作品タイトル不明
津や白子に巡回前に博之が思いつく。月に1度師範代を決める回を催そうと提案する。大事になりそうで不安なヨイチとお花さん
津と白子を何泊かして回る前、博之は畳の上でごろごろしながら言った。
「その前に、ちょっと準備しといてほしいもんがあんねん」
お花とヨイチは、同時に顔を見合わせた。
「旦那様、また何か始めるつもりですね」
「始める」
「やっぱり」
ヨイチは、もう帳面を開いていた。
「今度は何ですか」
「師範代の焼印会や」
その言葉に、近くにいた料理番たちの耳がぴくりと動いた。
「師範代、でございますか」
「そうや。見習い印、任せ印、師範印って分けてきたけど、いきなり師範は重いやろ。
人に教える一歩手前、かなり腕は立つけど、まだ師範ほどではない。そこを師範代にする」
お花が少し目を細めた。
「それを、催し物にするんですね」
「そう。月一回くらいでやりたい」
「また大きくなりそうですね」
「大きくする気はない。最初は試しや」
ヨイチが即座に言った。
「旦那様の“試し”は信用できません」
「今回はほんまや」
博之は起き上がり、指を折って説明し始めた。
「まず、候補になる料理人からは参加費五百文を取る。本気度を見るためや。
ただし、客からの竹串が入れば、その分は戻る」
「客側は?」
「食べに来る人は二百五十文。竹串五本を渡す」
「一串五十文ですね」
「そう。話家会は竹串一本十文やったけど、飯は五十文でええ。五品食べられるしな」
お花が頷く。
「二百五十文で五品なら、高いけれど、特別な会としては分かります」
「そうや。普通の飯を食いに来る人向けやない。伊勢松坂屋の熟練者候補の飯を、
小椀や小皿で食べて、評価する会や」
ヨイチが筆を走らせる。
「会場は?」
「松阪本店か、近くの寺社の広場やな。炊き出し場を借りてもええ。落ちた銭の一部は寄進する」
「時間割はどうしますか」
「朝から一刻ごとの入替制にする」
ヨイチの筆が止まった。
「一刻ごとですか」
「そうや。昼夜二部みたいにしたら、人が固まりすぎる。朝から一刻ごとに区切って、客を入れ替える。たとえば、朝一番、次の刻、昼前、昼過ぎ、夕方、夜。そんな感じで、札を前売りにする」
「一回の枠で何人入れますか」
「最初は三十人から五十人やな」
「妥当です」
「料理人一人につき、一刻で十食から二十食。候補者が十人いれば、
一枠でそこそこ回る。無理に百人二百人を一気に入れん」
お花がほっとしたように言った。
「それなら混乱は少し抑えられそうです」
「やろ」
「少し、ですけど」
「そこは認める」
博之はさらに続ける。
「客は入ったら、まず竹串五本を受け取る。料理は小椀か小皿。品目ごとに場所を分ける。
焼き魚、肉あん、つみれ汁、焼きおにぎり、うなぎ飯、穴子天、海鮮焼き、そういう感じや」
「五品を選べる形ですか」
「そう。全部は食べられへんようにする。五品選んで食べる。で、うまいと思った
料理の箱に竹串を入れる」
「一本ずつでも、五本まとめてでもよい」
「そうや。五品に一本ずつ入れてもいいし、一番うまかったものに五本入れてもいい。
入れ方は自由。ただし、箱の前には係を置く」
「揉め防止ですね」
「絶対いるやろ」
お花が真顔で頷いた。
「いります。誰かが余分に入れたとか、贔屓したとか、絶対に言われます」
「だから、竹串は入場時に五本だけ渡す。追加はなし。係が見る。終わったら入替。次の客を入れる」
夜市がまとめる。
「朝から一刻ごとの入替。各刻ごとに客を出し入れ。竹串五本。料理は小皿小椀。
品目ごとに箱。係を置く。前売り札制」
「それや」
料理番たちは、すでにざわつき始めていた。
「旦那様、それは品目ごとに競うのですか」
「そうや」
博之は頷く。
「全体一番も見るけど、それだけやと、うなぎや穴子みたいな派手な飯が強くなる。
だから品目別に分ける」
「品目別」
「焼き魚の部、肉あんの部、つみれ汁の部、焼きおにぎりの部、うなぎ飯の部、
穴子天の部、海鮮焼きの部。そういうふうにする。竹串は品目ごとの箱で集計する」
夜市が言う。
「夜の部が終わってから、品目別の上位者を集めるわけですね」
「そう。全部の刻が終わって、夜の部が終わってから、竹串上位者を品目別に奥へ呼ぶ」
「各品目、上位何名ですか」
「最初は三名くらいかな。人数が多い品目は五名でもええ」
「奥で最終審査」
「うん。そこで、わし、お花さん、夜市、御三種が小皿で食べる。客に受けたかどうかと、
店の味として安定してるかは別やからな」
お花が頷いた。
「お客さんは派手な味を好むこともあります。最終確認は必要です」
「そうや。塩が強すぎるけど祭りでは受けた、みたいなこともある。師範代にするなら、
普段の店でも出せるか、人に教えられるかを見なあかん」
ヨイチが書く。
「最終審査基準。味、安定、説明、手順、原価、教えられる見込み」
「そうそう」
「師範代印は一品目につき最低三名を目指す。ただし妥協はしない」
「それも書いといて」
料理番の一人が緊張した顔で聞いた。
「旦那様、師範代になったら、人に教える側ですか」
「教える側の手前やな。師範の補助をして、見習いや任せ印の者に手順を見せる。
いきなり全部任せるわけやないけど、かなり重要や」
「なるほど」
「だから、うまいだけではあかん。説明できること。下働きに偉そうにせんこと。
焦げても立て直せること。客の前で慌てへんこと。これも見る」
料理番たちの顔つきが変わった。
ただ飯を作ればよいのではない。
人前で作る。
客に食べてもらう。
竹串で評価される。
さらに奥で、旦那様たちに最終確認される。
それは怖いが、同時に大きな晴れ舞台だった。
お花が言った。
「女衆も食べに行きたいと言うと思います」
「来たらええ」
「二百五十文は高いですけど、五品なら払う人はいます」
「やっぱり来るか」
「来ます」
ヨイチも言った。
「常連も来ます。旦那衆も来ます。料理人の家族も来るかもしれません。前売り札は必須です」
「ほんまにガチャつきそうやな」
「だから一刻入替制です」
「せやな」
博之は少し考えてから言った。
「あと、各刻が終わったら、すぐ片付けや。器を洗う。火を落とす。次の飯を整える。
時間がずれたら全部崩れる」
「鐘か太鼓で区切りましょう」
ヨイチが提案した。
「一刻の終わりに鐘を鳴らす。客はそこで退場。次の札を持つ客を入れる」
「ええな」
「客に渡す札には、刻を書きます。朝一番、二番、三番、昼、夕、夜、のように」
「分かりやすくしよう」
「はい」
お花が言う。
「食べる量も決めましょう。大きすぎると五品食べられません」
「小椀、小皿やな。料理人が盛りすぎたら失格でもええ」
「失格までは厳しいですが、注意ですね」
「俺を太らせた罰や」
「それは旦那様個人の恨みです」
座敷に笑いが起きた。
夜市は最後に整理した。
「第一回師範代焼印会。朝から一刻ごとの入替制。各刻、前売り札制。客は二百五十文で竹串五本。
五品を小皿小椀で食べ、品目別の箱に竹串を入れる。夜の部終了後、品目別の竹串上位者を
奥へ呼び、最終審査。合格者に師範代印」
「完璧やな」
「準備は大変です」
「それは頼む」
「旦那様も挨拶文を考えてください」
「え、俺も?」
「当然です。これは旦那様が始める催しです」
博之は畳に倒れ込んだ。
「津と白子に行く前に、また仕事増えたな」
お花が笑う。
「でも、これはかなり良い催しになると思います」
「やろ」
「ただし、絶対に混みます」
「やっぱりか」
料理番たちは、もう誰がどの品目で出るか話し合い始めていた。
焼き魚で勝負する者。
肉あんで挑む者。
つみれ汁に自信がある者。
うなぎ飯は強すぎるから品目を分けろと言う者。
穴子天は見た目で勝てると笑う者。
座敷は、祭りの前のように熱を帯びていった。
博之はその様子を眺めながら、ぽつりと言った。
「……これ、一刻ごとにしてもガチャつくやろな」
ヨイチとお花は、同時に答えた。
「間違いなく」