作品タイトル不明
松坂の城主から流しそうめん持って来いと言われそうめんと祝いのうなぎ飯を持っていく。飯に回帰して飯屋としてやりたい
松坂の城主から使いが来たのは、流しそうめんの評判が各地へ広がり始めた頃だった。
使いの者は、妙に楽しそうな顔で言った。
「殿が、新しい飯や面白い催しがあるなら持ってこい、と」
博之は、少しだけ目を細めた。
「新しい飯や面白い催しって、もう完全に飯係やないか」
お花が横で笑う。
「今さらですね」
「否定してくれへんのか」
「できません」
使いの者は続けた。
「流しそうめんというものも聞いております。まだ暑いので、できるなら見たいとのことです」
博之は少し考えた。
流しそうめんは、もともと大和八木の方で遊び金から出てきた案だった。三輪そうめんを、
竹を割った樋に流し、井戸水で冷やしながらすくって食べる。子どもも大人も大騒ぎになり、
思った以上に受けた。
「井戸水だけ用意してもらえるなら、できます」
博之は言った。
「竹筒と三輪そうめん、つゆ、薬味は持っていきます」
「それは殿も喜ばれるでしょう」
「あと、秋向けの祝い飯も持っていくか」
ヨイチが顔を上げる。
「豊年うなぎ飯ですか」
「そうや。うなぎと出し巻き卵を細く切って、飯の上に綺麗に敷くやつ。
混ぜる前に見せると、結構映えるやろ」
お花が苦笑する。
「旦那様、最近“映える”を覚えてから使いたがりますね」
「見た目は大事や」
「それはそうですけど」
そうして博之は、竹筒、宮そうめん、つゆ、薬味、そして豊年うなぎ飯の材料を持って、
松坂の城主のもとへ向かった。
屋敷に着くと、城主はすでに庭先を空けさせて待っていた。
「来たか。流しそうめんの飯屋」
「また変な呼び方を」
「お前が変な飯を増やすからや」
「飯屋ですから」
博之は頭を下げながら答えた。
まずは庭に竹を組む。
半分に割った竹を、少し傾けて並べ、上から井戸水を流せるようにした。水は使い回さない。
下の桶へ落ちたそうめんは別に分ける。衛生には気を使う。
「ほう。水を流すだけで、涼しげやな」
上主が感心したように言う。
女衆が上から水を流し、茹でた宮そうめんを少しずつ落とす。
白いそうめんが竹の上を滑る。
家臣たちが、最初は戸惑いながら箸を構えた。
「来ました!」
「取れ!」
「あ、流れた!」
「殿、意外と早いですぞ!」
上主も箸を構え、一本目を逃した。
「思ったより難しいな」
「そこが面白いんです」
博之が笑う。
二度目で城主がそうめんをすくい、つゆにつけて食べた。
「……うまい」
「三輪そうめんです。奈良の方の品です」
「つるつるいけるな。暑い日にはええ」
「子どもも喜びますし、大人も笑います。寄進つきの催しにすると、寺社にも銭が回ります」
「なるほどな。飯というより、場を作る飯か」
「そうです」
流しそうめんは、家臣たちにも受けた。
ただ食べるだけではなく、取れるかどうかで笑いが起きる。失敗しても笑える。
暑い庭先に水音が響き、場が明るくなる。
ひとしきり楽しんだあと、博之は次の膳を出した。
大きめの桶に飯を敷き、その上に細切りにしたうなぎの蒲焼きと、出汁巻き卵を綺麗に並べる。
茶色のうなぎ。
黄色い卵。
白い飯。
「これは何や」
城主が身を乗り出す。
「秋の収穫や祝い事向けに考えている飯です。豊年うなぎ飯、とでも言いましょうか」
「また名前がそのままやな」
「分かりやすさ重視です」
博之は苦笑した。
「桶で出して、最初に姿を見てもらう。そのあと混ぜて取り分けます。うな重ほど
一人向けではなく、みんなで分ける飯です」
「祝いの場には合うな」
城主は、混ぜる前の桶をしばらく見てから頷いた。
「これは見た目もええ。飯が多くても、うなぎと卵があると華が出る」
「毎回できる飯ではありません。けど、収穫の時、正月、開店祝い、寺社への寄進、
従業員の慰労。そういう節目には良いかなと」
「食わせてみろ」
取り分けた飯を、城主が口に運ぶ。
甘辛いうなぎのタレが飯になじみ、出汁巻き卵が味を柔らかくしている。
「うまい」
城主は素直に言った。
「うな重ほど重くない。けど、うなぎを食った満足はある。これは大勢に出すにはちょうどええな」
「ありがとうございます」
「相変わらず、色々飯を考えるな」
「わしは基本、飯屋ですから」
博之はそう言ったあと、少しだけ言葉を止めた。
城主は、それに気づいた。
「どうした」
「いや……最近、それを忘れそうになってまして」
「織田か」
博之は苦笑した。
「はい」
城主は、酒を口に含みながら、黙って続きを促した。
博之は、少しずつ話した。
信長公に穴子を出したこと。
話家見習い会を見せたこと。
その仕組みを、東美濃への調略や炊き出しに使えるのではないかと言われたこと。
土地の飯を聞き、一緒に作り、尾張の豊かさを話す。
それが人の心に染み込み、不満を呼び起こし、戦の前段になる。
「理屈としては分かるんです」
博之は言った。
「でも、自分がよかれと思ってやってる炊き出しや話家会を、
調略の道具みたいに見られるのが、やっぱり辛いんです」
城主は静かに聞いていた。
「私は、困ってる人がいたら飯を出したい。知らない土地の話を聞いて、みんなで笑いたい。
流しそうめんみたいに、子どもが喜んで、大人も笑って、寺社に寄進が入る。
そういうのがやりたいんです」
「それを、戦に使われるのが嫌か」
「嫌です」
博之ははっきり言った。
「もちろん、信長公には信長公の立場があります。戦国の大名ですから、
飯も話も力として見るのは当然かもしれません。でも、私は全部そこに乗りたくない」
城主は、少し笑った。
「だから今日、流しそうめんと祝い飯を持ってきたわけか」
「はい。飯に戻りたかったんです」
「なるほどな」
城主は、豊年うなぎ飯をもう一口食べた。
「まあ、織田殿は織田殿で大変やろう。美濃を取りたい。自分の兵を減らしたくない。銭も欲しい。
使えるものは何でも使いたくなる」
「はい」
「だが、お前が嫌やと思うのも分かる」
博之は少し安心した。
「松坂や伊勢では、そういうことをすぐ言われなかったので」
「それは、こちらが偉いというより、立場の違いやろうな」
城主は穏やかに言った。
「北畠は北畠で盤石ではないが、伊勢には伊勢神宮があり、松坂にも地の積み重ねがある。
お前の飯や市を、すぐ戦の道具にせずとも済む余裕があったのかもしれん」
「そういうことですか」
「それに、面白がっておるところもある」
城主は笑った。
「お前が変な飯を持ってくるのは、単純に面白い」
「変な飯って」
「流しそうめんも、十分変や」
「ウケましたやん」
「ウケたからなおさら変や」
家臣たちが笑った。
博之も少し笑った。
城主は表情を改める。
「ただ、店がここまで大きくなったなら、仕組みを作るのは正しい」
「焼印や料理頭の話ですか」
「ああ」
「今、料理札を作って、焼印を出して、料理頭を育てようと思っています。
私が毎回行かなくても、伊勢松坂屋として飯を出せるように」
「それは必要やな」
城主は頷いた。
「お前が毎回尾張へ行くのも大変やろうし、誰かに嫌われた時、店が止まるようでは困る」
「怖いこと言いますね」
「お前が先に言うたんや」
「そうでした」
「日頃の気心、挨拶、要望に応えること。それは大事や。だが、全部をお前一人でやるのは無理や」
「はい」
「焼印持ちを育て、料理頭を置き、飯の本を作る。そうすれば、お前が動けぬ時も店は動く」
「そうしたいです」
城主は、流しそうめんの竹を見ながら言った。
「でかくするということは、それだけ内側も厚くせねばならんということや」
「内側を厚くする」
「そうや。拠点が増えた。銭も増えた。人も増えた。なら、仕組みも、人材も、
味の基準も厚くせねば崩れる」
博之は、深く頷いた。
「飯を増やすだけでは駄目ですね」
「そういうことや」
城主は、最後に豊年うなぎ飯を綺麗に食べ切った。
「しかし、これはうまいな」
「ありがとうございます」
「秋には、また持ってこい」
「また飯係ですね」
「飯屋やろ」
「そうでした」
城主は笑った。
「織田と距離を取るにしても、切るにしても、付き合うにしても、まず飯を作れ。
お前は飯を作っている時が、一番まともや」
「まともって」
お花が横で小さく頷いた。
「それは本当です」
「お花さんまで」
城主はさらに笑った。
「流しそうめん、豊年うなぎ飯。どちらもよい。こういう飯を作り続けろ。
戦の話は、必要な時に考えればよい」
博之は、少しだけ肩の力が抜けた。
「はい」
帰り際、城主は言った。
「次は、ふくふく焼きも持ってこい」
博之は目を丸くした。
「もう噂入ってるんですか」
「松坂で、噂が入らぬと思うな」
「二つで九十文、二人で分けると四十五文。始終ご縁がありますように、です」
城主は少し黙った。
「……それは、お前が言うと少し腹立つな」
「なんでですか!」
座敷に笑いが広がった。
流しそうめんの水音と、豊年うなぎ飯の香り。
信長との会談で冷えた心が、少しだけ戻っていく。
やはり、自分は飯屋なのだ。
博之はそう思いながら、松坂の屋敷を後にした。