作品タイトル不明
松坂城主から従五位下大膳亮をもらう。これから熱田や瀬戸が面白いかもやが松坂を忘れるなよwww
松坂城主から手紙が来たのは、九鬼水軍でうなぎを焼いた話が戻ってきた頃だった。
使いの者は、いつものように少し気楽な顔をしている。
「殿より、博之様へ」
「また飯を持って来いか?」
博之がそう言うと、使いの者は苦笑した。
「飯も、できればとのことです」
「やっぱりやないか」
お花が横で笑った。
「殿様、完全に旦那様を飯係として扱ってますね」
「もう慣れた」
博之はそう言いながら手紙を開いた。
そこには、思っていたよりもかしこまった文字で、官位のことが書かれていた。
官位が下りた。
従五位下。
大膳亮。
博之は、しばらく手紙を眺めていた。
「……大膳亮」
ヨイチが横から覗き込む。
「飯屋に大膳とは、妙に合いますね」
「合ってるような、からかわれてるような」
「どちらもありそうです」
「やめろ」
とはいえ、いただいたものはいただいたものだ。
一度、松坂城へ挨拶に行く必要がある。
博之は、うな重とう巻、それから少し調整したうなぎのタレを用意させた。
ついでに、瀬戸で仕入れた小皿と湯呑みもいくつか包ませる。
「飯だけ持って行くのも、なんかあれやしな」
「結局、飯と土産ですね」
「挨拶や。挨拶」
そうして博之は、松坂城へ向かった。
城主は、いつものように気楽な顔で待っていた。
「来たか、大膳亮」
「やめてください。まだ慣れてません」
「飯屋に大膳亮。ええやないか」
「それ、絶対面白がってますよね」
「少しな」
城主は笑いながら、博之に座るよう促した。
「まずは、官位のこと、ありがとうございます」
博之は深く頭を下げた。
「こちらこそ、よう受けてくれた」
「いただけるものは、ありがたくいただきます」
「正直なところ、期待せん方は、もう少し前やったら意味があったんやがな」
城主は杯を傾けながら言った。
「織田殿とも関わりができてきた。尾張にも入った。熱田や瀬戸にも手を伸ばしとる。
そうなると、松坂から何かを与えて囲い込む、という意味は少し薄れてきた」
博之は苦笑した。
「囲い込む気だったんですか」
「多少はな」
「怖いこと言いますね」
「商いが大きくなる者を、ただ見送るだけの殿では困るやろ」
「それはそうですけど」
城主は、少し真面目な顔になった。
「ただ、官位は無駄ではない。京や堺に入るなら、名乗れるものがある方がよい場面もある」
「私も、そこは思っています」
博之は頷いた。
「松坂や伊勢だけなら、飯屋の旦那で通ります。でも京や堺では、
寺社、商人、公家筋、いろんな人がいます。大膳亮という名が、どこかで役に立つかもしれません」
「相変わらず、伸ばすことばかり考えとるな」
「考えたくなくても、考えてしまうんです」
「病気やな」
「自覚はあります」
城主は楽しそうに笑った。
「で、飯は?」
「やっぱりそこですか」
「当たり前や。官位の話だけで帰すと思うたか」
博之は包みを開いた。
まずは、うなぎ巻。
出汁を含んだ卵の中に、甘辛く焼いたうなぎが入っている。
城主は一切れ食べ、満足そうに頷いた。
「うむ。やはり酒に合う」
「少し出汁を増やしました」
「前より柔らかいな」
「うなぎが濃いので、卵側で少し軽くしています」
「そういう細かいことを考えるから、料理人扱いされるんや」
「料理人ではないです」
「まだ言うか」
次に、うな重を出した。
蓋を開けると、甘い香りが座敷に広がる。
城主は箸を入れ、一口食べる。
「うなぎは、だいぶ好評みたいやな」
「はい。松坂でも、郊外の市でも、思ったより反応があります」
「二百文でも売れるか」
「売れます。ただ、数は絞っています。うなぎの扱いは難しいですし、雑に増やすと味が落ちます」
「それでええ。高い飯は、高い理由が見えんとあかん」
「はい」
「湯浴み付きの二階も、妙な噂になっとるぞ」
博之は顔をしかめた。
「どんな噂ですか」
「うなぎを食って、湯に入り、布団で寝る。若い男女が行くと布団買い取りになるとか」
「そこだけ広まるの、ほんまに嫌なんですけど」
城主は腹を抱えて笑った。
「お前が決めたんやろ」
「決めましたけど」
「面白いからええ」
「よくないです」
笑いが落ち着いたところで、博之は別の包みを出した。
「あと、瀬戸物を少し持ってきました」
「瀬戸物?」
「まだ大それたものではありません。小皿と湯呑みぐらいです」
城主は小皿を手に取った。
しばらく眺め、指先で縁を撫でる。
「これは……信楽焼とは違う色合いやな」
「はい。信楽は土の強さがありますが、瀬戸は軽くて、少し繊細です」
「白さがあるな。飯よりも、酒の肴や菓子に合いそうや」
「そう思います」
城主は、いくつかの小皿を並べて見比べた。
「これは、ちょこちょこ仕入れといてくれ」
「松坂城用ですか」
「もちろんや。うちでも使う。客に出すにもええ」
「承知しました」
「あと、松坂の店にも置け。瀬戸まで行けぬ者には、こういうものが珍しい」
「そこは考えています。伊勢小物、信楽焼、常滑焼、瀬戸物を少しずつ混ぜるつもりです」
「また市が賑やかになるな」
城主は満足そうに頷いた。
そして、ふと声を低くした。
「博之」
「はい」
「これから面白くなるのは、熱田や瀬戸の方かもしれん」
「はい」
「織田殿との話もある。木下秀吉殿とも、また何か動くやろう。尾張、京、堺。お前の目は、
どうせそっちにも向いとる」
博之は黙っていた。
否定はできなかった。
城主は、少し笑った。
「だが、松坂を忘れるな」
「忘れません」
博之はすぐに頭を下げた。
「私は松坂から始まっています。松坂がなければ、今の伊勢松坂屋はありません」
「ならよい」
城主は杯を置いた。
「面白いことがあったら、ちゃんとこちらにも報告するんやぞ」
「飯のことですか」
「飯もや。商いもや。変な催しもや。西瓜割りとかいう阿呆みたいな遊びも、なかなか評判やないか」
「そこまで耳に入ってるんですか」
「入るに決まっとる。松坂で起きた面白いことを、わしが知らんと思うな」
博之は苦笑した。
「では、今後も報告します」
「うむ。うなぎの味の調整も、忘れずに持って来い」
「結局、飯ですね」
「当然や」
座敷にまた笑いが起きた。
挨拶を終え、博之は松坂城を後にした。
大膳亮。
まだ、その名は自分のものという感じがしない。
けれど、京や堺に入る時、その名が扉を開くこともあるかもしれない。
飯屋の旦那だけでは通れない場所に、少しだけ足を踏み入れるための札になるかもしれない。
城を出ると、風が少し暑かった。
六月の松坂は、もう夏に向かっている。
博之は歩きながら、瀬戸物の追加、松坂への報告、熱田の下準備、うなぎの味の調整を考えていた。
「そろそろ、信長公とか木下秀吉さんからも、また何か来そうやな」
横を歩くお花が、ため息をつく。
「旦那様、そういうことを言うと本当に来ますよ」
「来るやろなあ」
「嫌そうな顔をしながら、少し楽しそうです」
「怖いだけや」
「本当ですか」
博之は答えず、少し笑った。
うなぎはまだ改良できる。
タレの甘さ。
焼きの強さ。
蒸しの時間。
重に詰める飯の量。
う巻の卵の柔らかさ。
熱田に持って行くなら、もう一段整えたい。
松坂城主に官位をもらい、瀬戸物を見せ、うなぎを食わせ、また次の話が始まる。
ただの飯屋だったはずの男は、いつの間にか官位を名乗り、尾張と伊勢の間を
行き来するようになっていた。
博之は小さく息を吐いた。
「大膳亮か……」
お花が横で笑う。
「似合ってますよ。飯の旦那様らしくて」
「褒めてるんか、それ」
「半分くらいは」
「少ないな」
松坂の町を歩きながら、博之はまた、次の飯と次の道を考え始めていた