椀をすすり、

隣の者と小声で感想を言い合っていた。

「これは港飯やな。飯に合うわ」

「こっちの焼き魚は薄いけど、上品や」

「つみれ汁、酒が効いてるな」

「肉あんは重いけど、うまい」

そうやって、自分の舌と相談するように食べていた。

やがて二刻目が始まる。

そして三刻目、四刻目、五刻目。

思ったよりも、会は順調に回った。

もちろん細かな詰まりはあった。

器が一瞬足りなくなる。

竹串の箱をどちらに入れるか迷う客がいる。

城下町向けと港飯向けを取り違えそうになる者がいる。

それでも、女衆と下働き、ヨイチの係決めがよく効いて、大きな混乱にはならなかった。

けれど、料理を出す料理番たちの心は、穏やかではなかった。

自分の小皿が早く減る者がいる。

なかなか減らない者がいる。

同じ焼き魚でも、片方には客が次々と寄り、もう片方は少し残る。

つみれ汁でも、港飯向けの濃い味が早くなくなる刻もあれば、城下町向けの

薄味が静かに評価される刻もある。

料理番たちは、それを横目で見てしまう。

見ないようにしても、見えてしまう。

自分は下手ではない。

任せ印も持っている。

店でも客に褒められたことがある。

それでも、隣の料理が先に減っていくと、胸の奥がきゅっとした。

「……あっちはもう半分ないな」

「うちは、まだ残ってる」

「味、濃すぎたかな」

「いや、薄かったんかもしれん」

「品目の差もある。焼き魚は強い。つみれ汁も強い。酢の和え物は、こういう場では地味や」

自分に言い聞かせる者もいた。

けれど、同じ品目で出している相手が先に売れていくと、言い訳がしにくい。

ある若い料理番は、城下町向けの焼き魚を出していた。

塩は控えめ。

焼き目は薄く、身をふっくら残す。

自分では悪くないと思っていた。

けれど、隣の港飯向けの焼き魚は、強めの塩と香ばしい焦げで、次々に小皿が取られていく。

自分の皿は、まだ三つ残っていた。

胸がざわついた。

客に向かって笑わなければならない。

でも、口元が少し固くなる。

その時、一人の年配の男が皿を取った。

ゆっくりと食べ、目を細めた。

「これ、うまいな」

料理番は、思わず頭を下げた。

「ありがとうございます」

「薄いけど、魚の味がええ。こういうの、わしは好きや」

「本当に、ありがとうございます」

料理番の声が少し震えた。

「今、流れが横目で見えてしまいまして。隣の飯が早く減っていると、

自分の飯に自信がなくなりそうで」

年配の男は笑った。

「そら、あっちは飯をかき込みたくなる味や。こっちはゆっくり食う味やな」

「ゆっくり食う味……」

「自信持ってええで。これ、うまいで」

男は、竹串を三本、その焼き魚の箱へ入れた。

料理番は、深く頭を下げた。

「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」

「礼言いすぎや。うまかったから入れただけや」

そう言って男は、次の椀を取りに行った。

その料理番は、少しだけ背筋を伸ばした。

別の場所でも、似たようなことがあった。

すり身揚げを出していた女の料理番は、派手なうなぎ飯や肉あんに客を取られているように

感じていた。

小さく丸めたすり身揚げは、見た目が地味だった。

けれど、子ども連れの女が一口食べて言った。

「これ、ええな。子どもでも食べやすい」

「ありがとうございます」

「油も重すぎへん。家で出したいくらいや」

その一言に、料理番の顔が明るくなった。

「それを目指して作りました」

「なら、ちゃんと届いてるで」

竹串が一本、箱に入る。

一本だけだった。

けれど、その一本は重かった。

料理番たちは、この催しが単なる人気取りではないことを、少しずつ知っていった。

早く売れる飯がある。

派手な飯がある。

濃い味が強い刻もある。

薄味が静かに刺さる客もいる。

竹串が五本まとめて入る飯もあれば、一本ずつ丁寧に入る飯もある。

そのどれもが、客の正直な反応だった。

博之は、会場を歩きながらそれを見ていた。

「料理人の顔、ええな」

お花が隣で言った。

「緊張していますね」

「うん。でも、こういうの必要やな」

「褒められるだけでは分からないことがあります」

「せやな。客に選ばれる怖さもある。選ばれない悔しさもある。でも、

一人でも“うまい”って言ってくれたら、また立て直せる」

ヨイチが帳面に書きながら言った。

「これは、師範代を見る場であると同時に、料理人の心を見る場でもありますね」

「心か」

「はい。売れ行きが悪い時に腐るか。客に礼を言えるか。隣の料理人を妬むだけで終わるか。

自分の味を説明できるか。そういうものが見えます」

博之は頷いた。

「師範代は、腕だけやないな」

「その通りです」

五刻目が終わる頃には、会場は少し落ち着きを取り戻していた。

客たちは満足そうに帰っていく。

「次もあるんか」

「今度は港飯だけでやってほしいな」

「城下町向けの薄味も悪くなかった」

「竹串、五本じゃ足りんわ」

「身内贔屓なしって言われたけど、ちゃんと飯で迷ったな」

そんな声が聞こえる。

料理番たちは、疲れ切っていた。

火の前に立ち続けた者。

味を何度も確かめた者。

客に説明し続けた者。

売れ行きに一喜一憂した者。

竹串が入る音に、胸を跳ねさせた者。

皆、くたくただった。

けれど、その顔には、どこか充実感があった。

日が傾き、夜の準備に入る。

奥では集計係たちが、品目ごとの箱を開けて竹串を数えていた。

焼き魚・城下町向け。

焼き魚・港飯向け。

つみれ汁・城下町向け。

つみれ汁・港飯向け。

肉あん。

焼きおにぎり。

すり身揚げ。

酢の和え物。

混ぜ飯。

箱ごとに竹串の山が違う。

多いものもあれば、思ったより少ないものもある。

集計板に、名前と品目と本数が書き込まれていく。

料理番たちは、遠巻きにそれを見ていた。

見たい。

でも、怖い。

自分の名前がどこにあるのか知りたい。

でも、低かったらどうしよう。

そんな顔だった。

やがて夜市が、集計板を確認しながら言った。

「各品目の上位者を、奥へ呼びます」

会場の空気が、また少し張り詰めた。

ここからが、師範代の最終審査である。

客の竹串だけで決まるわけではない。

博之、お花、ヨイチ、古参衆が、小皿で改めて食べる。

味。

安定。

説明。

出し方。

人に教えられる見込み。

それらを見る。

博之は、少し疲れた顔で立ち上がった。

「よし。夜の部やな」

お花が小さく笑う。

「旦那様、ここからまた食べますよ」

「分かってる。だから小皿にしてくれ」

ヨイチが淡々と言った。

「最終審査です。逃げられません」

「逃げへんよ」

博之は、集計板の前に立った料理番たちを見た。

うれしそうな者。

悔しそうな者。

呼ばれるかどうか、息を詰めて待つ者。

今日一日で、皆少し顔つきが変わっていた。

飯を作るだけではない。

客に食べられ、選ばれ、比べられる。

その怖さと喜びを知った顔だった。

「師範代の会、やってよかったな」

博之が呟くと、ヨイチが頷いた。

「はい。数字以上のものが見えました」

竹串の集計が終わる。

名前が呼ばれる。

一人、また一人と、料理番たちが奥へ進む。

松阪本店の夜は、まだ終わらない。

ここから、伊勢松坂屋の新しい料理人たちが、本当に選ばれていくのだった。