作品タイトル不明
津の城下町→関・亀山・白子の港へ。道中歓待を受けながら試食大会が続く。北伊勢の国人衆から近況を聞く。
津の城下町で迎えた朝は、妙に気合いが入っていた。
博之が店の奥の部屋から出てくると、すでに座敷には膳が並んでいた。
焼き魚、肉あん、つみれ汁、干物の混ぜ飯、焼きおにぎり、海藻の和え物、少しのうなぎ飯、
汁物が二種類。
博之は、膳を見た瞬間に顔をしかめた。
「おいおい、また試験会場みたいになってるやんけ」
料理番たちは、そわそわしながら頭を下げた。
「旦那様に見ていただける機会ですので」
「気持ちはありがたいけどな。こんなに多かったら困んねん。俺を太らせるなって言うたやろ」
お花が横で静かに言った。
「津にも伝わっていなかったようですね」
「伝えといてくれよ」
「伝えました。ですが、皆さん張り切ります」
「張り切りすぎや」
とはいえ、食べないわけにもいかない。
博之は箸を取り、ひと口ずつ確かめていった。
「この焼き魚はうまいな。火の通し方がええ。港の魚と城下町の客に合わせてる感じがある」
料理番の顔が明るくなる。
「ありがとうございます!」
「任せ印でええやろ」
ヨイチが木札を出し、焼印を押す。
じゅ、と小さな音がして、木札に印が残った。
周りの者たちが小さく湧く。
次に、干物の混ぜ飯を食べる。
「これは……塩気が強いな」
「申し訳ございません」
「いや、悪くはない。荷運びとか汗かく人にはええ。でも城下の朝飯としては少し濃い。
街道向けと城下向けで分けた方がええ」
ヨイチがすぐに帳面へ書く。
「津混ぜ飯、街道向け濃口、城下向け薄口」
「そうそう」
つみれ汁を飲む。
「これは味が薄いんちゃうか」
料理番がびくりとした。
「魚の味を出そうと思いまして」
「分かる。けど、客はそこまで繊細やない。もう少し味噌か酒を利かせてもええ。
見習い印やな。方向は悪くない」
「はい!」
そうやって、朝餉は完全に試食会になった。
博之がぶつぶつ言いながら食べ、お花が横から食べやすさを見て、ヨイチが記録し、
古参衆が小さく頷いたり首をひねったりする。
見習い印。
任せ印。
時には保留。
津の料理番たちは、喜んだり、悔しがったり、次は必ずと拳を握ったりした。
「ほんま、どこ行ってもこれになるな」
博之がぼやくと、お花が笑った。
「旦那様が焼印制度を始めたからです」
「俺が悪いんか」
「はい」
「即答やめて」
朝餉の後、博之は津で働く若者たちを何人か呼んだ。
中には、かつて長野家の領内で働いていた者もいる。北畠に取り込まれ、伊勢松坂屋の流れの中で
仕事を得た若者たちだった。
「最近の津はどうや」
博之は茶を飲みながら聞いた。
「長野家やった頃と、今の北畠の下では、何か変わったか」
若者たちは少し顔を見合わせた。
そのうちの一人が、慎重に口を開いた。
「物流の流れは、抜群に良くなりました」
「抜群に、か」
「はい。正直、北畠に取り込まれる前に、旦那様が郊外と港の方を増やしてくださっていたのが
大きいです。城下町だけでは、ここまで回らなかったと思います」
「城下町より、港と郊外か」
「はい。津は城下も大事ですが、港と郊外が強いです。荷が通ります。人も通ります。
城下町だけ見ていると、津の強さを少し見誤る気がします」
博之は深く頷いた。
「なるほどな」
ヨイチが帳面に書き込む。
「津、港・郊外優位。城下町追加希望あり」
別の若者が言った。
「城下町も、もう一つ店があれば助かります。今の店はよく回っていますが、
客の流れに少し追いつかない時があります」
「そうか。いきなり増やすとは言わんけど、考えとく」
博之は地図を見た。
「津はほんまにいい位置やからな。伊賀へ行く道にもなる。北伊勢から回るにもいる。
港もある。今後、京都や近江を見るなら、絶対大事になる」
「はい」
「丁寧にやってくれ。ここが緩むと、伊勢の北側が詰まる」
若者たちは深く頭を下げた。
「承知しました」
その日、博之たちは津を出て、亀山、関、白子方面へ向かった。
北伊勢の入口。
伊賀へ向かう道。
尾張や近江を意識する者たちの通り道。
どの場所も、単なる地方の拠点ではなかった。
亀山では、国人衆の一人が挨拶に来た。
「旦那様のおかげで、荷の流れが分かりやすくなっております」
「うちの店が、ですか」
「はい。飯場があると、人が止まります。人が止まると、荷の話ができます。
荷の話ができると、次に何が足りないか分かります」
「なるほど」
「正直、伊勢松坂屋が入ったことで、この辺りの価値は上がっています」
別の者が少し苦い顔で言った。
「ただ、北伊勢連合としてまとまってどうこう、となると、まだまだ難しいです」
博之は、その言葉に静かに頷いた。
「一年でまとまるもんでもないでしょうしね」
「はい。国人衆それぞれに思惑があります。蟹江のこともありますし、長野のこともありますし、
織田と北畠の間で揺れている者もおります」
「北畠に寄るか、織田に寄るか、ですか」
「いずれは、その流れになるかもしれません」
博之は、あえて深く踏み込まなかった。
「そこまでは、私らは関与できません」
国人衆は、少し意外そうに博之を見た。
博之は続ける。
「私は飯屋です。兵は持ってません。国も持ってません。ただ、物流だけはちゃんとやります。
飯場を止めない。荷を動かす。食えるところを作る。それはやります」
「それだけで十分、影響はあります」
「そこが怖いところですね」
博之は少し苦笑した。
「ただ、荒らすためにやってるわけじゃないんで。食える道を作るだけです」
関でも、同じような話になった。
伊賀へ抜ける道の話。
雨の日の足止め。
旅人の寝床。
布団寄進の候補。
そして、ここでもやはり料理番たちが待ち構えていた。
「旦那様、少しだけ見ていただけますか」
「またか」
出てきたのは、焼きおにぎりと肉あんだった。
博之はひと口食べて、目を細める。
「この焼きおにぎり、ええな。味噌だれの焦げがちょうどいい」
料理番の顔が輝く。
「任せ印や」
「ありがとうございます!」
次に肉あんを食べる。
「これはちょっと脂が重い。伊賀へ行く旅人には重すぎるかもしれん。寒い時ならええけど、
今は少しきつい」
「見習いでしょうか」
「見習いやな。味は悪くない。季節で変えろ」
「はい!」
どこへ行っても、いつの間にか小さな料理大会が始まる。
店の者たちは、博之に見てもらいたがる。客も、旦那様が来ていると聞いて遠巻きに見る。
焼印が押されるたびに、空気が少し華やぐ。
博之は歩きながら、ぼそりと言った。
「これ、ほんまに巡回というより、移動式焼印会やな」
お花が笑った。
「それだけ皆、張り切っているんです」
「うれしいけど、腹が重い」
「小皿にしてもらいましょう」
「もう全部ひと口でええわ」
ヨイチが冷静に言う。
「味はひと口で分かるものもありますが、汁物は少し量が必要です」
「厳しいな」
「仕事です」
そして白子へ向かう。
白子の港が近づくにつれて、潮の匂いが強くなった。
鳥羽とはまた違う。
白子は、北伊勢の海の口としての顔がある。船、魚、塩、荷、そして尾張や伊勢をつなぐ気配。
港に入る前に、博之は少し立ち止まった。
「ここも大事やな」
ヨイチが頷く。
「はい。津、白子、桑名、四日市。ここが太くなると、伊勢湾の北側が見えてきます」
「鳥羽は南の海。白子は北の海やな」
「その通りです」
白子の港の店では、すでに一休みの用意がされていた。
干物焼き、つみれ汁、塩魚、少しの酢を使った和え物。
港の者たちが、緊張しながら迎える。
「旦那様、ようこそ白子へ」
「おう。今日は一休みさせてもらうわ」
博之は椀を受け取り、つみれ汁を飲んだ。
「……うまいな」
料理番が息を詰める。
「魚の臭みが少ない。酒、使ったか」
「少しだけ」
「ええ使い方や。白子のつみれ汁、任せ印でええ」
港の者たちが一斉に明るい顔になった。
博之は笑いながら、白子の海を見た。
松阪から津へ。
津から亀山、関へ。
そして白子の港へ。
歩けば、飯が出る。
飯を食えば、土地のことが分かる。
土地のことが分かれば、道が見える。
「ほんま、歩く意味あるな」
博之が言うと、お花とヨイチは、静かに頷いた。
白子の港で一休みしながら、博之はまた次の道を考え始めていた。