軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

木下秀吉が伊勢松坂屋での穴子の話と話家会の話を伝える。話家会の有用性に信長が気付き博之を呼ぶように命じる

木下藤吉郎秀吉は、信長の前に控えながら、慎重に話を進めていた。

まずは穴子の話である。

「九鬼水軍より、穴子もなんとかならぬかと無茶を申されまして、伊勢松坂屋の博之殿が

試したそうにございます」

「穴子か」

信長は少し身を乗り出した。

「うなぎの次は穴子か。あやつ、本当に飯を増やすな」

「はい。最初はうなぎのように焼いてみたそうですが、穴子は焼きで押すより、

蒸してふっくらさせた方がよいと見たようです」

「ほう」

「蒸した穴子に薄くタレを塗り、白焼きのようにして酒のあてにする。

それから、蒸したものを天ぷらにして、野菜天とともに飯へ乗せる。穴子天丼という形にしたとか」

「天ぷらにして、飯へ乗せるか」

信長は少し笑った。

「うな重とはまた違うな」

「見た目も大きく、九鬼水軍ではかなり評判だったようでございます」

「それは食いたいな」

藤吉郎は、やはりそう来たかと思った。

「形が整えば、博之殿から改めて知らせるとのことで」

「形が整う前に知らせよと言うたはずだ」

「はっ」

藤吉郎は頭を下げた。

信長は、少し機嫌よさそうに見えた。

だが、藤吉郎が次の話に移ると、その目の色が変わった。

「それと、伊勢松坂屋で妙な会を始めております」

「妙な会?」

「話家見習い会、と申します」

信長は眉を上げた。

「話家?」

「買い付け係や、各地を回った者に、見聞きしたことを座敷で話させる会です」

藤吉郎は、博之から聞いた仕組みを説明した。

客は一人五十文。

竹串を五本渡される。

話を聞き、面白かった者の壺へ串を入れる。

串の数に応じて、話し手へ銭が渡る。

値段は場所によって調整可能。

小さな会なら二十文、三十文でもよい。

話の内容は、大和の葛、奈良の寺社、京都郊外の市、堺の商人、近江の道、尾張や熱田の様子など。

信長は黙って聞いていた。

「それだけではありませぬ」

藤吉郎は少し言いにくそうに続けた。

「下世話な話の会も試したそうですが、これが男衆には大いに受けた一方、

女衆からしこたま怒られたとのことで」

信長の口元が歪んだ。

「何をした」

「身内の女衆を笑いものにするような話が出たようで、泣く者もいたとか。

そのため、今は掟を作っております」

「掟?」

「人を傷つける笑いは禁止。名前を伏せても誰か分かる噂話は禁止。下世話な話は時間と場所を分ける。女衆や子どもが通る場ではしない。話の種類を、旅の話、土地の話、怖い話、男衆向けの話などに

分ける、と」

信長は、とうとう声を出して笑った。

「博之め、飯だけでなく下世話な話でも怒られておるのか」

「そのようでございます」

「お花とかいう女にか」

「はい。かなり厳しく言われたようで」

「目に浮かぶな」

信長はしばらく笑っていた。

だが、笑い終えた後、その目は急に鋭くなった。

「藤吉郎」

「はっ」

「その話家見習い会、ただの遊びではないな」

藤吉郎は、少し背筋を伸ばした。

「はい。私もそう感じました」

「大和、奈良、京都、堺、近江、尾張。買い付け係が見てきたものを、

人前で面白く話す。聞く者は笑いながら覚える。話す者は、どの話が刺さるかを知る」

信長は指で膝を叩いた。

「これは、噂を撒ける」

藤吉郎は黙っていた。

「東美濃に使えるな」

「殿」

「間者としても使える。いや、間者そのものではなくてもよい。飯屋の買い付け係が来て、

茶を飲ませ、蜂蜜饅頭を出し、旅の話をする。そこで尾張の銭払いのよさ、美濃の道の悪さ、

斎藤方の重さ、熱田や瀬戸の賑わいを、面白おかしく語る」

信長の声には、もう完全に戦の色が混じっていた。

「聞いた者は、ただの話と思う。だが、少しずつ染み込む。織田は怖いだけではない。

飯も出す。市も作る。銭も払う。そう思わせられる」

藤吉郎は、思わず顔を上げた。

「殿、それは……」

「何だ」

「博之殿は、それを望んでおりませぬ」

信長は藤吉郎を見た。

「本人は、間者を作るつもりはないと申しておりました。話家会は、あくまで買い付け係の

見聞を共有し、話し方を鍛え、客を楽しませるためのものだと」

「それは分かっておる」

信長は、淡々と言った。

「だが、仕組みを作ったのは博之だ」

「はい」

「なら、説明くらいさせに来い」

藤吉郎は、内心で舌打ちしたい気分だった。

やはりこうなる。

博之が一番嫌がる方向で、信長は価値を見抜いてしまった。

「殿、無理に使えば、伊勢松坂屋の信用を損ないます」

「誰が無理に使えと言った」

信長の声が少し低くなる。

「使い方を考えると言うておる」

「はっ」

「東美濃は、力だけではすぐに落ちぬ。国人衆は腹を探る。寺社は様子を見る。

民は勝つ方を見る。なら、飯と話で染み込ませるのは一つの手だ」

信長は続けた。

「炊き出しをする。市を立てる。瀬戸物を見せる。蜂蜜饅頭を出す。そこで話をする。

大和ではこうだ、熱田ではこうだ、尾張ではこうだ。斎藤に不満がある者ほど、耳を傾ける」

藤吉郎は、信長の言わんとすることが分かってしまった。

それは、ただの調略ではない。

槍を突きつける前に、人の耳と腹を取るやり方だった。

博之が蟹江でやったことに近い。

飯を出し、人を集め、空気を変える。

そこに、今度は「話」が加わる。

「博之殿は、嫌がるでしょう」

藤吉郎は言った。

「嫌がるだろうな」

信長は少し笑った。

「飯屋ですから、戦の道具に使わんでください、と言う顔が浮かぶ」

「はい」

「だが、あやつはすでに飯で戦を止めた男だ。今さら飯と話は戦に関係ありませぬとは言えまい」

藤吉郎は返す言葉を失った。

信長の言葉は乱暴だが、的を射ていた。

蟹江での炊き出し。

北伊勢と織田の休戦。

熱田の門前。

瀬戸物の買い付け。

すべて、戦と商いの境目にある。

博之本人が望む望まないに関わらず、伊勢松坂屋の動きは、もう政治に触れていた。

「呼べ」

信長が言った。

「博之を呼べ。穴子も持たせろ。ついでに、話家会の仕組みを説明させる」

「ついで、でございますか」

「飯がある方が、あやつも来やすかろう」

「それは、確かに」

「それと、東美濃に話を染み込ませる案を考えさせろ」

藤吉郎は、少し焦った。

「殿、あくまで説明で」

「最初はな」

信長はにやりと笑った。

「考えさせるだけだ。実際にどうするかは、こちらが決める」

「それを聞いたら、博之殿はさらに嫌がります」

「なら、嫌がらぬ言い方を考えろ。それがお前の役目だ」

藤吉郎は深く頭を下げた。

「承知しました」

信長は、まだ楽しそうに文を見ていた。

「しかし、面白いな」

「はい」

「飯を売り、湯浴みを売り、昼寝を売り、西瓜を割らせ、今度は話まで売る。しかも、

その話が土地を動かすかもしれん」

信長は、低く笑った。

「博之は、自分が何を作っておるか、分かっておらんのかもしれんな」

藤吉郎は内心で思った。

分かっていないわけではない。

ただ、分かりたくないのだ。

飯屋でいたい。

人を食わせたい。

笑わせたい。

それだけのつもりで始めたことが、いつの間にか大名の戦略に使われそうになっている。

藤吉郎は、博之に出す文の文面を考え始めた。

穴子について、殿が関心を持っていること。

話家会について、仕組みを聞きたいこと。

東美濃へ向け、飯と話で人心に触れる方法がないか、意見を聞きたいこと。

できるだけ柔らかく。

できるだけ、命令に見えないように。

だが、信長の意向であることは伝えねばならない。

「旦那、また頭を抱えるやろな」

藤吉郎は、心の中で呟いた。

信長は、その様子を見て言った。

「藤吉郎」

「はっ」

「博之が来たら、まず飯を食わせろ。腹が減っておれば、余計に文句を言う」

「承知しました」

「そして言え。これは戦のためだけではない。東美濃の者に、織田の世の方が飯がうまいと

思わせるためだとな」

藤吉郎は、思わず苦笑した。

「それは、博之殿には一番効く言い方かもしれませぬ」

「だろう」

信長は満足そうに頷いた。

「飯屋には、飯屋の理屈で動かせばよい」

こうして、博之のもとへ、また藤吉郎から文が届くことになった。

穴子の件。

話家見習い会の件。

そして、東美濃へ話を染み込ませるという、またしても飯屋の範囲を超えた厄介な相談。

藤吉郎は筆を取りながら、小さくため息をついた。

「旦那、すまん。これはもう、逃げられんわ」

その頃の博之は、きっと松坂でごろごろしながら、うなぎか穴子か話家会の掟でも考えているのだろう。

その平穏を壊す文を、自分が書くことになる。

藤吉郎は少し申し訳なく思いながらも、筆を進めた。

信長が気づいてしまった以上、もう止められなかった。