作品タイトル不明
うなぎの焼き手を練習させるかたわらで穴子の調理法の研究に余念がない博之www九鬼水軍の宿題
どこか一つでも雑になると、すぐに味が落ちる。骨が残れば客は嫌がる。焼きすぎれば硬くなる。
蒸しが足りなければ、ふっくらしない。
それでも、料理人たちのやる気は高かった。
うなぎは高単価で売れる。
うな重とうなぎ巻が出せるようになれば、その拠点の力が一段上がる。
さらに松坂まで来て修行する者には、優先的に良い湯浴みを使わせることにした。
「修行に来た者を、雑に扱ったらあかん」
博之は言う。
「うなぎを覚えたら、その拠点の柱になるかもしれん。なら、ちゃんと気分よく覚えてもらう」
その言葉もあり、若い料理人たちはかなり真剣だった。
「旦那様、次は蒸しですか」
「その前に、骨をちゃんと見ろ」
「はい」
「客がうまいと思う前に、骨が刺さったら終わりや」
「はい」
そんな声が、松坂の調理場では毎日のように飛び交っていた。
その一角で、博之は別の魚を前にして腕を組んでいた。
穴子である。
九鬼水軍の者から、「うなぎができるなら、穴子もなんとかならんか」と言われたのがきっかけだった。
「うなぎと穴子は違うんやけどなあ」
博之はぼやきながらも、まな板の上に穴子を置いた。
料理人たちは、うなぎの練習をしながら、横目でその様子を見ている。
「旦那様、また変なこと始めてる」
「でも、さばき方は似てますね」
「ぬるぬるしてますし」
「そこだけで一緒にしたらあかんやろ」
博之はそう言いながら、穴子を開いていった。
確かに、開くという意味ではうなぎに近い。
だが、身の感じが違う。
うなぎよりも、少し大きく、脂の乗り方も違う。焼いた時の香りで場を支配するような力は、
うなぎほど強くない。
最初は、うなぎと同じように焼いてみた。
軽く焼き、タレを塗る。
悪くはない。
だが、何か違う。
「……焼きだけやと、ちょっと違うな」
博之は首をひねった。
次に蒸した。
鍋に湯を張り、竹ざるを置き、開いた穴子を乗せて蒸す。
しばらくして蓋を開けると、身がふっくらと持ち上がっていた。
「お?」
料理人の一人が身を乗り出した。
「うなぎより、蒸しでふわっとしますね」
「そうやな」
博之は箸で身を少し押した。
柔らかい。
焼きの香ばしさで押すより、蒸して柔らかさを出す方が合っている気がした。
「これは蒸し一択かもしれんな」
蒸した穴子に、うなぎのタレを少し薄めたものを刷毛で塗る。
それを軽く炭火に当てる。
じゅっと音はするが、うなぎほど脂が弾ける感じではない。
けれど、香りは悪くない。
「みんな、ちょっと食うてみてくれ」
博之が声をかけると、うなぎの練習をしていた料理人たちが集まってきた。
小さく切った穴子を、順番に口へ運ぶ。
「……あ、意外といけますね」
「うなぎとは違います」
「うなぎは、焼いた皮と脂の匂いで押してくる感じですけど、こっちは柔らかいです」
「ふっくらしてますね」
「酒のあてにはええんちゃいますか」
博之は頷いた。
「やっぱり、うなぎと同じ売り方はせん方がええな」
「飯に乗せるより、小皿ですか」
「それもありやな」
だが、博之はまだ考えていた。
穴子は、海の魚である。
九鬼水軍に出すなら、海の飯として見せたい。
うなぎと同じ土俵で勝負するより、別の形が欲しかった。
「……天ぷらにしてみるか」
「天ぷらですか」
「うん。ふわっと蒸した感じがあるなら、衣をつけて揚げたらどうなるか見たい」
料理人たちは、すぐに準備を始めた。
蒸した穴子の水気を軽く取り、衣をつける。
油に入れると、じゅわっと音が広がった。
衣が膨らみ、白く、少しずつ薄い黄金色になっていく。
「おお、きれいに揚がるな」
博之が思わず言った。
取り上げた穴子は、見た目がよかった。
大きい。
長い。
皿に乗せるだけで迫力がある。
そのままでも食べられるが、博之は天つゆを用意させた。
少し濃いめのつゆに、揚げた穴子をさっとくぐらせる。
衣がつゆを吸い、湯気が立った。
「これ、食うてみてくれ」
料理人たちは、また集まった。
一口食べた若い料理人が、目を見開いた。
「……うまい」
別の者もすぐに頷く。
「これは、うなぎと全然違います」
「衣がつゆを吸って、身がふわっとしてます」
「これ、飯に乗せたいです」
「天ぷらやな」
博之は、ぽんと手を打った。
「穴子は天ぷらや」
「旦那様、決まりましたね」
「決まった」
うなぎは、開いて焼き、蒸して、また焼く。
穴子は、蒸して、揚げる。
同じ長い魚でも、行く道が違う。
そこが面白かった。
「野菜の天ぷらもつけよう」
博之は言った。
「なす、かぼちゃ、ししとう……いや、ある野菜でええ。季節の野菜を揚げる。
その上に、穴子の半身をでんと乗せる」
「穴子丼ですか」
「そう。大きい穴子丼や」
料理人たちが顔を見合わせた。
「それ、見た目がすごいですよ」
「半身がどーんと乗ってたら、かなり食べた感じがします」
「うな重とは別の贅沢ですね」
「そうや」
博之は嬉しそうに頷いた。
「うな重は、蓋を開けた時の香りと、下にも入ってる嬉しさ。穴子丼は、
見た目の大きさと、天ぷらの満足感や」
「九鬼水軍の人ら、喜びそうですね」
「そこや」
博之はにやりとした。
「この前、穴子もなんとかならんかって言われたからな。これを持っていけば、面目躍如や」
お花が横から覗き込む。
「旦那様、また商品が増えましたね」
「増やしたくて増やしてるわけやない」
「でも増えてます」
「九鬼水軍に言われたからや」
「人のせいにしましたね」
ヨイチも帳面に書き込みながら言った。
「穴子。蒸し焼きは酒のあて。天ぷらは本命。野菜天と合わせて穴子丼。九鬼水軍向け候補」
「書くな。大ごとになる」
「もうなっています」
博之は少し黙った。
そして、揚げた穴子をもう一切れ口に運んだ。
ふわっとした身。
つゆを吸った衣。
うなぎの脂とは違う、軽い満足感。
「……これはこれで、強いな」
「強いですね」
料理人たちも頷く。
「うなぎを覚える者は、穴子も覚えやすいかもしれません」
「さばき方は近いですし」
「でも、焼きではなく揚げですね」
「そこを間違えたらあかん」
博之は言った。
「うなぎの真似をするんやなくて、穴子は穴子で一番うまい形を探す」
料理人たちは真剣に頷いた。
松阪の調理場では、片方でうなぎの蒲焼きの稽古が続き、もう片方で穴子の天ぷらが揚がっていた。
甘辛いタレの匂い。
揚げ油の香り。
焼ける炭の音。
若い料理人たちの声。
伊勢松坂屋は、また別の飯を手に入れようとしていた。
博之は、少し疲れたように笑った。
「ほんま、うちは何屋なんやろな」
お花が即座に答える。
「旦那様がまた増やした飯屋です」
「その言い方、ひどない?」
「事実です」
夜市が静かに続ける。
「ですが、九鬼水軍には喜ばれると思います」
「なら、ええか」
博之は穴子丼の試作品を見つめた。
大きな穴子の天ぷらが、野菜天の上にどんと乗っている。
見た目だけで、すでに強かった。
「よし。次はこれを九鬼水軍に食わせる」
そう言って、博之は少しだけ得意げに笑った。